廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

70年代は死の時代

2021年06月30日 | Jazz LP (70年代)

The Thad Jones / Mel Lewis Quartet  ( 米 Artists House AH-3 )


こんなレコードがあるなんて知らなかったが、1977年9月24日、マイアミのエアライナー・ラウンジでのライヴ演奏。サドメルがカルテットとして
レコードを作るのはこれが初めてだったらしい。ハロルド・ダンコがピアノ、ルーファス・リードがベースを受け持つ。

スダンダードをリラックスした雰囲気で演奏するという気負ったところが何もない内容で、彼らの日常の一コマが切り取られたような
微笑ましいものだ。ただ、サド・ジョーンズは音程も怪しいし、音量も豊かとは言えず、演奏家としての最盛期はとうに過ぎている感じで、
あまり楽しくない。ダンコやリードの演奏はすごく上手いけれど、音楽全体としては弛緩しており、正直言って退屈だ。聴いているうちに
途中で知らないうちに眠ってしまっていた。

こういうのはライヴ会場で一過性のものとして聴くべきアクトである。目の前で彼らの生の演奏を見れば個々の演奏の上手さを堪能できそうだし、
そうすればそれなりに楽しい時間を過ごすことができると思うが、これをレコードとして繰り返して聴くかと言えば、「ノー」だろう。
そういうタイプの音楽って、あるものだ。





Chuck Folds / S/T  ( 英 RCA LFL 5064 )


ネットで調べたが情報はほとんどない。1979年8月11日付けのニューヨーク・タイムズの片隅に載った小さな新聞記事の切れ端や
その他のいくつかの小さな記述などから、バック・クレイトンやワイルド・ビル・デイヴィソンらのグループに時々参加して、
古いスタイルのピアノを弾いていたらしい。晩年はスイート・ベイジルなどにも出ていたようだが、なにせレコードがほとんど
残っていないのだから、どういうミュージシャンだったかは知りようがない。

リチャード・デイヴィスがベースを弾いていることと、このジャケットからプンプン臭うB級の匂いに惹かれて手にしたが、
これと言って何か言及するべきことがある内容とは言えない。悪い演奏ということではないが、これと言って聴き所はない。

1曲だけバド・フリーマンが客演していて、テナーとソプラノを途中で持ち替えながら演奏しているけれど、これも起死回生の1打には
ならず、残念な感じで演奏は終わる。録音はされたが、レコード制作はイギリスでのみ行われ、アメリカでは発売されなかった。
発売したところで、売れる見込みなどなかったのだろう。


これら2枚は共に70年代後半に録音された演奏だが、ここからわかるのは、この時代のアメリカの主流派は死んでいたということだ。
かつての演奏家たちは、ある者は亡くなり、ある者は仕事を求めて欧州へ逃れ、ある者は楽器を捨てて別の職に就いた。
この時代は何と言ってもロックの時代である。人、金、モノのすべてがロックの世界に集中し、ジャズは見捨てられた。
ある意味で、これらのレコードはその裏記録のようなものかもしれない。どんなレコードからも学ぶべきことはあるということだろう。



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甦った音色

2020年06月13日 | Jazz LP (70年代)

Lee Konitz / Jazz A Confronto 32  ( 伊 HORO Records HLL 101-32 )


60年代終わり頃になるとアメリカではジャズの仕事が無くなり、行き場を失ったジャズメンは生活に窮するようになる。そのため、副業を持っている
ような人を除き、多くのミュージシャンたちが欧州で仕事をするようになる。それは、リー・コニッツのような巨匠ですら例外ではなかった。

幸いなことに欧州には芸術を愛する人が住んでいて、人種差別もアメリカほど酷くなく、本場のジャズミュージシャンたちは敬意をもって扱われた。
そのため、70年代の欧州ではジャズのレコードがたくさん作られている。80年代に入ると主流派ジャズは復興するので、彼らは活動拠点を再び
生まれ故郷に戻すようになるが、それまでは欧州で何とかやっていた。

コニッツもこの時期に欧州でレコーディングを行っているが、このイタリアものはとても素晴らしい。コニッツはストーリーヴィル盤で吹いていた
音色で演奏している。コニッツは初期はクールな音色一辺倒で、後期はその魅力がなくなった、と一般的には言われるけれど、これは単なる誤解
である。プレスティッジやストーリーヴィルのレコードをよく聴くと、彼は楽曲毎に吹き方を変えていて、実際は音色もバラバラだ。その中の
ノンビブラートのひんやりとした部分だけが強く印象に残ってそう言われているに過ぎない。

