廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

抒情味に溢れる傑作

2023年07月09日 | Jazz LP (Milestone)

Thad Jones~Pepper Adams Quintet / Mean What You Say  ( 米 Milestone Records MLP 1001 )


単純なリフとアドリブだけだったビ・バップがメロディーとハーモニーを取り入れてハード・バップへ移行したように、ハード・バップもいくつかに
枝分かれしながら次のフェーズへと移行しているが、その支流の中に細々としながらもよりメロディアスで洗練された音楽へ発展したものがある。
音楽的にはこの時期の果実が実は一番甘くて美味しいのだが、レコードがあまり残されていない。おそらく、ライヴなどではそれなりに演奏されて
いたのだろうとは思うが、やはりアルバムとして発表するには向かなかったのだろう。音楽家たちはより新しい音楽を発表して生存競争に勝ち残って
いく必要があり、そのためにはそういう心地よさは後退を意味したのだろうと思う。

そういう状況の中で残されたこのアルバムは、他ではなかなか聴くことができない得難い内容を持った素晴らしい音楽を聴かせてくれる。
サド・ジョーンズは元々ゴリゴリのハード・バップからは少し離れたところにいた人で、アート・ファーマーなんかと同じように自身の穏やかな
音楽性をメインにした音楽をやっていたが、そこにペッパー・アダムスのハードボイルドな演奏とデューク・ピアソンの可憐な抒情性を加えた
なんとも洗練されて筋の通った上質な作品が仕上がった。

全編がマイルドでなめらかでメロディアスで、それでいて高度な演奏として1つにまとまっており、非常に素晴らしい。サド・ジョーンズの
フリューゲルホーンは望郷的な郷愁感が漂い、それに寄り添うアダムスのバリトンの硬質な抒情性が圧巻。そして、やはりピアソンのピアノが
よく効いていて、この人の個性が裏で音楽を1つにまとめている。出しゃばらなければロン・カーターのタイム・キープは適切で、メル・ルイスの
鉄壁のサポートで音楽は揺らぐことがない。

この時代の本流ではなくても、これは忘れらない1枚である。


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滲み出る風格と重み(2)

2022年09月15日 | Jazz LP (Milestone)

James Moody / The Blues And Other Colors  ( 米 Milestone MSP 9023 )


前作の "The Brass Figures" と同じコンセプト、ラージ・アンサンブルでトム・マッキントッシュのアレンジで臨んだ続編とも言うべき内容で、
ここではムーディーはソプラノとフルートを吹いている。2つのセッションが収められているがメンバーは豪華で、ジョニー・コールズ、
ジョー・ファレル、セシル・ペイン、ケニー・バロン、ロン・カーターと名うての顔ぶれが揃っている。

前作の2年後の録音で、雰囲気は少し変わっている。スタンダードが多かった前作に比べて、今回はムーディーのオリジナル楽曲がメインで
音楽はより独創的でユニーク。都会的なブルース調を軸に、よりカラフルな展開を見せる。69年のセッションはホルン、ヴィオラ、チェロ、
スキャットヴォイスも交えた凝った構成で、新しい試みを披露している。

"サウンドスケープ" 、つまり音楽はメロディーやアドリブを主眼とするのではなく、音による風景描写を目指すことがそのコンセプトとなるように
大きく変化していて、より視覚的というか、人に心象風景の映像を喚起させるような方向に舵を切っている。クラシックやジャズのような
インストを基調とする音楽は時間の経過の中で様式が発展して成熟していくとこういう風に抽象化していく。この変化は60年代後半になるとあちら
こちらで見られるようになって、例えばリーヴァーサイド後期にミルト・ジャクソンやブルー・ミッチェルもこういうアルバムを作っている。
音楽の動向や大きな流れに敏感だった演奏家は、そういう兆候のようなものをいち早く察知できたのだろう。

このアルバムはオリン・キープニューズがプロデュースに一役かっているが、彼もそういうところに敏感だったし、元々の音楽嗜好がシブいので
彼が絡んだ作品はどれもシックな仕上がりだったが、同じくその兆候を敏感にキャッチしてより大衆的にアピールしたのが先日亡くなった
クリード・テイラーだった。彼の場合はキープニューズとは対照的なアプローチと仕上げ方だったので、その俗っぽさが批判される傾向もあるが、
いずれにしても60年代のジャズの中にそういう音楽が現れてきたというのは興味深いことだったと思う。

