のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

暖簾

2014年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 寒の戻りがあったりまた温かくなったり、体調がおかしくなるような気候が続いています。

 

 暖気は部屋の上部に集まり寒気は足元に流れる。この特性を利用して扉の代わりに幕のようなもので暖気を逃さないようにするのが本来の暖簾(のれん)の役割だったんだそうです。意外なことに中国発祥の防寒システムだったんです。

 

 寒気の厳しい冬の季節、商店などは店の扉を開けて起きたくても開けっ放しにはできません。かといって扉を閉めてしまえば店を営業しているのかいないのかわかりません。

 

 そこで、店のドアを開いておいて分厚いカーテンを入り口に下げて室内に寒気が入り込むのを防ぎます。このカーテンを「暖簾(ヌァンレン)」といいます。

 

 「暖簾」というと日本的なものに感じてしまいます。日本の商店にとっては店の魂のようなものでまさに商人にとったら武士道の刀のようなものですが、中国ではただの寒気除けです。

 日本の暖簾が店の象徴として飾り物の意味合いが大きいのと違い、中国の暖簾は実用的な役割を持っていますので、地面まで届く長さを持っています。

 

 通常よく使われているのは厚さ5mmくらいの透明なビニールのシートを幅10cmくらいに切ったすだれ状の暖簾が入り口の上部から地面まで垂れ下がっています。日本でも冷凍倉庫などでよく見かけるものです。こんなものであの強烈な寒気を防げるものだろうか?と思えてしまいますが、これが意外なほどに効果があるようです。商店にとって中の様子がうっすらでも分かる透明なビニールの暖簾は都合が良いようです。

 

 大衆的な食堂などでもビニール暖簾越しに店の中のにぎやかさが伝わってきていいものです。人が出入りした時に暖簾の奥からの暖気が白く外に漂って、なんとなく嬉しくなって中に入ってみたくなります。出てくるときには後悔しているところなんか中国の真骨頂。

 

 真冬に氷点下40度になるハルビンでは冬の間、駅の南側に延々広がる地下4-5Fの地下街が商店街に変わります。通りにはこの地下街に通じる通路が何ヶ所もあります。この入り口は夏の間はシャッターで閉ざされていますが、冬はそのシャッターがあるあたりにカーキ色の布地のテント生地の暖簾がかけられます。場所によってはこの布の暖簾の裏にフェルトの暖簾がつけられている場合もありました。この布のテントをくぐるとガラスを張った扉があり、二重扉の外側の役割を布のテントがはたしています。

 

 「暖簾」は中国では防寒具を意味し、昔は布団のような綿入れの分厚いカーテンを意味していました。鎌倉時代に中国に留学した僧侶が持ち帰ったのが日本でのルーツのようです。

 

 防寒具の綿入れ暖簾も日本はそれほど寒くないので単衣になり、地面まで下げておく必要もないので次第に短くなり、創意工夫の得意な日本人は暖簾に店の名前を入れることを思いつきます。

 

 そして、何事にも精神的な「道」を求めてしまう日本人は「暖簾」にまで魂を吹き込んでしまいます。

 

 中国から入ってきて日本独自の進化をしてしまった暖簾ですが、外食した時に暖簾をくぐったらこんな話でも思い出してみてください。

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迷信について

2014年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

140315  ロシアでは4月に結婚式が多く、5月の結婚式は縁起がよくないとされています。4月は長い冬から脱してパースハなどお祭も多く、こうした祭事の期間中の結婚は避けるようですが、4月は春で気持ちも高揚しお祝い事に向く季節なのでしょう。

 

  5月を意味する”マーイ”は貧しい暮らしを意味する”マーヤッツァ”に響きが似ているので、5月の結婚は避ける迷信があります。農家の視線で見ると、畑が始まる前に嫁(働き手)が来てくれると嬉しいですし、畑が忙しい時期(5月)に結婚式などやられたらたまりません。

 

 5月の結婚は縁起が悪いとされていますが、逆に申請数が少なくなるから認可が出るのも早いと合理的に考えるカップルも多いようですし、日本では考えられませんが、戦勝記念日は軍事パレードなどで街が賑わうので、そのお祭ムードを取り入れて結婚をみんな祝おうと考える人も少なくないようです。新しいカップルは革命戦死広場の無名戦士の碑に必ず献花に行きますが、戦勝記念日は戦没者に感謝を捧げる人たちの花束にカップルの花束で”永遠の炎”の周囲は埋め尽くされます。

 

 ソビエト時代には「迷信」を禁じましたが、生活の中に根付いたものはそう簡単には消えないものです。

 

    中国では奇数と偶数では偶数が縁起良いとされるため、結婚式の日取りなども偶数の付や偶数の日を喜びますが、ロシアでは割り切れる偶数は別れを意味します。贈り物の花束なども奇数が原則で、黄色い花も別れを意味すると気にする人がいるので避けたほうが無難です。

 

    ハンカチは涙を拭くもの出から贈り物としてふさわしくない、と言うのも有名です。日本でも結婚式に「割れる。切れる。壊れる」など禁忌ですが、ロシアでも結婚式にナイフの贈り物は良くないとされています。そんなの送りつける人がいるのか?と思いたくもなります。日本では夜口笛を吹くと泥棒が来るなんて迷信がありますが、ロシアでは夜口笛を吹くとお金がたまらなくなると言われています。

 

   「仕事も順調に進んでいるよ。」など言ってしまった場合は机やテーブルを三回叩いて悪魔がよってこないようにするのだそうで、今がよければ将来は悪くなると言う戒めもあるのでしょうが、こうしてテーブルを叩いて気を引き締めるのでしょう。

 

   人間の周囲を取り囲んでいるのは悪い悪魔どもで、成功や良いことを予言すると悪魔達はその邪魔をするので、予想での成功を口に出してはいけないとされているそうです。神様の救いは信じないけど悪魔の意地悪は信じるロシア人?