その代表的な音色がここでは復活している。録音状況の違いで冷たくぼやけたような印象はないけれど、音色の質感は間違いないくボストンの
レーベルで吹いていた頃のものと同一である。ピアノレスで、ギターが弱音で上手くサポートし、ピーター・インドのベースがよく歌っている。
全員がいわゆるトリスターノ・マナーに沿った演奏を再現しており、正にストーリーヴィル時代のアルトが甦った演奏をやっている。
聴いてみないとわからないものだ。

おまけに、このレコードは音質も良く、安定した音場を保証してくれる。このレーベルのこの共通デザインジャケットには食指が動かないけれど、
内容は折り紙付き、私が保証する。


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前衛派の本音

2020年04月18日 | Jazz LP (70年代)

Chico Freeman / Spirit Sensitive  ( 米 India Navigation IN-1045 )


70年代後半という時代は、若い黒人がジャズ・ミュージシャンとして一旗あげるには前衛ジャズをやらざるを得ない、そういう時代だったのでは
ないだろうか。特に、シカゴで生まれ育った場合、それは避けようがない環境だったに違いない。好むと好まざるにかかわらず、物心ついた頃
にはすでに自分の家に置かれた家具のように、当たり前にそういう状況に取り囲まれていたんだと想像できる。

だから、チコ・フリーマンが前衛派として頭角を現したのも当然の成り行きだったのだと思う。でも、この人はある時期に前衛派から降りて、
その結果「牙が抜けた」と酷評され、ファンから見放されて、やがては過去の人となった。芸能というのは難しい。

でも、まだ全盛だった時期に急にこういうアルバムをリリースしていることからもわかるように、本人の中には迷いがあったのではないだろうか。
おそらくはアルバム・セールスのことを考えてのことだったとは思うけれど、それにしてもここまでストレートなバラード・アルバムが出てくるとは
誰も考えなかっただろう。前衛の人がたまに作るこういう作品には、どこか部分的にはフリーキーな要素が混ざるのが常だけど、このアルバムには
そういう箇所は皆無で、100%ピュアなバラード・アルバムとして徹底されている。

彼のテナー奏者としての技術力の高さが実感できる内容で、これは本当に上手いテナーだと理屈抜きでわかる。そういうテナーを当時の一流メンバー
が支えるのだから名盤になるのは当たり前で、尚且つレコードとしても極めて音質がいいから、これは必携の一枚。70年代のジャズが嫌いな人も、
さすがにこれは褒めることになるだろう。中でも、セシル・マクビーのベースは圧巻だ。

涙なしには聴けない "Close To You Alone" は、アート・ペッパーと双璧を成す名演。とても余技として作った作品だとは思えるはずもなく、
こちらが本音だったのではないか、と勘繰らざるを得ない。


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ジャズへの敬意

2020年04月15日 | Jazz LP (70年代)

Buddy Tate Meets Dollar Brand  ( 米 Chiaroscuro CR-165 )


アート・ペッパーの "ミーツ・ザ・リズム・セクション" と同じ構造を取ったアルバムで、当時の第一線で活躍していたピアノ以下のメンバーが、分野の
違うサックス奏者を迎えて、その音楽性に合わせて録音した傑作。ペッパーの方はベテラン3人が若いアルトを大きく支えたが、こちらは若い3人が
老齢のサックスの後をついていく逆の形になっている。

ダラー・ブランドらがバディ・テイトの一挙手一投足を常に注意深く見ながら、彼の音楽に懸命に合わせて演奏している様子が手に取るようにわかる。
大先輩に無理強いをするのではなく、あくまで彼のスタイルに自分達を溶け込ませていく姿勢が素晴らしいし、これが非常にうまくいっている。
このアルバムのいいところは、4人が懐古調の演奏にならず、あくまで1977年当時の感性でメインストリームのジャズを演奏できているところだ。
古いタイプのジャズを現代の感覚できちんと演奏することで、ジャズという音楽へ敬意を表したのではないだろうか。

バディ・テイトはアート・テイタムと共演したベン・ウェブスターのようなゆったりとした大らかな演奏に終始しており、そういう演奏をすることを
可能にした3人のリズム・セクションは立派である。ピアノは多くを語らず、立場をわきまえた演奏をしており、テナーにスポットライトがあたる
ようにしている。そういう心遣いに溢れているのがひしひしとよくわかる。セシル・マクビーのベースも期待通りの粒立ちのいい音で音楽を支えて
おり、音楽が活き活きとしている。