ムーディーもおそらくはそういうサウンドスケープを表現するためにテナーではなくソプラノとフルートを吹き、アンサンブルの楽器構成を
考えたのだろう。地味で誰からも相手にされないこういうアルバムにも熟考の上設計された意図があるのだから、それをきちんと汲み取って
聴いてこそ、である。


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滲み出る風格と重み

2022年09月11日 | Jazz LP (Milestone)

James Moody / Moody and the Brass Figures  ( 米 Milestone MLP 1005 )


ロリンズやコルトレーンが出てきたことで駆逐されたテナー奏者は多いが、ジェームス・ムーディーもそんな中の1人だろう。50年代初期は
リーダー・セッションがたくさん用意されてレーベルの看板テナーだった時期もあったが、栄光の時期は長くは続かなかった。何と言っても、
それは厳しい世界なのだろう。

そうなってくると多くの奏者は活路を見出すべく、独自の路線を模索する。マルチ・リード奏者へと変貌したり、アレンジの勉強をして
ラージ・アンサンブルを手掛けてみたり。第2線級になると、そういう過程のものがアルバムとして結構残されるようになる。
そういうものに接すると、我々は困惑する。この人は何がやりたかったんだろう、と。スコープがぼやけているように見えて、どこに焦点を
あてて聴けばいいのかよくわからなくなる。

ムーディーにもそれが当てはまる。アーゴにたくさんリーダー作を残すことができたのはよかったけれど、これが取り留めのない内容で、
散漫な印象が残ることは否めない。フルートを多用したのもこの時期だが、この楽器はジャズには向かないので、どのアルバムも評価されない。
本人は新機軸としてまじめに取り組んだのだが、聴く側というのは勝手なもので、そういうミュージシャンの気持ちなどはお構いなしだ。

そういう流れがあるので、マイルストーン時期のこのアルバムも見向きもされないわけだが、これが実にいい内容なのだ。
アレンジはトム・マッキントッシュに任せて、自身はテナーの演奏に集中している。それが良かったのだろう、その音色は深みがあって、
演奏もゆったりと泰然とした雰囲気が濃厚で、素晴らしい。

バックのアンサンブルも控えめでうるさくなく、飽くまでもムーディーの演奏をそっと支えるという風情で、これが功を奏した。
ラージ・アンサンブルがバックに付く場合はこの演奏の良し悪しが作品の出来そのものを直接左右するが、ここでの演奏は成功している。
きっちりと纏まりがあって、テンポも適切で、アンサンブルのサウンドカラーもヴィヴィッドで好ましい。

変な小細工もなく、ユニークさへの志向もなく、とてもナチュラルで気持ちのいいジャズになっている。ベテランの風格というか余裕というか、
そういうものがいい形で滲み出ていて、そこに音楽としての豊かさを感じるのだ。本人にどこまで自覚があったのかはわからないけれど、
見かけ上の技巧に走る必要などなく、自身の中に蓄積されたものを糧として音楽を続けていけばこういういい作品はおのずと出来たんじゃ
ないだろうか。このアルバムを聴いていると、そんな風に思えるのだ。



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再発盤の風格

2020年09月15日 | Jazz LP (Milestone)

Bill Evans / Spring Leaves  ( 米 Milestone M-47034 )


同じくキープニューズが作った再発で、 "Portrait In Jazz" と "Exploraions" に、後者のセッション時に録音されたが未発表に終わった
"The Boy Next Door" を加えたもの。この2枚はステレオ初版が手許にないので、モノラル初版と国内初版であるビクターのペラジャケとで
聴き比べてみる。但し、ビクター盤はこの後複数の規格番号でリリースされていて、どうもマスタリングも変えているようなので、
今回のビクター盤はあくまでも初回のペラジャケに関して、ということで話を進める。

この3種類を聴き比べると、ビクター盤はモノラル・オリジナルの質感に似ているが、マイルストーン盤は違うテイストになっている。
ビクター盤はフォンタナのマザーを使っているようなので、リヴァーサイド盤の匂いが残っているのだろう。一方のマイルストーン盤は
ファンタジー社でリマスタリングされていて、完全にリプロダクションということになる。