 

  確かに、意味もなく前向きで土台無理な希望的観測を口にしてまで気持ちを高揚させる中国人と違って、ロシア人の言い方がどことなく突き放した冷たい印象がありますが、良くも悪くも「これが人生」と冷ややかなイリーナ・スルツカヤの名言もロシア気質の象徴かもしれません。

 

   思うようにならないとふてくされた捨て台詞の一言も言いたくなりますが、これも不吉の前兆だそうで、その通りになるそうですから、「これが人生」と飲み込むのも大切なのかもしれませんね。

 

   それでは、と不吉なことや悪いことばかり言えば思い切り嫌われるので、むしろ前向きで希望を持った言葉を口にすることが何より無難です。私達は外国人ですから。

 

  逆に縁起の悪いことを口にすると必ずそのとおりになるという迷信もあるので”どうしたらいいの?”と困ってしまいます。でも、これはあながち迷信でもなく、気持ちが萎えると不幸なことばかり目に付くのか、幸運とも縁遠くなってしまうものです。暗い先行きしか思い浮かばなくなったら、その行く先はアルコール中毒だそうです。

 

   気になりだすと本当に気になるもので、子供を「かわいい」とか「将来が楽しみだ」と誉めるのはいけない、とか、人の奥さんを誉めてはいけないなどの迷信がありますが、さじ加減がよくわかりません。ですから、私は外国人ですからと割り切って、誉めておくにこしたことはないと思います。

 

  同じ名前が多いロシア人ですが、女性ならエレナ、ナタリア、タチアナ、男性ならウラジーミル、アレクサンドル、イワンなどが多く見受けられます。学校の席順や、旅行の飛行機や列車の席で、両脇に座る人が同じ名前だったらいいことがあるそうです。

 

   黒猫に関しては私の周囲はネコ好きが多いので気にする人がいませんが、黒猫は魔女の化身と言う考えはロシアにもあり、黒猫が通った道は通らないとか、黒猫を見たら右手でテーブルを3回叩いて魔を払うなどの迷信があるようです。日本でも黒猫はあまり好かれないようですが、我が家のあたりでは黒猫がいると”大尽様になれる”という話しもあります。多分、昔黒ネコを飼っていた庄屋でもいたのでしょう。

 

   目の下に隈を作っても「疲れた」なんて口にしないロシア人。健康の話題は要注意で、自分が患った病気の話をすることは嫌がりますし、怪我や病気をした場所を指差すことも嫌がります。同じ病気や怪我をすると言う迷信です。

 

 じゃあ、どうやって医者は病気を見つけるのだろうか?と気になりますが、私にこの迷信のことを教えてくれた医者の友人が言うには「医者に病気のことを話すのは当たり前じゃないですか!」 

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権威

2014年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 深夜、愛媛の伊予で震度5強の地震があったようです。

 

 3年前の3・11地震の時、我が家の周辺も震度5強を体験しましたが、翌朝の12日の明け方の長野県を震源とする震度5強のほうが揺れが強く感じられました。

 

 私の町にはヤマキの工場があるので、こちらから本社がある愛媛に行っている人もいれば、向こうから来ている人たちもいるので気になります。不測の事態に備えて町のヤマキの工場で瓶詰めしているカツオ出汁のそばつゆを買っておいたので、いつでもうどん・そばOKです。いざとなれば天ぷらの汁にも対応できる体制は整いました。

 

 風が吹けば桶や蒲生刈るではありませんが、思わぬところに思わぬ因果が絡んでいることはよくあることで、今何かとたたかれているSTAP細胞の小保方さんだって3・11の震災の影響でビザがとれなくなり、留学先のUSAに行けなくなって理化学研究所に入ったそうです。
 向こうの大学で研究していれば、もっと慎重に論文発表したのでは無かろうか?

 

 小保方さんは神戸の理研の研究員だというので、てっきり上方の人かと思っていたらお江戸の人でしかも私の二度目の大学の後輩だそうです。

 

 そりゃ、論文なんて高尚なもの無理ですわ。高田馬場の駅で寝っ転がっているのはホームレスか大学教授かと言われるような環境で、居酒屋のメニューには精通しているけど、酒代稼ぎに学問やっているようなおっさんたちに論文なんて難しいもの出しちゃなりません。
 ゲソフライとか川エビの揚げ物など同じ皿をみんなでつまめる揚げ物好きみたいですよ、焼き魚も鰯の丸干しや子持ちシシャモなら出していいけど、焼きサンマのように一人一匹が中途半端に大きいとトラブルが起きます。イカ納豆など1人が小鉢独占するようなことになると「平等」が問われることになるので、なにを出して良いのか?論文より慎重に選ばねばなりません。

 

 鵜の目鷹の目で研究成果をねらっている抜け目のない奴もいます。私なんか模型作りに使ったジョイント方法を講師がちゃっかり特許とって、私には養老乃瀧で揚げ出し豆腐と川エビのフライにチューハイ2杯で「ご苦労さん!」でおしまい。油断も隙もありゃしない。

 

 設備に恵まれない私学の理工学部では実験の器材や場所を求めて他の国立大学や理化学研究所などを使わせてもらわなければなりません。できるだけ簡単でできるだけ安くも重要なテーマです。

 

 高尚な研究期間で私立大学が画期的なことをやればたたかれるのが当たり前の日本の学術世界。外圧で扉を開くのもヒエラルキーに対する戦術かもしれません。学者が閉鎖的に閉じこもるときにはすでに自分の能力を超えているときなんですが、原子力問題にしても地震の予知にしてもなんかそんな落とし穴に落ちていますね。今に始まったことじゃありません。

 

 
 
 理化学研究所の設立に大きく貢献した鈴木梅太郎だって権威の壁にはじかれたことがあります。米糠からビタミンB1のオリザニンの発見して、このノーベル賞ものの研究でさえ鈴木教授が農学部ということで日本国内では評価されませんでした。

 

 日露戦争の頃、原因不明の病とされていた壊血病だって、鈴木梅太郎はビタミンの欠乏と考え自らの体を使って実験したが、医学者はそれを認めようとしませんでした。

 

 海軍には脚気はビタミンCの欠乏と見抜いていた高木兼寛と言う医者がおり、柔軟な海軍は早くに食事を見直していたけど、かたくなな陸軍は森林太郎というドイツのコッホのお弟子さんが「伝染病」と主張し続けたため、脚気の蔓延で戦闘できない状態になるほど追いつめられました。
 司馬遼太郎の「坂の上の雲」では従軍記者として清国に渡った俳人の正岡子規と陸軍軍医の森鴎外が出くわすシーンがありますが、この森鴎外の本名は森林太郎です。

 

 日露戦争で最も多くの日本兵を殺したのは森鴎外だと言われています。

 

 権威とは愚かしくも恐ろしいものです。

 

 理化学研究所をはじめ多くの研究者が論文の不手際は認めていますがSTAP細胞の存在を否定したわけではないので、これからもこの分野の研究は続けられることでしょう。ここで止めてしまうような研究ではありません。

 

 理化学研究所のビタミン製造分野が現在の理研ビタミン。あのマボちゃんやノンオイルドレッシングなどを製造している会社です。「和風だしの素かつおちゃん」や「ふえるわかめちゃん」などもこの会社の商品です。

