廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

日本ビクター盤で聴く "Waltz For Debby" の愉楽(5)

2021年12月05日 | Jazz LP (国内盤)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 日本ビクター VIJJ-30011 )


日本ビクターが1993年にリリースした4回目のプレス。93年と言えばCDへの移行が完了した時期で、こういうアナログが出るのは珍しく、
帯にも書かれているように「完全限定プレス」だった。レコードへの未練が残る最後のユーザに向けた、これが辞世の句だったのだろう。
レーベル・デザインがオリジナルのそれを模しており、そういうマニアをターゲットにしたリリースであったことがここからも伺える。

私の感覚ではこのプレスが1番入手が難しい。先の3枚はいずれも千円台で何の苦も無く入手したが、このプレスだけが長い間見つからず、
ようやく見つけた3年ほど前の時点で既に4千円の値が付いていた。

規格番号からも類推できるように、84年プレスの音質をベースにして更にマスタリングし直したのではないかと思えるような音場感だ。
各年代で試行錯誤したそれぞれの特徴的なサウンドを総括したような印象があり、各楽器の音量のバランスが1番整っている。
ピアノ、ベース、ドラムの1つ1つがクッキリとした輪郭を持ち、ぴったりと度が合った眼鏡をかけた時に目の前に広がる風景を見ているようだ。
おそらくこれが一般的には1番いい音だ、という感想を持たれるサウンドではないかと思う。
音量を上げてもうるさい感じがなく、上質の極みを感じる。

日本ビクターがオリジナルの発売から30年かけて辿り着いた最終地点がこれだということになるのだろう。ここで聴かれる音場感は、
オリジナル盤の欠点であるベースやドラムの音量の頼りなさを克服し、その結果、このトリオがヴァンガードで演ったのは幽玄な雰囲気の
ピアノ音楽などでは決してなく、明るく強力にスイングする音楽だったことを正しくリスナーに伝えるものとなった。「リマスター」という
言葉を全面に押し出し、同じ音源を何度もマニアに買わせようとする供給側の策略にはうんざりさせられるけれど、ビクターが10年単位で
やった "ワルツ" の再リリースには、どうすればその音源が本来もっていた音楽的な力をより正しく伝えることがことができるかに
呻吟した痕跡が感じられる。そこがいいと思うのだ。

これはビクターと言う会社が一介のジャズマニアが興したベンチャー企業ではなく、老舗の大手音響メーカーであったことと無関係では
ないだろう。長年積み上げられてきた音響技術に対する知見と資金力がなければ、出来なかった仕事だったろうと思う。

ここまで細かくこだわって聴いたものは他にはないので、他のタイトルも同様なのかどうかはわからないけど、少なくとこのアルバムに
関してはビクター盤はオリジナルにはないまったく別の新しい価値を提供していることは間違いない。これは断言できる。


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日本ビクター盤で聴く "Waltz For Debby" の愉楽(4)

2021年12月04日 | Jazz LP (国内盤)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 日本ビクター VIJ-113 )


1984年に日本ビクターが再カッティングして3度目にリリースしたアルバム。前回同様、"LoCele Record Company" が持つマスターを使った、
とあるが、この会社はネットで調べても何も出てこず、住所がケイマン諸島だったことがわかるのみ。つまり、この会社は実態のない、
ダミー会社だったということだろう。カリブ海に浮かぶケイマン諸島はタックス・ヘイヴンだったため、税金逃れ目的の金融が流入していたから、
おそらくこれはアメリカのどこかの会社(あるいは個人)が作ったダミー会社である。片や、添付されている日本語のライナー・ノーツには
"Fantasy Records, INC. USA" が持つマスターを使ったという記載があるから、ファンタジー社のペーパー・カンパニーだったのかもしれない。
この歴史的遺産も個人/民間所有だったせいで、流浪の運命にあった。ここまでの芸術作品は、本来は公的博物館が所蔵・管理するべきなのだ。