収録されたスタンダードがディープな情感溢れるバラード演奏となっていて、これが強烈な印象を残す。テイトにはバラード・プレイヤーの印象は
ないけれど、ベテランの風格漂う貫禄の演奏をしている。

そして、何よりこのアルバムを名盤に押し上げているのが音質の良さだ。このレーベルのことはよく知らないけれど、ビックリさせられるような
高音質で、とても77年制作のアルバムだとは思えない。楽器の音が生々しくクリアで、残響もうまく捉えられていて、とにかく驚かされる。


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キース・ジャレットの師匠

2020年04月12日 | Jazz LP (70年代)

John Coates.Jr / Alone And Live At The Deer Head  ( 米 Omnisound N 1015 )


キース・ジャレットが唯一影響を受けたピアニスト、として有名になったジョン・コーツ Jr だけれど、本人的にはこういうのはどうなんだろう。
キースは1人でよくこの人のライヴを観に行っていたというし、わざわざECMからこの Deer Head Inn でのライヴ盤をリリースしているくらいだから、
相当な想い入れがあったのは間違いないようだ。

実際に聴いてみると、どこからどう聴いてもキース・ジャレットにしか聴こえない、というか、キース・ジャレット以上にキース・ジャレットらしく
聴こえる訳だけれど、コーツ本人はキースの演奏を聴いたことがなかったとも言われている。まあ、本当かどうかはわからないけれど(こういう話は
よくあるので)、もし本当なんだとしたらこれも相当頑固な話である。

収録された楽曲のすべてがコーツ本人のオリジナルで、ソロ・ライウで、アメリカのフォーク音楽が土台になっていて、ということで、これはまんま
ケルン・コンサートのデラウェア版という感じだ。発売時期も隣接していて、片やワールド・ワイドでエヴァーグリーンな歴史的ビッグ・セールス盤、
もう一方は片田舎のローカル・マイナー盤、それでいてどちらも同じルーツとスピリットから生まれた素朴なアメリカン・ミュージックだという
この奇妙な既視感は一体何なんだろうと思う。

結局のところ、キースがECMでやろうとしたのは、自身のアイデンティティーであるアメリカの大衆音楽(フォーク音楽やジャズのスタンダード)
のヨーロッパ大陸他への壮大なカウンター・アタック劇だったんだなあ、とこれを聴きながら思うことになる。

このアルバムがリリースされた77年と言えば、アメリカへの幻滅を歌った "Hotel California" が世界を席巻していた年。そんな頃に、B面2曲目の
"Homage" のような幻想的な曲がペンシルベニアの田舎町でひっそりと鳴っていたんだなあと思うと、不思議な気分になる。


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アルバム・タイトルに偽りあり

2020年03月28日 | Jazz LP (70年代)

Zoot Sims / Zoot At Ease  ( 米 Famous Door HL-2000 )


後期ズートの最高傑作はこれだろうと思う。時折、無性に聴きたくなる。捨て曲なし、とは正にこのアルバムのことだ。

私がこのアルバムを凄いと思うのは、ここで鳴っている音楽が持つ、ある種の独特の暗く殺気立った雰囲気だ。このアルバム・タイトルは内容に
合っていない。後期のズートは全体的にリラクゼーションの塊のような言い方をされることが多いけれど、私にはそうは聴こえない。
この人は若い頃はレイドバックしていたけれど、歳を重ねると独特の陰影を帯びた音楽をやるようになったと思う。ちょうど、チェット・ベイカーが
そうだったように。

特に、このアルバムはズート以外のメンバーもズートのそういうところに影響されて、かなりシリアスな演奏をしている。70年代に入ると、ジャズ
ミュージシャンたちの演奏もかなりロックの影響を受けて、それまでのありきたりの4ビートのノリでは演奏しなくなる。ここでの演奏はもちろん
主流派のそれだけど、感覚的には時代が変わりつつあるのがわかる。そういう全体の雰囲気がうまくブレンドされて、特別な内容になったのだと思う。
このピアノをブラインドで聴いて、ハンク・ジョーンズだとわかる人はいないだろう。

ソプラノの演奏もキレが良く、スピード感がある。主流派の古参がやる懐古的な演奏ではなく、みずみずしい感覚で素晴らしい。そして、それと
対比するかのようにテナーの音色が硬質でずっしりと重く、この見事なバランス感がアルバム全体が単調なものになるのをうまく回避している。