ビクター盤のステレオの音場感はやはり楽器の左右のチャンネルへの振り分けが明確で少し偏り感があるのに対して、マイルストーン盤は
楽器が中央寄りに修正されていて、そういう面での違和感は解消している。

楽器単体の音については、ベースの音に違いが顕著に表れている。ビクター盤はベースの音が電気的に増幅されたように重低音感が増している。
これは意図的に音を触っているのかもしれない。それに比べて、マイルストーン盤の方は全体の音の纏まり方に重点が置かれていて、
何かが飛び抜けるようなことは避けている感じだ。非常に丁寧にリマスタリングされていて、音楽として聴き易い仕上がりになっている。

当時はオクラ入りした "The Boy Next Door" はエヴァンス本人が演奏の出来に満足できずにNGを出したということだが、確かに演奏が
ぎこちなく、十分にこなれていない印象を受ける。でも、エヴァンスはこの曲が好きだったようで、その後も頻繁に演奏しており、
シェリーズ・マン・ホールでのライヴ演奏では素晴らしい仕上がりになっている。そういう経緯が伺い知れるところも面白い。

こうして聴き比べをしていると、マスタリングというのは時代を映す鏡なんだということを感じる。単に音質を整形するということに
留まらず、過去にリリースされた音質への反省やその時代の再生環境への配慮、また経済成長の度合いだったり戦争や社会的混乱による
疲弊などの世相にも影響を受けて、新しいサウンドは生み出されていくのだろう。再発はオリジナルよりも音が悪いとして、やみくもに
再発盤を退ける態度には賛同しかねる。違いがあるのは当たり前で、その違いを楽しむ方が音楽はより楽しいのである。


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再発としてのオリジナル

2020年09月13日 | Jazz LP (Milestone)

Bill Evans / The Village Vanguard Sessions  ( 米 Milestone MSP-47002 )


ビル・エヴァンスを愛する人は、大抵の場合、いろんなヴァージョンの音源を聴く。もっと聴きたい、という気持ちがそうさせるわけだ。
これは自然な感情だと思うし、私にもその気持ちは痛いほどよくわかる。だから、同様に版違いをあれこれ買い込んでは聴いている。
同一タイトルのLP、CDを問わず片っ端から揃えては聴き比べを楽しんでいる人も大勢いて、その愛の深さにはとても及ばないけれど、
それでも聴き比べするのは楽しいものだ。

それは何も聴く側だけの気持ちではなくレコードを作る側も同じだったようで、エヴァンスを生み出した張本人であるキープニューズ自身も
一度手放したリヴァーサイド音源の版権を買い戻して、73年に自ら再編集し、ファンタジー社のエンジニアにリマスタリングさせて
再発している。その際に、当時は未発表だった曲も取り込んだ。これが、その後の再発戦争に火をつける導火線になったのかもしれない。
このマイルストーン盤は何と言ってもキープニューズ自身の手で作られたものだから、無数に存在する再発盤たちのオリジナル盤と言って
いい存在で、これがある意味では鏡になるのだろう。

リヴァーサイドのオリジナル・ステレオ盤は各楽器が明確に左右のチャンネルに振り分けられているので、いわゆる「中抜け」の印象があり、
そこが欠点の1つだった。このアルバムはそこに手が入れられていていて、楽器がもう少し中央に寄った感じになっている。
そのおかげで音楽の焦点が定まり、ステレオ・オリジナルより音楽が自然な雰囲気に仕上がっている。このマイルストーン盤は音がいい、
と感じる人が多いのは、おそらくはそれが影響している要因の1つではないかと思う。聴いていて、あまりに自然な音場感なのだ。
それに、ステレオ・オリジナルよりも音圧が高い。

もう1つの聴き所は、オリジナルには収録されなかった "Porgy" が聴けるところ。おそらく "My Man's Gone Now" と曲想が重なるので、
スペースの問題もあることから、どちらかを落とそうという判断になったのだろうと思う。ドラッグ禍にあったエヴァンスの暗い内面が
映し出されたような演奏で、ある種の凄みを感じる。

