廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

MGMはステレオがいい(3)

2020年09月29日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans / At Town Hall.....Volume One  ( 米 Verve V6-8683 )


シブい内容ながらじっくりと聴かせる佳作。ベースがチャック・イスラエルで、音楽に落ち着きがある。シェリー・マンとのスタジオ録音
とは方向性がまったく違い、エヴァンスのピアノを聴かせるための音楽になっている。

このアルバムの聴き所はB面のソロ・インプロヴィゼーションで、エヴァンスの抒情性が良く出た演奏だ。プロローグはドビュッシーの
プレリュードをわかりやすく噛み砕いたような近代印象派の香りがあり、この人ならではのピアニズムが披露される。そこから自身の
オリジナル曲の曲想へと繋がっていく。エヴァンスは自作を作曲する時はこういう風にメロディーラインを作っていたのかもしれない。
それは決して独りよがりなものではなく、エヴァンスの内に秘めたイメージを旋律へと変換しながら聴き手に語りかけるような感じだ。
そして、エピローグはドヴォルザークの郷愁感を思わせる優しい旋律で幕を閉じる。

このアルバムはステレオ、モノラル共にヴァン・ゲルダーの刻印があるが、録音には関わらなかったようだ。そのせいか、ピアノの音色に
不自然さがなく、エヴァンスらしい音色に浸ることができる。1966年の録音なので、もうあたりまえにステレオ盤の方がいい。
特に、ホールという会場の空間に響く倍音や残響はステレオプレスでしか聴くことができない。音圧もあり、楽器の音もクリアだ。




Bill Evans / At Town Hall.....Volume One  ( 米 Verve V-8683 )


モノラル盤は音の分離感がイマイチで、再生機器の機嫌が悪い日(なぜか、そういう日がある)だと音楽が団子状になってしまい、
うまく自分の中に入ってこないことがある。ステレオ盤と比べると聴感はかなり落ちる印象があり、このアルバムのモノラル盤は
推奨できない。

50年代終わり頃からモノラルとステレオが並行して発売されるようになるけれど、私の感覚では、モノラル盤がまともに聴けるのは
1963~4年くらいまでじゃないかと思う。その辺りを境に、モノラルプレスの音場感は落ちていく。録音現場の設備投資はステレオ
機器へとシフトいっただろうし、ステレオの音場感があたりまえになってくると、録音やマスタリングをする技師たちの音質への
感性も大きく変化していったのではないだろうか。

MGMのレコードを聴いていると、そういう状況の変化の推移がよくわかるような気がする。


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MGMはステレオがいい(2)

2020年09月27日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans / A Simple Matter Of Conviction  ( 米 Verve V6-8675 )


1962年に "Empathy" で共演したシェリー・マンと4年後に再会したアルバムで、ベースはレギュラー・メンバーのエディ・ゴメス。
"Empathy" の素晴らしさを知る者は期待して聴くけれど、少し肩透かしを喰う。

冒頭のアルバム・タイトル曲はエヴァンス自作の良い曲で、演奏にもキレがあって素晴らしいのだが、なぜかすぐにフェイド・アウトされて
拍子抜けする。その後にスタンダードとなり、演奏は闊達でよくできているが、どうもあまり新鮮味がない。エヴァンスのオリジナル曲は
どれもいいのだが、スタンダードの解釈に冴えがなく、これが足を引っ張っているような印象だ。

エヴァンスのピアノはしっかりとしたタッチで、リズム感も相変わらず見事だ。ただ、シェリー・マンが前作と比べると大人しく、
あまり前へ出てこないのがもったいない。これであれば、他のドラマーと大差ない。全体的には中途半端な印象に終わる。

このレコードはヴァン・ゲルダー録音で、ステレオ、モノラル共に彼の刻印がある。ところが、これがヴァン・ゲルダーの悪い面が
全面に出ているように思う。曇りガラスのようなピアノの音はまるでブルー・ノートのソニー・クラークにそっくりで、エヴァンスの
ピアノの音色の良さが出ていない。どうしてこういう音にしてしまうのか理解に苦しむが、その代わりにステレオ盤の方はベースの音に
輪郭があり、シンバルの音に輝きがあって、そこに救われる。空間を意識できる残響もあり、このアルバムはステレオ盤の方がいい。