そういう背景のよくわからない状況であるにもかかわらず、このプレスから出てくる音質は圧巻である。10年前にビクターが出したSMJ-6118
とはまた違う質感であることは明らか。とにかく、モチアンのシンバルの音の嵩と輝きが別物である。音が少し割れ気味になるくらい、
ギリギリのところまで引き上げている。カッティングを変えただけの効果だとは思えず、やはりマスタリングし直しているのではないだろうか。

オリジナル盤の "My Foolish Heart" はマザー・ディスク作成時に回したテープ再生がおそらく機械的不調のせいで全体に渡って音が揺れて
歪んでいるので船酔いしそうな感覚に襲われるが、ビクター盤はこの音揺れが無くなっている。この点1つ取っても、ビクター盤の品質は高い。
オリジナル原理主義者ならこの音の歪みさえ尊いと言うだろうが、それは普通の感覚とはズレた話である。

私がこのアルバムを初めて聴いたのは大学時代で、その時の現行品がこのプレスだった。新宿の紀伊国屋の2Fにあった帝都無線で新品を買った。
そして、"My Foolish Heart" の冒頭のモチアンのブラシ音にヤラれたのだ。本当に鳥肌が立った。あの感覚は今でも忘れることはない。

そういう個人的な体験があるので、その後一体何種類のこの作品を聴いたのか自分でもわからないけれど、私にとってはこのプレスこそが
真の "Waltz For Debby" 。今、こうして聴き比べてみても、このプレスの音の質感には何か別のものがあるのがよくわかる。


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日本ビクター盤で聴く "Waltz For Debby" の愉楽(3)

2021年11月27日 | Jazz LP (国内盤)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 日本ビクター SMJ-6118 )


日本ビクターが75年にリリースした第2回目のプレス。この時に選ばれたマスターはアメリカのマイルストーン・レーベルのマスターだった。
だから、第1回目のペラジャケとは当然音が違う。マイルストーン・レーベルのマスターは以前このブログでも取り上げた通り、キープニューズが
版権を買い戻してファンタジー社のエンジニアにリマスタリングさせたものだが、どうやらビクターも更にマスタリングし直しているようだ。

マイルストーン盤のナチュラルさをベースにしながらも、各楽器の音の輪郭が格段にクッキリとしていて、より生々しくなっている。
1番改善されているのはモチアンのブラシで、音圧が上がり、音楽がより踊っている。このアルバムの成功の立役者がモチアンだったことが
この版を聴くことで初めて明らかになる。

そして、店内の客の会話がより遠くの席のものまで聴こえ、店員がグラスをかたずける様子も非常に生々しく聴き取れる。
これが音場感の奥行きを作り出していて、あたかも自分が店内に座っているような感覚を生み出すのだ。

エヴァンスの音も美しく、ラ・ファロのベースも音が締まり、音楽の真価が目の前に立ち現れてくる。
"Milestone" でスティックに持ち替えたシンバルの音の質量の変化までが手に取るようにわかる。

アメリカのステレオ・オリジナル、国内初版、そしてこの盤へと聴き進んでくると、ここで急にサウンドの視界がクリアになり、
高級な質感に変わることが明瞭で、これは否定のしようがない。オリジナルのクラシックとしての魅力は認めつつも、
そういうものを一旦横に置いて聴いてみると、日本ビクター盤が披露して見せたこの音の世界は、このアルバムの真価を改めて
世に問い直した瞬間だったのではないだろうか。

70年代はレコード制作の質が世界的に大きく劣化した時代。チープで粗悪なジャケット、薄くペラペラのレコード盤で物としての有難みが
急速に堕ちていったが、そういう時代に厚紙ジャケット、丁寧な仕上がりのプレス、そして何よりも音楽の質的転換をももたらした音質の向上を
やってのけた日本ビクター盤の存在意義はあまりに大きい。


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日本ビクター盤で聴く "Waltz For Debby" の愉楽(2)

2021年11月24日 | Jazz LP (国内盤)

Bill Evans / Waltz For Debby  ( 日本ビクター SR-7015 )