このマイルストーン盤はあまり欠点らしい欠点が見当たらない、優秀なヴァージョンと言えるのではないだろうか。何より音楽が音楽らしく
鳴っていて、この至高の演奏を心行くまで楽しめるというところが素晴らしい。これを聴いていて感じるのは、これだけ聴き比べをしても
音楽の価値が擦り減ることはなく、永久的な耐性があることが凄いということだ。幸せな音楽だなと思う。


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猫が不思議そうに見つめるもの

2020年06月30日 | Jazz LP (Milestone)

Lee Konitz / Spirits  ( 米 Milestone MSP-9038 )


非常に攻めた演奏を聴かせる。長いフレーズを悠々と聴かせるいつものプレイではなく、鋭利な短剣で次々と突き刺していくような強い意志が
込められた演奏だ。音色への配慮などはお構いなしで、どんどん切り付けていく。

収録された9曲のうち、5曲がトリスターノ作、1曲がウォーン・マーシュ作、残りがコニッツ自作というトリスターノの世界を描いたアルバムで、
タイトルの "スピリッツ" というのはトリスターノのことを指しており、アルバム自体がトリスターノに捧げられている。1971年という時代に、
既に忘れられたトリスターノの音楽を再び世に知らしめようとしたのだろうと思う。

マイルストーン・レーベルに残した作品は皆コンセプチュアルで、プロデューサーのオリン・キープニューズとコニッツで練り上げられた音楽が
作品として結実している。世評としては"デュエッツ" の方ばかりが褒められるが、このアルバムも明確なコンセプトに基づいた力作で、他のレーベル
に残したアルバム群とは一味も二味も違う。

当然、コニッツとサル・モスカによるユニゾンの箇所が多く、トリスターノ学派の不思議な音楽構造が浮き彫りになっている。古い音盤で聴くと
あまり感じないことだが、こうして後年の時代のアルバムとして聴くと、ジャズという音楽の中ではそれはなんと不思議な世界観だろうと思う。
音楽理論ではうまく割り切ることができないこの感覚はコニッツに染み付いていて、彼の音楽のインナーマッスル的エンジンになっているんだなあ
と思う。

このアルバムを聴いているとトリスターノの暗い顔が浮かび上がってくるかのように感じられて、アルバム・タイトルは "スピリッツ" ではなく、
"ゴースト" でもよかったんじゃないか、という気がしてくるのだ。


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己の気配を消す忍びの術

2020年05月27日 | Jazz LP (Milestone)

Wynton Kelly / Full View  ( 米 Milestone MSP 9004 )


ジミー・コブが亡くなった。91歳だったそうだ。突然の訃報に驚いたが、Yahooニュースに出たことにも驚いた。リー・コニッツの時は出てたっけ?
"Kind Of Blue" 最後の生き残り、という紋切り型の書きっぷりにうんざりしながらも、それは悲しい話だった。

その高名さとは裏腹に、50~60年代の全盛期に唯一自己名義のリーダー作を作らなかった、寡黙なドラマーだった。ドラマーがリーダー作をつくる
ことの是非について私はどちらかと言えば懐疑的な立場だが、彼もそうだったのかもしれないとぼんやりと考える。

強者揃いだったマイルス・バンドのドラマーたちの中でも、彼がいた時期のアルバム群の重要性は際立っていて、それは幸運な巡り合わせだった
と言ってしまうのは不公平だろう。彼がいたからこそ、である。"Kind Of Blue" がフィリー・ジョーだったら、若しくはトニーだったら、と考えると
それは明白なことに思える。あそこまで静かな音楽にはならなかっただろう。

彼のドラマーとしての最大の美質は、忍びの術で己の気配を消して、音楽を黙って支えたことに尽きる。これは共演する演奏家たちにとっては
最高の存在だったはずだ。派手なおかずを入れず、完璧なリズムをキープし続ける。濡れたように輝くデリケートなシンバル、羽虫が薄く
透き通った羽根を震わすようなブラシ音など、彼の演奏はいつも素晴らしい歌い手の静かな唱を聴いているようだった。