Bill Evans / A Simple Matter Of Conviction  ( 米 Verve V-8675 )


モノラル盤は音圧は十分にあるが空間が表現されておらず、その部分で不満が残る。更にピアノの音が不自然な曇り方をしているので、
アルバム全体が暗い印象だ。エヴァンスの良さを殺してしまうヴァン・ゲルダーは、はっきり言って邪魔な存在だ。このアルバムは
彼の刻印が無い盤を探して聴く方がいいのかもしれない。


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MGMはステレオが良い(1)

2020年09月26日 | Jazz LP (Verve)

Bill Evans / Empathy  ( 米 Verve V6-8497 )


MGMに売却後のヴァーヴのアルバム群は、概ねステレオ盤の方が音がいい。60年代に入って録音自体はステレオ録音だったろうから
これは当たり前のことで、今更どうこういうような話でもない。それは、ビル・エヴァンスのアルバムも例外ではない。

ヴァーヴ移籍後の第1作であるこのアルバムはシェリー・マンのドラムが非常に雄弁に語る素晴らしいアルバムで、ジャケットで損をしているが、
ヴァーヴ期のエヴァンスの中では最も出来がいい。アーヴィング・バーリン、フランク・レッサーらの知られざる名曲を掘り起こした選曲が
見事にハマっていて、これがこのアルバムを特別なものにしているように思う。

シェリー・マンがこんなにいいドラマーだったなんて、このアルバムを聴くまでは気が付かなった。エヴァンスと言えばベースとの対話ばかり
語られるけれど、ここでは完全にドラムとの対話が繰り広げられている。シェリー・マンは本当に喋っているようなドラミングをしていて驚く。

エヴァンスも "The Washington Twist" では明るい表情をしたかと思えば、"Danny Boy" では深く憂いに満ちた抒情を見せて、
表現の振幅の大きさが素晴らしい。

ステレオ盤は適度な残響と部屋いっぱいに大きく拡がる音場感で、ああ、時代が変わったんだなあということを実感する。
リヴァーサイド盤を聴いた後でこれを聴くと、部屋の中の空気がガラッと入れ替わったような感じがする。優秀な音だと思う。




Bill Evans / Empathy  ( 米 Verve V-8497 )

ただこのアルバムは1962年と比較的早い時期いうこともあって、モノラル盤の方も出来がいい。ミックス・ダウンの影響で楽器の配置感が
悪いのが難点だが、音圧が高くて迫力はある。ヴァン・ゲルダー録音だが盤面に彼の刻印はないので、マスタリングやカッティングには
関与しなかったのかもしれない。それが良かったのだろう。

このアルバムに関してはステレオ、モノラルのそれぞれに固有の良さがあり、勝負は引き分け。


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ミンガスの見識の高さ

2020年09月22日 | Jazz LP (Debut)

Ada Moore / Jazz Workshop Vol.Ⅲ  ( 米 Debut DLP-15 )


1991年1月、エイダ・ムーアが癌により64歳で亡くなった際にニューヨーク・タイムズ紙が伝えたところによると、レコード制作には
恵まれなかった彼女も、コンスタントにシンガーとしてずっと活動していたらしい。距離も時間も遠く離れた我々にはそれがどういう
ものだったのかはわからないけれど、歌手として活動していたという話を知ることができるのは嬉しい限りだ。

彼女はこのレコードと、コロンビアにバック・クレイトン、ジミー・ラッシングと共に吹き込んだものしかレコードが残っていない。
その理由はよくわからないけれど、これはあまりに不当な扱いだったのではないか。

ニーナ・シモンとカーメン・マクレーをブレンドしたような声質がビリー・ホリデイのようなフィーリングでぶっきらぼうに歌う様には
圧倒される。1度聴くと、その印象は耳に刻み込まれて忘れることはない。ミンガスが作ったこのレーベルでは唯一のヴォーカル作品で、
ミンガスの鑑識眼の素晴らしさが光る。

