のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

持病の歌

2022年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 夕方、風呂から上がってくると温かいうちに寝てしまって夜中に目が覚めて夕食を食べる。そんな日が続いてます。

 ドリフターズの仲本工事さんが車にはねられてなくなってしまったようで、そういえば先週の今頃、仲本さんと内縁の妻がうまくいっていないような中傷記事がネットに出ていたのを思い出しました。そしたら交通事故。

 仲本さんの叔父さんで土木の技師をしている人がおり、私が小学生の頃にこちらに工事のために来ていたことがありました。とろんとした目の周りなどそっくりでした。おじさんの説では大変優秀な子供だったとか。

 あの時代にエレキギター何ぞやっていたんだから、裕福な家だったんでしょうね。

 ドリフと言えば口うるさい教育ママのターゲットだったのですが、仲本さんの奥さんが結婚してほどなく急死したことがあり、何たら教育評論家のおばさんがテレビで「あんな馬鹿なことやっているから奥さんが死ぬんだ。そら見たことか。」といった発言をして、どちらがばかげているか?こんなバカ親や教育者に育てられた子供の方があわれだ。と、あきれたことがありました。

 ♪僕には夢がある希望があるそして持病がある♪

 保険会社のコマソンを仲本さんが唄ったことがありましたが、この年代になってくると夢や希望はともかく持病があるのは当たり前。昨夜もそんな話になりましたが、持病がないってのがむしろ病気なんじゃないか?

 持病があってそこそこ折り合いをつけながら暮らしていくってのが一種の処世術で、引くところをわきまえる。

 それができないと自分の思い込みが全て正義の何たら教育評論家みたいな質の悪いウィルスになってしまう。どちらかと言うとそういった人たちの方がやんでいると思うのだけど。

 前向きに年老いていきましょう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする