のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

悪人のすすめ

2014年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ地方議員頑張って活躍していますね。ヤジ議員、号泣議員、脱法ハーブ議員、選挙違反で議員15人逮捕etc。

 

 まともな分野ならいざ知らず、この方面ならこちらの地方議員だって十分張り合えるので名を上げるチャンス。頑張れ地元議員。目指せ、夢の東京拘置所!

 

 その昔、三木武吉と言う国会議員がおりました。自由民主党を作った人物です。

 

 選挙の立会演説で妾が4人いると対立候補に突っ込まれて「4人ではございません、5人です。この5人の女性たちはそれぞれ年老いているので、捨てることはできませぬ。」と言ってのけた人物。

 

 台湾に買春旅行に行って喜んでいる町議会議員や、よそに子供を作って認知しないでしらばっくれて逃げ回っている町議会議員などとは懐の深さが違います。小物すぎる。姑息すぎる。

 

 所詮、「器」なんだから聖人君子のような潔白さなんぞ期待しちゃおりませんし、製品である必要もありませぬ。いい仕事してくれるなら多少外れたことをしてもご愛嬌ですが、「私」のために地位を利用するようではなりませぬ。

 

 いつも笑顔で明るい悪党になりましょう!

 

 悪さをしても好かれるガキ大将と言うのが昔はいたものですが、最近いなくなりましたね。そこそこ小利口な子供がやる悪さは陰湿で邪気が満ちていて、「悪い」ことを確信してやるのでやり方も卑怯です。

 

 紙のパンツ履いている明るいガキ大将はちょくちょく見かけるのですが、分別がつくようになると豪放磊落さが失せてしまいます。つまりこれが「分別」の正体なんでしょうが、実のところ根底が無分別で表面上まともな人を演じているからやることもせこくなる。こういうのって「偽善」って言うんでしょうね。

 

 ビートたけしって人物のすごさは一見めちゃくちゃやっているようだけど、踏み越えてはいけないラインはしっかり把握しているところで、「良識」をよく踏まえたうえで狂気を演じています。だから好かれるのだと思いますが、育ち方の問題なのか?時代の問題なのか?こうした人物がいなくなりましたね。

 

 ユーモアと笑いを持って切り返せない「悪さ」ならその人の能力以上の「悪」なので踏みとどまるべきだと思いますが、大した悪さでもないのに足元をすくわれると言うことは、その人物の「資質」と「器」の大きさの問題だと思うんですよ。

 

 議員やめるにしても失職するにしても、笑顔で見送れる辞め方ができるよう、日々精進して立派な悪人になっていただきたいものです。

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