マイルス・バンドでの共演が縁となって、ウィントン・ケリー・トリオの常設メンバーとなってからケリーは傑作を連発するようになるが、
その中で私が最も好きなアルバムは、ケリー晩年のこの作品だ。それまでの跳びはねるような弾き方からは一皮むけた、グッと落ち着いて、
深いタメの効いた弾き方になっていて、濃厚なペーソスが漂う。ありふれたスタンダードに、他では聴いたことがないような新鮮さと
ディープな情感を感じる。

そして、この演奏に完全に一体化したジミー・コブのドラムが素晴らしい。無駄な音は一つも出さず、完璧にケリーのピアノと同化する。
最適なリズムを選択することで、ケリーは最高の演奏を残すことが出来たのだ。いい意味でドラムの存在感を消し去った音場感の中で、
ピアノは孤高の音を響かせている。

素晴らしい演奏をありがとう、ジミー・コブ。あなたは最高のドラマーだった。




R.I.P Jimmy Cobb


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叶わぬ願い

2020年05月10日 | Jazz LP (Milestone)

Lee Konitz / Duets  ( 米 Milestone MSP 9030 )


このアルバムを語る時は概ね自然と肩に力が入ってしまい、なんだか敷居の高い高尚な作品のような印象になってしまうけれど、実際のところは
そういう感じはまったくない。コニッツの音楽は本質的に "軽い" 音楽で、そこがいいのだ。通して聴くと疲れてしまうというようなことはなく、
アルトをメインにしているせいか、全体的に心地よい軽快さ、爽やかさがある。あの "Motion" もどこか浮遊して彷徨っているようなところがあって、
重苦しいところはない。それはまるで本人の人柄のように、音楽の中からどうしようもなくにじみ出ている。

難解さなんてどこにもない。メロディーから離れてインプロヴィゼーションを取る時点で既に自由を手に入れた、ということがコニッツのアルバムを
聴いているとよくわかる。コニッツの演奏が始まると、音楽の風景は一変する。その一瞬で変わる場面転換が快感だ。

"Alone Together における変奏曲" でも、自由な演奏をしながらも常に主題を挟むことでこの演奏がスタンダードであることを忘れさせないから、
聴き手は安心して演奏に身を任せることができる。演奏者の自己満足ではなく、聴き手をちゃんと意識した作りをしている。

リッチー・カミューカとのデュオではカミューカがリズム感に優れた演奏をするので、コニッツも安心して歌うようなアドリブラインをとる。
こうして比較すると、コニッツがアドリブをとる時にいつも見せる少しうわずったような語り口がよくわかる。そうそう、これがコニッツの
歌い方なんだよなあ、と今となってはしみじみと聴き入ってしまう。

レイ・ナンスとのデュオは、民族音楽臭の抜けたバルトークの音楽のようで面白い。レイ・ナンスはジャズでは普通やらないピチカートも多用して、
クラシック音楽の雰囲気が行ったり来たりする。なかなかやるじゃん、という感じで、御大もすごく頑張っている。コニッツのコンセプトに
深く共感した演奏で、それに応える力があるのが素晴らしい。エリントンのレコードだけ聴いていてはわからないこの人に実像の一歩近づける。

このアルバムの唯一の残念なところは、各演奏が短いところ。どの演奏ももっとしっかりと聴きたいのに、スペースの都合であっと言う間に
終わってしまうのがとにかく物足りない。これだけ充実した内容なのだから、最低でも2枚組にして欲しかった。優れた演奏にはいつもこういう
「おあずけ感」が残るものだが、このアルバムには特にそう感じる。パート2をやって欲しかったけど、叶わぬ願いとなってしまったな。


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妖しい雰囲気を放つ代表作

2018年03月24日 | Jazz LP (Milestone)

Joe Heendweson / Tetragon  ( 米 Milestone MSP 9017 )


レコーディング・キャリア上のピーク期だった頃の録音で、これを最高傑作と言う人が最も多い。 確かに、他のサルバムにはないある種非常に独特な
艶めかしく妖しい雰囲気が漂う。