私は Al & Zoot の音楽は退屈だと思うけれど、コンビを解消して再びソロで吹き込むようになったステレオ期のズートがやった音楽は本当に
素晴らしいと思う。冒頭の "朝日のように" の疾走感は圧巻だし、 "InThe Middle Of The Kiss" はこの人にしかできない語り口で聴かせる最高の演奏だ。
ズートが吹く "Rosemary's Baby" の物悲しいメロディーを忘れることができる人なんて果たしているだろうか。

イージー感やリラックスとはおよそ無縁の、いい意味での緊張感に溢れる素晴らしい音楽を全身に浴びたい時には最高のアルバムだと思う。

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まさに野生のバラという雰囲気

2020年03月14日 | Jazz LP (70年代)

Dollar Brand / Sangoma ( カナダ Sackville Recordings 3006 )


見かけると、つい、拾ってしまうダラー・ブランド。350円、と人気の無さはトップクラスだ。こういうのは、買取価格は50円である。
いまどき50円で売買契約が成立するものなんて他にあるだろうか。

冒頭の "The Aloe And The Wildrose" に魅せられる。欧州のジャズピアニストが弾きそうな雰囲気の曲だ。この人の出自である南アフリカという要素は
影を潜め、歴史ある古い街並みを1人で物思いに耽りながら逍遥するような美しくも内省的な楽曲。それを適度な抒情感で弾いている。このくらいの
気持ちの入れ方で弾いてくれるのがちょうどいいと思う。

ピアニストにとってソロ・ピアノはごまかしようのない様式だから、表現意欲の高い人は好んでソロ・ピアノ作品を作る。その押し付けがましさと
うまく付き合えるかどうかで作品への評価も変わってくるが、キースほど巨大な渦で聴き手を巻き込んでくることはなく、世界の片隅で1人孤独に
弾いている感じが私にはちょうどいい距離感だ。

心酔するエリントンやモンクへ捧げた曲もあるが、この人のピアノにはさほど2人からの影響は見られない。奏法そのものへのこだわりよりは、
音楽性への共感が強かったのだろうと思う。自身の個性を強固な土台として音楽を創り上げていったところに、その影響があったと思う。

作品数が多く、全容を把握するのは骨が折れるけれど、裏を返せば気長に聴いていけるアーテイストということだ。このレコードは音質も良く、
非常に楽しめる内容だ。とっつきにくい印象があるかもしれないが、この人の演奏は非常にわかりやすい。これからもボチボチと聴いていきたい。


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自我を語り出した音楽家たち

2019年03月27日 | Jazz LP (70年代)

Abdullah Ibrahim Dollar Brand / Autobiography  ( スイス Plainisphare PL 1267-6/7 )


1978年のニヨン・ジャズ・フェスティバルでのライヴ演奏を収めたもので、1983年に2枚組としてリリースされている。 「自叙伝」というタイトル通り、
自己のルーツであるアフリカ音楽をベースにしたソロ・ピアノで、敬愛するエリントンやモンクを途中で挟みながら、祈りや讃美歌へと回帰していく。
こう書くと何やら重苦しい感じだけど、音楽自体は非常にメロディアスでなめらかに演奏されていて、すごく聴き易い。 難解さはまったくなくて、
そもそもが真面目に取り組まれているから、初めて聴いた時はその真摯さに感銘を受ける。 そして、キースのソロ・ピアノとの類似に気が付く。
メロディアスなところなど、共通点も多い。 そこに思い至ると親近感も湧き、案外愛聴盤として手許に置く人も出てくるのではないだろうか。
見かけは取っ付きにくいけど、とてもいい内容のアルバムだと思う。

と、ここで話が終わればハッピーなんだけど、何度も聴いていくうちに、こういう風にジャズの演奏家が音楽を超えて自我を語り出すようになったのは
いつ頃からだろう、という疑問が出始める。 何となくこの手の饒舌なソロ・ピアノと言うのはキースの専売特許のようなイメージがあるけれど、
調べてみると、"Bremen / Rausanne" も "African Piano" も73年に演奏されている。 どうやらこの頃からジャズの演奏家は音楽そっちのけで、
自我を語り出すようになったようだ。 そして、聴衆もそっぽを向くどころか、熱烈に歓迎し始める。 73年と言えば、マイルスの下を去ったハービーが
"Head Hunters" を出して大ヒットさせた年で、マイルスは自信作だった "On The Corner" が思うように売れず、最初の引退の一歩手前の状態だった。