日本で最初にこのタイトルがリリースされたのは1962年ということになっていて、この年に本国アメリカを含め、西側各国でもリリースされた
ということになっている。欧州ではフォンタナやフィリップスがプレスしていて、リヴァーサイドの共同経営者だったビル・グラウアーが
海外販路拡大を狙って各社と提携を進めたが、その時、日本のような小国は考慮されていなかったようで、日本ビクターはフォンタナ社から
マスターを取り寄せてプレスしたらしい。そういう流れだったから、果たして62年に本当にリリースされたのかどうかは定かではないけど、
60年も前のことなのでよくわからない。しかも、欧米ではモノラルとステレオの両方がリリースされたが、日本はステレオだけの発売だった。
以降、日本ではモノラルは1度もリリースされなかったんじゃないだろうか。

いわゆる "ペラジャケ" での発売で、ジャズに限らずクラシックなども当時のプレスは概ねこの形状となっていて、当時は欧州のレコードを
お手本にしてレコードが制作されたのだろう。日本のレコード会社が海外のタイトルをレコードとして国内生産して発売したのはおそらく
クラシックの方が先だったろうから、その流れでジャズも欧州からの流れになったのだと思われる。

このペラジャケ盤の音は、オリジナル盤に近い音場感。私はフォンタナ盤を聴いたことはないけど、アメリカのステレオ初版と音質が似ている。
当時は日本でリマスターするという発想は無かったのではないだろうか。そういうエンジニアも少なかっただろうし、
まずは如何に海外盤に忠実に作るかということが最優先事項だったのだろう。

グラスの触れ合う音、観客の笑い声はそのままだし、エヴァンスのピアノの音のくすみ具合、ラ・ファロの弦の軋む音、モチアンのシンバルの
音量、そしてそれらの配合やバランス感が原盤に忠実に再現される。その意味で、ビクター盤のプレスレベルは高いと言っていいだろう。
これを聴いて音が悪いというなら、そもそもオリジナルを買う意味などない。


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日本ビクター盤で聴く "Waltz For Debby" の愉楽(1)

2021年11月20日 | Jazz LP (国内盤)
  
  


これまでさんざん書いてきたことだけど、日本ビクター盤はとてもいいレコードだ。

私はプレスティッジやリヴァーサイドのレコードに関してはビクター盤を聴いて育ったから、特別な愛着がある。
最低限の範囲できちんと調整されたオーディオ環境で音量を上げて聴けば、ビクター盤の本当の真価がわかる。
国内盤は音が悪くて、と言っている人がいたら、それはオーディオの設定がおかしいのだと思った方がいい。

もちろんすべてのタイトルが、というわけではないけれど、主要なタイトルに関してはビクター盤には固有の素晴らしさがあって、
とても楽しみながら聴くことができる。だから、例えば "ワルツ" に関しては4つの版を聴いていて、これが全部違う音であることを承知している。
この違いが楽しいのである。

ビクターが最初に "ワルツ" を出したのは1962年で、オリジナルと同じ時期ということになる。以降、70年代、80年代、90年代と
10年おきにプレスし直してリリースしており、これは律儀で真面目な日本人だらかこそ、の仕事である。

このタイトルのオリジナル盤は高音質でもなんでもなくて、滋味に溢れた穏やかなサウンドであることは周知の事実。
そこで、果たして日本ビクターがこれをどう料理したか、というところが最大の聴き所ということになる。

人気作なので2000年以降も再三リリースされているが、それらは未聴。それらもきっと違いがあって面白いのだろうけど、
そこまでは手が回らない。ビクター盤だからこそ何枚でも聴いてみよう、という気になるのだ。



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日本版仏シネ・ジャズ

2021年11月07日 | Jazz LP (国内盤)

Modern Jazz Playboys / Modern Jazz Screen Mood  ( 日本 Nitchiku Industrial Company NL 1015 )


中古漁りはもう壊滅的な状況で、何1つ買えない状態が続いている。コロナ禍前は安レコ・ミドルクラスだったものが軒並み高額盤になり、
ちょっと信じられないような値段でセールに出ている今のこの状況は、一体何なのだろう。もう、ジャズの中古市場は終わったのかもしれない。

