三中の教育目標である「自立に向かう子を育てる」の自立については、何回かブログに書いてきました。
「自立」についてはさまざまな観点があり、一言で、子どもが自立に向かっているのかを判断するのは簡単ではありません。
しかし、一つの基準は、子どもが親に、いろいろなことを話さなくなったときと言えるでしょう。
思春期に入ると、親に友だちのことや学校生活について、あまり話さなくなります。
それは、「一番大事な人」が親から友だちに移っていく時期とほぼ重なります。
「何も話さないから、あの子が、いったい何を考えているかわからない」と言われる親御さんは、中学校では、ときどきおられます。
じゃあ、「わからないといけないのですか?」と問います。
「親が子どものことを知っているのは当たり前じやないんですか?」
私が答えるなら、「すべてをわからなくてもいいと思います」となります。
子どもが中学生にもなってきたら、体も心も成長して、大きくなります。隠し事もするかもしれません。
子どもといえども、別個の人間であり、別の人格をもつのですから、すべてを知っておくのは無理な話です。
子どもが話してくれないという親の心配には、子どものことは何でも知っていなければならないという思い込みがあるのではないでしょうか、
どうしても知らなければならないことなら、子どもに聞けばいいのです。
むしろ、子どもが親にあまり話さなくなったら、自立に向かっているということです。
子どもが学校であったことを逐一親に話していると、何でも親が意見を言わないと、自分で考えない人になるし、依存関係から抜け出せません。
子どもが親に秘密をつくったり、隠し事をするのも自立に近づくという基準の一つぐらいに考えていたほうがいいと思われます。
子どもの生き方は、こども自身の責任の上にあるものです。子ども自身が決めることです。
なかには、隠し事のなかでも、放っておくとよくない方向に向くものもあるかもしれません。
「だから、このおこないをやめさせたいのよ。やめろと言ったらダメなの?」
「やめてほしい」という親の願いや気持ちは伝えたらいいですが、いや、伝えないといけませんが、やめさせることができないこともあると心得るべきです。
子どもを自立に向かう人間として、対等な関係でつきあうことが必要です。
自立とは、親ばなれであり、「子育て」から「子つきあい」に移っていきます。