のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

流浪の民

2012年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 「ジプシー」と言う言葉は差別用後とされているので、一応理解したうえでの意見であることをまず明言しておきます。

 「ジプシー(Gypsy)」の語源はエジプト人を表す「Egyptian」からきた言葉なのだそうで、漂泊の民がエジプト方面から来た様に誤解されたことから生まれた言葉だとか。ドイツ語の「ツィゴイネル」を言い換えの言葉にしていた時期もありますが、この言葉にも「物乞い」に近いような侮蔑の意味があるとかで最近は「ロマ」と言う呼び方が定着しています。

 ひどいと言えば英語で七面鳥を意味する「turkey」などトルコを意味する「Turkey」から生まれた言葉です。七面鳥はアメリカ大陸原産の鳥です。新大陸に渡ったヨーロッパ人は初めて見る七面鳥の甲高い泣き声にトルコ軍の行進ラッパを重ね合わせたのだそうで、オスマントルコと十字軍の永年のうらみつらみもあって新大陸の鳥がこの名を受け継いでしまいました。

 閑話休題。漂泊の民ロマの発祥の地はインドなのだそうで、この地を追われたか飛び出た人々が定着を嫌い独特の生活を保ったままユーラシアに散りました。

 ハンガリーやルーマニアなどの中央ヨーロッパにはロマの人々も多く、定着を嫌う生活を今も営んでいます。ロマには独特の哀愁を漂わせた音楽があることはよく知られていますが、中央ヨーロッパのチャルダッシュは有名ですし、西に行けばフラメンコに姿を変えています。もちろんロシアの音楽にも影響は色濃く出ています。

 音楽で成功したロマが不思議と集まるのはベルギーでジャンゴ・ラインハルトはじめ最近ではジプシーバイオリンのロビー・ラカトッシュもベルギーに住んで、フランスを中心に活躍しています。フランスのシャンソン界は移民系が少なくありません。ロマではありませんがシャルル・アズナブールはアルメニア移民ですし、フレンチポップの女王であのバルタン星人の名前のモデルになってしまったシルビィ・バルタンはブルガリア人です。「愛の賛歌」のエディト・ピアフの出生は謎が多いのですが、ロマ説もあります。

 ソビエト崩壊の頃、食料品店前の道端では子供を抱くような格好をして物乞いをしている老婆が見受けられましたが、ほとんどがロマと呼ばれる人々でした。ロシア人に言わせると政府が与えた仕事に就かないのだからこの生活もやむをえないと言うのですが、目にすると心が痛む光景でした。

 イルクーツクでロマのショーが見られるパブに行ったことがあります。食事の合間にロマの楽団が「黒い瞳」や「二つのギター」などの大なじみのロシアンジプシー音楽やバラーダ、チャルダッシュなどを披露してくれました。

 魅せられてしまったのがロマの娘達が踊るジプシーダンスで、一見激しく見えるのですが、動きがしなやかでゆっくりしていて、日舞のような柔らかさとゆったりした動きで、日舞がひたすら内に内に静寂に己を手向けているのと違い、外にドカ~ンと発散している違いとでも言いましょうか。見ていて度肝を抜かれる思いでした。

 ウラジオストクでもロマの血を引く人々を見かけることがあります。スラブ人とは違った哀愁を帯びた雰囲気を持っています。ほとんどの人々は普通のロシア人として生活しています。帝政ロシア時代には移動を繰り返していた流浪の民だったロマもたくさんいますが、ソビエト時代に定着せざるを得なくなりました。

 日本にも戦前までは戸籍を持たない「サンカ」などと呼ばれる漂泊の民がいましたが、戦争中になって米が配給制になったために定着せざるを得なくなったのだそうです。五木寛之の「戒厳令の夜」にサンカのことが出てきますし、三上寛の一連の小説は有名です。

 ロシアは新興の多民族国家なので、彼らの出自がどこかはあまり興味を持つべきことではないのですが、多様な文化背景を持つ人々が共存していることは片隅においてください。

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