沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩614 日本国と沖縄県を分析する 4

2016年06月20日 20時50分42秒 | 政治論

 松島泰勝氏「琉球独立宣言」2015年9月15日第一刷発行 講談社文庫

 本来大和民族には、文化的にオリジナルな自発的創造力というものは史上皆無であったと思われる。全ては大陸から持ち込まれた異文化の継承、乃至改竄、くずしだったらしい。浅学乍ら全日本史というものをつらつら眺めると、そこに、初めは物言わぬ民とその総帥がいて島国らしい気ままな集団的農耕狩猟(その生存形態には進化乃至改善が見られるが)生活が営まれ、取り立てて個別にcultivateする文物の存在も凡そ見当たらない、極めて素朴な合同協力社会が想像される。突出した異能と言うものがない平準化した生活形式である。大陸との関わり、あるいは大豪族の領域拡大の野心などが、所謂遅い有史時代を漸く招来する。その中心が朝鮮半島渡来の氏族の中の天皇氏族に集結した大和朝廷だった。だから正確には、日本史は文物に拠る史料としては中国側の漢書地理誌(紀元前1世紀)あるいは『論衡』(ろんこう)に始まるのであり、日本側としての古事記(712年・和銅5年)がそれの最初だ。歴史的現象的に、諸外国に比べはるかに遅々たる歩みである。因みに大陸のはずれの半島では既に紀元前に広範な高句麗という統一国家が誕生している。

 抑々大和民族の民族性は一種の外的なカルチャーショックによって始まる、良くも悪くも換骨奪胎を旨とする文化傾向にあり、その点について言えば恐らく世界に突出する才気をふんだんに持ち合わせていたし、今後もそうだろう。しかし鎖国によって独自の深化を遂げた江戸文化系の豊かな世界性(それの価値判断に検証の必要性はある)をかなぐり捨て、倒幕と王政復古の明治維新政府に於いて欧米風の資本主義を受容し帝国主義的植民地主義に関し「近代化」「文明開化」といってかぶれたとき、全ては本来的出自への嫌忌蔑視としての「脱亜入欧」へ流れ、世にも稀な頭でっかちの火星人的奇形児になり終わった。その結果が無様に思い上がった末の敗戦だ。

 今、僻遠の地で、ヤマトゥから差別隔離され不当に軍事植民地化されている沖縄島嶼に住する筆者は、自分が以前住していたヤマトゥという世界が、到底正視に耐えない不快な姿かたちをしていることに今更に驚いているし、そこで何気に黙々と安穏に暮らしてきたことを後悔さえしている。そして恐らくはこのように思う自分も、現実にはヤマトゥの彼ら同様に精神的には何らの変哲もなくこれまで通りの生活を続けるしかないのかもしれないと思うと、文化的民族的和合の困難さに突き当たり如何ともしがたい絶望的な気分に落ち込む。

 少なくともここで10年ばかり暮らした移住者には、沖縄という文化的位相から創める自己革命が何を措いても望ましいとはいえ、そこに広がる沃野には極めて持続的な精神的肉体的エネルギーと、未開のパイオニア的意思が求められている、と思われるのだ。

 尤もこの個人的な感想は凡そ何ものでもない。しかるにここで「琉球の独立」というはなしを耳にすると、それが現代社会においてどこから来ているかと考えたとき、根本的には、この国における民族的齟齬、文化的異相という質に落着するやに思われる。

 ところで沖縄返還という、どう見ても大和民族についてのみ言える一大イベント(佐藤栄作の所謂「返還なくして戦後なし」)は、琉球民族ということは度外視して島嶼囲い込みの集大成だったにもかかわらず、県民は今にしてほぼ大半においてこれを肯定していることが世論調査結果に覗える。基地問題や安保体制については全く別の結果を示してもいる。つまり、基地問題や日米安保体制の矛盾が取り除けられれば概ねこの国の国民であることを県民は歓迎するのであろう。一方で、基地問題や安保体制が県民に加える虐待的過重負担が県民をして最も根本的な民族的地域性への特殊な差別と捉えられ、基地全面撤去や過重負担の目に見える軽減、全国公平分担などの解決策が国家政府から打ち出されないかぎり、(沖縄が置かれた奴隷的な従属的境遇を打開するには)琉球の分離独立は避けられない応分の対応だと、考える人もいる。

 恐らくそう考えることは、草の根の自然性、あるいは生命力の発露としての革命、というところに信を置くことなのだろう。将来は不可知だ。しかし分析的に検証されれば全く予想されないということはない。その中でも生き延びるに際し最低限の生存生活の保障を求めるのは仕方がないこととして、迫りくる不安、臆するもの、に十分対抗できる精神的強靭さはどうしても欠かせない。この強さこそ琉球王国時代に培った万国津梁の意思であり、現存するウチナンチュのマブイの真の発露であるユイマール精神に究極するものと思われる。

 今、琉球沖縄が立ち向かっているのは、間違いなく、正しい自己覚醒を必要とするおのれの境涯そのものであり、その返還後の生活上の安住が如何なる奴隷的従属性において成り立っているかを知り尽くし、ここから脱却する手立てを講じることに創意工夫を凝らす必要がある。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。