このアルバムの素晴らしさは彼女の歌だけに留まらず、バックの演奏の凄さにもある。ジョン・ラ・ポータのアルトの鳴りが素晴らしく、
バックの演奏が歌伴ではなくインスト・ジャズとして通用する演奏で、ヴォーカルと真っ向から対峙している。このアルバムを聴いて
いると、サラ・ヴォーンがパーカーをバックに歌った音源を思い出す。雰囲気がそっくりだ。

音質もビックリするほど良くて、何の手も加えずそのままカッティングしたような生々しく高い音圧が凄まじい。
スピーカーから出てくる音に風圧を感じる。

ヴォーカルも楽器群の演奏も濃厚なジャズのフィーリングに満ち溢れていて、何も手を加えないざらっとした手触りが圧巻。
これこそが、まさに "ジャズ" なのだ。


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チェンバースが牽引する漆黒の世界

2020年09月19日 | jazz LP (Atlantic)

Milt Jackson & John Coltrane / Bags & Trane  ( 米 Atlantic 1368 )


ミルト・ジャクソンが作るブルージーな空間にコルトレーンの重厚なテナーが響く。墨を流したような漆黒の世界が拡がる。

コルトレーンはフレーズを吹いてはいるが、それよりはテナーの音色そのもので音楽を創出しているような感じだ。それはミルト・ジャクソンも
同様で、アドリブが命とされるジャズの本線からは外れるような印象すらある。2人はその唯一無二の音色を幾重にも重ねることで音楽を
描いているようだ。コルトレーンがヴィブラフォン奏者と演奏しているレコードはこれしかないが、彼の重たい音色がヴィブラフォンと
こんなにも相性がいいというのは驚きだ。

そして、フロントの2人以上に耳を奪われるのはポール・チェンバースのベースだ。ベースの音が上手く録れているということもあるが、
チェンバースのベースが唸りをあげている。この音楽を引っ張っているのは、このチェンバースかもしれない。いつもの後乗りではなく、
イン・テンポでリズムをキープしながら、一音一音が唸り声を上げている。温厚なチェンバースが牙をむいた凄みに身がすくむ。

コルトレーンはミルト・ジャクソンを立てたバランスのいい演奏をしており、全体的にうまく纏まった音楽になっているが、どの楽器も
よく鳴っていて、骨太で極めて硬派なジャズに仕上がっている。あまりに本格派過ぎて、聴いていてちょっと怖くなる。

コルトレーンのアルバムとしてはいつも奥の方に隠れているが、これは非常によくできている。キャリアとしてはだいぶ格上の大先輩と
がっぷり四つに組んだ様が素晴らしく、コルトレーンが自立したことをはっきりと示すシンボリックなアルバムと言っていい。


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公式盤に劣らぬ非公式盤

2020年09月17日 | Jazz LP (ブートレグ)

Charlie Parker / Historical Recordings, Volume 2  ( 米 Le Jazz Cool JC 102 )


パーカーには公式アルバムの何十倍もの数のブートが存在する。理由はいろいろあるがその中の1つに、当時ミュージシャンたちが
参加していた互助組合がレコード会社に対して待遇改善を要求してたびたびレコーディング拒否のストライキをしていたことがある。
この期間は公にレコーディングを行うことができなかったが、ミュージシャンとしてピークの時期にいたパーカーのような人の場合は
側近たちが記録を残さないのは勿体ないと考えて(当然だ)、クラブの2階でこっそりとポータブル・レコーダーを回すなんてことが
常態化していた。こういうケースをブートとして片づけるのはちょっと違うんじゃないかという気がする。

そういう状態で録音されたので音質が十分ではないものが当然多いが、パーカーの場合はそんな不満を言ってる場合かよという感じはある。
当時から既に100年に1人の天才と言われて、そのすべてを録音するべきだと多くの人が考えていたからこそ、これだけの音源が
残っているわけで、聴かない手はないだろうということだ。

そんな中でこの "Le Jazz Cool" なる非公式盤は音質がかなり良く、パーカーのリアルな姿を垣間見ることができる貴重なアルバムだ。
発売されたのは1960年とのことで、非公式盤にしては異例のレコードの作りの良さにちょっと驚く。ジャケットは背有りで額縁仕様だし、
盤は厚みがあってそれなりの重量があり、溝まである。作り自体は当時の正規レーベルのものとまったく同じ質感になっている。

音質もパーカーのソロ部分は非常にクリアで生々しく、意図的にそういうマスタリングしたと裏ジャケットで解説されている。
曲によっては状態の悪いものも含まれてはいるが、それでも時代を考えればスタジオ録音と遜色のない最良の音質だと考えていい。

1948~50年頃のクインテットの演奏で、ガレスピーとの最初の常設バンドのもの、後任のマイルスがメンバーだったもの、
マイルスが抜けた後釜にケニー・ドーハムが入ってロイヤル・ルーストで演奏したもの、ファッツ・ナヴァロとバド・パウエルが
参加してカフェ・ソサイエティーで演奏したものなどがLP3枚にランダムに収録されている。

楽曲もお馴染みのビ・バップ・チューンもあれば、珍しいものでは "Round Midnight" や "Slow Boat To China" などの貴重な演奏もあり、
これらは聴かずに済ませるわけにはいかないだろう。

パーカーの演奏は非常にしっかりとしていて、調子が良かった様子が嬉しい。初めて聴くような丁寧にアレンジを施した楽曲もあり、
こんな演奏もしていたんだという発見もある。マイルスのマイルドな音色、後のブラウニーを思わせるナヴァロの正確な演奏など、
総合的にも価値のある内容だ。

短い生涯だったが、いろんな記録を読むと音楽家としての日々は多忙で充実していたことがわかる。
その一端に触れることができる素晴らしいレコードだ。





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再発盤の風格

2020年09月15日 | Jazz LP (Milestone)

Bill Evans / Spring Leaves  ( 米 Milestone M-47034 )


同じくキープニューズが作った再発で、 "Portrait In Jazz" と "Exploraions" に、後者のセッション時に録音されたが未発表に終わった
"The Boy Next Door" を加えたもの。この2枚はステレオ初版が手許にないので、モノラル初版と国内初版であるビクターのペラジャケとで
聴き比べてみる。但し、ビクター盤はこの後複数の規格番号でリリースされていて、どうもマスタリングも変えているようなので、
今回のビクター盤はあくまでも初回のペラジャケに関して、ということで話を進める。

この3種類を聴き比べると、ビクター盤はモノラル・オリジナルの質感に似ているが、マイルストーン盤は違うテイストになっている。
ビクター盤はフォンタナのマザーを使っているようなので、リヴァーサイド盤の匂いが残っているのだろう。一方のマイルストーン盤は
ファンタジー社でリマスタリングされていて、完全にリプロダクションということになる。

ビクター盤のステレオの音場感はやはり楽器の左右のチャンネルへの振り分けが明確で少し偏り感があるのに対して、マイルストーン盤は
楽器が中央寄りに修正されていて、そういう面での違和感は解消している。

楽器単体の音については、ベースの音に違いが顕著に表れている。ビクター盤はベースの音が電気的に増幅されたように重低音感が増している。
これは意図的に音を触っているのかもしれない。それに比べて、マイルストーン盤の方は全体の音の纏まり方に重点が置かれていて、
何かが飛び抜けるようなことは避けている感じだ。非常に丁寧にリマスタリングされていて、音楽として聴き易い仕上がりになっている。

当時はオクラ入りした "The Boy Next Door" はエヴァンス本人が演奏の出来に満足できずにNGを出したということだが、確かに演奏が
ぎこちなく、十分にこなれていない印象を受ける。でも、エヴァンスはこの曲が好きだったようで、その後も頻繁に演奏しており、
シェリーズ・マン・ホールでのライヴ演奏では素晴らしい仕上がりになっている。そういう経緯が伺い知れるところも面白い。

