「平和憲法」は共産党が作った
先日あるタ-ミナルで日本共産党の看板を見た。そこには「平和憲法を護ろう」とか「自衛隊を海外での戦闘行為に参加させないようにしよう」とかの文言が書かれていた。共産党らしいな、相変わらずだなと思いながら見ていたが、その時ふとした考えが浮かんだ。共産党が現行憲法を作ったのだから現行憲法擁護は彼らにとって自明で当然の行為だなと、私は思った。ちなみに私は現行憲法に大きな不満を抱いており早急に改正すべきだという立場である。
さて、共産党が現行憲法を作った、という事だが、そう考えるためには若干の思考が必要だ。周知の如く現行憲法は占領軍司令部(GHQ)が当時の首相である吉田茂と彼の懐刀白州次郎の反対を押し切って8日で作り、英文を翻訳してできた作品だ。当時のGHQにはアメリカ政府の中核を為すニュ-ディ―ル派が送り込まれていた。人によってはル-ズベルト大統領の政策は社会主義そのものだと言う。そしてこのニュ-ディ-ル派は当時の国際共産主義宣伝組織コミンテルンの影響を強く受けていた。コミンテルンとは1918年の共産革命でロシアの支配権を握ったボルシェビキ(ソ連共産党)が世界革命を目指してまたソ連内の革命を擁護する目的で作られた国際的謀略機関だ。アメリカのニュ-ディ-ル派はこのコミンテルンの影響下にあった。日本共産党も同様だ。だから日本の現行憲法いわゆる「平和憲法」は共産党がおのれの希望通りに造ったといえる。そしてなによりも重要な事は、日本の軍事力の増大と展開を阻止する事だった。加えて簡単には憲法を改正できないように衆参両院で2/3以上の賛成を必要という世界にも稀な厳しい制限を課した。簡単に言えば日本は侵略されても無抵抗でいろ、ということだ。まさしくソ連ロシア中共政府の思う壺にはまってしまったのだ。日本という国家は共産党により去勢されたのだ。
ところでなぜコミンテルンが猛威を振るい世界各国のインテリを洗脳できたのだろうか。原因の重要な一つが第一次大戦後の経済的混乱特に1929年の大不況による西側諸国の経済的困窮だ。これで当時のインテリは統治にすっかり自信を失ってしまった。逆にソ連は五カ年計画云々で大躍進をした。(と宣伝されている、徹底的秘密主義だから実態は解らず、その分外部からは美化理想化される)これでころっとインテリは騙された。若干例を拾ってみよう。戦後首相を務め保守の重鎮とされた岸信介は当時商工官僚のボスだったが、彼らは軍人をも加えて社会主義の勉強会を開いていた。経済学者で有名なシュンペ-タは終生社会主義の時代になると信じ込んでいた、というより脅えていた。もっとも彼の学説は社会主義とは無縁なものだが。インテリエリ-トほど観念に弱い。当時未曾有の経済情勢下にあって、彼らの多くは資本主義の時代は終わった、これからは社会主義の時代だと信じ込み刷り込まれた。ニュ-ディ-ル政策とは不況下にあえぐアメリカ経済がル-ズベルトの指導下に不況から必死に脱出しようとあえぎ努力した営為だ。ニュ-ディ-ル派そしてル-ズベルト政府の中に多くのコミンテルン諜報員がいたのはうなずける話だ。マルクスそしてレ-ニンの理論は理想を求める人の頭脳には快く響く。自動的に資本主義は崩壊し、共産主義世界という万人平等で働かなくても喰える世界が出現するというのだから。マルクスレ-ニン主義は一見して論理的だが、その根底には人間個々人に対する過度な楽観があり、この楽観は容易に転じて人間不信大衆弾圧になる。
コミンテルン-ニュ-ディ-ル派-GHQという路線の延長上に世界でも稀なそして奇矯な「平和憲法」がある。コミンテルン陰謀史観には私も始めは懐疑的だった。およそ陰謀で歴史が作れるはずがないと単純に思い込んでいた。しかしある事実を知って私の考えは変った。ハリ-・ホワイトという人物がいる。彼はルーズベルト政権下で財務次官を務め第二次大戦後の世界経済体制であるブレトンウッズ体制創設に大きな影響力を発揮しケインズとも喧々諤々の議論を繰り広げた論客だった。このホワイトがマッカ-シ-委員会に喚問され心臓疾患で突然死したと言われていた。今日判明している限りでは死因は自殺だ。マッカ-シ-委員会とは、戦後急速に影響力を伸ばしたソ連あるいは国際共産主義の米国内での蔓延を防止するためにアメリカ議会内に造られた機関である。ホワイトの喚問と自殺の話を聴いて私はコミンテルンの影響力の強さを知った。
だから私は「平和憲法」は共産党が作ったものだと言う。コミンテルンの工作員で著明な人物がベトナム独立の英雄とされるホ-チミンだ。私の学生時代、米国はベトナム内戦に干渉し最大規模50万人を派兵した。当時米国はベトナムの独立を脅かしているとされ人気はさんざんだった。しかし今日振り返ってみれば米国の奮戦のお蔭でアセアン諸国の赤化(共産化)は免れた。当時インドネシアはソ連や共産シナに大きな影響を受け赤化寸前だった。もしアセアン諸国が共産化されていたら、米国はともかく日本のその後の運命は大きく変わっていただろう。現在のような豊かな生活はできず、もちろん言論の自由などありえなかっただろう。せいぜい現在のシナ程度の生活、悪くすれば北朝鮮のレベルになっていたかもしれない。「平和憲法」なるがらくたがどうして出現したのかを再考すべき時がきたようだ。コミンテルンを元凶とする戦後レジ-ムからの脱却をしよう。その時は現在を置いてない。