彼らはなぜこの時期に急に自我を語り始めるようになったのだろう。 個人的な音楽を大手を振って始めた元祖はコルトレーンで、それが下地になって
いたのは間違いないけれど、彼が亡くなってかなり時間を置いたこの時期になぜ?というのがどうもよくわからない。

自我を饒舌に語ることの危うさには常に気を配り、警戒を怠らないようにすることだ。 これは表現者にとっては甘美で危険な罠である。 演奏家が
これに手を染めた場合、聴き手はどこまでの距離感で向き合えばいいのかに迷う。 ダラー・ブランドを聴いていて感じるある種の居心地の悪さは、
この迷いが原因だ。 彼のピアノには彼自身の音があり、強い感銘を受ける。 彼の紡ぐ旋律はメロディアスで郷愁的で、そういう面にも感激する。
でも、他の演奏家の音楽には感じないその戸惑いが、私の中で感動が拡がっていくのを阻害しているような気がする。

不思議なことにダラー・ブランドの音楽は外形的にはキースの音楽に似ているが、実際にダラー・ブランドを聴いていて思い出すのはキースではなく、
セシル・テイラーなのである。 ダラーの音楽はキースには繋がっていない。 寧ろ彼はテイラーの息子なのである。

キースは最終的に "スタンダーズ・トリオ" という形で音楽家としての落とし前をつけることができたけど、ダラー・ブランドはどうだったのだろう。
最後まで "アフリカの声" から逃れることは出来なかったのだろうか。


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凛として鳴るピアノ・ソロ

2018年06月23日 | Jazz LP (70年代)

Paul Bley / Axis ( Solo Piano )  ( 米 Improvising Artists Inc IAI 37.38.53 )


迷いの生涯だったのかな、と思う。 一般論としての「人生は迷いの連続」というような話ではなく、この人の音楽の軸はどこにあったのだろうといつも
思うけれど、結局のところはよくわからない。 そのカタログを見ると、常に何かを探して彷徨っていたような無軌道とも思えるような軌跡が描かれている。

このアルバムの中にも様々な季節のシークエンスが幾度となく出てくる。 A面の "Axis" という自作の大曲もピアノの弦を弾くノイズから始まるけれど、
次に現れるのは2コーラスのブルース・ラインで、その後はフォーク調の断片も混ぜながらの現代的なインプロヴィゼーションになっていく。
様々な心象風景のようなものが現れては消えて、を繰り返しながら、やがて曲はクローズする。

B面はガーシュインの "(I Loves You,)Porgy" で始まるけれど、こちらも時々ブルースやフォークタッチなフレーズを持ち出しながら瞑想の森に入っていく。
まるで、後でちゃんと帰って来れるよう、目印の白い小石を道端に置いていくかのように。 

バップ系としてスタートしながらもフリーへ行ったり、電化へ行ったり、耽美系へ戻ったり、モンク風だったり、と振れ幅の大きい作風の中で、彼自身の
ピアニズムはどこかに置いてきぼりのまま進んでしまっているような印象があった。 普通、楽器を演奏する人は誰もがその人だけの音色やスタイルを
持っていて、一聴すればすぐに誰の演奏かがわかるものだが、この人のピアノにはそういうものが希薄というか、聴いてすぐにこれはポール・ブレイだと
わかるようなところがなく、どうもピアニストとしての魅力に欠ける人だと思っていた。

でも、そういうあっちに行ったりこっちに行ったりしている最中に、ふと何気なく残されたこの静謐なピアノ・ソロは彼のピアノが寂し気でありながらも
凛として鳴っていて、心を持っていかれる。 初めて彼のピアノをまともに聴いた、という気持ちにさせられた。


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ハードボイルドな名ライヴ

2018年04月08日 | Jazz LP (70年代)

Joe Henderson / At The Lighthouse, "If You're Not Part Of The Solution, You're Part Of The Problem" ( 米 Milestone MSP 9028 )


ウディ・ショウ、ジョージ・ケイブルスのエレピ、という如何にも70年代的な熱の籠った演奏で、特にベースとドラムのべっとりとしたビートに
エレピがまとわりつき、その上を管楽器が刹那的に流れてハードボイルドな雰囲気を醸し出す。 B1の "If You're Not Part Of he Solution,・・・" の
カッコよさは格別だ。 夜のサンフランシスコの街をハリー・キャラハン刑事が車で犯人を追い駆ける光景が目に浮かぶ。 懐かしき70年代。

