一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
お陰様
自分は実は人助けをさせていただいているから生かされていると思うことがあります。
これ自分がするではなくさせていただいているということ。
もし今のようなお仕事をしてなく、日々の生活にやりがいを見いだせなかったら多分生きているという感覚がつかめないでいるはずです。
お陰様で身体がきついというのもあるけれど生きていると感じられる。食事もおいしく食べれて睡眠もきちんと取れているのは自分が社会のお役に立てているからだと思うのです。
だからすべてがありがたい。今日お経を上げさせていただいた方やご家族に感謝。
自分がしているのではなくさせていただいている。感謝するのはこちらの方なのです。
身体の調子も10月に田舎に帰ってから上がってきました。自分にとって大きな意味があったのでしょう。
朝のランニングも身体のキレが出てきました。少しづつ楽しみです。
これ自分がするではなくさせていただいているということ。
もし今のようなお仕事をしてなく、日々の生活にやりがいを見いだせなかったら多分生きているという感覚がつかめないでいるはずです。
お陰様で身体がきついというのもあるけれど生きていると感じられる。食事もおいしく食べれて睡眠もきちんと取れているのは自分が社会のお役に立てているからだと思うのです。
だからすべてがありがたい。今日お経を上げさせていただいた方やご家族に感謝。
自分がしているのではなくさせていただいている。感謝するのはこちらの方なのです。
身体の調子も10月に田舎に帰ってから上がってきました。自分にとって大きな意味があったのでしょう。
朝のランニングも身体のキレが出てきました。少しづつ楽しみです。
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