廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

短い季節の中で

2021年04月18日 | Jazz LP (Riverside)

Ernie Henry / Presenting Ernie Henry  ( 米 Riverside RLP 12-222 )


この3ヶ月、ジャズのレコードは結局1枚も拾えず、正に緊急事態でこれが長引いている。最近はもうジタバタしてもしかたがない、と
諦めていて、ジャズからは少し距離を置いている。手持ちの少ないレコードを、たまにターンテーブルに乗せる程度の日々。
このアルバムも頻繁に聴くということもなく眠っていたが、こういう機会に久し振りに聴いてみた。

Matthew Gee のセッションへの参加でレコーディング・デビューを果たした翌日に、この自身の初リーダー作を吹き込んだ。
レコード番号も繋がっていて、ジャケットの雰囲気といい、Gee のアルバムとは双子のような印象がある。
ドーハムら、リヴァーサイドお抱えの手練れたちにしっかりと支えられながらの演奏で、音楽的には手堅く纏まっている。
層の薄いアルトサックス奏者の中で将来を嘱望されたが、交通事故で31歳で亡くなってしまったのは何とも残念だ。

ソロ・スペースはドーハムの方が長く、本人はまだまだ不慣れな感じで頼りないが、それでも独自の個性の片鱗は濃厚で、イニシアティブを
取っているのはドーハムだけど、うねるようなフレーズで懸命について行っている様子が微笑ましい。

この人はパーカーとドルフィーのちょうど中間辺りにいる。パーカーのアルトが紆余曲折を経てドルフィーへと発展しているのは明白だけど、
その過程が一般的には見えづらく、そう言われても・・・という感じがあるわけだが、この人がその間に立っていたんだということがわかれば、
黒人モダン・アルトの系譜が見えてくる。パーカーのように吹くことは誰にもできないけれど、一生懸命に真似ているうちに、なんかこんな
感じになっちゃいました、という側面があったんじゃないだろうか。

黒人モダン・アルト奏者は偶然なのか必然なのか、みんな短命で、その音楽が十分に熟す前にハード・バップの時代は終わってしまった。
その刹那的な風景の一コマがここにもある。傑作などでは全然ないけれど、それでも存在自体が貴重この上ない、そういうアルバムだろう。


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タイムマシーンのような

2021年04月03日 | Jazz LP

Donald Byrd, Barney Wilen / Jazz In Camera  ( 独 Sonorama L-65 )


1958年に映像作品のサントラとしてパリで録音されながら、映像もレコードも未発表のまま終わってしまったプロジェクトの音源が
21世紀に入ってからようやく陽の目を見たというアルバム。50年代後半のフランスではジャズは外国産の前衛芸術で、商業ベースに
乗るのは難しかったから、こういう話は珍しくない。リリース当時は私はレコード漁りを止めていた時期だったので、当時の反響が
どういう感じだったのかはよくわからないが、50年代の雰囲気をうまく伝えるジャケットデザインといい、盤を触った時の質感といい、
なかなかよく出来ている仕上がりだと思う。

ドナルド・バードとダグ・ワトキンス、ウォルター・デイヴィスやアル・レヴィットらのアメリカ勢が参加しているが、どういう経緯だったのかは
よくわからない。このためにわざわざ4人して渡欧したのか、たまたま各々が現地に来ていたところを捕まえられたのか。
いずれにしても、珍しい組み合わせではないだろうか。

当然、「死刑台のエレベーター」や「危険な関係」を想い出すわけだが、このアルバムで聴かれる音楽は2作ほどの深い濡れたような情感は
感じられず、アメリカのマイナー・レーベルのような雰囲気だ。ただ、バルネのテナーがよく効いていて、そこは聴き応えがある。

録音も良好で、程よい残響感に包まれながらスタジオの静かな環境の中できれいに録られている。ワトキンスのベース音がブーミーなのは
御愛嬌だが、重低音がよく効いている。管楽器の鳴りは良く、ジャズのムードが満点だ。

インパクトのある楽曲に欠けるので名盤扱いされないだろうが、それでも当時の雰囲気をよく伝える内容で、聴いていて満足感が高い
タイムマシーンのようなレコードではないか。


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