野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

24回野草(イエツァオ)展に向けてNO8 流木と梵字

2007-10-31 19:16:57 | アート・文化

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式根島青池で採集してきた流木の木の目に沿って般若心経262文字を梵字で書き、今回の野草展のDMにこの写真を使いました。

       野草展案内

日時  11月19(月)~25(日)

     10:00~20:00(最終日18:00)

場所  花の店 野草

住所  文京区千石1-6-18

電話  03-5394-0548

去年のDM作りでは名古屋に本社のあるB社の複合機で印刷できなかったゴタゴタから対応に納得いかず裁判にまで持ち込んだことを思い出しました。

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高さ30センチ15センチで船のストッパーに使われていた木だと思うのですが海の中で漂っているうちについた迫力のある裂け目が動きを作ってくれました。

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書く前の流木で台は三宅島で採集してきた黒い噴火石と余木崎海岸で採集してきた石です。

なんとなく4個の石で止まりました。

   (写真はクリックすると大きくなります)

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25回野草(イエツァオ)展の素材決まる

2007-10-30 19:58:26 | 日記・エッセイ・コラム

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11月には壊されてしまう田舎の家の縁側です。

陽にさらされ私が好きな流木のような色になっています。

家族がよく踏んだ場所は磨り減っているのでわかります。

木の目もそれぞれ違って面白く形は一定ですが流木とも仲良くしてくれそうです。

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雨戸入です。

とてもきれいな茶色になっていまが、解体すると外に出てない部分との色の対比が楽しみです。

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家族が一番長く居た部屋の天井の板と桜の丸太です。

外側で太陽や雨風で作られたよさとは違う人が作ったよさがにじみ出ていると感じるのは感じすぎかな!!!。

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どういう役目のものか入り口のところに間仕切りのようにあるのですが色も良いしのこぎりで簡単に切れそうなので選びます。

私の作品展で使う素材は買ってきてそのまま使うということはほとんどありません。

自分で採集してきた素材だとその時の思い出なども、いただいたものだとその人の気持ちまでも作るエネルギーになると信じているので買ったものには興味がわきません。

物を作りだすには気持ちがとても大事だと思います。

長い間使う素材になるのですが今までの素材である草,石、貝、流木、枝と似てるようではっきり違う素材を25回野草(イエツァオ)展より使います。

    (写真はクリックすると大きくなります)

    

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24回野草(イエツァオ)展に向けてNO7 流木と梵字

2007-10-29 20:30:14 | アート・文化

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二又の流木を2本あわせて四方見の立体にし般若心経206文字を梵字で書きました。

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おそらく2本の流木は大きな木の枝だったのでしょう。

海に漂っているうちに2本とも60センチの長さにちぎれ皮もはがれ縦に裂け目が数本できています。

その目に沿って梵字を書き同じ長さですが太さが違うので字の大きさを変えました。

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この流木は2005年三宅島に行ったとき採集してきました。

2000年の噴火から5年目にやっと帰島できた年です。

飛行機の飛んでない飛行場の近くにある海岸でイッパイ打ちあがっている流木の中から選んだものです。

最低3箇所止まるところがあると立体になります。

一箇所滑らないでしっかり止まるように式根島のコーガ石とセメントで流木の一部を固定しました。

    (写真はクイックすると大きくなります)

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24回野草(イエツァオ)展に向けてNO6 流木と梵字

2007-10-28 20:30:46 | アート・文化

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式根島青池で採集してきた流木で良い具合に釘の色もでて長い間海に漂って出た雰囲気も良いのですが縦に梵字を書くと卒塔婆をイメージしそうで長さ幅50センチと8センチの板を横に使いました。

台に使っているのは貝に穴をあけられた石で下田の海岸で見つけたと、きふじさんよりいただいたものです。

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般若心経梵字206文字は片面では書けず両面に書きました。

