一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
蒲の穂
子供の頃、友達のお母さんがホットドックを買ってきてくれました。
今まで食べたことのない美味しさ、驚きでした。
同じ頃、家の前に蒲がはえていて茶色の穂がついていました。
それがホットドックに似ていたので食べたくなり、ホンモノではないとわかっていてもどうしても目がいってしまいました。
何故そのようなことを思い出したのでしょう。
最近、しきりに蒲の穂に目がいきます。
そうするとあの頃にタイムトリップして実家の前の景色が脳裏に広がるのです。
懐かしい思い出です。
この辺で
うまくいかないことが多い。それは仕方ないにしろどうもうまくいかない。
こんなことが続くと自分不信になっていくのかもしれません。
しかし人間は不思議なものでそれでもどうにかなっていきます。ほんの少しのきっかけでどうにでもなれるのが人間です。
だから一歩立ち止まって今日はもうこのへんでと思えたら人はもう少し楽になれるのかもしれません。
私は僧侶という立場にいます。ただ自分の持っている能力がその期待値にこたえられないことにすごくジレンマを感じるのです。それと同時にこの立場だからこそ他の人と違うことが時に自分不信へといざないます。
こんなんで本当にいいのだろうか。
つくづくそう思ってしまうのです。私の行動が僧侶として人間として間違っているのではないかと。
もうこのへんでいい。
誰かにそう言ってもらえたらどんなに楽か。
誰でもそんな存在を求めているのかもしれません。
魂の故郷
静寂な空間の中、蝉が鳴きお堂が佇む姿はなんともいえない慕情をこころの中にうみだします。
そう、私は今世では違っていてもずっとそのような場所で生活してきたに違いないと思えるのです。
どんなにこの娑婆世界で泥にまみれ傷つき、挫折し、涙をながし、這いつくばっても、最後は元の場所に戻れるはず。
あじのこがあじのふるさとたちいでてふたたびかえるあじのふるさと
私達はやがて元いた場所に魂になって戻ります
本当は皆同じ場所に戻るのですがそうしたら魂の修行の意味がない
だから地獄もあれば極楽もある
でも大きな視点ではすべての魂は同じ場所に帰るのです。
そこが魂の故郷です。
皆最後は旅立ちます。最後まで諦めずにやり遂げなくてはなりません。
この世でこそ、成仏すべき
お大師様はそう説かれました。
草莽の志士
安倍首相が辞意を表明しました。病気の治療に専念するとのこと。本当に難しい決断だったと思います。
国のトップの責任の重圧は計り知れないものがあるはずです。私的にはもう少し頑張ってほしかったです。これから本当の大峠に入る中、次の首相も国民も心して向かわなければなりません。
最近、「アサギロ」という新選組を題材にした漫画にはまっています。フィクション的なものもおりまぜていますが幕末の志士たちのリアリティが感じられてすごく興奮してしまうのです。
沖田総司が主人公ですが剣がめっぽう強く数々の修羅場を経験する中、迷いのない剣士に成長していきます。迷いがないと言っても人をどんどん切っていくわけですが。
新選組はどう考えても不思議な集団です。まともな武士など一人もいない。皆、浪士です。近藤勇は百姓の子。土方歳三は元薬売りです。
それが歴史に名を遺す集団へと成長していきます。本物の武士になりたいというその思いで鉄の掟を遵守して。
多くの隊士が粛清されていくのはなんとも複雑な気持ちになります。
たしか敵とされる長州や他の藩の志士よりも自分たちの仲間を殺めた人数のが多かったはずです。
池田家事件など数多くの功績もありますがあっという間に時代の波にのまれ敗者となっていく。
それでもそんな狂気的な集団が今も魅力的なものとして描かれるなんともいえない歴史の不思議さ。
安倍首相もこれから百年後ぐらいにどう評価されるか。これからの時代の流れで変わっていきます。
私たちも草莽の志士ではないですが今やるべきことを純粋に全うすれば何かは遺せるはずです。
もういいよ。
今日の朝の走りをみてだんだんと体力が戻ってきていると感じます。朝がいつもよりも30分遅かったので自転車の男子中学生がいていいペースで後ろを走らせていただきました。
どうも考えると人間の身体は休もうと思ってもなかなか休まらずに少しづつ時間をかけて戻るようです。それにトレーニングも無理やり酷使しても調子があがらずにいい塩梅が一番効果的なような気がします。
今年の一月にそんなに練習していないのにほぼ自己ベストが出た時にそう思いました。これからは身体の意見も聞きながらトレーニングしようと思います。
何もない普通の毎日が続きます。このまま大きなことが起こらないことを願うばかりです。
よくもこのような平凡な自分が毎日ブログを書けるとなんだか感心してしまいます。
自分で自分をほめてあげてもいいのかもしれません。
あなたはよく頑張っている
自分ほど自分を知っている人はいないだろうし、自分ほど自分を正確に知ることができないのもこの世の不思議なのかもしれません。
もういいよ。
とポンと肩をたたいてもらえればどんなに楽になれるか。
その役目は結局、やはり自分なのかもしれません。
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