このアルバムのそういうムードを作っているのがドン・フリードマンのピアノで、まるでビル・エヴァンスが弾いているような感じなのだ。 彼のリーダー作を
聴いている時は世間が言うほどエヴァンスを感じることはないけれど、ここでのフリードマンはそのフレーズといい、翳りのある表情といい、エヴァンス
そっくりで驚いてしまう。 このアルバムはフリードマン、ディ・ジョネットのセッションとケニー・バロン、ルイス・ヘイズのセッションの2種類が収録されて
いるけれど、この2つは雰囲気がまるで違う。 バロンとの曲は明るい陽が差し込む部屋、フリードマンとの曲は暗く翳りの降りた奥の間。

ディ・ジョネットのドラムもとても良くて、シンバル・ワークはトニー・ウィリアムスのようだし、リズムの作り方も凄まじい。 ロン・カーターは・・・・、
特になし。 まあ、いつも感じだ。 いずれにしても、そういうバックの演奏の素晴らしさに支えられて、このアルバムの名声は成り立っている。

ヘンダーソンのテナー自体はこのアルバムだけが突出して出来がいいということはない。 この前後のアルバムでも素晴らしいプレイはしていて、そういう
意味では完成されたスタイルを長く維持している状態にあったと思う。 この人とショーターはよく似たフレーズと吹き方をしていて、それまでのテナーの
巨人の影響下から最初に抜け出した一群の1人だけど、ショーターはキャリアの浅い時期の録音がたくさん残っているので進化の軌跡が判りやすいのに
比べて、ヘンダーソンはいきなりブルーノートに現れてリーダー作を連発し出したから、怪物としての印象が強く、そういう印象評価が先行している。

でも、この頃の彼のテナーはフレーズのラインは独特だけれど音程の幅が狭いし、音の強弱や色彩は一定なので、他のテナー奏者の演奏と比べると
派手さに欠ける印象が少しある。 偶にテキサス・テナーのような一本調子になる場面もあったりして(つまり長い小節の途中だと息切れする時がある)、
スタイルは完成しているけれど演奏力はまだ頂点を目指した登り坂にいたんじゃないだろうか。

それでも演奏レベルは並外れていて、A面最後の "The Bead Game" の4人の凄まじさは他を寄せ付けない。 これを聴くと、コルトレーン・カルテット
の演奏なんて生ぬるく思える。 フリードマンもディ・ジョネットもまるでいつもとは別人のような圧巻の演奏を聴かせる。


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ミニマリズムの完成形

2017年07月22日 | Jazz LP (Milestone)

Jim Hall / ...Where Would I Be ?  ( 米 Milestone MSP 9037 )


ジム・ホールは70年代に入ってからは、まるで人が変わったかのようにギターを弾きまくるようになった印象がある。 それまでの演奏は音数少なく、ジワ~と
ぼかしたトーンで空気を淡く染めるような感じだった。 引っ込み思案な性格も手伝って、常に後ろのほうへ隠れるような印象があったが、70年代以降は
ギターアルバムの制作のされ方が変わってきたこともあり、前面に立ってしっかりと弾くようになった。 だから、彼の代表作は70年代に集中している。

その中でも、この地味なアルバムは1,2を争う内容となった。 一般的にこの時期の名盤と言われるものはライヴ録音が多いが、スタジオでしっかりと作り込まれた
この作品は、当時ブラジル音楽に興味を持っていた彼の嗜好がにじみ出ている。 露骨に南米音楽をやってはいないところが如何にも彼らしいが、それでも
それが趣味のいいアクセントになっている。

バックのピアノトリオもジム・ホールのデリケートなスタイルにきっちりと合わせていて、彼の小さめなギターの音を決して邪魔しない。 彼は大きな音でグループを
制圧するのではなく、小さな音でバンドを統率するのだ。 まるで「北風と太陽」を地で行くかように。

タイトル曲の繊細なバラードや彼の有名な自作 "Careful" など、収録されている楽曲はどれもが魅力的で、それらが精緻な演奏で展開される。 落ち着いた
演奏が多いにも関わらず、聴き終えた後に残る充実感としての手応えは大きい。 60年代のアメリカ芸術界のミニマリズム運動のことを意識していたのかどうかは
定かではないけれど、ジャズ界では早くからこのミニマリズムの先駆者のようなことをやっていたジム・ホールの音楽は、この70年代に完成したのかもしれない。


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