こうして聴き比べをしていると、マスタリングというのは時代を映す鏡なんだということを感じる。単に音質を整形するということに
留まらず、過去にリリースされた音質への反省やその時代の再生環境への配慮、また経済成長の度合いだったり戦争や社会的混乱による
疲弊などの世相にも影響を受けて、新しいサウンドは生み出されていくのだろう。再発はオリジナルよりも音が悪いとして、やみくもに
再発盤を退ける態度には賛同しかねる。違いがあるのは当たり前で、その違いを楽しむ方が音楽はより楽しいのである。


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再発としてのオリジナル

2020年09月13日 | Jazz LP (Milestone)

Bill Evans / The Village Vanguard Sessions  ( 米 Milestone MSP-47002 )


ビル・エヴァンスを愛する人は、大抵の場合、いろんなヴァージョンの音源を聴く。もっと聴きたい、という気持ちがそうさせるわけだ。
これは自然な感情だと思うし、私にもその気持ちは痛いほどよくわかる。だから、同様に版違いをあれこれ買い込んでは聴いている。
同一タイトルのLP、CDを問わず片っ端から揃えては聴き比べを楽しんでいる人も大勢いて、その愛の深さにはとても及ばないけれど、
それでも聴き比べするのは楽しいものだ。

それは何も聴く側だけの気持ちではなくレコードを作る側も同じだったようで、エヴァンスを生み出した張本人であるキープニューズ自身も
一度手放したリヴァーサイド音源の版権を買い戻して、73年に自ら再編集し、ファンタジー社のエンジニアにリマスタリングさせて
再発している。その際に、当時は未発表だった曲も取り込んだ。これが、その後の再発戦争に火をつける導火線になったのかもしれない。
このマイルストーン盤は何と言ってもキープニューズ自身の手で作られたものだから、無数に存在する再発盤たちのオリジナル盤と言って
いい存在で、これがある意味では鏡になるのだろう。

リヴァーサイドのオリジナル・ステレオ盤は各楽器が明確に左右のチャンネルに振り分けられているので、いわゆる「中抜け」の印象があり、
そこが欠点の1つだった。このアルバムはそこに手が入れられていていて、楽器がもう少し中央に寄った感じになっている。
そのおかげで音楽の焦点が定まり、ステレオ・オリジナルより音楽が自然な雰囲気に仕上がっている。このマイルストーン盤は音がいい、
と感じる人が多いのは、おそらくはそれが影響している要因の1つではないかと思う。聴いていて、あまりに自然な音場感なのだ。
それに、ステレオ・オリジナルよりも音圧が高い。

もう1つの聴き所は、オリジナルには収録されなかった "Porgy" が聴けるところ。おそらく "My Man's Gone Now" と曲想が重なるので、
スペースの問題もあることから、どちらかを落とそうという判断になったのだろうと思う。ドラッグ禍にあったエヴァンスの暗い内面が
映し出されたような演奏で、ある種の凄みを感じる。

このマイルストーン盤はあまり欠点らしい欠点が見当たらない、優秀なヴァージョンと言えるのではないだろうか。何より音楽が音楽らしく
鳴っていて、この至高の演奏を心行くまで楽しめるというところが素晴らしい。これを聴いていて感じるのは、これだけ聴き比べをしても
音楽の価値が擦り減ることはなく、永久的な耐性があることが凄いということだ。幸せな音楽だなと思う。


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R.I.P Gary Peacock

2020年09月12日 | Free Jazz

Albert Ayler / Spiritual Unity  ( 日本 ビクター MJ-7101 )


私がゲイリー・ピーコックの演奏を初めて聴いたのは、20代半ば頃に買ったこのレコードでだった。その時点ではまだキースのスタンダーズは
聴いていなかったし、オーネットも知らなかったので、リズム・キープをしないベースを聴いたこと自体初めてだった。ただ、レコードを買った
目的はガイド本に載っていたアルバート・アイラーという人を聴くことであって、彼のベースは結果的に知ることになったということだった。

マレイのシンバル・ワークに向かって、サックスとベースが同等の関係で歌いかけるような位置関係にあるのがとにかく不思議だった。ベースは
ドラムとペアで音楽の土台になるものだと思い込んでいたから、こういう演奏はその時はうまく馴染めなかった。フリー・ジャズというのは
こういう演奏をするものなのか、という程度の理解で終わって、その時はゲイリー・ピーコックという名前は頭にはインプットされなかった。

