まだ寒い2月、山小屋の自然光の中で湯たんぽで足を暖めながら作った特大花器で”うねり(自然の力)”とした。
名前をつけるにつきやっぱし東北の大地震が頭にあった。
平成9年の川柳に”いつまでもあると思うなこの地球(欲望ムキダシの大量消費社会が、刻一刻この地球をおかしています)”とあった。
もう10年以上前より警告を発している人たちはいた。
食べれば同じなのに曲がったキュウリは売れないから余分な労力を使ってまっすぐなキュウリをつくる話は有名だがその類のもろもろのことは改まることはなかった。
金生町ではお墓にはハナシバをいける。
私はお墓に興味があり旅行ではお墓見物をよくするが地方地方でお墓にいける花はぜんぜん違う。
お供えの花は覚えてないが沖縄のお墓は大きかった。
東京でのお墓の花はカラフルな組み合わせが人気で上品でセンスがいい花はまず売れなかった。
式根島ではいつ行ってもお盆やお彼岸のようにカラフルな生花や造花が生けられていて300万もしたという豪華なお墓に連れて行かれたこともあった。
民宿のおじさんは”見栄のはりあいだ”と顔をしかめていた。
今回私が自分の家の山から採ってきてお墓にいけるハナシバについて意見してくれる人がいた。
墓石屋が言うにはハナシバは墓石がよく見えるように品よくこじんまりといけるそうな。
もし花屋が言ったらたっぷりとたくさん生けろとい言うだろう。
そして花が咲いているのや葉が大きく曲がっているのもだめでそういうハナシバは消毒しないとできないという。
みんなそういうハナシバをいけているといわれて改めて見学に行ってみた。
今までよその花を意識してみたことはない。
咲いてる花がついているのはなったがほとんどつぼみはついていたし大きい葉や曲がったのもあったがどのお墓のハナシバも買ってきたハナシバなのでよく似ていた。
2~3日して行ったらたらちらほら花も咲いていた。
造花であるまいし・・どんな植物だって一度は花が咲くし曲がったのもあるのが自然だ。
2~3人の友達に聞いてみたが花はきれいだからいけるという人さえいた。
大阪の友達が墓参りに帰るときは私の家の山のハナシバを用意しておく。
”曲がったのもあるけどイイ?”と聞くと”あんたが採って来てくれたものじゃきん”と気持ちを受け取って喜んでくれる。
お墓でいけていると自分の家の山で採ってきたハナシバをうらやましがられもした。
東北の大地震以後関東の人達の意識は大きく変わらざるを得なくなっている。
停電はあるし公共施設の照明も暗し原発の被害を恐れて洗濯物も外には干さないらしい。
関西である金生町では今のところ以前と変わらない生活ができているが原発も含め自然に逆らった生活をしたことが今回の被害を大きくしたことを考えると曲がったキュウリや消毒をした不自然なハナシバをお墓にいけることも重大な問題だと思えてくる。
周りを意識して不自然なハナシバをいけろという人と競うこともないと思い始めた。
朝おきると”今日もよろしくお願いします”とセイザエモンさんはじめご先祖様に声をかけていることだし・・。
大地震後何が大事かと考えたがきれいな空気と土と水に尽きる。
千葉に住む知り合いに初孫が生まれた。
周辺の水を乳児には与えるなとのお達しで田舎であるこちらから水を送っているそうだ。
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