新型コロナウイルス感染防止の必要から、一気にオンライン授業が拡大しました。
ただし、オンライン授業が拡大する前から
タブレットを使い、インターネット上の授業を行う学習はありました。
たとえば、箕面三中では、2016年に総務省の「ドリームスクール」の実証実験のため、2年生数学で、オンライン授業を試行的に行いました。
そのあとも、国内ではオンライン授業が行われてきたのですが、今回の休校措置により、一挙に、とくに大学を中心に広がったのです。
オンライン授業は、どこにいても、さらには国境を超えてでも、画面を共有できます。人どうしが心を通わせることもできます。
私も大学生とオンライン講座をしていますが、こちらの言うことや質問に対して、対面しているのと同じように答えてくれます。
少なくとも、双方向のコミュニケーションは成立します。
ただ、オンラインの場合、視覚から得る情報は、実際に対面して話すリアルな面談よりは、どうしても少なくなります。
そのぶん、相手の話す内容から情報を吸収しようとする度合いが大きくなります。
だから、面接などの場合は、視覚情報つまり第一印象に強く引っ張られることがないぶん、オンラインはむしろ対面式より効果的であると言えるかもしれません。
また、大学生の場合、キャンパスに行けず気の毒だという世間的な見方はできます。
しかし、当の大学生本人たちは、我慢して学習しているというよりは、新型コロナ流行の「いま」にあって、楽しみながら、学んでいると言えないこともないようです。
残念だという思いや、悲壮感という言葉は、あまり感じられないようにも思います。
このような変化の中で、学習のスタイルが変わってきているようにも、私は思います。
今までは、「一斉授業=全員履修」だったのが、オンライン授業の拡大により、「個別学習=個に応じた習得」へと変化してきています。
これは、さらに深まっていくと、学校・大学という「場」で、対面する教員という「人」だけから学ぶという学習の形態が変わっていくという意味です。
ただし、いいことばかりではありません。家庭環境の差が、学習が可能かどうかに影響します。
また、学習者に自律した学習態度が必要です。自己調整ができる力をもっていないと、学びから外れていく心配があります。
また、長年中学生を教えてきた教職経験から思いますが、授業によって生徒に伝わるものは、知識技能や思考力・表現力だけではなく、それ以上の、もっと人間的なものであるということです。
このように考えると、オンライン授業は、ある意味で、教師というものの存在意義そのものを問いかけているとも言えます。
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