興味津々丸

日々の暮らしをそのまんま日記を書くように綴ります。

仙台博物館

2017-06-03 17:56:46 | 歴史

たまには教養を貪るのも必要かも!?

 

仙台博物館にかみさんと二人で見学してみました。

 

 

 

見学を終えて館内にあるレストラン「三の丸」にて昼食を食べました。 

レストランの窓側の席から見える緑がいいですね。

 

小生は「日替りのランチ」

アップしてみます。

 

 

かみさんは「豚ロースカツ重膳」

向い合わせの小生の席から撮りました。 写真上が正面です。

 

意外とリーズナブルで旨かった!

 

頭には教養をたくさん食べました。

 

腹も頭もいっぱいになりました。 

 

        

 

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北山界隈

2014-07-07 17:40:44 | 歴史

仙台北山五山の古刹群、その落ち着いた佇まいに心和むひとときを過ごしてみました。 

曇り空ではありましたが、そう暑くもなくもちろん寒くもなく、雨が少し心配ではありましたが、凌ぎ易い天候に恵まれたので、数日前から拝観を心待ちにしていた輪王寺と資福寺に思い切って出掛けて見ました。思っていたよりも訪れている人が多くて驚きました。

 

輪王寺

ハナショウブ

残念ながら輪王寺のハナショウブは改修中で堪能できませんでしたが、輪王寺の庭園にて、心落ち着く素敵な刹那を享受できました。

 

資福寺

アジサイ寺とも呼ばれています。

今日は、輪王寺よりもさらにたくさんの人が境内の紫陽花を楽しんでおられました。

 

抹茶をいただきました。

ほぼ満席に近かったんですが、池と竹林を眺めながら抹茶をいただける最高の席が2つ空いていました。

涼やかな場所で竹林を前にいただく抹茶は最高でした。

いい時間と空間を与えていただきました。

邪念が払われ、心が洗われる思いでした。

 

時として、このような過ごし方もいいもんですね。

 

 

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三百年祭

2011-06-24 13:43:11 | 歴史

奥さんの実家(上山)よりご案内があり、先週の水曜日(6月15日)三百年祭に出席してまいりました。

内々の事なので詳しい話はさて置き、要するに1711年(正徳元年)、信州から上山に移り住んで定着した初代の命日が6月16日なんだそうです。今年三百年を迎えるにあたり現在16代目の家長がご先祖を供養する事になったんだそうです。

お墓に行って、お参りをした後、上山市葉山温泉の「彩花亭 時代屋」にて三百年祭の食事と相成りました。

1711年って、いったいどんな時代なんだろう。

調べてみました。

江戸時代、8代将軍、徳川吉宗27歳の年でした。

暴れん坊将軍、松健サンバと言えば、実感がわいてきます。

時代屋

帳場

お料理は、御献立を見てください。

さすが老舗の旅館のお料理、どれもこれも美味しくいただきました。

満腹食堂ではないので、お腹には、ちょっと物足りませんが…

デザートを食べ終わったところで、大浴場で一っ風呂浴びてきました。

やはり温泉の湯はいいですね。

癒されます。疲れが取れます。最高で~す。

 

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この人 誰?

2010-11-15 09:38:20 | 歴史
誰?



支倉常長様じゃ!

実は、「奥州・仙台おもてなし集団伊達武将隊」が勾当台公園・市民広場ステージにて演武を行った時に撮ったもの。

この姿、武将としては、えらい派手な出で立ちだったもんです。

遥か大西洋を渡った伊達男
サン・ファン・バウティスタ号に
御屋形様の夢を乗せ 遥か遠き欧州へ
ローマで貴族となりし 伊達男

洗礼名:ドン・フィリッポ・フランシスコ 

慶長遣欧使節団の副使、日本人のリーダーとして、1615年にエスパーニャ経由でローマに至る。ローマでは貴族に列せられたが、7年の欧州訪問はさまざまなトラブルに見舞われた。明治維新後、岩倉具視がイタリアで彼の書簡等を発見し、はるか昔の偉業に日本中が驚いたという。

7年振りに日本に帰ってきた支倉常長を待っていたのは、鎖国状態の日本であり、キリシタン弾圧の時代であった。キリスト教の洗礼を受けた常長にとっては、大変な世であった。

本物の支倉常長はどうであったかは知りませんが、伊達武将隊の支倉常長はなかなかひょうきんですぞ!

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真田幸村と片倉小十郎の歴史秘話

2010-11-02 06:50:40 | 歴史
昨今、歴女という言葉をよく聞くようになりました。

2008年後半あたりに生まれた言葉とされ、2009年NHK大河ドラマ『天地人』、カプコン『戦国BASARA』の影響等で、2009年からしばしば各メディアで取り上げられるようになりました。

2009年のユーキャン新語・流行語大賞にトップ10入りしたほどです。

関ヶ原の古戦場や城跡などに、歴女の観光客が増えているそうです。

ちょっとした武将ブームが巻き起こっているみたいです。

2009年(平成21年)の宮城県知事選では、広報用ポスターに本シリーズに登場する伊達政宗が使用されました。



歴女という言葉が発生した同時期に全国的にゆるキャラブームも起こっており、国宝彦根城築城400年祭のイメージキャラクターであるひこにゃんをはじめとする各キャラでの相乗効果があり、日本各地の史跡に多くの女性が訪れているそうです。

ゆるきゃらも全国各地でヒートアップしています。

武将の話に戻りますが、仙台市が今年「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」を編成し、宮城県内の観光地・イベントに出陣して、観光客などをおもてなししているようです。3月までというのがちょっと残念です。

武将の人気の上位に、我が伊達藩主「伊達政宗」、白石城主で伊達の家臣の鬼の小十郎とも呼ばれている「片倉小十郎」、伊達藩にゆかりのある「真田幸村」などがおります。

前置きが長くなりましたが、河北新報に「真田幸村と片倉小十郎、秘められた歴史」が掲載されました。

どういう内容かといいますと、幸村は大坂夏の陣(1615年)で自ら徳川家の本隊に突撃。本陣を総崩れにするほど活躍したが戦死し、長男幸昌も自害したため幸村の家系は途絶えたと伝えられてきたのですが、徳川方についた伊達家の重臣で白石城主の片倉小十郎重綱が、幸村の次男大八をひそかに引き取って養育したそうなんです。このエピソードはあまり知られてこなかったようです。伊達家は大八が幸村の血縁であることを秘密にしたまま家臣とし、蔵王町東部の矢附(やづき)、曲竹(まがたけ)に領地300石を与えたとか。両地区には今なお、幸村ゆかりの子孫が数多く暮らしているというということです。

宮城県蔵王町は、「日本一の兵(つわもの)」とたたえられた名将真田幸村の血縁である仙台真田氏の知名度向上のため、6、7の両日には「ふるさとの歴フェス 仙台真田2010IN蔵王」と銘打った歴史イベントを開催するそうです。

歴女の皆さんだけでなく、歴史に関心のある方にとって、興味のあるイベントだとおもいます。ひょっとしたら、伊達武将隊も応援に現れるかもしれません。現代版戦国絵巻が見れるかもしれません。

歴史の大きな流れは、学校でも習ったので知っているんですが、あまり語り継がれていない小さな歴史には、なんとも興味をそそられますね。


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