それからしばらく時間が経ってスタンダーズを聴き、そこでのベースの木材の質感に触れた時に、ああ、そう言えば・・・とこのレコードの演奏を
思い出して、ようやくゲイリー・ピーコックという人が自分の中で顔と名前と演奏が一致する存在となった。

外見から受ける印象と彼のキャリアの内容から、学究的な人なんだなという印象がずっとあった。それから更に時間を置いて、ECMの音楽に
触れるようになって、彼の考える音楽を知るにつれて、その寡黙で知的な雰囲気にジャズという騒々しい音楽の世界にもこういうタイプの人が
いるんだ、とどこか安心したような気がしたものだ。

ベース弾きとして終始アコースティック・ベースにこだわり、魅力的な音色を聴かせてくれた。アイラーのこのアルバムでは既に彼の演奏
スタイルは完成していて、アイラーとまったく互角の演奏をしているのが圧巻なのだ。アイラーも彼のソロを聴かせるためにちゃんと
スペースを用意しているくらいだから、その力量を認めていたのだろう。まるでもう1人のリード奏者のように屹立していて、
このアルバムが傑作になったのは間違いなく彼の存在も一役買っているということが今はよくわかる。この人がいなければ、キースの
スタンダーズもなかっただろう。

自宅での安らかな最後だったそうなので、心からよかったと思う。 R.I.P ゲイリー・ピーコック。素晴らしい音楽を本当にありがとう。


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ホールに化けたヴィレッジ・ヴァンガード

2020年09月10日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / The Other Village Vanguard Tapes  ( 米 ABC-Impulse AS-9325 )


1961年11月1~5日、ドルフィーと共にヴィレッジ・ヴァンガードに出演した記録はいろんな形でリリースされていて、今では完全版も
あるから、内容は広く知られている。今となっては、伝説の4日間ということだろう。新しい扉を開けて大きく飛躍した音楽が展開する
折り紙付きの演奏なので、どのフォーマットで聴いても感銘を受けるが、個人的にはこのアルバムに一番愛着がある。

コルトレーンの死後、未発表曲集として1977年にリリースされたアルバムだが、このアルバムの音場感が非常に独特だからだ。
ヴァンガードのライヴ録音と言えば、デッドな音場で演奏者が観客の近くにいるような雰囲気が売りだが、このアルバムの音場感は
まったく違う。まるでどこかの大きなホールで演奏されたような音場感なのだ。

盤面にはKENDUN刻印があるのでロスのKendun Recorders Sutdioがカッティングしたということ。ジャズでは全く取り上げられないが
ロックの世界では有名な独立系のマスタリング・スタジオだから、プレス品質はとてもいい。録音自体はヴァン・ゲルダーが録ったが、
このアルバムのマスタリングは別の世界観で行われている。そのおかげで、暑苦しいと敬遠されがちなコルトレーンの音楽がここでは
違った表情を見せている。そこがいいのだ。

ホール・トーンの中で響くコルトレーンのサックスは雄大で、どこか遠くで鳴っている雷鳴のように聴こえる。それは何らかの予兆を
孕んでいて、我々は常にそれに耳を傾けることになるだろう。

何もアドリブの凄さや勢いの激しさばかりに気を取られる必要はない。空からゆっくりと降ってくるような望郷的なサウンドに
身を委ねるだけでも十分ではないか、と思うのだ。いろんな聴き方があっていい。

ジャケット・デザインも秀逸。テナー・サックス奏者は、この角度から見る姿が一番カッコいい。


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ミンガスの頂点

2020年09月08日 | Jazz LP (Impuise!)