 

 以前、ロシアの友人がふえるわかめちゃんにご執心で、ロシアに行くときの土産に大量に買っていったことがあります。増えると謳っていても水を吸ってわかめの体積が増えるだけで、髪の毛が増えるわけではありません。

 薬効むなしくテカテカになってしまったようです。

 

 髪の毛が増えるわかめちゃんの開発に成功すればまさにノーベル賞ものです。

 

 なんか最近、手のかからない飯ばかり食っているな。

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ピアノ

2014年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 昭和55年の4月、お江戸の原宿の「シャンゼリゼ」という喫茶店に行ったときのことです。

 

 店の中にはグランドピアノがおかれており、我々がコーヒーを飲んでいたらそのピアノが突然鳴り出したんです。ピアノの前には人気もないのに、鍵盤もペダルも勝手に動いている。

 その昔このあたりには・・・なにがあったか知りませんが、自動演奏のピアノをみたのはこの時が初めてで、音は一本調子ですが店の店長が言うにはピアノ本体と同じくらい高価な装置なんだそうです。当時まだフロッピーディスクも世に出ていない時代だったので、どうやってデーターを記録していたのか気がつきませんでしたが、あまりの驚きにコーヒーが冷めるまで見入ってしまいました。

 

 このとき一緒にいた先輩が通っていた中学校にも夜中に勝手に鳴り出すピアノがあったそうですが、こちらは女生徒と思われる影が演奏していると伝えられる都市伝説のピアノでした。
 この先輩の同級生も夕方音楽室からピアノの音が聞こえた経験を持っているそうです。

 

 気になったのは、幽霊が弾くピアノの場合ダンパーペダルはどうなっているのか?ということで、足のない日本の幽霊ならペダルが踏めないから音を伸ばすダンパーペダルもピアニッシモの時に踏む弱音ペダルも踏めないので。子供の練習のようにプツプツ音が切れる演奏になるのではないかと聞くとと。先輩は申していました。「知るかそんなこと!」

 

 誰もいないのに聞こえるピアノの怪談話はロシアにもあります。ウラジオストクで聞いた話ですが、ソビエト時代に政府機関によって連れ去られたピアノ教師がおり、二度と戻ってこなかったそうです。
 あの時代ですから罪状なんぞいくらでもでっち上げられますが、政府の調査機関による捜査の結果にせよ、何者かによる密告にせよ、このような事件の場合恨みより妬みや嫉妬が背景に居座っているものです。

 

 しばらくの間このピアニストの家はそのままになっていたそうですが、時折、ラフマニノフのヴォカリーズが聞こえてくる。ピアノが片づけられた後もどこからともなくピアノの音がアパートに流れていたそうです。

 

 
 今回のソチオリンピックのフィナーレでも協奏曲第二番が用いられたラフマニノフですが、ソビエトを嫌って西側に出てしまった人物です。今回のオリンピックにしてもこの幽霊の選曲にしても、ラフマニノフの背景に意図を読みとれます。

 

 それにしても静かで美しいメロディーのヴォカリーズを選曲したところが幽霊らしい。


 深夜誰もいない部屋から聞こえてくるピアノの音がラジオ体操第一だったら?これはこれで「勘弁してくれよ」と言いたくなりそうですが、今夜も元気にラジオ体操!  これがアメリカの南の方なら調律がホンキートンクにになったピアノから陽気なラグタイムのメロディーが流れてくるのかな?

 選曲にも幽霊のセンスが問われます。

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物申す

2014年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 行方不明になったまま未だに消息がつかめないマレーシア航空機、どうしちゃったんでしょう?

 

 マレーシア政府の要請を受けて日本の航空自衛隊と海上自衛隊の飛行機が出動するみたいです。海の中を探すんだから船も出せばよいのに、中国の潜水艦の行動がばれるから遠慮しているんでしょうね。

 自衛隊の派遣に対して社民党や共産党、それに民主党の一部の人たちは反対しないんですかね?憲法に違反していないんですかね?

 

 アジアに多大な迷惑をかけた日本に何で捜索の派遣要請がくるんですかね?不思議だなぁ。

 

 行方不明のボーイング777はマレーシアのクアラルンプールから北京に向かう飛行機だったそうですが、どのあたりで消えたのか?墜落や炎上したにしても残骸さえ見つからない。
 
 南シナ海は自分のものだと言っているいる中国ですが、どこに行ったかわかっていないみたいですから、あの国の航空識別の能力がどの程度のものなのか?想像できます。PM2,5で見えなかったんだね、きっと。

 

 もし私が日曜の朝のテレビ朝日系ヒーロー番組に出てくる世界征服をたくらむ悪の秘密結社の総統閣下であれば、この航空機が飛行する予定のルートは監視能力が高くないので攻めいることができると判断するでしょうね。
 そして、怪人を使って幼稚園の送迎バスをジャックして「子供たちの命と引き替えに世界をよこせ!」と国連に迫ることでしょう。

 そして、世界征服したら?なんかそこからイメージがわかないんですね。まして、中国占領しても後が困るしぃ。

 

 日本国内でも内閣改造で自分が大臣になろうと画策する人たちが政権の足を引っ張っているようですが、大臣になってどうするの?そこからが問題なんですが・・・。
 せいぜい地元の葬式に呼ばれてなんたら大臣の肩書きで、ご遺族の後の一般人の焼香に一番乗りできるだけで、身分不相応な人材が大臣になれば無能無策をさらけ出して、民主党の閣僚経験者じゃないけど軒並み落選なんてのが落ちでしょう。

 

 安部政権の暴走を防ぐために、森さんと青木さんと古賀さんが砂防会館で懇談するとかしたとか。大方、族議員の時代を懐かしむ官僚にでも持ち上げられたのでしょう。
 河川への土砂流出を防ぐ目的の砂防ダムの予算で東京のど真ん中に建てたビルで政権にもの申す会議というのもなんか無神経な気もしますが、この人たちが何か言えば世論が逆効果なんじゃなかろうか?

 

 森さんなんかソチオリンピックで真央ちゃんに厳しいこと言って叩かれている最中ですし、青木さんなんか小渕総理急死の時の闇将軍ぶりでメディアに目の敵にされた人物です。
 古賀さんなんか宮沢派だったのに、背後に竹下派の野中さんがいて、その背後は何かというと中国じゃないか。

 

 古賀さんと森さんと言えば、バカ息子に頭を痛めている父親としても有名で、政権にもの申す前に自分の不良息子にもの申せ。安部総理の暴走を止める前に自分の子供の暴走を止めるべきでしょう。

 

 昔の親なら「世間様に申し訳ない」とバカ息子の頭かち割って、自分は木に吊るさったものです。

 
 
 ところで、安部総理の暴走ってなに?と問えば、靖国参拝なんだってね。古賀さんて遺族会の顧問じゃなかったっけ?中国の遺族会の顧問かしら?

