沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩219

2010年10月22日 12時46分11秒 | 政治論
 民意とは何か。人は己に降りかからぬ火の粉は取り敢えず危険とは認知しない。沖縄の基地被害が長年の積み重ねから原因として取り沙汰される米軍駐留を名指すのは当然で、被害の頻度確率危険指数の問題とは根本的に違うことはすでに明白な事実だ。つまりこれは民意という限定ではなく、客観的危険物そのものにほかならない。この客観性を見てこれを除去すべきと判断しない日米政府が国民を危険の中に放置してでも押し通さねばならない重大な客観的理由とは何か。それは軍事的秘匿条項らしく「抑止力」やら「地の利」やら漠然たるこじつけは繰り返すが未だに判然しない。従って国民はこのような専門的詮索には努力する必要はなく専ら自己の基本的人権生存権財産権を「憲法違反」の観点から主張し続けること。あらゆる訴訟要件を収拾してまずは国に次には国際司法に、訴えること。つまり国民が自己保存と幸福の追求に全力で勤しむ本来ありふれた基本的な生活を継続するとき障害となる基地被害こそ排除すべき対象であり、この主張にはなんらの顧慮も必要がない。国の専権事項など知ったことじゃないのだ。このとき国に妥協するものはその時点で自己の基本的権利を放棄したものといえる。国民がなければ国家もない。本土が安全ならば沖縄は危険の中に放置しても構わないという国家論理は絶対に成立しない。ましてやアメリカのために沖縄が犠牲になるなどという馬鹿げた状況は前近代的事態だ。


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