興味津々丸

日々の暮らしをそのまんま日記を書くように綴ります。

青葉通りの屋台

2009-02-11 07:11:43 | ノスタルジー
<仙台・青葉通りの屋台「喜楽」 83歳店主、閉店決意>という見出しの記事を見ました。もうすっかりなくなったと思っていましたが、青葉通りに3店今でも営業しているんですね。認識不足で申し訳ありません。

小生が学生時代や社会人に成りたての頃、仙台市内の至る所で屋台が営業をしておりました。時々お世話になっていました。駅前周辺、青葉通り、一番町、広瀬通り、勾当台公園の周辺、正確な記憶ではありませんが、西公園のあたりでも営業している屋台もあったような気がします。仙台の夜を彩る風物でした。

道路管理や食品衛生の観点から昭和40年に宮城県、県警、仙台市の3者が定めた[露店飲食店処理要項]により、公道上で露店飲食店を営業している人に限り、道路使用許可を出され、許可は一人につき1店となっているため、結果として営業は一代限りになるというものでした。

この記事を見て、ちょっと懐かしさが込み上げてきました。
お役人様が言われるように、道路管理上問題があると言えば、そうかもしれません。一斗缶に汲んだ水で洗うどんぶりは不衛生であると言われれば、そうでないとは言えないかもしれません。でも屋台って人情味があってよかったですね。若い小生は、屋台のおじさんやおばさんとの会話で癒されたもんです。

屋台のラーメン旨かったなぁ~。だしの浸みた熱々のおでんも旨かったなぁ~。受け皿にこぼれるもっきりのコップ酒、これまた旨かったなぁ~。

一番町のフォーラス(当時は日活の映画館)の向い、その頃、車道があったので向い側になります。そこで夕方から屋台開いていたおやじさんがいつも戦争の話を必ず始めるんです。あいずちを打ちながら、止め処の無い戦争の話を聞いて、「今日は金は要らないよ!」と言われ、ただ酒をご馳走になった事が何度かありました。嘘のようなほんとの話です。小さな武勇伝かな!

昭和40年代と言うと、オイルショックの前の好景気の頃ですから、小生の周りにも、今では信じられないような酒にまつわる武勇伝のひとつや二つ持っているやつって結構いますね。

それにしても、夜を彩る風物が、またひとつ消えていくのかと思うと、寂しいですね。

時代背景をかんがみれば、屋台文化と共に生きてきたのは、団塊の世代と言われる年代の青年の皆さんが多いんでしょうね。ちょっと偏った見方をしてすみません。

青葉通りで「喜楽」を営む磯チカさん、3月で閉店なさるそうですね。
本当に長い事ご苦労様でした。これからも元気で長生きした下さい。





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