沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩353 沖縄から見た日本という国 1

2012年05月08日 20時17分45秒 | 政治論
 表題は正確には、半世紀以上ナイチャー(本土の日本人)として生きて来た者が、移住先での6年間、ウチナー(沖縄の日本人)としてあらためて内地、本土、本土人、ヤマトゥと言われる沖縄県以外の日本というものを眺望したとき、見えてくるこの日本という国、という意味になる。
 この移住者は、その半世紀以上のあいだ、希薄にして漠然たる印象にすぎないある感覚で、ここ沖縄を半ばいい加減に捉えていた。つまり、こと沖縄戦にしろ、むしろひとつの神話に近い伝承としてしか肉薄しなかったということで、それは、「ヒロシマ」に対するものとも違っていた。
 例年暑熱も8月近くなると、メデアにも徐々にヒロシマが、あるいは他の戦争映像等が目立ち始め、青少年の彼は思う、閃光とともに影となった人群の、永続的な焼付け、英霊と称する戦死者の、果てのない告発、声なき悲嘆、これらのなかに、明瞭に共感的に迫ってくる反戦的なシンパシーやら、「非戦の意思」的なある強度の思い入れを、見出すことは比較的容易なことであったのだが、どういうわけか沖縄戦にしろ熱帯島嶼の玉砕に関る沖縄人にしろ、リアルなかつ無条件に共感的に受容される圧倒的な説得力を、どこか欠いているものとして記憶に残ったのだった。
 これは実は今でもある実感、実感しない実感という意味の性格になる感覚なのだが、ここにあるものの奇妙な非現実的潜在的疑惑は一体何なのか、と絶えず感じているのにいっかな言葉にならない。
 起こってしまった悲劇、起きてはならない、むしろ起こるはずもないと半ば信じきっていたある種のカタストロフィー、集団強制死、軍官民共生共死の現状、それが実際に生起した島とその住人、単純に「日本のなかでただ一箇所」特殊に起こってしまったできごとであり、その特異性がこちら側の「信じられない、あり得ない」常態として、奇妙な非現実的懐疑を誘発すると言うことがおきる。
 にもかかわらず一方「原爆」は「あり得た」のであり、原発事故も大震災もそうなのだ。何故集団強制死は起こってしまったのか。皇民化教育、「生きて虜囚の辱めを受けず」、ニライカナイ信仰、共同体的必然性になる共死意識、それらが悲劇的に複層を成し、起こるべくして起こったのだろうか。
 「天皇陛下万歳」は、特攻隊の青年たちにさえリアリティのない他者を意味してついに彼らの深奥には達しなかったのに、何故あの人たちにあっては当たり前のように口から出たのか。勿論「天皇」にしろ「戦陣訓」にしろ、軍人もしくは被召集兵隊と、一般人とでは受け止め方が違うに決まっている。圧倒的な暴力傾向の権力をもって、住民の生活の場に土足で踏み込んできた日本軍の、絶対的な表現としての「天皇」と「戦陣訓」、及び彼らの有無言わさぬ処決的横行こそ、住民を狂気じみた護国の鬼そのものに馴化したに違いない。
 つまりはそれらが「日本軍さえいなければ起こらなかった」所以である。高校の歴史教科書にあっては、この、「日本軍による強制的集団死」という文言を、歴史的真実として記述することによって、「原因と結果」という関係性の理念的な透かし彫りが披瀝されることになる。この悲劇が、皇国美談でもなんでもなく、リアルに煽情的なあらゆる恐怖感に発したことを我々は見て取らねばならない。住民を「米軍のスパイ」視して起きた「住民虐殺」についてここにつながるのは南京虐殺だが、軍隊心理として「あり得る」こととして、米軍の「無差別爆撃」あるいは「原爆」はナチのホロコーストとどこが違うのか。一切の一般市民に対する避けられる殺人行為に関して現在もいよいよ無差別に「テロ」と「テロとの戦争」においては繰り返され続けるが、極端に、全体主義へ「悪」概念を押し付けた結果隠蔽された戦勝国における、ナチ同様の効率的殺戮を基調とする合目的主義に関し、「人道に対する罪」を論うことがなかった日独両軍事裁判は、その功罪を今にして問うはめになったわけだ。(中断)


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