この面は木の色が残り木の目の筋がとてもきれいに浮き出ています。

釘の跡がないのですが朱印を押したように釘の色がでています。

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この流木も長さ幅35センチ10センチと板状なので横に書き台はコーガ石で作りました。

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同じくこの板にも般若心経206文字を梵字で書いたのですがこの板には木の目がありません。

35センチの丸太が海に漂っているうち何かにぶつかり裂けたのだと思います。

板が少しカーブしていて釘の跡もありません。

    (写真はクリックすると大きくなります)

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24回野草(イエツァオ)展に向けてNO5 流木と梵字

2007-10-27 20:24:51 | アート・文化

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直径6センチ長さ65センチのまだ海に流されてそんなに時がたってない感じの流木で式根島青池の採集では迷ったのですが釘から出た色にひかれて持ち帰りました。

よく見ると機械でつけられた跡や何かにぶつかった跡があり丸太ですが表情はありましたが206文字の般若心経を書こうと思い立つまでには時間がかかりました。

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それに怖そうな太い2本の釘が出ていたのです。

釘は曲げてポイントにしました。

取っ手は皮と細い銅線を編んで作りました。

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この流木も式根島青池で採集して同じ釘から出た色が気にいているのですが海の中に長い間流されていたのでしょう出ていた釘はちぎれてしまい流木の中だけに少し残っています。

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一番長いところと幅は80センチと14センチです。

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両面に書いたのですがこちらの部分は凹みや芽がありかなり書けない部分がありましたが同じく般若心経を書き、取っ手は皮と細い銅線を編んで作りました。

    (写真はクリックすると大きくなります)

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24回野草(イエツァオ)展に向けてNO4 流木と梵字 

2007-10-26 18:05:16 | アート・文化

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この流木も5月の式根島教室で拾ってきたものです

等間隔に虫食い跡がありどうしても形にハマってしまうので、どう動きを出そうかと考えました。

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動きを出すため右から三個目の一角が線を作っている虫食い跡より小さな虫食い跡が一面にあるので書かない一角にしました。

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なぜか海水につかり太陽にさらされても黒さが出てしまった流木なので朱墨で般若心経206文字を書き、台は軽いコーガ石とセメントで作りました。

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24回野草(イエツァオ)展に向けてNO3 流木に梵字

2007-10-25 18:18:06 | アート・文化

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5月の式根島野外教室のとき拾ってきた流木に梵字で般若心経を書きました。

丸い木の芽のところを書き残したら涅槃像の雰囲気です。

書く前は何か一字入れるつもりでしたが出来上がった雰囲気を大事にすることにしました。

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崩れやすい部分をとると海水と太陽で銀色に染まった部分とは違う地肌が出てきました。

般若心経の真言を少し大きく書き、台はとても軽いコーガ石とセメントで作りました。

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花を生ける教室NO54

2007-10-24 19:57:30 | アート・文化

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はこべさんの作品ですが部分です。

昨日が13夜の月だったといって黄色いピンポン菊を月に見立てたそうです。

ツブツブの花はヒメムカシヨモギで群雲の雰囲気です。

左側に写っているチカラシバと一緒に荒川河川敷で採集してきたのですが華やかな花ではないのに黄緑の葉と小さなベージュ色の花の動きが目をひきました。

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下では黄色く色付いたピンポン菊の葉をユズリハの紅葉と合わせてくれました。

左側の緑のアジサイの花は日陰で時を重ねて出た色です。

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24回野草展(イエツァオ)に向けてNO2 (取っ手が動いた・・・!)