ウディ・ショウのラッパの音が大きく目立つ中、ヘンダーソンは硬質な音で速いパッセージをたくさん交えながら朗々と吹いていく。 対照的な
サウンドの2つの管楽器のバランスがいい。 ヘンダーソンは難しく重たいフレーズを吹く割にはリズム感が良く、全体のスピードに乗り遅れたり
することがなく、非常に上手く音楽に溶け込んでいるところが凄いと思う。  サックスの演奏の収まりがよくて、難解さをまったく感じない。
そこがいいんだろうと思う。

ライヴ演奏なので個々の演奏の弾け方を愉しむのが本来だろうけど、このアルバムはそれ以上に音楽的な纏まりが良く、何より全体がカッコいい。
だがら、各部品をバラバラに聴くのではなく、一歩引いて全体を丸ごと愉しむのが一番いい。 リズム隊が熱を帯びながらも破たんせずに冷静に
リズムをキープし続けているので、それが音楽全体を纏まりいいものにしているのだと思う。 そういう意味で、このアルバムが成功しているのは
このリズム隊に拠るところが大きい。 アート・ファーマーがコロンビアに残したライヴ盤と雰囲気がよく似ている。

それにしても、東京の街を毎週1~2時間ぶらつくだけで、ジョー・ヘンダーソンのめぼしいアルバムが安価で立て続けに手に入れることが
できるのだから、この街は改めて凄いと思う。 狭い立地も幸いして短時間で効率よく、狙った獲物を確実に仕留められる。 
レコード漁りには最高の街だ。


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迷いのない晩年の傑作

2018年03月24日 | Jazz LP (70年代)

Joe Henderson / An Evening with Joe Henderson, Charlie Haden, Al Foster  ( 伊 Red Record RR 215 )


最初に驚かされるのは、演奏の前にこのレコードの音。 我が家の部屋の中で演奏されているみたいな音でビビってしまう。 ヘンダーソンの管の
鳴りっぷりがあまりにリアル。 チャーリー・ヘイデンの弦のビリつきがリアル。 久し振りに「原音再生」という言葉を思い出した。 
スピーカーから溢れるように流れ出す音の粒子の細かさや濡れたようなみずみずしさが他の音盤とは違う。

ヴァンガードのライヴと同様のピアノレストリオのライヴだが、一番の違いはベース。 チャーリー・ヘイデンはオーネットとやっていた頃と
比べると明らかに演奏のキレが落ちているけれど、それでも持ち味である重低音を重く響かせ続けるところは健在で、これがベースらしくて
実に気持ちがいい。
この演奏を聴くと、ロン・カーターのベースラインが如何に音程が甘くて、フレーズの腰の高さが音楽を軽いものにしているかがよくわかる。 
尤も、ヘイデンのソロパ-トは相変わらず面白味がなく、ここはカーターと大差はないように思う。

音質の張りの良さとベースの重量感とアップテンポの曲で固められているというところがヴァンガード録音とは違うため、こちらのほうが生き生き
している印象を与える。 ただ、これはヴァンガードでの演奏が評判になったからこその同様のフォーマットであり、前作よりも演奏がこなれている
のはある意味当たり前かもしれない。 前作はトリオ形式の感触を探るようなところがあったけれど、こちらではそういう用心深さは見られない。
ヘンダーソンの音には張りと艶があり、フレーズにも自信が漲っていて、このテナーサックスとしての説得力の強さはマイケル・ブレッカーなんかを
連想させる。

とてもナチュラルな現代的モダンジャズで、何の力みもなければ野心も感じない。 自分の中から滾々と湧き出てくる何かを無心でテナーの
フレーズに置き換えていくような純度の高い演奏で、これを聴いていると60年代に彼がやっていた新主流派と呼ばれたあの音楽は一体何だった
のだろうと考えてしまう。これを聴いた多くの人がジョー・ヘンダーソンの復活を確信したのは間違いなく、晩年の傑作としてこれからも
静かに語り継がれていくのだろう。そういう "本物感" を実感するレコードだった。


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アール・ダントって、誰?