 

 それなら私も暴走しようと、もうすぐお彼岸なのでお墓の周りの雪をどかしたり植木の雪囲いをはずしたりでお墓の掃除をしてきました。例年ならお彼岸の頃にキリシマツツジの根本の福寿草が咲き、梅、コデマリ、ヒメコブシ、白木蓮、紫木蓮、花桃、八重桜、ライラック、オオデマリ、アジサイと7月半ばまで樹木の花が続くようにお墓の周辺に植えてあるのですが、今年はまだ始まっていません。
 計算上では最後の寒椿まで花がとぎれることがない予定だったんですが、秋以降が難しく、昨年はキンモクセイがとサザンカの間があいてしまいました。
 今年は桔梗と竜胆を株分けしたので計算通りに咲いてくれると良いのですが、花が咲き出したら暇を見て暴走しなければなりません。

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万能なにがし

2014年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 東北の震災から3年たったんですね。

 
 このところ報道される震災関係は菅直人が爆発させた福島の原発関連ばかりですが、「命」と言う面で見れば津波の被害者の扱いが軽すぎるんではないだろうか?なんて思っています。

 

 多くの人がこの震災で家族や住む場所や財産を失いました。震災のおかげで利益を得たのは山本太郎くらいのもんじゃなかろうか?こんなことでもなければすっかり忘却の彼方に追いやられていたタレントです。

 

 あの日、地震がなければ?今頃菅直人は東京拘置所で麻原死刑囚のお隣さんだったかもしれません。ピースボートは資金難で座礁していたかもしれません。歴史はタラ・レバがおもしろいですね。

 

 そっかぁ、タラと豆腐でタラちり鍋もいいな。レバーとニラでレバニラ炒め、モヤシは買えたけれどニラは高いし、それなら間をとって麻婆豆腐にしました。豆腐にモヤシに今回は丸美屋の辛口麻婆豆腐の素。特売日で158円です。

 このところ息詰まってくると麻婆豆腐に逃げて活路を見いだしています。話のネタより先に晩飯のおかずのネタが切れてしまいました。

 

 実際のところ、その局面に立ったら迷ったんです。迷いというのは複数の回答が見えているときにわき上がるもので、答えが見えていなければ迷うことはない。人間は努力する限り迷っているもんです。ファウストの中でゲーテが言ってた。
 つまり、麻婆豆腐といえば理研のマボちゃんじゃないか?って。今回は特売日ということで丸美屋です。

 

 
 それにしても理研と言えば何かと万能細胞の論文が問題になっています。万能細胞と言えば、万能ネギを麻婆豆腐の薬味に、残りはラーメンやうどんにも使えるし、98円だったのでちょっと野菜コーナーに行ってきます。

 

 やはり、割烹着を着て研究するのは万能細胞より麻婆豆腐だったのではなかろうか?もし小保方さんの研究が麻婆豆腐だったならばこんな騒ぎにならなかったと思います。

 

 はたして本当に論文がねつ造だったのか?どうかは置いておいて、再生医療や細胞を操る技術に対して「神の領域」と称するアレルギーは存在すると思います。遺伝子組み換え植物にしても、それだけで「有害」と決めつけてしまう。

 

 90年代、体細胞クローンの羊「ドリー」が世界的に注目されたことがありました。これでクローン技術に対する偏見が一気に広まりましたが、私は同じころに作られた猿のクローンのほうがよほど危険を感じました。

 このクローン羊「ドリー」もその後再実験に誰も成功しなかったのでねつ造疑惑があったと記憶しています。

 

 だいたい、ねつ造論文で時の人になってもほどなく奈落に突き落とされるのはわかりきっていることなので、そんなものを発表するのだろうか?「天国への道を知る最良の方法は、地獄への道を探求することである」とマキャベリも申してます。

 

 背後に「妬み」がうごめいている世界です。

 

 一方、鍋の中では片栗粉の作用で麻婆豆腐がうごめかなくなってきました。この料理は煮物料理なのだろうか?本場中国では炒め物のように作るけど。料理雑誌「ネイチャン」に研究成果を投稿してみようか?

 

 仕上げにラー油をちょびっと、問題の万能ねぎをパラパラとかけて本日の一品です。

 

 いただきます。

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樺太昆布

2014年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 名曲「神田川」。絶対にありえないような草刈正雄と高橋惠子のコンビで映画まで作られて、大学生になったらこんなただれた恋愛してみたいと思ったものですが、貧しさだけしか経験できませんでした。   

 

 「神田川」といえば樺太昆布といわれてもピンと来ないでしょう。神田川の川底に生えているのはもちろん昆布ではありませんし、あんな汚い川のものを食べたらどうなるかわかったもんじゃありません。

 

 神田川の作詞者の喜多条忠さんは大阪の老舗昆布屋の息子さんなのだそうで、学生運動華やかな頃お江戸の大学に出てきて人生が変わってしまいました。その兄に代わって店を継いだのは弟の清光さんでした。

 

 日本で一番昆布を消費するのは沖縄なのだそうで、昆布は北海道など北の海で採れる海草なので古くから沖縄と北海道には昆布を巡っての往来があったのでしょう。

 昆布は関東の山奥ではあまりなじみのない食材でした。たまたま私の母親が関西出身だったので、他の家庭よりは昆布に接する機会は多かったと思うのですが、いつも関西から送ってもらっていたので、子供の頃、昆布はきっと瀬戸内海で採れる海草なのだろうと思っていました。

 

 海の植物も天然資源なので、年々良質な昆布が減ってきて喜多条清光さんたち昆布業者は頭を抱えていたそうです。戦前は樺太昆布と言う良質な昆布が存在していたそうですが、赤いカーテンにさえぎられ宗谷海峡の向こうはうかがい知ることができない時代になってしまいました。

 

 たまたま墓参団に参加してサハリンに行くことができた喜多条清光は、バスが海辺を通過したときに海辺に一面広がる昆布を目にし、慌ててバスを停車させて海に走りよりそれか昆布であることを確認したそうです。

 幻の樺太昆布を復活できると樺太の政府に掛け合うため何回も足を運びました。やがてゴルバチョフのペレストロイカが始まり、幻の樺太昆布が復活することも可能になりました。

 

