ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

シビレる言葉 AGAIN 2

2017-08-19 11:43:00 | 日記
今回は、田家秀樹さんや亀和田武さん達が「BIG GIG」開催前に
甲斐バンドの野外ライブについて話されている場にたまたま通りがかられ

急遽、飛び入り参加なさった(笑)相倉久人さんの言葉
「音楽が音楽であるのは、それを音楽と受けとめる耳があるからだ」から…

「聴く耳さえあれば、波の音や街の雑踏も立派に音楽として成立する
音楽は、奏でる人、聞こえる音と
それに耳を傾ける人の共同作業としてある

このことは、深い悲しみの中に沈む人の語りについても言える
言葉は、聴く人の、祈るようにして待つ耳があって初めて
ぽろりとこぼれ落ちる」んだとか…

また、詩人で仏文学者の松浦寿輝さんは
「注意を集中し、ただ黙って聞いていてくれるというのは
それだけでも大したことだ

語りを黙して聞くことは、受け身の行為ではない
耳を澄ますことが、心地よい波動となって、語る者に返される」とおっしゃっていて
これも「語り」と「音楽」の置き換えが可能じゃないかと…

まあ、甲斐さんのライブは「黙して」聴けないかも知れませんが(笑)
甲斐さんも「最初は俺たちがパワーをぶつけるんだけど
最後は俺たちがパワーを貰ってるんだよね」とおっしゃってますし
コールだけでなく、観客からのレスポンスがあってこそのライブですもんね♪

それはさておき、南木佳士さんによれば…
面と向き合うと、理解しようと焦って
聴くより先にその人の物語を勝手にまとめ出している
思い浮かぶ記憶も空想の糸で編まれていて、隔たりは埋まらぬまま…だから

「みな、きちんと語ろうとする時は、聴く者がいないし
真剣に聴きたい時は語る者がいない
時の移ろいの中で、人の関係はいつもちぐはぐで哀しい」と…

でも、蜷川実花さんは、大学受験に失敗して落ち込んでいらした頃
気晴らしに遊びに行こうとなさった時に
お父様から「目の前の楽しさで気を紛らわせるよりも
こういう時にしか聞こえて来ないメロディとか
辿り着かないこととかがあるんだから」と言われ

それ以降、凹んだ時は「これがあったから
ここに辿り着いたんだ」と思えるまで
ご自身を「掘る」ようになったそうです

ご自身の気持ちに向き合われたことはもちろんだけど
お父様の言葉に耳を傾けられたことが素晴らしいなあと…

文芸誌「新潮」の元編集長・坂本忠雄さんは、かつて小林秀雄さんから
「文学者の生原稿を読む時は、耳を澄ませて
その文章の底に流れている語調とリズムを
出来るだけ注意深く聴き取ること」と「読みの浅さ」を戒められて

それ以後は「眼で字面を追う」のでなく
言葉の息遣いごと、言葉に託されたものを聴き取ろうとしたと話されてました

ちなみに…「Happy New Ears」という英語の語呂合わせには
長く圧し殺されて来た声、出かけては呑み込まれた声
ぼそっと漏らされた短すぎる声

恐る恐る絞り出された、くぐもった声や今にも途切れそうな声に
じっと耳を傾けられる人に、今年こそなろうとの意味が込められ
「聡明」には「耳」があるように
声を最もよく聴く人を「聖」と呼ぶらしいです

ミュージシャンの後藤正文さんは
「音楽にまつわる技術は沢山あるけれど
もっとも重要なのは『聴く技術』ではないか」と記され

「ロックバンドに限らず、複数の人が集まって合奏する場合
それぞれの演奏がどのように絡みあっているのかということが
全体の美醜に大きく関わる

だから、ミュージシャンは個人練習だけでなく
合奏のリハーサルも頻繁に行って
集合した演奏のクオリティを高めている

ところが、人間の演奏には『訛り』のようなものがあって
機械のように正確なリズムを刻むことが出来ない
バンドや合奏は、人間的なズレや揺らぎの集合体なのだ

故に、演奏が調和するための音符の置き所もズレたり揺らいだりしている
正しい場所に音符を置くためには
周囲との調和を聴き取る技術が必要だ

更に言えば、音の良し悪しを聴き取れなければ
自分の演奏の良し悪しも判断できない
つまり、演奏力とは『聴く技術』だ」と説明なさっていますが

例えば、フルオーケストラの奏者の方が
それぞれ譜面に書いてある通りに演奏されても
全体として、ズレや揺らぎが生じた場合
それを修正し、指揮者のイメージに合わせて行かれるところを

「バンド」では、ズレや揺らぎの部分に合わせて…というか
ズレや揺らぎを活かした演奏されることもあるんじゃないかと…?

少なくとも甲斐さんは、それがそのバンドの音であり
個性になると考えておられるみたいで
「甲斐バンドには、譜面に載ってない
ちょっとルーズな音があるんだよ」とか

「甲斐バンドは、絶対自信持って言うけど上手くなかった(笑)
だけど、長岡がいる時までは、ちゃんとバンドの『うねり』があった」

「『揺れ』とか『うねり』がそのバンドのノリな訳で
正確に音を出す必要は全くない
音程は少々はずれるくらいでもいい
正確なことより、心のない音の方がツライから…」と話されてます

大野雄二さんによると…「グルーヴする瞬間というのは
プレイヤー同士が互いに相手のことをおもんばかって
我慢に我慢を重ねている時」だそうで

たまらなく気持ちが良い…昔の「イカす」(笑)
今の「ヤバい」に近い…ちょっと神がかりなノリの時に
誰かが一人勝手に興奮して堪え切れないと
演奏は破綻してボロボロになってしまうんだとか…

もっとも、マイルス・デイヴィスは
ピアニストがうっかり間違ったコードを弾いた時
そのコード変更に合わせ、別の旋律を紡いで行ったらしく

これを目撃した美術家キオ・グリフィスは
「間違いを『あり』にする方法が好きなんです」と語り
即興を制作の軸にしたみたいです

何が起こるか判らない中で、幾つかの選択肢から
咄嗟に何を選ぶか?という判断も、やってみないと判らないのが
ライブの醍醐味なのかも知れませんね
コメント
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