海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

ラブ子転覆から1年。工事中断も激しかった抗議行動の成果である。

2016-04-28 23:57:49 | 米軍・自衛隊・基地問題

 28日は朝、カヌー5艇で松田ぬ浜を出発した。4・28は沖縄にとって歴史的な日で、1年前には海上で大行動が取り組まれた。その際に海上保安庁の保安官たちにラブ子号が転覆させられるという事件が起こった。

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/d9dfa1259ba6bacb3a1a6ee5eae77c18

 今日はキャンプ・シュワーブの映画館でも作業が行われていなかった。1年前とは打って変わった静かさで、あの時は海上でのボーリング調査を含めた作業が止まるとは予測できなかった。海とゲート前で激しく闘われた抗議・阻止行動があってはじめて埋め立て作業の中断も生み出されたのだ。

 映画館の横から長崎(辺野古岬)にかけて建物が解体された更地が広がっている。4月1日に米軍憲兵隊に不当拘束された際、MP車両に乗せられてこの付近を通過した。この際だから基地内を観察しようと目を凝らした。

 埋め立て工事に向けて、作業ヤードの整地が進んでいるかと思ったが、まだあちこちに瓦礫が転がり、基礎部分の撤去も行われていなかった。海から眺めながら、もしかしたら路盤の整地が行われているかもしれない、と思っていたのだが、予想以上に作業が遅れているのを直に確認することができた。これもゲート前での座り込みがあってこその結果である。

 長崎と長島の間には、まだフロートが三重に張られている。越えるのも一苦労だが、後ろから厳しい視線が飛ぶ中、よっこらせとカヌーを移動させていた。実際にやると、写真で見るほど簡単ではない。このブログを見ている皆さん、ぜひチャレンジを。

 スパッド台繊に向かう時は向かい風が強かった。下の写真の台船は柱の錆がひどいのだが、緑の網の下につけられた黄色い浮きが外れていた。長期間にわたり海上に放置していれば劣化が進む。国がいくらでも金を出すから、機材が傷んでもかまわない、と言わんばかりの扱いである。こうやって血税が浪費されている。

 海にはまだ撤去されていないフロートが浮かんでいる。それを越えて米軍のリゾートビーチの様子を見た。浜に隣接する建物でメンテナンス作業らしきものが行われていた。その前では米軍のブルドーザーが浜の清掃を行っていた。

 辺野古弾薬庫近くのゲート前で集会が開かれていて、シュプレヒコールが海まで聞こえていた。陸からもカヌーや抗議船が見えていたと思う。陸と海が呼応して行動できる場所で、それが可能なのも皆の努力で工事中断に追い込んだからである。

 4月30日からフロートの撤去作業開始という報道がある。それが事実なら、浜のフロートを片付けるなど準備作業があるかと思ったのだが、午前中はそのような動きはなかった。

 フロートやオイルフェンスの保管場所がなければ撤去もできない。沖縄防衛局はどこまで本気なのだろうか。マスコミ向けのポーズに過ぎないのなら、県民を愚弄した話だ。

 3隻のクレーン付き台船をの様子を見て、長島の近くに設置されたままのガイドパイプまで漕いだ。平島や長島の近くではアジサシの群れが飛んでいた。少し前から姿を見せているようだ。

 晴れた日の平島の眺めは素晴らしい。休憩をとって松田ぬ浜に戻ったが、帰りは向かい風がきつかった。それもいい練習ではあるが。

 1979年の4月28日に初めて反戦デモに参加した。まだ18歳だった。あれから37年。沖縄の軍事基地の現実は変わらないどころか、自衛隊を含めればむしろ悪くなっている。一人の沖縄人として、これからも行動し続けなければならない。きついことだが、この島にいて逃げることはできない。


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