2007-10-23 17:38:43 | アート・文化

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夏帰省したとき作り光工房で焼いてもらたコーヒーカップが届いていたが以前と同じ取っ手しかつけられない気がして作る気にならずそのままにしておいた。

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11月19日より始まる「24回野草展」を考えると時間がない。

取っ手のついてないコーヒーカップを眺めているとイメージとしてはズーと前からあったのに出来なかった動いた取っ手が出来そうな気がした。

セイザエッモン」さんが来た!!。

と感じるとだいたいできる。

エネルギーのいる作業で疲れたが一日で10個仕上げた。

セイザエモンさんに感謝・・・・・。

  (写真はクリックすると大きくなります)

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ユズリバの落ち葉

2007-10-22 17:56:11 | 日記・エッセイ・コラム

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落ち葉と言えば落葉樹の軽やかな桜やもみじの葉を思い描くが、先日下の草に突き刺さるように落ちている20センチ前後もある大きくて肉厚のユズリハの落ち葉を見つけた。

拾ってみると色合いや虫食い跡がとても面白い。

新しい葉が育って落葉するからユズリバという名前だそうな。

新しい葉は十分大きくなっていた。

今回初めて拾ったがもっと早く落ちる葉もある気がする。

シイの実と合わせたくなった。

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「花を生ける教室」の花材にするとどんな使い方をしてくれるか楽しみだ。

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守られた奏楽堂

2007-10-21 19:22:26 | 日記・エッセイ・コラム

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上野公園にある奏楽堂のあたりが広々とした感じになっているのでいてみた。

明治23年に建てられ昭和62年に移築されたものの建てられた当時の雰囲気が保たれている。

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今も演奏会が開かれているホールのカーテンレールは木で作られていた。

舞台もイスも小さいけど暖かいムードの演奏会が開かれているのだと思う。

演奏会が開かれてないときは展示物を見られる。

先日知り合いからインターネットでの音楽のコンテストに出場したから投票してとの依頼があった。

開いてみるとロック、演歌、フォークソングいろんなジャンルの人達が多数エントリーしている。

いろんな人が音楽を楽しんでいるが、奏楽堂の展示物を見ていると明治になり西洋音楽を取り入れるまではいま巷に流れている音楽はなかったと当たり前の事を思いついた。

小さな奏楽堂だが今、大勢の人が楽しんでいる音楽がここから始まったと思うと、移築されたとはいえ元の場所に近く、いまだに元の状態で演奏会が開かれる運動をし守った人達のことを忘れてはいけないと思った。

夜近くを通ると演奏会が開かれているのでしょう灯りがついている奏楽堂は西洋のおとぎ話に出てくる建物のようなムードです。

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大徳川展へ行ってきた。

2007-10-20 18:33:09 | アート・文化

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東京都博物館で開かれている「大徳川展」へ行って来た。

鎧や着物花嫁調度品と豪華なものが目についた。

ふと木目のない木の碁盤が展示されていたのでよく見ると根のあたりで作ったらしい。

家康と秀吉が対局するのを碁盤を見ながら想像した。

利休が秀吉により切腹させられる前の茶会のため作った茶杓が展示されていた。

目立つ節の位置とか柄の部分、杓の部分の幅とか考えながら作ったのは間違いないが後はどんなことを考えてい作ったのだろうと思う。

その後北の丸公園 へ行くとき通る清水門を眺めこの門も徳川家のものだとつながった。

通るたび昔のもので立派な作りだと思っていたら1658年に建てられたらしく梁や柱には直径50センチ以上もありそうな柱が使われている。

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たっぷりと木が使われた建物には一体感を感じ安らぐ何かがあり北の丸公園の好きな場所のひとつだ。

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  すぐ近くに第一門があるがこの階段は思い出の場所で25年前九段にある中国語学校に通えて花屋を開ける場所を歩いて探していたとき疲れきって休んだ階段だ。

通るたびに思い出し時々はその場所に座ってみる。

縁あって神保町に小さな花屋を開き小石川に移り今は千石でまだ花屋を営んでいる。

北の丸公園には江戸時代を偲ぶ建物は少ないが、そのころのものだと思う石は石垣をはじめかなり見かける。

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24回野草(イエツァオ)展に向けてNO1

2007-10-19 17:27:15 | アート・文化

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毎回「野草展」のときタペストリーを作り次の「野草展」までの一年間、店の前面を飾ります。

