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母性本能

今日の夢に前飼っていたネコが出てきました。私が自分の顔の上に覆いかぶさるように無理やり引っ張るのをニャーと嫌がっているのです。その毛並みの感触と鳴き声が生前そのままでした。

22年くらいは生きた猫でした。シャムとキジが混ざっていて本当に上品でかわいい雌猫。ほとんど外出せずに家にいました。足が汚れるのを嫌がって。

私は実質飼ったのは3年くらいでしょうか。すぐに弟の所やら実家にとてんてんとして最後はやはり実家に暮らすようになりました。そこから15年以上、頑張ってくれました。

よくペットに愛情を注ぐ方がいますが自分もその一人だったと思います。ろくに面倒もみなかったくせによく言いますが。

私が帰省するのを感づいて心待ちにしていると霊感のある先生がおっしゃっていました。どこか私のことを面倒見ていると勘違いしていたようなふしがありました。猫が人間に母性本能を持ったみたいです。

心配して出てきたのでしょうか。励ましたかったのでしょうか。分りませんが無意識にこんな夢を見たのはやはり偶然ではないと思います。
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人の気持ち

今日はいつもと違うコースを走りました、途中史跡の看板などを読み目的の神社に到達しました。波動の合う素戔嗚尊様の神社でした。お堀に鯉も泳いでいてなんだか歴史と情緒がありました。

少し短めの時はこのコースを走ろうと思います。これからはあまり無理せずランニングを楽しみたいとおもいます!

体に余裕ができれば心にも余裕ができます。心に余裕ができれば人にたいして思いやりが出来るのです。

やはり一人ではこの世はどうにもなりません。助け合って生きています。この大切なことを私は忘れがちです。

人の気持ちがわかる人間にならなくてはいけません。
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先祖返り

今日は朝から冷たい雨。こんな中でもきっちりと走る自分は普通ではないようにも思います。風が強かったので身体は冷え切ってしまいました。

なんだか自分を分析すると少し身体を痛めつけることに快感をもっているみたいです。特に寒さ、冷たさは滝行をしていたころからの継続でしょう。

私は冬になると寒い土地に生まれたせいか寒さには普通の人よりも慣れています。雪や氷の上を歩くのもそれほど苦にはなりません。その反面、暑さは苦手です。どうも夏は脳みそまで熱くなるような気がして。

私の田舎の景色は今の時期はとても絶景です。美しい山々。大地。自然。

しかし私のように時々帰省する人間にとってはいいかもしれませんが、ずーと住むには厳しい場所かもしれません。

そのような傾向は全国どこでも見受けられます。人は住みやすい場所に求めて移動するのです。交通、買い物、病院、役所。近ければ近いほど生活は便利で豊かなものになります。

私の暮らしているこの地域でも車を走らせればわずか10分、15分なのに若者は駅よりに家をもとめて山沿いは過疎化が進んでいるのです。先祖代々の土地がどんどんとさびれていきます。子供が少なくなり、学校は統合され、より便利で宅地造成の進む地区のみが人口が増えていく。町も小さな商店はどんどん高齢化により店を閉め、大型店やフランチャイズのお店だけが立地のいい場所に進出して経営を成り立たせています。

寂しいけれど仕方がありません。皆生活の為です。少しでも家計が助かるように動くことはごく自然なことなのです。

時代の大きな転換期。現代社会は次の時代に大きな課題をつきつけているようです。

それでもいつか土地を愛し、土地に根付き、そこで精一杯生きた先祖の大切をかみしめる時が皆来るに違いないと思います。
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人生の大河

人が一人生きた証とはどのように遺るのでしょう。私にはこのまま静かに時代は流れていく、そのように思います。

学生時代にインドに研修旅行に行きました。眩しい夕日に照らされたガンジス河は日本の川のイメージとはまるっきり違うものに写りました。

「すべてがのみこまれ流れていく」

ある村で亡くなった人が川のほとりで燃やされていました。その下流で人々は洗濯をし、また沐浴しています。川は日本のように透き通ってはいません。茶色です。しかし人々がその川をどれだけ敬わっているかがよーく分りました。


私達、個人の人生は誰しも自慢できるようなすばらしいものではないはずです。どこか良いとこ取りみたいなものもあるだろうし、忘れたい過去だってあるはず。

しかし、それもこれも含めてすべてが人生なのでしょう。

あの人は良い人だった。知らないのでもこんなところもあったみたいだよ。

旅立った後にそんなことを言われるかもしれません。今、芸能人が不倫でたたかれているように人は叩くのも好きですから。

ガンジス河は全てを飲み込み、浄化し、悠遊と今日も流れているでしょう。これから先も地球がなくならないかぎりは。

人生の大河も同じ、今日もこれからも悠遊と流れます。

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ふざけている

この世の中は理不尽なことが多いいです。正直者がバカを見るというかどこか損をするというか。

負ければある意味終わってしまう。もうその先なんか見えない。どうにでもなれ。

やってきたことは間違えではないのに、時代の流れかまるっきりうまくいかない。もうどう仕様もない。そのままなすすべもなく。


私がこんなマイナス的なことばかり言っては宗教者として失格ですね。今までのようにこういうべきです。

必ず道が間違っていなければ最後はうまくいく。志さえ間違っていなければ。

ただこの世は頭で考えればどうにかなるような世界ではなく眼から全身の毛穴から血が噴き出すような苦しみにあったとしてもそれでも生きなければならないのです。

生きていさえすれば。

そう、とにかく生きていさえすればこの世的にはすでに合格点だということを忘れずにはいつくばっても進まなくてはいけません。
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