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大人へ

現在、中高生の不登校者数は増える一方です。時代の流れがそうさせているのかもしれませんが、彼ら彼女らの将来のことを思うと心配でなりません。

私が仏門に入ろうと思ったきっかけは、高校時代にあります。漠然とした将来に対する不安が、やだて鬱のような精神状態を引き起こし、心は自分ではどうにも制御できないところまで悪化してしまいました。自分でいうのもなんですが、そんなに弱いとは思っていませんでした。根性があり、努力家と小さい頃から言われてきたからです。でも、将来のこととなると目の前に大きな壁をドカンとおかれたような気がしてお手上げでした。
少し手や足をかけれて、少しづつ登れるのなら、どうにか頑張れます。しかし、そんな優しいものでもなく誰も答えを教えてくれない。勿論、学校の先生は親身になって進路の相談をしてくれるし、親も心配してくれます。でも私の場合は、それ以前の問題で精神のやすらぎというかよりどころというか、同級生の大半はそんなこと考えずに真っすぐ勉強していたのに、自分いったい何やっているのだろうて。

私の心のエネルギーはとにかく安心を求めていました。そこで、自分以外の人、恋人でもいいし大好きな芸能人でもミュージシャンでもいい。そこに安らぎを求めようとしても、なんだか自分のがれで逃げているようで全然良くならない。ある日、夜中に起きてふと鏡に映る自分を見て、「誰、この顔自分ではない」

こんなはずではなかった。もっと大人になれば楽しい未来が待っていると思ったのに。学校に縛られなくていいし、どんどんやれることが広がっていくのに、そんなことどうだっていい。とにかく自分の今が危ない・・。

勉強でも運動でもない、心は誰も教えてくれなかったけど学んでいけれるんだ。お寺に行き、仏様を拝んだ時にそう思いました。知らなかった。根性や努力でなくても、はじめから赦される世界が存在していたことを。こんな自分でもいい。大丈夫。うまくいかなくても、失敗しても、もっと悪くなってもそれでもいい。明確ではないけど、私がどこから来てそしてどこに向かうのかが、心のふるさとが分かったような気がしました。

私の心の故郷。言葉には出せない。ただとても懐かしく、心で見つめると自然と涙がこみ上げてきます。このような出来損ないの私でも愛し続けてくれる。神仏であり、先祖であり、そして自分の中の本当の自分です。
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何を

何をとは、例えばいま取りざたされている日中両国の関係悪化の問題。しかし、国とはいったい何なんだろうと思いませんか。
その国は嫌いだから、そこに住んでいる人は嫌い。ただ生まれた国がどこであるかで大きくその人の見る世界の価値基準が違ってきます。中国人観光客のほとんどが日本人は嫌いであったが来てみるとみんな優しく親切だったと言います。もうそんなことは何年も前から聞いてきたことなのにいっこうに国同士の溝は埋まらない。

昨日、中国で超人気になった日本人についてテレビで取り上げていました。彼はサラリーマンを辞めて中国美術を学ぼうと、中国の大学に進学します。皆に日本人だからと嫌われて嫌な思いをするのではないかと覚悟をもってきてみたら、意外に皆やさしかったそうです。それならばとネットで中国人向けの現代風、おもしろ風にリアルな日本文化を動画配信しました。それが中国の人達の心を大きくつかんで、半年でアイドル状態です。彼が町をあるけば、若者たちが携帯を手に撮りまくります。私の目からも、普通のごく普通の日本人です。
「キャーかっこいい」「わー本物だ。信じられない」
一人の中国人の若者が彼と一緒に写メを撮ったら、急に涙が出てきてとまらなくなりました。本当にうれしいのだそうです。どうして彼のことがそんなに好きなのかを尋ねると
「彼の作品は自由だから」
と答えました。私にはその若者のもっと自由がほしいという思いと国がそう変わってほしいという願いが、国交に関係なく自由を発信する一日本人に投影されたのだと思いました。日本人はただ領土や資源、国の安全を脅かす中国人は嫌いという浅はかな考えではいけないと思います。共通の敵がいるのです。私利私欲におぼれ、自分のことばかりを考えて、たくさんの人の命を何とも思わない輩は両国に沢山います。そんな人が私たちのごく当たり前の普通の生活を脅かそうとしているのです。

日本と中国の関係が未来の地球人の進化につながっていくことを切に願います。
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流れ