今、一番元気なのはJ-Popなんだろうなと思う。文化の日にレコード屋に行ったら竹内まりやのレコードが大量に並んでいて驚いたけど、
ああいう風に再プレスされるくらいだから、それだけニーズがあるということなんだろう。ロックも国内盤が景気のいい値段がついて
たくさん並んでいるから、それなりに盛況のように見える。やはりダメなのは海外の原盤に頼るジャズとクラシックで、特にジャズの状況の
酷さは際立っている。とにかく、レコードがないのだ。

そんな中なので、数カ月ぶりに拾ったのもこういうよくわからない安レコが1枚、という有り様。渡辺貞夫や宮沢昭らが仏シネ・ジャズを
やっていて、"殺られる" や "死刑台のエレベーター" を演っている。昔はこういうレコードが日本でもたくさん作られていた。
和ジャズには興味がないのでこのレコードがどういう位置付けにあるのかはわからないけれど、調べたらCD化もされているようだ。

演奏はしっかりとしていて、当時の日本のプレーヤーのレベルの高さがよくわかる内容だ。マイルス風だったり、ジャズ・メッセンジャーズ風
だったり、MJQ風だったり、とオリジナル・スタイルを基本的に踏襲した演奏になっている。ただ、やっぱり全体的には情感不足の印象は
避けられない感じだ。もう少し想い入れたっぷりに演奏すれば、もっとよくなっていただろうと思う。ただ、企画物だから所詮はコピーで、
さほど気合いは入らなかったのかもしれないし、まあ、それは仕方がないかなとは思う。



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白ワインとパンが似合う音楽

2021年07月18日 | Jazz LP (国内盤)

Oscar Peterson - Stephane Grapplli / Quartet Vol.2  ( 日本コロンビア YX-7008-MU )


ステファン・グラッペリの演奏はたまに訳もなく聴きたくなる時があるので、何かいいレコードはないかなと常々思っていたら、これに当たった。
とにかくペデルセンのベースが最高に良くて、やっぱりすごいベーシストだったことを改めて実感する。メンツから見て、おそらくフランスで
録音されたのだろう。70年代のアメリカでは考えられない、避暑地的優雅さに満ち溢れている。

白い壁のこじんまりとした小さな家、陽当たりのいい庭に置かれたテーブルの上にはバスケットに入った冷えた白ワインと小麦の香りがするパン。
そういう永遠の憧憬のような風景が浮かんでくる。ステファン・グラッペリの音楽はそういう音楽だ。

ヴァイオリンで奏でられるジャズには独特の雰囲気があって、それが誰の演奏であっても、他の楽器では決して作ることができない
世界観を表現できる。それは非日常の世界であり、たまになぜかそういう雰囲気に浸りたい気分になる日がある。
そんな時にこのレコードはうってつけ。ワンコインの国内盤だけど、音質はまったく問題ない。








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虚ろな怖さ

2021年06月13日 | Jazz LP (国内盤)

Charlie Parker / Plays Cole Porter  ( 日本コロンビア YL 3002 )


5月に拾えたのは、この国内初版の1,000円のペラジャケ1枚のみ。惨憺たる状況は続く。レコードはまるでエアポケットに吸い込まれたかの如く
店頭から消えてしまい、跡形もない。店頭在庫の質は今や完全に底の状態で、回復の兆しがない。

重たいフラット・ディスクでプレスの質も良く、ヴァーヴのオリジナルよりも質感がずっといい。音質もまったく遜色なく、買うならこちらの方が
満足感は高い。これはこれで珍しいと思うけれど、それにしても1ヵ月探してこれだけというのも寂しい。

パーカー最後のレコーディングだが、もはやここにいるのはパーカーではなく、完全に別人である。どよーんと淀んで濁った締まりのない音色で、
スピード感もキレもなく、まるでテナーのような音だ。フレーズも完全に死んでいて、魂が抜けてしまっている。聴いていてあまりに辛い気持ちに
なってしまい、両面聴き通すのが困難だ。

音楽というのは、演奏者の状態を如実に反映するのだということがよくわかる。抜け殻となった虚ろな人の姿が揺れていて、恐ろしい。
こんな演奏はレコードして残すべきではなかった。にもかかわらず商品として売り出したのだから、残酷極まりない。
聴いていてこんなに怖くなるレコードは他にはないのではないか。ここには冥界の異様な雰囲気が漂っている。


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レコードはどこへ行った?