Charles Mingus / Mingus, Mingus, Mingus, Mingus, Mingus  ( 米 Impulse! A-54 )


新作の組曲構成だった「聖者」に対して、こちらは自作の名曲たちの再演を軸にしている。マリアーノ、クィンティンらの1月録音と
ドルフィー、ブッカー・アーヴィンらの9月録音のブレンドだが、微妙に違うサウンド・カラーが絶妙に混ざり合い、全体が何とも言えない
深い色合いを帯びている。

管楽器たちが皆、泣いている。ある時は物悲しい顔で、ある時は笑顔を浮かべながら泣いている。音楽にそういう表情がある。
ミンガスの深い想いが演奏者たちを通してそのまま表現される。あまりのストレートな感情表現に身がすくんでしまうくらいだ。

そういう情感が、乱暴にむき出しのまま提示されるのではなく、あくまでも高度に洗練された音楽として示されるところに
この人の音楽家としての矜持が見える。ミンガスは楽曲の力を信じていたようで、常に楽曲を大事にした。
曲作りにはキャリアの初期から力を入れてきたし、重要な自作の楽曲は繰り返し録音した。だからこそ、彼の音楽は心に刺さるのだ。

ヴァン・ゲルダーのマスタリングも頂点を思わせる仕上がりで、この音場感こそがミンガスの音楽には相応しい。これを聴いた後では、
他のレーベルのアルバムを聴く気が失せてしまう。チャーリー・マリアーノのアルトの美しさは筆舌に尽くし難い。

ミンガスの音楽については、アルバム芸術という意味では「聖者」とセットにして、これが最高傑作。物悲しく、力に溢れ、音楽が
生き生きとした様があまりにヴィヴィッドで素晴らしい。これを聴いている間は、これ以外の音楽などいらない、といつも思わされる。


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最高傑作の片割れ

2020年09月06日 | Jazz LP (Impuise!)

Charles Mingus / The Black Saint And The Sinner Lady  ( 米 Impulse! A-35 )


コルトレーンがそうであったように、ミンガスもこのレーベルと契約するにあたってはラージ・アンサブルで録音することを条件としたのでは
ないか、と想像する。当時のマイナー・レーベルではそれだけの予算を確保することができず、なかなかそういう演奏はできなかった。
インパルスは親会社のABCパラマウントがバックに付いていたので、そういう面では融通が利いたのかもしれない。

エリントン命だったミンガスの頭の中では、常にこういう形態の音楽の構想があったのだろう。アンサンブルのアレンジはエリントンのそれを
踏襲していて、ザ・ダーク・サイド・オブ・デューク・エリントンという雰囲気になっている。サックス群の分厚い通奏重低音が響く中、ホッジス役の
チャーリー・マリアーノのアルトが艶めかしい。驚くことにクェンティン・ジャクソンを招いていることもあり、エリントン・カラーが濃厚に
出ている。エリントン以外でここまでエリントン・カラーに迫った例を知らない。

これを聴いていていつも感じるのはジャズの古い歴史と伝統に忠実に沿ったオーソドックスさで、これがミンガスの本質である。
ここでは黒人社会の民衆的土着信仰を土台に、聖者と罪人というダーク・メタファーを使って舞踏の時間を表現している。
その際にどこまでも深いエリンントン・カラーで音楽に彩色を施している。

舞踏の音楽と題されたこの音楽は、本来は動的であるはずのダンサーの舞をスローモーション、若しくは静止画の無限のシークエンスで
見せるような、時間の流れが変わるような錯覚をもたらす。そして、それは永遠に続く生を意識する瞬間でもある。

エリントンの音楽への深い感応を核にして、入念に用意されたスコアと十分な練習の末に収録されたこのアルバムは、この後に来る
"Mingus, Mingus, Mingus・・・" と対を成すチャールズ・ミンガスの最高傑作。ヴァン・ゲルダーも最高の仕事でこれを後押ししている。


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音楽を超えた何か

2020年09月05日 | Jazz LP (Impuise!)

