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冗談ではない。

冗談ではないとはどんな気持ちだかわかりますか。

それは誰かに対してではなく、漠然とした何かに対してです。

どうしてうまく生きられないのか。

どうして身体がいつも怠いのか。

どうしてうまく働けないのか。

どうしてお金がないのか。

どうして生きていて楽しくないのか。


この世が修行の世界でいろいろな意味でありがたい恩恵を受けていて「感謝」と「懺悔」の気持ちをもって生活しなくてはいけないのはわかります。

しかし、生きている本人はそれどころではありません。

こんなに長く宗教に携わってきているのにまるっきり成長していない自分。

悔しいです。冗談ではありません。

言いようのないもどかしさを抱えながら今日も生きます。
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不倫は絶対にダメ

私の好きな俳優さんが不倫をしてスクープされてしまいました。ファンの数人と関係に及んだそうです。せっかく今、誠実なイメージとバラエティにも受けるキャラクターで人気を博していたのに残念です。やはり奥さんと二人の子供がいるのですから「してはいけないこと」であって非難されて当然のことだと思います。

しかし、私的には男前で喧嘩も若い頃には相当強かったらしく、飾り気がない人柄は女性にもてて当然だと思ってしまうのです。芸能界という誘惑の多い場所に身をおいて感覚が麻痺してしまったのかもしれません。大いに反省してほしいと思います。

以前、テレビであるベンチャー企業の社長さんがこう話していたことを思いだしました。

経営者をしていてこれからも多くの社員と家族を養っていかなくてはいけない責任を強く感じている。
その中で一番気をつけていることがハニートラップだ。いつどんなところでライバル企業や自分を貶めようとする輩にしかけられるかわからない。だから本当に気をつけている。極力そういった場所にはいかないようにしている。とにかく私は家族と会社を守らなくてはいけない。

不倫を報じられた俳優さんはスケベ心でファンをもてあそんだのであってハニートラップではないとは思います。

しかし彼が家族と仕事とファンを傷つけたことは事実です。自分の置かれた立場に自覚が足りなかったのです。

そのような責任のある立場でなくても不倫や浮気はけっしてしてはいけないことです。ばれなかったとしても霊的にはバレバレです。自分の魂を傷つけることになります。

この世ではうまくいったとしてもいつかはその罪の代償をはらうことになります。
それなので今回スクープされたことは彼にとっては罪をこれ以上つくらないことにつながればいいとも思います。
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現実は違う

もし、今回のような凄惨な無差別殺傷事件の現場に自分が居合わせて犯人を防ぎ、倒すことができたら、とよく考えることがあります。ただ実際は短時間で計画性があり凶器を持ってのことなので難しいでしょう。

ハリウッド映画なんかのアクションシーンをみると軽やかに悪者をバッタバッタと倒していく光景が見られます。たった一人で生身の身体で一発でも銃弾が当たればアウトなのにそうにはならず何百人も倒していくのです。

多分、それが人間の脳裏に浮かぶ理想なので。でも現実は違います。


キックボクシングの那須川天心さんがツイッターでこう述べていました。

「川崎の無差別殺傷事件 本当に悲しい、、あり得ないと思う」

「格闘技をやってますが、実際刃物を持った人と遭遇した時に助けに行けるかと言われても行けないと思う」

「まだそんな勇気ないし、力もない。でも助けたい気持ちが大きい」

「もっと強くならなきゃな 人として」


私からすれば那須川天心さんが出来ないならいったい誰ができるのですか。と思いますが彼であっても刃物をもった人間に対しては死の恐怖と対峙しなくてはいけない難しさが本当のところだと思います。

実際に新幹線の中で刃物を振り回した男から他の乗客を守ろうとした勇気ある若者は命を落としてしまいました。

本当に勇気のある人は強さだけではないのかもしれません。

とにかくこの世の中から弱者への無差別な犯罪が亡くなることを祈ります。

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本当は幸せ

最近は芸能界で薬物や暴行などで華やかな脚光を浴びていた人が一気に転落していくさまが多く見られます。

彼らは映像などで私達大衆にいろいろなものを発信して自分の能力を提供しているわけですが多分、実際の自分と作られた自分の間でジレンマを抱えているに違いありません。

例えば喧嘩が強くバリバリの不良役を演じたとしても本人は気弱で臆病だったりするし、正義感あふれるヒーローとは内面がまるっきり違うこともあるわけです。

見ている私達も作られたその俳優さんに魅力を感じていて本当はどうかなんかはあまり考えないし、知らなくてもいいと思っているのが本音です。

ただ羨ましいと思うのは自分の作品が後世にまで遺るということです。ほとんどの人が限られた人にしかその思い出が遺らないのに対して芸能人はあの世に旅立ってからも多くの人に影響力を与えることができます。

素晴らしい映画などに出演していれば名作として後世に語り継がれるわけです。

なんだか羨ましいような気がします。魅力が次の世代にも伝わるなんて。

この前、久しぶりに好きだったバンドをCDを聞きました。そしたらその時代のことが急に脳裏にクローズアップしてきて胸が高鳴りました。そして思ったのです。この歌で私のように心がジーンと来る人が多くいるのだからこの作品をこの世に出した本人は幸せものだと。皆に感動を与えられているのだから。

人とは難しいものです。本当はすごーく羨ましい環境にいるのにそれが見えなくなってしまい自滅してしまうわけです。

あれよりもマシ、これよりもマシで自分自身も自戒しなくてはいけません。
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バッドエンドはない。

毎日が暑い、本当に気候がだんだんと異常になってきます。

北海道がこんなに暑いのは今までにはなかったことです。地球全体のバランスが大きく変わってきています。これはいずれ自分達の生活にも大きく影響していくのではないでしょうか。

今まで当たり前だったことがそうでなくなる時代。

何十年も何百年も変わらなかったことが続かなくなる時代。

私はこの世で生きて多分、あと三十年後ぐらいに他界するでしょう。それ以降のことは見たくても、関わりたくてもできないのが事実です。

その上、肉体の機能はどんどんと低下していきます。知識や見聞は増える一方なのにそれに反比例するように衰えていくのです。

神社、仏閣をお参りすると何百年も変わらずにたたずむ建物、ご神木を拝することができます。余程のことがないかぎりこれからも長い間変わらぬままの景色です。

私は変わり、この世からいなくなっていくのにこの世にそのまま残る景観。


ただ最近思うのは時間は本当は自分が思うような流れではなくて縮まったり、伸びたりするのではないかということです。

長い年月が本当は一瞬になることだってあるのかもしれない。

私達は瞑想でよく魂を宇宙のはてまで飛ばすことをします。実際は行っていないのに瞑想の中では月の裏側も宇宙のはてもいくことが可能です。思いは空間を超越するからです。

時間も私達の思いと連動させれば過去も現在も未来も自由に行き来できるはずです。

だから変わってしまったものを嘆くよりも自分の魂には永遠に存在し続けると置き換えるべきです。

この世に留まろうとそうでなかろうと私達は永遠です。この世で肉体がなくなろうとそれが真実です。

バッドエンドはない。ピースの又吉直樹さんがそう述べていました。最悪の結末もその続きを自分で書き足せばいいのです。

私達はいくらでもやり直せる。そんな旅路を歩んでいます。

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