2018年03月10日 | Jazz LP (70年代)

Art Lande / The Eccentricities Of Earl Dant  ( 米 1750 Arch Records S-1769 )


週末の仕事帰りに拾った安レコ。 アート・ランデは数年前にECM盤を聴いたはずだけど、内容を全然憶えていない。 あまりピンとこなかった
んだろうと思う。その時の雪辱をはらすべく持ち帰ってきた。

ソロ・ピアノによるスタンダード集だが、副題に Improvisations という言葉が使われていて、フォルムを大胆に崩した抽象画を目指したような
感じらしい。どんな演奏が展開されるのだろうと楽しみに聴き進めていくと、あちこちに古いラグタイム調のフレーズが出てくる。 
楽曲の主旋律もストレートに挟まれて、前衛的な演奏なのかと思いきや、そういう音楽にはなっていない。 手法的にはモンクのアプローチに
似ていて、それをもう少し推し進めた程度の崩し方だった。案外伝統的な古い音楽の感覚が抜けきらない人なんだな、ということがよくわかる
演奏だ。

そう思いながら裏ジャケットを見ると、テディ・ウィルソン、パウエル、ピーターソン、モンクらに捧げる、という本人の記述があり、そういうこと
なのか、と腑に落ちる感じだった。 偉大な先人たちの音楽の洗礼を受けた自分が、1977年当時の心情でソロ・ピアノを弾きました、という作品
なのだ。

聴く前から前衛チックな音楽を期待して入ったから最初の感想としては肩透かしを喰らった感じがしたが、そういう先入観を排して再度聴き直して
みると、もっとこの演奏の良さがわかってくる。 芯のある硬質な音で表現される楽曲は、例えば "I've Grown Accustomed To Her Face" で
見られるように、どんなに構造を崩してみてもその楽曲が元々持っている魅力が損なわれることはないし、そういう音楽としての魅力が演奏の
振れ幅の大きさを許容するのだ、ということもわかってくる。 そういうことがわかっているからこそ、ジャズ・ミュージシャンはギリギリの
ところまで枠を拡げようとし続けるんだなあと思う。

それに、このレコードはなかなかしっかりとしたいい音で鳴る。 残響でごまかそうとせず、ピアノの音に何も手を加えずに録ったものを
できるだけそのまま再生しようとしている感じだ。 70年代に入るとピアノの音が少しずつよくなってくるのを実感するけど、これもそういう
1枚かもしれない。


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ハーモニカの美音

2017年11月13日 | Jazz LP (70年代)

Toots Thielemans / Captured Alive  ( 米 Choice Records CRS 1007 )


新宿やお茶の水のようなジャズ専門館は年末セールという嵐の前の静けさで中古の動きがまったくなく、行くだけ無駄の状態。 こういう時は
目先を変えて下北沢に行ってみたりする。 ここはジャズの在庫数は少ないので日参する必要がなく年に1~2回しか行かないけれど、場所柄か
客層が他店とは違うので、新宿なんかじゃ見かけないようなものが転がっていたりするから、たまに行くと面白い。 6枚試聴して、2枚拾って
来た。 無論、安レコである。

トゥーツがジョアン・ブラッキーン、セシル・マクビー、フレディ・ウエイツのピアノトリオをバックにハーモニカ1本で臨んだストレートジャズ。 
如何にも70年代のアメリカジャズのメンツが揃った中で、ホーナーのハーモニカの美音が宙を舞う。 トゥーツの音は形容し難い切なさで鳴る。
ピアソラのバンドネオンやウラッハのクラリネットのように、楽器から流れてくる音色にはどうしようもないほどの哀しみが満ちている。 
そういう特別な音を鳴らすことのできた人が昔はいた。

このレコードは音が良くて、トゥーツのハーモニカの音がとてもクリアで生々しく録られている。 余計な残響は付けず、楽器本体の鳴っている
様子のみにフォーカスを当てたような音だ。 トゥーツの音に音像の中心が当たっているので、これがとてもいい。

バックのトリオはこの時期らしい中庸なジャズのスタイルで、そこにトゥーツの繊細な感性が混ざり合い、独特な雰囲気を作るのに成功している。
ハーモニカは決して無理したアドリブフレーズに走ることなく、自身の美音さを誇るかのように進んで行く。 これには黙って聴き惚れるしかない。

ジョニー・マンデルの "I Never Told You" というバラードが切ない。 選曲のセンスも抜群で、これはいいレコードだった。


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おっさんの純情

2017年10月22日 | Jazz LP (70年代)

Shirley Scott / Oasis  ( 米 Muse MR 5388 )