2021年03月07日 | Jazz LP (国内盤)

Harold "Shorty" Baker, Doc Cheatham / Talk That Talk  ( 日本ビクター SMJ-7579 )


みなさん、レコード拾えてます?

私は全然ダメ。2月に拾ったのは、ワン・コインのこのレコードたった1枚だけ。こんなことは、前代未聞の出来事かもしれない。
これは、というレコードが本当にない。

定期的に「新入荷」としてエサ箱には出ているようだけど、ホントに新入荷なの?と疑うような感じじゃないだろうか。
高額盤から安レコに至るまで、本当にスカスカな状態。一体、レコードはどこに行ったのだろう?

ユニオンの店舗も元気がない感じがしません? 店員さんは元気なのだが、並んでる商品に元気がない。ムンムンと唸るような圧がない。
お宝が埋まっているエサ箱からは怪し気な妖気が漂うものだが(と言っても、そんなものが見えるのは一部のヘンタイだけだろうけど)、
最近は焚き火が終わって時間が経った後の、寒々しく冷えた木炭の山のような雰囲気しか感じられない。

しかたがないから海外発注するんだけど、それらはすべてクラシックで、例年なら2週間ほどで届く荷物も今は1ヵ月くらいかかって、
月末にまとめてドサッと配達される始末。おそらく海外の郵便事情は働き方が制限されていて、一定期間分を纏めて処理しているみたいだ。
国によっては送料が高くて割高な買い物になっているので、あまり満足感は高くないんだけど、背に腹は代えられない。
それらを1ヵ月かけてボチボチと聴いている日々なので、ブログの筆もすっかり鈍ってしまっている。


閑話休題。
このレコードは Swingville が原盤でRVG録音だけど、このビクター盤もとてもいい。自然なステレオ感で、音に艶があり、輝いている。
シンプルで穏やかな演奏が心に染みる、大人の音楽。どうも原盤には触手が伸びず、こちらを探していたので、まあよかった。


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国内盤の底ヂカラ(その17)

2020年11月10日 | Jazz LP (国内盤)

Chet Baker / Chet Baker Sings  ( 日本ビクター SMJ-7183 )


有名な "Chet Baker Sings" にジョー・パスのリズム・ギターをオーヴァー・ダビングして、更にステレオ・サウンドへリマスタリングしたもの
としてよく知られている。曲順も大幅に変えられて、"Plays And Sings" から1曲追加もされて、ジャケットも変更された。
原典主義というか国粋主義というか、そういうのが幅を利かせるこの世界ではこういうのは歓迎されるはずもなく、概ね冷たい視線を
送られて終わっているが、これがなかなか面白い。

これは国内盤になった時に変更がされた訳ではなく、ワールド・パシフィック時代にアメリカでこの版が制作された。
どういう理由からこうなったのかはわからないが、このペラジャケは1964年に出ていて、アメリカでもおそらくは同じ時期に
制作されたのだろう。このレーベルの他のタイトルではこういう改変がされたという話は聞かないので、特別な扱いだったのだろう。

ジョー・パスのリズム・ギターが加わることで音楽はよりリズミックになっていて、新たにフォーク・ソングっぽい雰囲気も漂う。
当時の人々の音楽嗜好を満足させてレコードをよりたくさん売るためには必要な措置だったのかもしれない。
かなり丁寧に手を入れていて、やっつけ仕事ではなかったようだ。オリジナルはドラムの音が奥に引っ込んでいて、リズムパートの
サウンドが弱かったので、その対策を当時レーベルお抱えだったジョー・パスに依頼したということだろう。

