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修行道場

時は長くなったり短くなったりするのでしょうか。走馬燈とよく言いますがその間は何十年分の記憶がいっきに短時間によみがえります。

私達はもしかしたらこの時間のトリックに惑わされているだけかもしれません。

人生終わってみれば意外にあっという間だった。
そんなことを思いながらあの世に旅立つのかもしれません。


あの世の時間はこの世よりもゆっくり流れる。だからあの世の人はこの世の人よりも寂しくなく再び皆さんと会えるのですよ。


私はお葬儀の後に皆さんによくこのように法話をします。
やはりこの世こそが決められた生涯で魂を磨く為の修行道場なのです。

何もない人などこの世にはいません。皆何かしらの苦しみを抱えながら頑張って生きています。

願わくばその苦しみの一端を担える人間になりたい。そのように思います。





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曼荼羅3

いったいどこにそんな完璧な人間がいるのでしょう。曼荼羅の胎蔵界には人を食べる鬼や餓鬼なども描かれています。それらの存在もまた仏だというのです。金剛界の世界には理趣会と言って男女の愛欲もまたそれも正しい仏の営みとしています。

私は高校卒業と同時に仏門に入ろうと思いました。その世界はとても清らかで静寂でとことん仏様と向き合えると思ったからです。しかし家族の大反対でとりあえず大学に進む道を選びました。

もし高校卒業と同時に仏門に入っていたら僧侶としては挫折し、還俗していたと思います。それは完全なる清らかな世界など存在しないと嫌が応にも思い知らされたに違いないからです。

大学院卒業の頃には多少心臓に毛が生えていたのでこうして今も続けられているのだと思います。

清らかな世界ほど汚い。汚い世界ほど清らか。弱い人ほど強い。強い人ほど弱い。

この世はいつでも両面が存在します。目指すはその上だと思うのです。それが真言密教の極意です。

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曼荼羅2

あのエキゾチックな仏様の幾何学的な羅列をもって曼荼羅といいますがそもそも宇宙エネルギーを具象化したにすぎません。つまりはあのようなものが根源にあって大自然が成り立っているといえるでしょう。

真言宗では曼荼羅を金剛界と胎蔵界にわけます。両界曼荼羅といいます。男性、女性。陽と陰ともいえます。金剛界は宇宙のエネルギー活動を意味します。どうもエネルギーは渦のように回転していくみたいです。出る時も納まる時も回転していく。ちょうど台風のように。

胎蔵界はビッグバンと同じように中心から外に一気に広がる世界です。まるで何かが誕生する時のように母性を感じますが、これは宇宙の誕生を表します。

誕生と活動。この両方の和合によって宇宙が成り立っているといえるでしょう。

私達もただ前進あるのみではなく内観と言いまして内なるエネルギーに目を向けることも必要です。そのバランスがあってこそこの世の中も正しく生きることが出来るのです。

私は大自然を見て曼荼羅を感じます。脳内の曼荼羅が常に視界の映像に張り付いているみたいです。この曼荼羅は私にもっと正しく動けと促しているようです。

愚禿な私がようやく人並みになれるきっかけになればいいと思います。
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曼荼羅

私の先生は分厚い本も両手を当てて祈るだけでその内容のある程度を把握できると言っていました。若かりし頃の私はそんなことが本当にあるのかと驚いたものです。

あれから30年を経て私はというとその能力はもちろんありませんが観想というか、そちらの方は少し入り込めるようになったのかと思います。

昨日は霊場の本や仏像の本を読んでいたのですが今までにない感覚を憶えました。

忘れていた記憶。自分が行じてきたこと。修練したこと。それらがまるで扉をあけたとたん脳内の中にあふれ出ました。自分で言うのもなんですが仏教学は修士課程修了の学歴のある人間です。普通のお坊さんよりもそちらの方はそこそこ出来ると思えます。

なんだかそれもこれもこの数年まるっきりほったらかしで仕事ばかりしてきたので脳内の片隅に忘れていました。

曼荼羅が脳の中に浮かんできます。曼荼羅は抽象的なのでそこに意味を追求してもなかなか把握しずいのですが今ならどこか感覚的に理解できるのではないかそう思えます。

それもこれもこの数年、一般人として働いてきたからかも。

僧侶の修行は霊場やお寺ばかりにあるのではありません。この普段の生業の中にも大切な行があった、そう思います。

私の中の曼荼羅が発動します。
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巡ろう

自宅で飼っているヌマエビが子供をつくりました。はじめてのことです。小さな赤ちゃんエビはとても可愛いです。無事成長してほしいと思います。

昨日恩人と話しをしているときにお参りに行ったということで多くの仏像の写真を見せてもらいました。その時に不思議と涙がこみ上げてきて、

「拝みたい」

そのような心の声を聞いたのです。もしかしたら、前世の記憶なのかそれとも今世の思いなのかなんだか不思議な感覚になりました。

多くの寺社に参拝してきましたが体の細胞が欲しているみたいです。

三度の飯より霊場巡りが好きな私。お休みを利用して巡ろうとおもいます。
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