タペストリーですが机の上で作るため掛けたときとバランスが違うので大変でした。

飾るときは鉄板を貼った部分にマグネットが付きます。

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今年は流木と清里野外教室を始めた頃(13~14年前)竹早山荘で切り倒されていたヤエカワカンバの枝をもらってきたのを使うことにしました。

これをつなげる紐状のものが必要です。

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思いついたのは何かに使ってときふじさんよりいただいていたしっかりした皮で作られたコーチのバッグです。

きふじさんにはいつも応援してもらっています。

20年以上使ったものらしいのですが角の薄い皮が擦り切れているだけみたいです。

解体してみると取っ手、留め金は壊れてなく本体の厚い皮はしっかりして、裏だけを見ると新品同様です。

厚い皮なので縫い目の部分は薄くして縫ってありとても丁寧な作りです。

アメリカの人達は孫子の代まで使うバッグだったのだと解体しながら感激しました。

厚い皮は細く切って、薄い皮も工夫して使い、使はなかった皮や止め具取っ手もいつか何かに使うつもりです。

      野草展(イエツァオ)展のご案内

日時  19年11月19(月)~25(日)

     10:00~20:00(最終日18:00)

場所  花の店  野草(イエツァオ)

電話  03-5395-0548

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三宅島へ・・・。

2007-10-18 20:13:47 | 旅行記

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17:30分ごろ太陽が海に沈みました。

14:20分三宅島の錆ケ浜港を出航して3時間あまり、船室へいくことなくデッキで過ごしました。

三宅島が見えなくなる頃神津島、式根島、新島とかすかに島影のように見えます。

4月5月といく式根島は往復共大島までは島がまじかに見える華やかな島並みクル-ズも良いのですが

外洋で見る日没も又良いものでした。

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この日の朝、日の出の頃、海岸で見た空です。

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富賀自然公園での朝日に光るススキです。

又いつものように三宅島で自然のエネルギーをイッパイいただき帰りました。

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花を生ける教室NO53

2007-10-17 19:42:07 | アート・文化

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こでまりさんの作品ですが部分です。

お稽古に来るとき素敵なヒコーキ雲を見たからと横に長く生けました。

大事なガクアジサイやアシタバの実をもっと生かしたいと言うので後ろにあったガクアジサイは前に移動し(左側)、アシタバの実(右側)は動かさなかったのでよく写るように上から写しました。

三宅島ではガクアジサイやアシタバはいたるところに自生しています。

アシタバの薬効は最近もてはやされてきたと思うのですが三宅島で面白い碑を見つけました。

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除福が不老不死の薬草アシタバを探しにきたとき死んだ中国人の碑だと書いてあり、三宅島にも除福伝説があったのです。

私が興味を持ったのは前に並んでいる自然石です。

こでまりさんは食べることだけで精一杯だった頃の庶民の信仰である路傍のお地蔵さんや丸石信仰に興味を持っているので話を聞くうち信仰の対象になる石などに私も目がいくようになりました。

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”為朝の袂石”と説明書きされていました。

為朝とは平安時代、三宅島に隠れすんだ武将です。

すわり心地の良い真ん中がくぼんだ石で水がたまってもすぐ乾くように溝が掘られていました。

移動手段が歩くだけだった頃いろんな人が腰をかけたのだろうと思います。

犬公方綱吉に進言して島流しになった僧侶のお墓には丸くてきれいな石に写経して埋めてあるとか、ただ丸い石を並べ積んだ遺跡も竹藪の中にありました。

三宅島は古い言い伝えや遺跡のある島ですが民族資料館はありません。

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唯一浅沼稲次郎の生家がありますが中へは入ることが出来ず噴火前は一族の人達の手で整備され、周りはきれいな公園だったと言う話を聞きましたが荒れていました。

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