 昆布は簡単においしいダシがとれる素材ですが、採取から出荷にいたるまでは天日干しを繰り返し長い日数をかけて加工しなければなりません。鰹節も同様ですが、日本の吸い物の元は一見簡単にだしが取れそうで、実はそこにいたるまで長い日数をかけて加工しています。ロシアのように肉と野菜をいためて水を加えて茹でてスープを作る方がよほど手間をかけていないのですが、日本食は簡単にできると誤解している人は多いものです。

 

 ロシアでは昆布を食べる習慣はあまりないようで見かけることもありませんが、昆布の旨みはロシア人にも好まれる味わいです。昆布やワカメが髪の毛を濃くすると聞いたロシアの友人が昆布茶や乾燥ワカメを日本から持ち帰って試していましたが、薬効むなしく髪の毛は抜け落ちてしまいました。

 

 昆布をマフラーにして横丁の風呂屋に行く夢でも見よう。

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やましいぞ

2014年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 「私は弱者」「私は被害者」まずはこの立場を確保してから物事を始める。

 

 平成になってからだろうか?こうしたものの言い方がまかり通るようになったのは。

 

 近隣の国の物の言い方を見ていると、クレーマーと呼ばれる人々と共通する狡さを感じてなりません。「弱者」や「弱いもの」が強いのはやっぱおかしいんじゃない?

 

 360度「死」の誘惑に取り囲まれた自然の中で暮らしていると、「弱い」と言うことは「死」を意味するわけで、弱いものは強いものに捕食されてウンチになってしまうのです。

 

 強いものが弱いものをかばうのは義務でも何でもなく「温情」です。自分が生きるか死ぬかに追い詰められたら、「温情はハイここまで!やっぱわが身が大切。ごきげんよう!良いお年を!」と私なら爽やかに掌を返し、後にそれを悔いた演技をして「ほんま私はええ人やねん。」と冥福を祈る自分自身に酔うことでしょう。

 

 ところで、あの近隣の国々で弱者を振りかざして自己主張したところで聞き入れてもらえるのだろうか?「だまされる奴が悪い」がまかり通る文化圏です。悪いことをしても「疚(やま)しさがない」感覚を持てる人たちが生き残った社会です。

 

 そうか!近隣諸国もクレーマーも疚しさがないもんな。「自分が弱者」の立場を手に入れると疚しさが吹き飛ぶ都合のいい思考回路を持っているんですな。弱者になったことへの反省もない。

 

 とりあえず強者の立場に置かれた人は弱者の攻撃に対する防御マニュアルがないからただただ困惑するその繰り返し。その困惑する姿が弱者を演じる人たちには面白いだけのこと。

 

 実は更なる愉快犯はメディアやなんたら市民のように「弱者」に憑依する正義の人たち。弱者を振りかざしてクレーマーになった途端求めるものは損得になっているんですが、疚しさがないものに改心はない。改心がないものの行き着く先は?

 

 このあたりクレーマー天国の中国などさじ加減が上手です。あの民族とりあえず何でもいちゃもんをつけてみるのですが、だめだと思えば引くのも早い。ところが少しでも譲歩すればとことん吸い尽くそうとする。こんなの日常の生活で日々人民が経験していることです。その代わり天安門事件ではありませんが戦車で何人か踏みつぶせばいとも簡単に収まってしまう。正義も何も「義」そのものがない。

 

 だいたい、「池に落ちた犬は叩け」の国ですから弱わけりゃ叩かれる民族です。だから、弱者の譲歩する人々を見るとつけ込んでくるのでしょうが、譲歩したらすでに立場が逆転しているんでしょうね、彼らにとったら。

 

 人様の善意に吸い付きながら自らを善意と言い放つ人々。どうお仕置きしてやればいいのでしょうか?まずは新聞読まないことから始めようか?

 

 下町の麻原彰晃だったか、何とかのベートーベンだったか、変わった名前なので覚えられないインチキ作曲家が記者会見をしたみたいですね。この男ももちろん悪いけれど、この男にまとわりついて庇護することで「自己満足」を得ていた人たちも、その記者会見でここぞとばかりに叩いて正義面するメディアも同じ釜の飯を食っているお仲間だと思います。

 

 疚しいことはないに越したことはありませんが、自らを疚しくないか検証することは怠ってはいけないと思います。ましてや、疚しさを隠すために開き直るなんて……私の場合はよくやっていますけど、笑っちゃおうね。お茶目なんですから。私の場合。・・・疚しすぎてこの先が言えなくなってしまいました。

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贈る言葉

2014年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 先週自動車免許を取りに行った高校生に新しい免許を見せてもらいました。学科試験に合格するとその日に発給されるそうです。

 一緒に受けに行った慎ちゃんは?と聞くと、免許浪人したみたいです。

 

 今月早々の卒業式をしたわけですが、確か3月いっぱいまでは肩書は高校生だったと思います。今事故を起こすと学校に迷惑がかかるぞと注意しておきましたが、進学のための準備があるので当分自動車を運転する機会もないみたいです。

 

 親元を離れて新しい生活に入ることが楽しくて仕方ない様子でした。ここから人生転げ落ちる石のように瓦解していくのですが、それを言っちゃぁおしまいなので、「いろいろ経験して勉強しておいで」を贈る言葉にしました。

 

 「少年老い易く学成りがたし」若いうちに勉強をしておけ、ということ。若いうちはまだ先があると思って学問に必死になれないが、すぐに歳月が過ぎて歳をとり、結局、何も修められずに時だけがむなしく流れてしまう

 

 この歳になって身をもって恥じ入る次第でございますが、ことわざは知っていても全然事の重大さは気にしていなかったんですな。後悔役に立たず。

 

 これから旅立つ若者に説教がましいことを言える立場ではありませんが、毎年今頃の季節になると若者が出て行き帰ってこない。帰って来るのは落ち武者ばかり。さりとて「早く夢破れて戻ってこい」とも言えません。

 

 学ぶと言うことは「身の程を知る」ことなんですが、身の程を知って戻ってきても受け皿がないもんなこの山奥じゃ。アベノミクスで景気が盛り上がっても3-40km手前で失速してしまうことは前のバブルで経験済み。

 

 どんな思いで若者たちがここから巣立っていくのか?今の若い者たち、そんな「思い」もないか。ドライだもんね。

 

 「学べば則ち固ならず」(学問をすると偏見にとらわれなくなり、心が広く、自由になる、ということ 論語)

 

 出世だとか、社会的な地位とか、そんな世俗的な栄達を求めちゃいませんし、他人様の子供に言うのも気が引けますが、そんな器でもないので、いろいろ見識を広めて大きな視野を手に入れて戻ってきて、そこそこの暮らしをしながらこの土地の発展のために役立ってくれればそれこそ金の卵です。だから、早く挫折して戻ってきてね。

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クリミア半島

2014年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 クリミア半島では住民がロシアの一部になることを望んでいる。なんか信じられない話ですが、黒海を挟んでトルコとも接しているこの半島は独自の立ち位置を持っています。

 
 トルコ系の黒い髪、黒い瞳の毛深い人も多く、スラブ民族発祥の地ウクライナのイメージとは随分違う人たちも多く住んでいます。

 

 現在のウクライナにあっても独自の自治区なのですが、ソビエト崩壊後に科学者が逃げてきた土地であることはあまり知られていません。

ソビエト崩壊前後、カムチャッカやクリミア半島などのモスクワから遠い土地に落ち武者のように逃げた人たちです。

 
 カムチャッカではチェルノブイリ原発を設計した人たちと会ったことがあります。漁師になっていました。これはお仕置きだったのだろうか?

