沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩241

2010年11月20日 11時39分24秒 | 政治論
 北沢長島軍拡コンビ及び参謀本部の妄想と危険思想はシビリアンコントロールの直接の対象に認定しなければならない。こういう戦争マニアを放置しておくと図に乗ってどこまでも旧日本軍予備軍組織化を図るあらゆる工作を続けるだろう。尤も政治理念を喪失した民主政権が黙認追認する可能性も大いにあり得るので油断ならない。そもそも防衛大綱とはいったいなんだ?米軍一極支配の軍事的傀儡組織をいくらいじってもただの傭兵部隊じゃないか。その士気たるや国防精神のカスほども了解してないしろうと軍団であるし到底国民を守護する力量はない。要は税金の大変な無駄遣い、国民の怒りを買ってしかるべき体制だ。日米安保体制は植民地日本の自律的国防体制を阻害し有事の際泥沼化するべく予定不調和された体制だ。しかも本体である米軍は国防軍としては米国国防軍であり二番煎じの日本国民は沖縄戦さながらミサイル核砲弾の雨の中に放置されるがおちだ。日本国民の豪胆な精神は驚くべきものがある。戦後体制がいかに懐柔し教育しだまくらかしたかがわかる。いずれにしても空想上の戦争、仮想敵国、いわゆる空想的有事に対する国費を使った軍事的行為は生命保険のようにそのおどろくべき無駄につき認識しないと国民が損するばかりだ。戦争を学ぶということは先の大戦沖縄戦イラク戦争ベトナムアフガン等様々ありそれらのどこに視点を定めるかで一切が決着する。なによりも戦争の惨禍に叩き込まれるのは国民である。この、武器を持たず軍事知識もなく戦うすべを知らない丸腰の存在が必ず無残に殺されていくのが戦争だ。だから国民は絶対に国の軍事的強制や統制に与してはならない。翼賛する国家的動向を注視し警戒し、今や理念化した平和憲法にへばりついてでも国民皆兵を拒否しろ。


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