蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

何度もコケると、痛くないようにコケる

2016-01-17 | 人生

わたしのブログは、あまり時間を経ても、変わらない。
人からの影響を色濃く受けていることがあるにしても、消化し、自分の確信を強めるだけで、
自分のキャラのほうが強いと見受けられる。


青春を軍国一色で塗りつぶされた少女が、終戦後、ころっと価値観の大転換と、世の中の様変わりに、ついていけない・・・・、
かというと、そんなこともなく。
その年代は、母の世代なのだが、母たちは、戦争を挟んでも、価値観はまったく揺らいでいなかった。
そのほうが、不思議だった。
女性は逞しいから、毎日の食事の支度に追われ、国がどうの、価値観がどうの、
そんなことを言っている暇があったら、食材を調達して調理し、お腹を減らした家族に食べさせることを優先するのだろう。
考えている暇があったら、働け、か。

わたしは、日本が豊かになろうとしている、上がり調子の時に生まれ、成長したので、リアルタイムでは戦争を知る由もなく、
過去のことは、映画や小説、史実が書かれた本やドキュメント、古いニュースでしか、当時のことは知らないのだが。

戦争のことは、わたしの周りの戦争経験者の人々はあまり皆、口にしないところを見ると、よほど嫌な思い出だったのか、あるいは、生活にまみれて、次の時代を生きて過去は上書きされたのか。

まあ、とにかく、過去の話といっても、世の中とはまったくリンクしない、幼い頃や嫁入りした頃のできごとを熱く延々と語る義母。
やたら古い、明治前後あたりの話も延々と延々と延々と。
彼女の頭のなかの時計は、だれがネジを巻いているのだろう。
電池はとっくに切れている。

実母は実母で、自分の想い、希望を熱く「語る」のではなく、強く「要望する」。
これまた、かなわない。

わたしもいずれ、必ずといっていいほど、ああなることだろう。
彼女たちは、自分の世界にしか、自分は生きていない、
ということは、今のわたしと同じではないか。
わたしは、うんと先の世界を先取りしているのか。


話、変わって・・・

わたしは、自分の理想と現実のスリ合わせ、調整に、いつも手こずっている。
理想が高く、実力が低く、バランスが取れずに難航している。
ブログにも何度も何度も、飽きずに書いている。

しかし、この悩みは、わたしの生まれた時からすでに起因はスタートしている。
本体(わたし自身)と悩みとをひっくるめて、わたしは、この世に生まれてきたわけだ。
(べつに、怪物君や妖怪人間ではありません)
人間は悩む葦なんだから、べつに、どおってことはないのだが。
悩んでいない人など、一人もいないのであって、人生に悩みはつきものであり、ユニバーサル・スタンダードである。

どんな悩みか、どうやって向き合うか、が、人によって違う。
この違いは、大きい。
「社会が悪い」と、社会を怨む人もいるだろうし、他人のせいにして、責任回避する人もいるだろうし、
「自分が悪い」、とウツ病になる人もいるだろう。

上を見ればキリがなく、下を見ればキリがなく。
間違った優越感や劣等感に苛まれる可能性もある。
横を見れば、ライバル心はムラムラ。
五十歩百歩、どんぐりの背比べ、めくそ、はなくそを笑う。
こころ休まるヒマも余裕もなく。

こころが明るく、プラス志向で、悩みが全くありません、という人がいるとすると、
「わたしは、生まれてきて一度も嘘をついたことがありません」という人と同じぐらい、
わたしは疑心暗鬼になる。
本気で本当にそう想っているとすると、その人の周りは相当悩まされていると予想する。

母などは、自分の悩みを人に丸投げする。
どうにかしてくれ、と。
昔からそうである。
発注し、苦情を言うだけの人、これは、仕事の関係では、顧客、クライアント、お客さんである。
企画を練り、計画を立て、人やモノを手配し、実践するのは、受け手側。
仕事の場合は、金銭の授受で成り立つのだが。
デキないものはデキなく、破綻する場合もある。
社会問題になる場合もある。

発注すれば、なんでもしてくれる、なんでもデキル、デキなくても頑張ってすべきだ、なんて、大間違いのことも多々ある。
現況、現状を理解していない場合に、そういう横暴で無茶なことに陥りやすい。


自分で考え、自分で切り開く訓練をしたことがない人は、脳に、その回路が備わっていない。
知識がなければ、仕入れるべきではあるが、知恵がないと、知識も手に入らない。
世の中すべての誰も彼もが、できることではないようだ。

試行錯誤をして調整していくにしても、試行錯誤に進む、取り付く島も、とっかかりすらない。
そういう場合もある。
リサーチするということは、大切だ。
キーマンが近くにいる、と、とても心強い。

情報弱者の方であるなら、おそらく、わたしのこの蝶ブログを直接、読むこともないだろう。

アンテナを張り巡らせていると、ヒントがどこかに落ちていることがある。
自分は、バランスの悪い人間なので、常に自問自答しつつ、無意識で、道になにか落ちていないか、見ながら歩いているようだ。

そうやって、けつまずいて転んだら、大笑いである。(わたしは時々、転ぶ)
今度から転ばないように、注意すれば、5回転んでいたのが4回に減ることだろう。
打撲する重圧も、ちょっとは軽減されるだろう。

生まれつきバランスの悪いわたしだからこそ、あれこれ悩んで、けっこう楽しく暮らしているのかも知れない。

 

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