 クリミア半島にはソビエト時代の工業の設計者でたくさんの特許を持つ人が逃げてきて住み着いたと聞いています。こうした技術者の特許や技術をねらってマフィアが暗躍したり、軍事技術の国外流出を防ぐため政府が監視下に起きやすいように一カ所に集めたり、様々な理由はあったみたいですが、極寒のカムチャッカに移った人たちより温暖なクリミア半島なら優遇されていたんでしょうか。

 

 実際、ソビエト崩壊前後に国外に出た科学者が北朝鮮などの国々でミサイルや核兵器の開発に他の国に雇われて、脅威の拡散をしてしまいました。

 

 そのころ日本はどうなっていたか?と言うと、まだバブルの勢いがあった時代だったので外パブのおねえちゃんを雇うことに夢中でした。ジャパン・アズ・ナンバーワンの不気味な自信と言うより、うぬぼれが蔓延していた時代でした。その後日本で起きる原発のトラブルやとどめの福島の原発問題にこの時代のうぬぼれが残っていなかったでしょうか?日本は核の炎を克服したと見下していなかったでしょうか?

 

 もし日本が核やロケット関係の科学者を囲い込んでいたら、核の拡散は防げたかもしれません。北方領土問題解決のチャンスがあった時代でもありましたが、政治はリクルート問題や55年体制の崩壊など国内の足の引っ張り合いに始終していました。国際的に責任ある立場の国と言うことを自覚していなかったことも大きいかったでしょう。

 

 今回のクリミア半島問題は北方領土問題やエネルギー関係などでも大きなチャンスがあると考えています。国際関係にはあざとさも不可欠です。

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ぼやき

2014年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 年末から通算13回目の葬式のお呼ばれ。このところ続いている葬式の中でも最年少の部類に入る81歳なので「若かったのにもったいないな」という声が挙がっていました。

 

 消費税が上がる前の駆け込み需要なんだろうか?消費税上がった途端に誰も死ななくなったりして。

 

 3月に入って暖かくなればしばらくないだろうとYシャツをクリーニングに出した直後だったので、別の白いYシャツを出して着たらダブダブでした。一番太っていた頃に買ったシャツだったので、もう使うこともないと思いつつもまた太って元に戻るかもしれないとタンスの中に保管していた者でした。スリムになった自分が思わずハッピーでした。

 

 第一次安部政権の時に朝日新聞(あさひしんぶんと読みます。ちょうにちしんぶんではありません)が「安部総理の葬式はうちで出す!」といきまいていましたが、一国の総理ともなれば葬式の費用や手筈くらい工面がつくでしょう。

 

 それなら、葬式どうしようと困っている庶民の葬式を朝日新聞でだしてやるのが社会的な役目は大きいのではないでしょうか?
 新聞屋の自己満足のスクープより、よほど庶民の共感を得られると思うけど。経営、見直してみませんか?

 

 それにしても、驚いたと言うより呆れたのが千葉県の柏市の通り魔事件。近年この犯人みたいな連中が野放しになっているようですね。人権の名のもとに。被害にあった方々が不憫です。

 

 昭和の時代だったらこんな事件があれば何日も話題になっていたものですが、来週この事件を覚えている人がいるのだろうか?被害の当事者だけが傷を抱えて生きていくんですね。

 

 人生、残りの時間の方が少なくなってくると、忘れなければならないことの方が多くなるけれど、忘れちゃいけないことは忘れるくせに、忘れたほうが良いことはいつまでも忘れられないんですね。何とも理不尽。

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時代は巡る

2014年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

 中国の国会と思いこまれている全国人民代表会議が始まりました。会議と言っても発表会みたいなものですから「懐疑」と呼ぶ方が正しいともいますが、意味があるかないかは別にしてPM2.5並の霧に包まれた会議です。

 さらに一番の問題もPM2.5の粒子と同じで目に見えないし、発表される数字もテキトーなので、私の村の地区の総会のほうがはるかに会議としての意味合いは大きい。地区の全人代と呼ばれる区民総会も、変な役を押し付けられないように裏工作をしておかないと。

 

 第28代第USA大統領にウッドロウ・ウィルソンと言う民主党の人物がいます。1913年から21年まで大統領職にありました。この間に何があったかと言うと1914年第一次世界大戦、シベリア出兵1917年、ベルサイユ講和条約1918年、コミンテルン誕生1919年。

 

 まともに考えると、大切な分岐点でことごとく道を間違えたすごい大統領なんですが、意外と評価が低いですね。

 

 第一次世界大戦の時は1823年にモンロー大統領が発表したモンロードクトリン「ヨーロッパ情勢には関わらない」を盾に最初は不干渉を決め込んでいたのに、なぜかイギリス籍の船ルシタニアがドイツの潜水艦に沈められたら突然宣戦布告してしまいます。

 

 シベリア出兵だって今で言えば国連軍みたいなものですが、ロシアの混乱を抑えるために意味もなく出兵したものの、さっさと各国は撤退。日本だけが最後までシベリアに残っていた不思議な戦争でした。

 

 ベルサイユ会議ではドイツに多大な賠償金を背負わせ、あのドイツが一昨年あたりようやく支払い終えたわけですが、この賠償金によるドイツの負担がナチスの人気をあおり第二次大戦へと向かわせるわけですが、もう一つとんでもない間違いを起こしています。

 

 日本が提案した人種差別撤廃の案件について、多数決では可決される方向になったのですが、なぜかここでウィルソンが「全会一致でなければ採択できない」と言い放つわけです。

 

