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祈りの日々

昨日、テレビで東大寺の二月堂における修二会・お水取りの儀式がとりあげられていました。

コロナ禍の中、一度の途絶えることのなかった儀式がまさにできるか、できないかギリギリの選択を迫られていたのです。

過去に二回、危機があったそうです。平家による東大寺焼き討ちの年と戦国時代の戦乱による東大寺大仏殿消失の年。

今年がその二回の年以来の危機だったそうです。

儀式は華厳宗の練行衆といわれる僧侶のみでなくそれを補佐しサポートする一般の方々も多く加わっていきます。皆が二週間の儀式にそなえ、その前から隔離生活をおくり望めるのはなかなか難しいことです。

また一人でも感染者がでれば儀式は中止となります。

南都のお坊さんは私たちとはまた違う独特な雰囲気をもった方々でした。国家鎮護のためにたてられた東大寺をお守りしているのだからそれなりの覚悟をもたれておられます。

木造のお堂の中で大きな松明を燃やして引き回す様など普通では考えられない儀式です。また五体投地といい床に思いっきり自分自身の体をなげうつ姿は鬼気迫るものがありました。

途中、補佐役の一人の方が高熱を出されました。検査の結果、陰性でしたが一人でもかけると中止になるのでどんな体調が悪くなってもやめるわけにはいかないのです。大切な儀式とはそういうものです。

一人の僧侶が儀式を終えたころには少しコロナが収まっていてほしい、そう念じながら修しましたという言葉が印象的でした。

コロナの猛威は今の続いていますが今回、命がけで頑張られた皆さんのように多くの人の祈りがこの国の未来を方向付けていくのかもしれません。

私自身の祈りの日々を続けます。
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自然界

会館に巣作りをしている燕はこの前、ひなをせっかく育てていたのにカラスにやられてしまってそこの場所を断念しました。

その後、入口のバタンバタンと音でうるさい上に巣作りをして今日、落ちてしまいました。残念です。

でも本能なのでしょうか。またここで巣作りをしようとしています。

見ているとあっという間に巣はできてしまいます。卵もあっという間に産むのです。

しかし無事育てられるかは難しいみたいです。

生き物が無事、自然界で育つのは本当に難しいことなのかもしれません。


人間はそう考えると他の生き物よりも恵まれているのかもしれません。

しかしそのことに感謝しなければ自然界のしっぺ返しをくらうでしょう。

ゆめゆめ今生きている奇跡に感謝し、怠らずに用心しなくてはいけません。
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現状維持

今の時代、人類は大きな転換期を迎えています。そんな時期にどうすることが大切か。

流れに抗うことなく現状維持で、自分のできるかぎりのことをする

それにかぎると思います。

私自身、コロナ感染に気をつけながら仕事をきっちりとこなしていく、それのみに集中しているのです。

他のことはどうになろうとある程度は挽回がききますから、今はただこの現状を維持することのみです。

人はどうしても変化をもとめます。それにこんな時代ですからストレスも目に見えないところで大きく受けています。

芸能人の方をみてもこんな状況の中、忙しい仕事をこなしていくわけですから適応障害にもなると私は思うのです。

ただこの時期に自分の実力以上のことをこなすことは少し気をつけた方がいいのかもしれません。

やらざるえないのは仕方ありませんがとにかくただ無事に一日が終わることのみに集中すべきです。

やがてまた時代は変わっていきます。今の状態もずーと続くわけではありません。

その時にもう一度、ジャンプするのであれば今は我慢です。

そんな生き方はつまらない、若い人ほどそう思うでしょう。

ただこんなことは前代未聞です。数年前までは誰も想像できなかったのです。

本当にそのようなことが来るのであればこれから何が起きてもおかしくない、そのようにも思えます。

今は我慢する訓練をしている期間かもしれません。
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可哀想

私、ふと自分のことを思うのです。

不器用でかわいそうな奴だと。

また

一生懸命頑張っているわりにはなかなかうまくいかずになんだか報われない奴だと。


私は自分を甘やかせているわけではないのです。私という人間はここぞというときに大きな失敗をする、典型的な可哀そう人間です。

何か前世で大きな過ちでも犯したのだろうか。

そうとう罪つくりなのだろうか。

一体全体、どうしてこうも普通に生きれないのだろうか。


もう年齢は50歳。

やってしまったーではすみませんでは済まされない年齢にもなってきています。

お願いだからあまり私を驚かせないでほしい。

そう自分自身に願うばかりです。
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キングダム

最近キングダムというアニメ・漫画にはまっています。はまるのが遅いかもしれませんが大人にもとても人気のある作品です。

その内容は秦という国の若き国王・政と心を共にする若き武将・信が中華統一を目指し奮闘し、活躍する姿がえがかれています。

まあ、戦です。とにかく個性あるキャラクターの武将や軍師が戦いの中で輝き、散っていくのがなんともいえず心が惹かれます。

史実にのっとっているのも魅力があります。紀元前の中国でこれほどの戦いが実際にあったと思うとワクワクします。三国志みたいに子供時代からよく知っているようなものとちがって勉強になるのも人気の秘密かもしれません。

剣や弓で戦う、ほとんど気合いと根性の世界。そして大将軍がメチャメチャ強くて、一騎当千です。
必ず盛り上がりの場面では将軍同士の一騎打ちになります。それで戦の局面が大きくかわっていくのです。

個の胆力と武力で何万という兵の動きがいくらでも変わるなんて、まだ鉄砲とかミサイルとかがないからこそリアルに人間力がものゆう時代だったのでしょう。

そういえば話がとびますがこの前、テレビで冷戦時代に人工衛星の誤作動で旧ソビエトが核ミサイルを発射する寸前までいった危機がとりあげられていました。
アメリカからミサイルが飛んできていると警告される中、最後どうするかを判断したのはそこにいた一人の将校です。彼は本当だったらもう手遅れになっているのを承知で最後の最後までミサイルでの反撃を行いませんでした。
結局、人工衛星の誤作動と判明したのですがその後、ソビエトではその事実を隠し、彼自体も冷遇されてしまうのです。

時代が変わり、最近になってそのようなことがあったのが世に広まるのですが国の未来もある意味、一人の人間の力で大きく変わるのかもしれません。

キングダムではこれから秦という国が中華を統一する流れですが地球の未来も強いリーダーがあらわれ新しい時代を導いてほしい、そのように思います。
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