流れに乗る、そんな感覚は皆さんもあると思います。
どんなに一生懸命進もうとしても、時の力を得ることができなければなかなかすんなりとはいきません。調子がいい時は何をやっても思いが通るのに、一度歯車が狂えばなかなか実力をだしきれない。

そういえば、ラグビー日本代表の五郎丸選手がキックの時にルーティーンを大切にしていることが話題になっています。あきらかに印のようなものを組んで徐々に自分のペースにもっていく。五郎丸選手は身体の中心に力を集中する為のものと言っていましたが、まるで忍者のようでとても日本的だと思いました。自分のまわりに気のガードみたいなものを作る意識もあると思います。
また野球選手のストッパーである選手がマウンドと自分が一体となる感覚を大切にしていると仰っていました。

流れを呼び込むのは気の充実に他なりません。己の気が強く集約できる訓練をする必要があります。いつも同じことをいいますが、今を精一杯いきることです。
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情操教育

今日は運動会でした。朝のうちは雨で皆結構ぬれたので、どうなることかと思いましたがそれ以降は雨もたいして降らずに無事終えることができました。

例年のごとく、昨日の夜から場所取りをしているパパさん達に尊敬の念をいだきながら、開門の午前6時前に向かいました。とりあえずそれなりの所を選び、一旦自宅に戻りました。その後、嫁と娘と一緒に幼稚園に向かい、とにかく娘の勇姿をビデオに収めるべく奮闘しました。
自分ながら、あー煩悩だと思えるくらいとにかくビデオ撮影の場所とりに奔走しました。多くの子供がいる中、ズームでとらえるのに神経を使い、自分の前の人の動きでビデオがさえぎられるのにイライラしました。そんな自分にいやけがさしつつ、とにかくプログラムごとにいい映像をと。

うっかりしていて折角のかけっこの時に容量オーバーになったときは、正直頭がパニクりました。これはすごいミスをしてしまった。パソコンに落としているのに消去しそびれた。しかも他の子どものかけっこも撮りながらのことなので、余計言い訳が立たない。

パパママ参加の行事は玉入れでした。一応自分たちのクラスが一番になったのですが、ほとんど入れることができなかった自分を思うとなんだか複雑な気分でした。一番のメインイベントの年長さんのリレーでは、皆大声で興奮して応援していました。足の遅い子がどんどん抜かれるのをみると「がんばれー」と切なく、応援したくなりました。うちの子は来年ですがかけっこのフォームはいいのですが、遅いので少し鍛えようと思います。

帰ってきて案の定、嫁にかけっこが他の子のが撮ってあるのに娘のが撮れていないのを強く責められました。そこで娘が
「ママ~。パパは他の子をビデオに撮ったのは、お友達の子の顔と名を紹介したかったからなんだよ」
普段、娘がよく口にする友達はなかなかどんな子かわからないのもあったので、そんな私の気持ちを察して代弁してくれるなんて、と感動しました。
親ばかですが情操教育はできてるなと安心しています。

それから今までずーと娘の遊びに付き合わせられました。巨人も負けたので、少し疲れがでました。 以上です。
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熱くなれ

時代は動いています。数年前の常識が今はまるっきり通用しないなんてことはよくあることです。
今、政治に関心を持つ若者たちが少しづつ増えてきました。安保法案可決の時に国会議事堂前には多くの若者があつまり反対の思いを伝えていました。今日、テレビで学生団体の主要メンバーの方が意見を述べられていました。とても現代風な若者で話すことが分かり易く、番組のコメンテーターも彼のこれからをとても期待をこめて応援していました。
まさか数年前までは、普通の学生のごく当たり前の素直な意見がテレビで放映され、そしてあたかも魅力的な存在のように取り上げられるなんて想像もつきませんでした。若い人は若さゆえの清々しさがありますが、人生経験はまだ未熟であることは事実です。昭和の時代のように早い年齢で自立した若者が多かった時代と草食系と言われるように、どことなく元気さがたりなかった現代。何か熱い思いをもつ若者が増えることは素晴らしいことだと思います。

それにしても、団体のメンバーが600人位。ソーシャルネットワークでつながっていて、顔も知らない人が何人もいる。デモに行ってはじめて面識が出来る。集まっている人のほとんどが自分達もどこの誰なのか把握できない。そう彼が言っているのを聞くと、なんて現代的なのかと思いました。

「選挙にいこう」何度も繰り返し彼は叫んでいました。

そんな当たり前のことが、当たり前に出来なくなった日本。良いも悪いもなく、真剣に自分の国とこの国に生活している自分自身、そして世界の中の日本を考える時代が来たのだと思います。
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