 約10年前の会議で人種差別撤廃に賛成した国、日本(2票)、フランス(2票)、イタリア(2票)、ギリシア、チェコスロバキア、ポルトガル、中華民国、セルブ・クロアート・スロヴェーヌ(のちのユーゴスラビア)。11票です。

 

 反対した国、アメリカ、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニア。5票です。

 

 なんだかフィギュアスケートはじめオリンピック競技のルール改正を見るような思いですね。人種差別撤廃に反対した国々、よく覚えておきましょうね。

 

 ほかにもウィルソンが唱えた「民族自決」はアメリカ型の地域(植民地)と貿易したかったけど、それらの地域の持ち主の国との問題もあって自由に貿易できないから、民族自決を唱えたようですが、これが民族主義を生み出し、中国では五四運動、朝鮮では三一運動と呼ばれる暴動が起きます。基本的にベルサイユ会議で認めた民族自決はヨーロッパの国だけで、アジアなんざ勘違いしちゃいけないぜ、あんなの民族でも何でもない、だいたいあれは同じ人類か?だったんですけどね。

 

 なんだかよくわからないけどウィルソンと言う大統領は鳩山由紀夫を世界規模にしたような馬鹿な大統領で、あっちフラフラ、こっちフラフラ考えが定まらない結果、これだけ世界を混乱させたのですが、ノーベル平和賞を受賞しています。

 

 コミンテルンだってアメリカの労働組合の資金が元になってできた共産主義同盟で、元はウィルソンが作ったようなものです。1922年にできたコミンテルン日本支部が現在の日本共産党の元です。

 

 コミンテルンは戦争反対の旗を掲げながら人類史上最も人を殺した団体でしょうね。

 

 さて話が現代に戻り、ロシアが暴れるとどうなるか?国連は機能しません。国連事務省庁が無能すぎるのはもとより、安保理常任理事国のロシアが拒否権発動すれば国連軍も動かせません。ベルサイユ会議の満場一致を見る思いです。

 

 そうなるとG8の会議が大きな意味を持ってきますが、オバマはんは目を泳がせながらG8会議はやりまへん。と他国に呼びかけているようですが、ここで食止めないとロシアホンマに暴走しまっせ。EUだってギリシア、スペインなどデフォルト起こすような国を抱えてウクライナまで面倒見きれないでしょう。英国だけでしょうUSAと一緒になって行動するのは。ドイツのメルケルさんはプーちゃんと親しいみたいですし。

 

 プーちゃんだってシリアの一件で自信つけちゃったからね。「なんだ?オバマ?アウトオブ眼中さ!」ってとこでしょう。そこへニーハオがすり寄ってきているみたいですが、あの大小中華が張り付くとマイナスにしかならないので、まったく信頼ない。

 

 オバマはんがフラフラすることでなんか世界の情勢がウィルソンの時代に似てきた感じがするけど、日本が大きな役割を果たすような気がします。

 

 この騒動のどさくさで北方問題でも解決させて、大国同士で平和条約がない日露間に平和条約でもできれば、一発逆転でプーちゃんがノーベル平和賞になってしまうかもしれない。

 

 一国の指導者に限ったことではないけど、代表になるような人は筋が通っていなければいけませんね。

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三日会わざれば

2014年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 近隣の市に住む知人は最近奥さんと息子と一緒に行くようになった居酒屋にボトルをキープしています。近年では「いざか族」とか言って、ファミレス代わりに居酒屋で家族が食事することが多い時代になったそうなんです。

 

 私なんか歩いていけるような距離に居酒屋なんかないし、居酒屋でアルバイトしたことはあっても、自分から進んでいくようなことはないので、どういうものなのかわかりませんが、メニューが安くて豊富でよいと言うことです。

 

 この人の息子は20代ですが、小さい子供を連れてくる家族も多いそうです。なんか、子供を連れて居酒屋と言うのも想像しにくいです。どんな大人に育つんだろう?

 他人様の子供はすぐに育つ気がします。

 

 「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」。三国志演義の呉の武将、呂蒙(りょもう)の言葉です。    

 

 呂蒙は腕っ節のほうは優れた武将でしたが、しばしば一芸に秀でた人が陥りやすいうぬぼれや視野の狭さがあり、教養や人望がない男でした。このために、一人前の扱いをされず「呉下の阿蒙(呉の蒙ちゃん)」と呼ばれていました。これでは一群を率いる統率力がないと懸念した孫権は呂蒙を呼びつけ、学問の大切さを説教しました。

 

 これをきっかけに呂蒙は熱心に学問を励み、知勇を兼ね備えた人物に成長しました。あるとき、呂蒙を先輩の将軍魯粛(ろしゅく)が訪ねてきて、議論を交わしました。かつての阿蒙なら知略に欠けていたので話しにもならなかったのが、呂蒙は成長していました。問答は終始、魯粛の方が押されてしまいました。

 

 「おまえは腕っ節だけの男かと思っていたが、大した教養を身につけたものだ。もはや阿蒙などと呼ぶ事はできない。」と魯粛は呂蒙を讃えました。「呉下の阿蒙にあらず」

 

 「士、別れて三日、即ちさらに刮目してあい待す。(士たるもの三日会わなければ、よくよく目をこすって相手を見なければならない」と呂蒙は答えます。

 

 呂蒙は三国志の英雄関羽を破った人物ですが、それ故に蜀を主人公にする三国志演義では魏の曹操以上に悪漢として描かれてしまっています。

 

 何も男子に限ったことではありません。人間日々成長しているものです。昨日より、今日。今日より、明日。明日より、あさって。志を持った人は日々成長します。

 

 「時間」と言う概念を入れれば、人が人に対する評価などはある時点のもので、その後どう変わるかはその人の志如何なので、半年後、一年後、どう成長していくことかは計り知れないものです。肩書きや経歴などいくら書き込む事は多くてもそれを生かすか生かせないかは感性と志でしょう。

 

 武将と言うのは面白いもので、心・技・体のバランスが取れていないと名を残すことができません、と言うよりも戦死するのがオチです。三国志演義の劉備元徳はそのどれ一つも抜きん出てはいませんが、足りない部分を優れた人物を身の回りにおくことで補っています。人間関係と言う視点で見ても三国志演義は面白い物語です。

 

 「できない」事は視点を変えれば「これからできる」と言うことです。これは可能性なので本来素晴らしいことではないかと思います。「できない」と「やろうとしない」事は大きく違うものです。何事も奥を極めれば深いものですから、ある程度から先の壁は存在しますが、それでも「やろうとしなければ」何も始まりません。前向きな気持ちを持つことが始まりです。

 

 さて、くだんの知人ですが、ボトルを新しく入れてもほどなく息子が仲間たちと飲みに来て空にしてしまう。まさに男子三日会わざればです。

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3月3日です

2014年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 3月3日です。

 まずは国際ネタから行こうか。

 

 プーチン、クリミア半島に軍事進攻するみたいですね。パラリンピックを待たずオリンピックが終わった途端にやらかすか!

