蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

老人との会話

2017-07-28 | 老い
久しぶりに、姑に会った。
ひ孫と初ご対面で大変、喜んでいた。
良い光景だと思った。

しかし、話が、まだ結婚していないほうの孫(わたしの子供)のことになると、、、
「早く結婚させなさい」と。

わたしは、このフレーズを聞くと、とたんにストレスを感じ、感情が逆噴射する。
夫はさすがに最近、この禁句を言わなくなった。
説明するのも、神経が磨耗する。

姑は、当たり前のことを当たり前の感覚で言っているのだろうけれど。

引きこもりの成人の子供を持つ親に、「早く、就職させなさい」と言っているようなもの。
登校拒否の子供に、「早く学校に行きなさい」と言っているようなもの。
給料の安い、ウダツの上がらない人に「早く出世しなさい」と言っているようなもの。
条件の悪い職場で、出口なく仕方なく歯を食い縛って頑張っている人に、「早く、労働条件を改善してもらいなさい」と言っているようなもの。
慢性アレルギー疾患で痒がっている子供に、「早く、病気を治しなさい」といっているようなもの。
なかなかオネショが治らない子供に、「早くオネショを治しなさい」といっているようなもの。

できるものなら、とっくにしてます。
できないから、悩みながらも頑張っているんじゃないですか。
自分たちの時代がそうであったように、時代が変わっても当たり前みたいに、当然出来るものとして、自分の価値観を押し付けるのは非常に鬱陶しいこと、この上ない。

全くわかっていない。
良かれと思ってアドバイスしているつもりが、逆効果。
確かに、以前は、姑や、姑の姑のアドバイスは、有り難く役に立った時もあった。
が、今の時代になって、前の時代の考え方や方法は、適応しなくなっている。
いつまでもいつまでも、未来永劫に、方法や行動、生態は同じではなく、変化がある。
途中まではアドバイスは活きるが、それからは、NG。
時代の流れを理解しない発言は、効力を持たないどころか、有害である。

孫に幸せになってほしいという思いはわかるが、「結婚が幸せとは限らない」という価値観そのものが理解できないようだ。

しかしながら、頭から火を噴いて、目くじらを立てるのも、暑苦しい。
少しアタマのネジが切れかかった、聞きたいことしか聞こえず、聞きたくないことは聞こえない、老年変化を遂げている人には、わたしのように義理の関係ではなく、実の子供でもないと、まともに相手できない。

アタマが天国に近くなっている実母の話は、最近、こころ乱されることなく聞けるようになった。
人に強制されて、とか、義務感で話を聞いているのではなく、自主的に、自由に自然体で接することができるようになった。
実母が、生々しい現実の世界から、すっと手を離しているからだろう。
権力や色んな欲に、しがみついていないように思う。
人に意見したところで、自分は何が出来るでもない、それをよくわかっているのだろう。
姑は、まだ自分はしっかりしているという気持ちが強い。
現実はそうでないのに、理解していない。
老いると、ほとんど100パーセントに近い人は、そういう傾向にあるらしい。
しかし、この、「現実」と「自分の思い」とのギャップを認識しない勘違いは、生きる気力、迫力、意欲にもつながる。

(中には、老いているわけではないのに、ふと手綱を緩める人もいる。
もう現世にはほとんど執着心はないように見える。
それはそれで、心配である)

と、思いっきり、濁った思いを吐き出し、すっきりした。
だが、で、どうなんだ、という結論が欲しい。
ところが、スキッとした結論が見えない。

いずれ自分もああなる。
もう、すでに何歩か足を突っ込んで進んでいるに違いない。
人を見れば、自分だと思えばいい。
現実はそういうものだ。
なんだか、哀しいなあ。

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