先日あるタ-ミナルで日本共産党の看板を見た。そこには「平和憲法を護ろう」とか「自衛隊を海外での戦闘行為に参加させないようにしよう」とかの文言が書かれていた。共産党らしいな、相変わらずだなと思いながら見ていたが、その時ふとした考えが浮かんだ。共産党が現行憲法を作ったのだから現行憲法擁護は彼らにとって自明で当然の行為だなと、私は思った。ちなみに私は現行憲法に大きな不満を抱いており早急に改正すべきだという立場である。
さて、共産党が現行憲法を作った、という事だが、そう考えるためには若干の思考が必要だ。周知の如く現行憲法は占領軍司令部(GHQ)が当時の首相である吉田茂と彼の懐刀白州次郎の反対を押し切って8日で作り、英文を翻訳してできた作品だ。当時のGHQにはアメリカ政府の中核を為すニュ-ディ―ル派が送り込まれていた。人によってはル-ズベルト大統領の政策は社会主義そのものだと言う。そしてこのニュ-ディ-ル派は当時の国際共産主義宣伝組織コミンテルンの影響を強く受けていた。コミンテルンとは1918年の共産革命でロシアの支配権を握ったボルシェビキ(ソ連共産党)が世界革命を目指してまたソ連内の革命を擁護する目的で作られた国際的謀略機関だ。アメリカのニュ-ディ-ル派はこのコミンテルンの影響下にあった。日本共産党も同様だ。だから日本の現行憲法いわゆる「平和憲法」は共産党がおのれの希望通りに造ったといえる。そしてなによりも重要な事は、日本の軍事力の増大と展開を阻止する事だった。加えて簡単には憲法を改正できないように衆参両院で2/3以上の賛成を必要という世界にも稀な厳しい制限を課した。簡単に言えば日本は侵略されても無抵抗でいろ、ということだ。まさしくソ連ロシア中共政府の思う壺にはまってしまったのだ。日本という国家は共産党により去勢されたのだ。
ところでなぜコミンテルンが猛威を振るい世界各国のインテリを洗脳できたのだろうか。原因の重要な一つが第一次大戦後の経済的混乱特に1929年の大不況による西側諸国の経済的困窮だ。これで当時のインテリは統治にすっかり自信を失ってしまった。逆にソ連は五カ年計画云々で大躍進をした。(と宣伝されている、徹底的秘密主義だから実態は解らず、その分外部からは美化理想化される)これでころっとインテリは騙された。若干例を拾ってみよう。戦後首相を務め保守の重鎮とされた岸信介は当時商工官僚のボスだったが、彼らは軍人をも加えて社会主義の勉強会を開いていた。経済学者で有名なシュンペ-タは終生社会主義の時代になると信じ込んでいた、というより脅えていた。もっとも彼の学説は社会主義とは無縁なものだが。インテリエリ-トほど観念に弱い。当時未曾有の経済情勢下にあって、彼らの多くは資本主義の時代は終わった、これからは社会主義の時代だと信じ込み刷り込まれた。ニュ-ディ-ル政策とは不況下にあえぐアメリカ経済がル-ズベルトの指導下に不況から必死に脱出しようとあえぎ努力した営為だ。ニュ-ディ-ル派そしてル-ズベルト政府の中に多くのコミンテルン諜報員がいたのはうなずける話だ。マルクスそしてレ-ニンの理論は理想を求める人の頭脳には快く響く。自動的に資本主義は崩壊し、共産主義世界という万人平等で働かなくても喰える世界が出現するというのだから。マルクスレ-ニン主義は一見して論理的だが、その根底には人間個々人に対する過度な楽観があり、この楽観は容易に転じて人間不信大衆弾圧になる。
コミンテルン-ニュ-ディ-ル派-GHQという路線の延長上に世界でも稀なそして奇矯な「平和憲法」がある。コミンテルン陰謀史観には私も始めは懐疑的だった。およそ陰謀で歴史が作れるはずがないと単純に思い込んでいた。しかしある事実を知って私の考えは変った。ハリ-・ホワイトという人物がいる。彼はルーズベルト政権下で財務次官を務め第二次大戦後の世界経済体制であるブレトンウッズ体制創設に大きな影響力を発揮しケインズとも喧々諤々の議論を繰り広げた論客だった。このホワイトがマッカ-シ-委員会に喚問され心臓疾患で突然死したと言われていた。今日判明している限りでは死因は自殺だ。マッカ-シ-委員会とは、戦後急速に影響力を伸ばしたソ連あるいは国際共産主義の米国内での蔓延を防止するためにアメリカ議会内に造られた機関である。ホワイトの喚問と自殺の話を聴いて私はコミンテルンの影響力の強さを知った。
だから私は「平和憲法」は共産党が作ったものだと言う。コミンテルンの工作員で著明な人物がベトナム独立の英雄とされるホ-チミンだ。私の学生時代、米国はベトナム内戦に干渉し最大規模50万人を派兵した。当時米国はベトナムの独立を脅かしているとされ人気はさんざんだった。しかし今日振り返ってみれば米国の奮戦のお蔭でアセアン諸国の赤化(共産化)は免れた。当時インドネシアはソ連や共産シナに大きな影響を受け赤化寸前だった。もしアセアン諸国が共産化されていたら、米国はともかく日本のその後の運命は大きく変わっていただろう。現在のような豊かな生活はできず、もちろん言論の自由などありえなかっただろう。せいぜい現在のシナ程度の生活、悪くすれば北朝鮮のレベルになっていたかもしれない。「平和憲法」なるがらくたがどうして出現したのかを再考すべき時がきたようだ。コミンテルンを元凶とする戦後レジ-ムからの脱却をしよう。その時は現在を置いてない。
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