Charles Mingus / Mingus Plays Piano ~ Spontaneous Compositions and Improvisations  ( 米 Impulse! A-60 )


職業ピアニストが弾いているのではないことは一聴して明らかだ。でも、そういうところは気にならない。聴いているうちに、ピアノのソロ
演奏だということは忘れてしまい、目の前にはある情景が浮かんでくる。

厚手のツイードのコートを着た男が陽の光がよく差し込んだ明るい森の中を散歩している。大きな背中を見ながら、その後を黙ってついて
行っているような感覚。乾いた枯葉を踏みしめるカサカサという音だけが聴こえる。

この人の内なる心象風景が無防備にそのまま映し出されたような、音楽を超えた情景そのものを見ているような不思議な感覚に包まれる。
そこには寂し気で孤独な雰囲気が漂っている。これを音楽として評価するのは不可能。そういう類いのものではない。

これを聴いてエリントンや他の誰かを感じることはない。ミンガスの心の中にある想いがメロディーという形をとって流れ出すのを見るだけだ。
それは柔らかい質感で、優しい感情で溢れている。女性が弾いているのか、と思うくらいのおだやかな質感だ。

ヴァン・ゲルダーもいつもの曇ったようなイコライズをかけず、鳴っているピアノの音をそのまま刻み込んだような感じにしてくれたのは
よかったと思うけれど、そういう話もどうでもよくなる。無拓な魂と成熟した音楽が、聴いている私をどこかへ連れて行ってしまう。


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傑作とは騒ぎたくないが・・・

2020年09月03日 | Jazz LP (Riverside)

Victor Feldman / Merry Olde Soul  ( 米 Riverside RLP 366 )


英国の白人という非アメリカ的な個性が良い方向に出たアルバムで、素晴らしい音楽が聴ける。傑作、と声高に騒ぐのは相応しくなく、
折に触れて針を落としてはじんわりとその良さに感じ入る、というくらいの接し方がちょうどいいと思う。

自作の楽曲のクオリティーが高く、美メロに溢れている。ピアノとヴィブラフォンを自在に操るが、どちらの演奏も品があって良い。
楽曲によってはハンク・ジョーンズも参加しているのが嬉しい。本人は、本業はヴィブラフォン奏者でピアノは余技だ、と言っていた
そうだが、そのピアノを聴く限りではとてもそうは聴こえない。

ブルースを弾いてもドップリとした情感ではなく、さらりと弾く感じが心地よい。こういう感覚が好まれて、例えばスティーリー・ダンの
アルバムに呼ばれたりしたのだろう。デビュー・アルバムから最終アルバムまでのすべてに参加しているのだから、只事ではない。

デ・ニーロそっくりの大顔で写っているジャケットからは想像がつかないほど、洗練されていて、繊細で、美しい音楽が溢れている
素晴らしいアルバムだ。音質もとても良好で、音楽が楽しく聴ける。






好きが嵩じて、ステレオ盤も拾ってある。バランスの良い、クリアな音場感。モノラルは1,300円、ステレオは750円だ。
人気がなくてありがとう、と言いたくなる。


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レコードで聴くべきアルバム(2)

2020年09月01日 | Jazz LP (Europe)

Enrico Pieranunzi / Space Jazz Trio Vol.2  ( 独 YVP Music 3015 )


第1集から2年後の1988年にリリースされた第2集。音楽の成熟度はさらに増し、楽曲のメロディーの美しさはここに極まっている。
ポピュラー音楽のようなキャッチーさではなく、わかりやすい抽象性に富んだ美しさで、これはアメリカのジャズでは決して見られない。
音楽の土台がまったく違う。こういうのをやられると、アメリカのミュージシャンは黙ってしまうしかない。

グループの纏まりも見事で、なんと高度な演奏だろう。一糸乱れぬ、とは正にこのことだろう。ベース奏者とドラマーのことは不勉強で
よく知らないけれど、繊細な音楽を構成するのに大きな役割を果たしている。有名なだけが偉いということではない。

自身の音楽が明確に確立されていて、誰かの物真似とは無縁であるところが素晴らしい。わざわざお金を出して手に入れないと
聴くことができないオリジナルな音楽で、他では代替がきかない。私もいい加減いい年齢なので、こういうものにお金を使いたいと思う。

音質もグッと向上していて、音場感は最高にいい。自然な残響感、楽器の音のクリアな輝き、全体のバランスの良さ、どれも満点の仕上がり。
アナログとデジタルの幸せな出会いを楽しむことができる。


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