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無意識界

いつも普通な毎日がこうして繰り返されるけれどもしかしたらそこには見えない大きな力が働いている可能性があります。

ただ見えないだけ。気付かないだけ。

本当は見えない力に突き動かされて生きている。生かされているのかもしれません。

もうしばらく前のことですがお寺に参拝に来た方と知り合いになり、こんな話をしてくれました。

その方は高層ビルの建築現場で働いていたそうです。それで普段はかけて作業をする安全帯をしそびれて。
何かの拍子に壁から身体が思いっきりはなれてそのまま真っ逆さまに落ちそうになりました。
そしたら突然、風が吹いて自分の身体を押し戻してくれたそうです。
あの風はいったい何だったのだろう。確実に落ちたと思った。

また別の方の話。

高速道路を走行中に前を走る車が右に膨らんだので思いっきり抜き去ろうとした。そうしたら突然、左に思いっきりハンドルをきってきて
ぶつかると思って急ブレーキを踏んだのだけど間に合わない。身体は思いっきり前のめりになり車の中の物も一斉に前に吹っ飛んで。意識の空白を経てふと前を見たら車はずいぶん前方を走っていて自分の車とは接触しなかったみたい。どうしてだろう。完全に事故をおこしてしまったと思ったに。

どうして自分はあの時にあーしようと思ったのだろう。無意識にしたことだけどそうしなければ今の自分は存在していなかった。

よくある話だと思います。しかしそれが見えない何かの力だと明確に把握できればありがたいのに。

私達はそんなありがたさを繰り返しながら気づかないでいる無知な存在かもしれません。

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真髄

今日はお昼を食べ損ねてしまいました。
知り合いの男性が他界されました。奥様のお葬儀の時からもう9年になります。この前も元気な姿を拝見していたのに。

この世は無常です。死因は肺炎と聞きましたが意外に多いいのです。闘病をされていたり、治療をしていた人が根本の病で亡くなるよりも風邪をこじらせて肺炎で亡くなることが。

本当に声が聞こえてきそうです。今にも起きそうです。

多くの人の旅立ちに接して思うことが死は非日常のことですがある意味、本当にいつ起きてもおかしくないことでもあるということです。

自分にそれが起きると自覚をしながら生きている人はあまりいないと思います。自分はそうなるだろうけれどまだまだ先だとほとんどの人が思っているはずです。

ただ自覚をしながら生きている人の覚悟は相当なものだと思います。

仏教は生とは何か。死とは何かを私達に教えてくれます。逆に覚悟が出来ている方は仏教の真髄に近いといえるでしょう。
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幻影

先日、ニュースを見ていたら元交際相手の女性を刃物で殺害した男性の逮捕された映像が流れていました。
妻が一言こう言いました。

この世の中、いくらでも他に女性がいるのにどうしてそこまでしてしまったのだろう。

確かにそうです。逮捕された男性も他の縁のある女性と結ばれた可能性はいくらでもあります。
でもこの人しかいない。自分から離れてほしくない。そうこれは愛ではなく執着。思考の方向性をかえれば防げたに違いありません。

相手の人というより自分の中に膨らんだ相手への思いに固執したのです。それは相手自身の本体とは別物です。

不倫で多くの有名人が社会的地位を追いやられています。残念な話です。「あーあんな誠実そうな人が」
世の中のガッカリ度ははかりしれないものがあります。

ただ有名で能力があるからこそ女性が寄ってきやすいのではないか。そんなふうにも思えてしまうのも事実です。

どれもこれも幻影なのかもしれません。相手がよくて不倫してしまったとしても少し行動と思考、環境を変えるだけでどうして自分はそんなことをしてしまったのだろうと不思議に思うはずです。

人の心は弱いです。特に欲望に関してはなかなか制御することは困難かもしれません。食欲、性欲、睡眠欲。物欲。

ただどれもこれも幻影だと理解すれば身を滅ぼすような行動はしないはずだと私は思います。
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癒し

朝起きたら隣りに妻と娘が寝ているのを見て幸せを感じます。家族の寝ている姿は癒しに感じませんか。

多分、人が寝ている時ってすごく無防備だと思うのです。なんだか素のままで。スースーと。
もうさすがに娘は大きくなりすぎて一緒に寝たいとは思わないのですが、小さかった頃はまるで小動物と一緒に寝ているように癒しになりました。

このブログ。いつか読書好きな娘がすべて読破するときがあるでしょう。
もしかしたら生きるヒントになるかもしれません。そしてあーこんなことがあったんだと懐かしんでくれるのかも。

私よりも文章能力の高い娘はもしかしたらまとめて本にしてくれるかも。なんて。

まだスマホをもたせていないし、読もうとしていないのでしばらくそっとしておきます。
出来れば成人になってからゆっくり読んでほしいです。



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不注意

よく思うことありませんか。あの時こうしていたらと。

後悔は先に立たずですが少しのタイミングの違いで大きな問題になることがあります。
普段はこんなミスしないのに。その時、たまたま無意識にしてしまった。目に入ったはずなのに気づかなかった。見過ごした。

先日、5歳の男の子が亡くなったプールでの事故。
本来は起きない事故だと思います。現場にいたスタッフの方が「あの時、どうしてもっと注意しなかったのだろう」と述べていました。
他に大勢で遊んでいる子供に気をとられて目に入っていいはずの男の子に気付かなかった。

子供が溺れる時は意外に静かだそうです。ニュース番組でそう言っていました。助けてとか声を出せない。
まして沢山の子の声があふれるあの現場で一人の異変に気づけなかったのは不運としかいいようがありません。

これはすべての人に起き得ることだと思います。

私は子供の頃に溺れかけたことがあります。近くに小さな川。そこで兄と遊んでいました。今見ると小さな川なのです。でもその当時はすごく流れが速く、危険に思われました。
私はまだ小学校の低学年か幼稚園生だったと思います。おもいっきり落ちて流されかけたのです。その時に一つ違いの兄が隣にいて手をつかみました。
今でも鮮明に記憶にあります。流れる私を兄が必死につかんでくれたおかげで助かりました。

ただよく記憶にはないのですが近所のうちの池に何度か落ちて溺れたこともあります。

小さな子供には大きな未来があります。その未来が突然失われたことは本当に残念でなりません。
願わくばその未来が来世にかなうことを祈るばかりです。

また私達も信じられないような不注意を起こさなうように気をつけなくてはなりません。
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