サウンドはもちろん疑似ステで、歌声や楽器が左右に無理やり振り分けられているタイプではなく、モノラル音源全体にエコー処理を
かけたような感じ。前者のタイプは不快なサウンドになりがちだが、これはそういう印象はなく、各パートに立体感が出てくることで
奥行きが感じられるようになり、これは悪くない。オリジナルの乾いたサウンドよりこちらのほうがいい、と感じる人もいるのではないか。
この残響付加によりベースの音圧が上がり、重低音感が増してサウンド全体が分厚くなる副次的効果もでている。

これはこれで単純に面白いと思う。人気作品の宿命で、時代ごとにアピール・ポイントを付加しながらアルバムがリリースされる
その軌跡の1つとして、こんな時代もあったんだね、と楽しめばそれでいいのだろう。







3枚目の "Sings" が仲間入りした。やっかいなことに、全部音質が違う。


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国内盤の底ヂカラ(その16)

2020年06月02日 | Jazz LP (国内盤)

John Coltrane / Ballads  ( 日本キング・レコード SH 3008 )


これはまずまずの音。コルトレーンのテナーの音色は原盤と比較しても遜色はない。ただ、全体的に音圧が低く、バックのピアノ・トリオの音が
後方へと大きく後退しているので、サウンドの足元が弱く、かなりボリュームを上げて聴くことになる。サックスの音自体は悪くないので、
深夜にBGM的に流す場合はこちらがいいかもしれない。オリジナルは音圧があって、少なくともBGMとして聴くのには向かない。"バラード" と
言いながらも、このアルバムのモノラル盤の音は、聴き手の首根っこを押さえつけて集中して聴くことを強要するようなところがあるから。

このアルバムの評価は難しい。退屈でつまらないアルバムだなと思う時もあれば、心地よい素敵なアルバムだなと思う時もあり、感じ方がどうも
安定しない。どんなタイプの音楽であっても、優れた作品には一時の気分や体調に関係なく圧倒的に感動を産み出す何かがあるものだと思うけれど、
このアルバムにはそういうものが致命的に欠けているのは間違いないように思える。

プレスティジ時代のバラードは純粋に音楽として美しく、深い情感が素晴らしかったけれど、このアルバムでは先のような素直さは薄まり、
どこか濁った感情が混ざっているのを感じる。高音域帯にフレーズのほとんどがが集中しているところにもバラードとしてのマナー違反を感じる。
100パーセントのピュアなバラード集だとは言い切れないところがあり、なかなか込み入っていて複雑なアルバムだと思う。

オリジナルのモノラル盤はサウンド全体が重いのでそういうことを感じる訳だが、このペラジャケ盤のサウンドはもっとスッキリしているので、
カジュアルな感じで聴ける。BGM的にというのはそういう意味であって、別に悪い意味ではない。何でもかんでも深刻に聴けばいいというもの
でもないんだから、そういう聴き方があっても全然いい。


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国内盤の底ヂカラ(その15)

2020年06月01日 | Jazz LP (国内盤)

Zoot Sims / Zoot  ( 日本ビクター SMJ-7425 )


音がいい。これには驚いた。下手したら、オリジナルよりこちらのほうが聴き易いかもしれない。

ステレオプレスだが、不自然なところがない。楽器の音が艶やかで非常にクッキリしている。ベースの音がよく鳴っていて、サウンド全体が分厚い。
これはイケる。

ズートの音色はズートらしさが失われておらず、実際に生で聴いたらこういう感じだったのだろうと思わせる説得力がある。これは楽しい。
ステレオの音場感で聴く "920 Special" はまったく別の新しい曲に聴こえる。もう1つの新しい "Zoot" を聴いているような印象が湧いてくる。
全体的に音楽がよりなめらかで繊細で、グッと洗練度が増している。オリジナルの乾いたサウンドで聴くとズートの好んだ古風な音楽のスタイルに
聴こえるが、このサウンドで聴くともっと現代的でスマートな音楽として立ち上がってくる。