 

 クリミア半島は旧ソビエト時代から現在のロシアも海軍の拠点で、そりゃ、黙っていないわな。その昔はロシアと今でいうところのEUとの戦争でナイチンゲールが活躍した場所です。ロシアにすれば自国の飛び地にできれば最高、悪くてもウクライナからこの土地だけでも独立させたいところでしょう。

 ウクライナもロシア支持派と反ロシア派に分かれて対立が続きそう。

 

 クリミア半島にはヤルタと言う町があり、第二次大戦中ルーズベルト、チャーチル、スターリンの密約会議が行われた場所です。このどさくさの会議でソビエトが戦勝国の仲間入りをするわけですが、フランスも中国も蚊帳の外です。

 

 ルーズベルトの死、繰り上げで副大統領から昇格したトルーマン大統領のあいまいさの渦中にスターリンはさっさと軍隊を東に移動させました。

 

 森元総理の大事な時には必ず転ぶではありませんが、大事な時にあいまいな判断をするUSA。オバマが内向きなだけに危ない判断をしそうな気もします。日本はどさくさに紛れて北方領土を取り返すチャンスなんですが、歴史のいたずらがあるのかな?

 

 さて、世界的にはどうでも良い地元の話。

 

 村の布施という地区では毎年3月3日に「ざる観音」の縁日が催され、ここから村の春祭りが始まります。

 

 ざる観音の境内には蓑や桶や笊などの木工品の市がたちます。中学生の時に放課後の柔道部の練習で「今日はランニングに行くぞ!」とこの境内まで走ってきて、授業が終わる頃には縁日も片づけの段取りになっている頃ですが、残り物のおむすびや煮物などをもらって食べました。

 

 縁日の由来や縁起など気にするようになったのは40代後半からのことで、小中学生の頃は神様も仏様も関係なく縁日に行けば何かもらって食べられる。非常に浅ましい目的で自転車に乗って飛び回っていました。

 

 子供達にとっても縁日の境内は一種の社交場で、違う小学校や中学校の連中と顔を合わせる場所です。境内の裏側では理由もないのに取っ組み合いの喧嘩してたり、大人達も手慣れたもんですから頃合いを見て「おめえらいい加減にやめろ。」と止めに来て、菓子やジュースもらって仲直りしたのかし無いのかわからないまま、今日に至っています。

 

 私もそうでしたが、10代20代の頃は”こんな辛気くさい祭りなんざやめちまえ”と見下していました。30代になるとつき合いもあるから渋々顔を出すようになり、40すぎるといつの間にか中心メンバーに名を連ねるようになり、あと10年もすると”しきたり通りにやらなければならねえ”なんて頑固な顔役になり、もう10年もすると「よく出てこられただね。歩いて来たんかい。」なんて気遣われるようになっているんでしょう。

 

 昔と違うのは後を担う世代がいないことで、伝統文化の最終ランナーみたいなもんです。

 

 3月3日と言えば、お隣の越後の国の浦佐では毘沙門様の裸祭りという奇祭があります。ふんどし姿の男達が巨大なろうそくを日ついて門前町を練り歩くお祭りです。

 

 私の知り合いの小野塚君が毎年この祭りにでています。ソチオリンピックのスキーハーフパイプの女子で銅メダルになった小野塚選手の親戚だそうです。

 

 裸祭りの担ぎ手に選ばれた男は、年明けからこのお祭りまでの2ヶ月間はあらゆる欲望を抑えて清らかな暮らしをしなければならず、嫁さんといかがわしい行為もしてはならないことになっています。
 ですから、小野塚君のお子さん二人とも11月生まれです。
 あれ?計算がおかしいぞ?

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疑え

2014年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝6時に近所のお年寄り宅に顔を出したら「時事放談」なる番組を放送していました。TBS系列かな?

 

 さきがけ代表だった武村正義氏と民主党政権の時に財務大臣になったと思ったらすぐに投げ出してしまった藤井裕久氏が出ていました。どちらも人間的には思慮深く誠実な人だと思っていますが、丁々発止の駆け引きが当たり前の政治家向きの人物ではないと思っていました。

 

 靖国問題や外交問題ですでに今までの経緯で破たんした理論を相変わらず繰り返す発言をしていました。今までの日本の姿勢が通用しなくなったから、主張すべきは主張する時代に突入しているわけですが、これはこれで困難や苦痛があって当然のことです。かつてのこの方々の世代の人たちがその苦痛から逃れて妥協することで楽になっていたことのつけ回しが来ているのです。

 

 相手の意見に耳も課さずに自分の意見ばかり唱える討論番組が幅を利かせる中、時事放談は大人の討論をする番組だと思っていましたが、早朝で誰も見ていない番組とはい言え、放送局の方針が見えたような内容でした。

 

 お茶飲みながらこの家のあるじが、「この人たちは昭和ひとけた後半で、戦後教育を受けた年代だ。俺たちみたいに戦争に行ってきたわけじゃないから、外とやり合う必要がなかったんだ。我々が作ったレールの上で順番を待ってあがってきた人たちなんだろうな。」と申していました。敵は外より内側にいる年代なんですね。

 確かに、この年代が中心になった頃から世界標準からもずれてきたような気もします。

 

 藤井さんも武村さんも善意がある人物だと思うのですが、善意には責任がないんです。そしてその善意は自分にとっての善意なんです。村山元総理なんかその極みのような人物だと思う。

 

 戦争に行ってきた世代の人たちは何かしら「負い目」を感じているので、意外と道は外さないけど、こうした負い目がない人たちは自分の善意に酔うんですね。究極になると自分の善意に泥酔した鳩ポッポですが、負い目もなく振り返りもしない善意を「悪」と呼ぶんです。

 

 だいたい、私だってこんな早朝から家を訪ねているのは、昨夜この家を担当している介護福祉業のネコが、餌をもらえなかったと見えていつもより腹を空かせていたので、”まさか死んじまったんじゃねぇだろうな?”と不安だったから顔を出したわけです。決して雪の状態を見るためにこんな早朝から顔を出したわけではない。ご立派じゃない「後ろめたさ」を感じているから、「大雪にならなければいいね」と穏やかにお茶をいただいてきました。

 

 自分の善意が「何のためなのか?」疑う姿勢は忘れないようにしたいと思います。

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