CDを聴いて良かったらレコードも買ってしまうというのは、我々おっさん世代特有の現象なのかもしれない。 つまり、CDというのはあくまで
かりそめの姿であり、正しくはレコードで聴くもの、という意識がどこかにこびりついている。 しかも、2000年以前の録音については
レコードの方が音がいいものが多い、という面倒くさい話もある。 ストリーミングやダウンロードで音楽を聴くことが普及すると、
CDというのはデータを貼り付けたただのボードじゃん、という認識が進み、ますます有難みが薄れていったりする。 だからそれが高じて、
最近の録音物はCDの音が良くなっていてアナログとの差はないのに、つい同じことをしてしまう。

そういうおっさんの純情を弄ぶかのように、先行リリースはCDのみでアナログ発売は数か月後にずらしたりして、しかもそこにはダウンロード用の
コードが付いていたりするもんだから、気が付くと3種類の音源が手許に残っていて、俺は何をやってるんだと首を振ることになる。

この作品は何年か前にCDで聴いて内容の良さに驚いて愛聴していたが、最近になって安レコを見つけて聴いてみたらCDとの音質のあまりの差に
愕然とした。1989年録音なのでレコードのプレス枚数がもともと少ない上に、シャーリー・スコットのレコードなんて日本では誰も買わないから、
これが流通量が少なくて意外にも入手困難盤になっている。 レコードで聴いてしまうと、もうCDには戻れない。

これは極めて上質で品が良くカッコいいモダン・ハードバップの傑作。 何と言っても、冒頭の "Oasis" が刑事物の映画のテーマ曲にピッタリ
くるようなビターな味わいと深い哀愁を湛えた名曲で、これがカッコいい。 シャーリー・スコットのオルガンはアーシーやファンキーとは無縁の
穏やかな雰囲気で、これが都会の夜の雰囲気を濃厚に醸し出している。 サックスやトランペットも音数少なく大人の表情で、クールで苦み走った
雰囲気がやたらとカッコいい。シャーリー・スコットがオルガン・トリオで弾くスタンダードもスマートで洗練されていて、アルバム全体がこのまま
サウンドトラックに使えそうな雰囲気だ。

レコード売り場のCDとレコードの設置面積が逆転したこの時期にリリースされたレコードは、安価だが弾数が少なく、なかなか見つからない。 
こうやって猟盤の新たな愉しみが増えていくのだ。


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渡辺香津美とドストエフスキー

2017年07月02日 | Jazz LP (70年代)
先週拾ったアルバムたち。 ギターものが相変わらず多いなあ。



Martin Taylor / Taylor Made  ( 英 Wave Records WAVE LP17 )


どう見ても渡辺香津美とドストエフスキーがセッションしている絵にしか見えないんだけれど、これはマーティン・テイラーのデビューアルバム。

マーティン・テイラーは若くしてスーパー・ギタリストの仲間入りを果たしたテクニシャンでその上手さは折り紙付きだが、すでにデビューの時点で
完成されていたんだということがわかる。 なめらか過ぎる運指、正確でまったく崩れないリズム感、濁りのないきれいな音、どれをとっても
完璧すぎる。過去のジャズ・ギター・マスターたちの流れには乗っておらず、むしろアル・ディ・メオラとかジョン・マクラフリンなんかの系統のほうが
近いと言っていい。当時の英国でピーター・インドやアイク・アイザックらが強力に後押しして驚異をもって迎えられた興奮が伝わって来る。

何となく自主レーベルのような雰囲気を醸し出すジャケットだが、これが驚きの高音質。 音圧高く、楽器の音もヴィヴィッドでクリアー。 
ピアノレスのスタジオ録音でスタンダード集という普通の入れ物に見えるが、中身は新しい時代のギター・ジャズになっていて、そのギャップが
面白い。ピーター・インドのベースもとても良くて、こんなにいいベースを弾く人だとは知らなかった。 




Jimmy Raney / Wistaria  ( 蘭 Criss Cross Jazz Criss 1019 )


トミー・フラナガン、ジョージ・ムラーツをバックにしたギター・トリオで、平均年齢が高いにもかかわらず驚くほどみずみずしい演奏だ。
マーティン・テイラーの後に聴くと、よりそれが実感される。 上手ければそれでいい、ということではないのだ。 

ドラムスがいないにもかかわらず3人のリズムは乱れることはなく、一体感を保ちながら音楽が最後まで進んでいくところがすごい。 
そういう至芸の極みがクリス・クロスの高品質な音で再生される。 このあたりのレコードは今は安レコとして流通しているけれど、いずれは再評価
されてその価値が見直されるような気がしてならない。 買うなら今のうちだろうな。


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