版違いの聴き比べの楽しさはここにある。新たな発見があるから楽しいのであって、どちらが音がいいかという話ではない。
同じ1つの作品をいろんな角度で楽しめるというのは素晴らしいことだ。オリジナルと違う音質であるのは当たり前で、問題はオリジナルとは
違うもう1つ別の新しい価値を提供できているかどうかだろう。そして、この盤はそれに成功している。

国内盤、恐るべし。これだから安レコ漁りは止められない。


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国内盤の底ヂカラ(その14)

2020年05月15日 | Jazz LP (国内盤)

Dollar Brand / This Is Dollar Brand  ( 日本 トリオ・レコード PA-7063 )


このアルバムは自身初のソロ・ピアノ作品として1965年3月にロンドンで録音されているが、実際に発売になったのは1973年。正確な経緯はよく
わからないが、おそらくは1969年にカフェ・モンマルトルで収録された "African Piano" が脚光を浴びたために、眠っていたこの音源をレーベルが
慌てて蔵出しリリースしたのではないだろうか。"African Piano" も初版はデンマークの Spectator Records が1970年にリリースしたものだが、
世間一般に認知されているのはドイツの JAPO Records が1973年に出した方だろう。つまり、ダラー・ブランドの個性が広く世間で受け入れられる
には、70年代になるまで待たなけれいけなかったということだ。

このアルバムは、ダラー・ブランドがアフリカ・ブランド化される遥か以前に録音されているため、そういう特定の色付けがされていない、
ある意味で純粋に音楽的な内容となっているのが非常に好ましい。ランディ・ウェストンや、とりわけエリントンのナンバーをメインに据えて、
それまでのジャズ界には見当たらなかったまったく新しい感覚で弾き切っている。

この非アメリカ的で、非ヨーロッパ的な、当時のジャズ界としては第三世界的な感覚は、それが一般的な人気に繋がるかどうかは別にして、
彼に初めて接した人々には驚異をもって迎えられたことは容易に想像できる。ただ、65年という時期はまだ早過ぎたかもしれない。

ここで聴かれる感覚は、非ジャズ的と取る向きもあったかもしれない。ジャズにおいて現代では当たり前になっている「新しい風」の流入も、
当時は音楽形式の進化こそ日常的にあっただろうが、このような音楽の土台となる感性の更新はあまり経験がなかったのではないだろうか。

ところが、時代背景的に受け入れが可能になった途端に「アフリカ物」が大量生産されるようになったのは、私自身は閉口するところがある。
本人がどう思っていたのかはよくわからないけれど、ちょっと企画が露骨過ぎて、商業主義臭さが鼻につく。だから、そうではないものを
探しながら聴くようにしているのだけれど、このアルバムの自然な音楽観は素晴らしい。

加えて録音が素晴らしく、ピアノを堪能するには最適の音質だと思う。ハイ・ファイというより、ピアノの残響が深く録られていて、
それが静寂感を醸し出し、音楽を豊かに再現している。日本トリオ・レコードも頑張った。国内盤のイメージを覆す音で、さすがである。


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国内盤の底ヂカラ(その13)

2020年05月14日 | Jazz LP (国内盤)

Miles Davis / 'Round About Midnight  ( 日本コロンビア PL 5062 )


エサ箱でこれを手にした時、ペラジャケ愛好家がなぜペラジャケを買うのかという疑問の答えがわかったような気がした。

これら国内初版はオリジナル盤と比べると音の質感が違うものが多いが、ペラジャケ愛好家にとってそういうのは重要なことではない。
製品としての魅力に惹かれて買うのだ。オリジナルとは音が違うということは頭ではわかっていながらも、ジャケットの淡い光沢だったり、
レトロな雰囲気だったり、盤を手にした時の重みだったり、そういう五感に直接訴えかけてくる何かに惹かれて買うのだ。

