沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩576 琉球沖縄の現実 23

2015年01月19日 09時49分23秒 | 政治論

 目取真俊氏の辺野古の海での抗議行動に対する海上保安庁職員の対応ぶりを映像等で散見すると、チンピラが悪徳代議士に言い含められて「あの海でカヌーを漕いでいる奴らは国の事業の邪魔をする輩だから、どんな汚い手を使ってもいいからいやがらせして追い出せ、少しばかり手荒な事をしても許す」とでも言われたとしか言いようもない。このような、市民に対する侮蔑に満ちた公務員の態度(チンピラ的な態度)にこの国の質が窺える。暴力団並みであり、していることには人間性のかけらもない。言って見れば、「なにしろ暴力をふるいたい」という、縦社会のストレスから日頃の鬱憤のはけ口化しているのがわかる(市民がこの暴力の前に非暴力で対応しているからなお一層そうなるのだが)。全国規模の海保展開だからこそ、彼等海保職員の置かれている「物言わぬ」「物言いできない」立場というのが、この辺野古の海でのなりふり構わぬ暴力的業務行為に如実に表れる。恐らく市民排除の任務に就いているのは中でも選ばれた血の気の多い連中に違いない。筆者の知る海保の退職者は、日頃実に穏やかな好人物である。但し、不図見せる表情、姿勢、態度にどことなく職務上の逃れようのないストレスがにじみ出ていると、感じたことがある。組織のなかの人間は、職務に忠実であればあるほどこのような場合むしろ「非人間的な」機械化された「粛々たる」非情さで市民の前に立ち現れる。彼らは自身のしていることの意味を決定的にわかっていない。感じることはあるが行動に移す判断力を損ねている。これが国家犯罪を支える末端の人間の心性であり、国家はこうしたものを利用することに長けている。そうでなければ彼等の国家悪は成り立たない。逆に言えば、こうした末端に於いて人間の通常の感覚、心情、善悪の峻別が機能すれば市民が「我らの海」で余計な奮闘を強いられることもないわけだ。

 安倍晋三の国家犯罪を無言で許容してはならない。この宰相に歴史的手柄をあげさせてはならない。自己満足に過ぎない安保体制を理不尽に関所なしに通関させてはならない。市民が死傷するような軍事的国家行為は、沖縄戦でいやというほど味あわせられたのである。今また、辺野古崎で市民が駆逐されようとしている。沖縄県民よ、日本人よ、今こそおのれの知恵と判断力と行動力を自在に発揮し、百年の後悔に沈むこの辺野古新軍事基地建設をぶち壊せ。



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