オリジナル盤を買うことを趣味とする人は、蒐集が一回りして買う物が無くなってくると、ステレオ・プレスや別国プレスに興味が移っていく。
レコードと戯れることが好きだから、買うことを止めることなんてできっこない。ディープでコアなマニアのSNSで、ステレオ・プレスの
音の良さを驚きをもって語られていないものはない。モノラルのオリジナルが唯一絶対と思い込んでいたのが、実はそうではなかったのだと
いうことにそこでようやく気が付く。

工業製品だからプレスが違えば物理的に音質が違ってくるのは当たり前で、そのことを目の当たりにした時にレコードへの偏愛に再び火が付く。
新しく目の前に現れた興味の対象に翻弄されながらも、レコードの魅力とはどれが一番音が良いかではない、それぞれに独自の魅力があるのだ、
ということがわかってくる。例えそれが自分好みの音ではなかったとしても、ジャケットの質感が好きだから、盤の手触りの質感が好きだから、
という理由で自分のお気に入りの列に加わることもあるのだ。そんな訳で、ペラジャケ愛好家はペラジャケを買うのだろう。

このアルバムも、アメリカのコロンビア盤とは音の質感は違う。録音が少し古いせいか、オリジナル盤はデッドな音場感で決して高音質という
感じではないが、楽器の音は太くしっかりとしている。それに比べてこのペラ盤の音は若干くすみがあり、やや大人しいかなという印象だが、
それでも悪くはない。

盤はレーベルがエンジで、フラット・エッジ。オリジナルよりも重い。盤の質感はこちらの方がいい。このタイトルのエンジ・レーベルは
カナダ盤の仕様で、アメリカ盤にもごく稀にあるらしいが、これはおそらくエラー・プレスだろう。グレン・グールドのバッハのパルティータの
レコードにも同じパターンがあるので、コロンビアでこういう事例は珍しくないようだ。米オリジナルは6ツ目でいいと思う。
ジャケットの写真の解像度も良好で、オリジナルとはまた違う趣がある。

但し、何でもかんでもペラジャケがいい、とまではやはり振り切れない。結局は物による。且つ、安くなければ買う気にもならない。
あくまでもそれは別荘であり、セカンド・ハウスだ。出物に遭遇した時にのんびりと買えばいいと思っている。


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国内盤の底ヂカラ(その12)

2020年05月09日 | Jazz LP (国内盤)

Junior Mance / The Soul Piano Of Junior Mance  ( 日本ビクター SR-7003 )


ジュニア・マンスと言えば判で押したようにヴァーヴの "Junior" の話になるが、それだけの人ではない、ということをシモキタで300円で拾った
このペラ盤が教えてくれる。安レコはいいな。いろんなことを教えてくれる。オリジナル盤を聴くといろんなことがわかるが、それと同じくらい
安レコもいろんなことを教えてくれる。こちらに学ぼうという気持ちさえあれば、世界は様々な啓示に満ちている。

黒人ピアニストに抱くイメージとは少し違うきれいな打鍵のタッチ、フレーズやノリのスマートさがよくわかるアルバムだ。録音の仕方の違いなのか、
ヴァーヴ盤に比べると全体的にはこじんまりとした印象だが、音楽はスッキリとしていて見晴らしがいい。ジャズらしいノリを重視しながらも、
各所で丁寧な処理を施した弾き方をしていて、それを積み上げることで楽曲全体が音楽的に豊かに響いているような建付けになっている。
そういうデリケートな仕上がりがとても好印象として残る。

このアルバムはモノラルとステレオの両方が揃っているが、ステレオ・プレスのほうが音がクリアでずっといい。一般的にこの時期の録音には両方の
形式で併行リリースされているけれど、ステレオ・プレスのほうが自然で音がいいものが多い。そろそろ認識を新たにしたほうがいいだろう。
この国内盤も楽器の音がクリアで分離も良く、とても自然な音場感。何も問題ない。安レコじゃなければこの地味なアルバムに手を出すことはなく、
ジュニア・マンスの本当の良さを知らないまま終わっていたかもしれない。


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