廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

"Autumn Leaves" の名演

2019年11月30日 | Jazz LP (Roost)

Stan Getz / Chamber Music  ( 米 Roost RLP 417 )


20代の終わり頃(つまり大昔)、スタン・ゲッツのレコードを探しては熱心に聴いていた時期があった。その頃、ルーストの中ではこの10インチが最も
稀少だった。私の印象では、リー・コニッツのストーリーヴィルの10インチよりもこれを見る頻度は少なかったように思う。ネットがない時代で頼れる
メディアは雑誌や本だけだったが、このレコードはそこでも取り上げられることはなく、私のように意図的に探していた人間だけがこのレコードの存在を
知っていたような感じだった。だから、このレコードには少しばかり思い入れがある。

尤も、今はすっかり様相は変わっていて、ありふれたレコードとして立派なミドルクラスに落ち着いている。値段が安くなったのはいいことだと思う。
スタン・ゲッツのルースト・セッションは50年代初頭のSP末期で録音は貧弱だが、このアルバムはその中でも比較的マシな録音の楽曲が集中していて、
聴く分には悪くない内容だ。ルーストの10インチでは牛乳瓶が有名だけど、あれはどれも録音が悪くて全然楽しめない。

そして、極めつけの "Autumn Leaves" の名演が収録されている。なぜかこの曲だけがMUZA盤のような残響がしっかりと効いた録音になっていて、
暗闇の中からゲッツの姿が浮かび上がってくるような絶品の演奏が聴ける。メロディーの歌わせ方もフレージングもゲッツお馴染みのやり方で、
彼のスタイルの典型が凝縮された演奏だ。この曲のためだけにでも買う価値がある。

緑と赤の色使いがクリスマスの雰囲気を醸し出しており、12月が近くなると何となく聴きたくなるレコードで久し振りにターンテーブルに乗せて
ぼんやりと聴いていると、昔のことがいろいろと思い出されてくる。スタン・ゲッツの古いレコードにはそういうところがどこかある。


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年末廃盤セールが始まったが・・・

2019年11月27日 | Jazz雑記



先週末から年末廃盤セールが始まった。今年は値段が凄いことになる、という話を事前に聞いている。どうなることやら。
残っていれば買いたい盤があったので、まずは渋谷へ。12時前に着いた。

ところが、目ぼしい盤が全然残っていない。おかしいなあ、今日はみんな新宿へ行っているはずなのになあ、と
店内を見渡すと、カウンターに50枚くらい積み上げている輩が。どうやら、謎の東洋人のようである。

私のお目当てはその山の中に入っていた。やれやれ、と思いながら残り物を漁って、ランディ・ウェストンを1枚と、
通常在庫の中からMJQを1枚抜いた。前者は傷があるけど、ノイズはほとんど出なかったので問題なし。
後者は聴いたことがなくて、気になっていたもの。2枚で1万円なり。

さて、カウンターの山は崩れたかな、と見てみると、店員がダンボール箱を用意して、その中に全部入れ始め、
謎の東洋人は携帯の電卓アプリで何やら計算をし始めた。おいおい、全部買うのかよ、マジか。

馴染みの店員さんに「彼はホントに全部買うって?」と聞いてみると、「そうみたい・・・」とのこと。
少しずつ手放してはいるものの、終わるのを待っていたら日が暮れてしまいそうだったので、諦めて新宿へ。
後でブログを見たら、しっかりとSOLDとなっていた。

新宿に着いたのは13時過ぎで、当然、根こそぎなくなった後。残っているものを見るとどれも平常時の2~3倍の値段で
案の定恐ろしいことになっている。セールはまだ序の口なのに。

ちょうどアート・ペッパーの "Modern Art" を試聴している人がいた。値段がいくらだったのか結局わからなかったけど、
やっぱり買うまでにはそれなりに時間がかかっているみたいだ。きっと凄いことになっているんだろう。

タチの悪い冷やかし客のごとく、値段チェックをするだけして、冷たい雨に中を家路についた。
一発目はこんな感じで終わった。

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国内盤の底ヂカラ その5

2019年11月24日 | Jazz LP (国内盤)

Eric Dolphy / Eric Dolphy At The Five Spot  ( 日本ビクター MJ 7043 )


エリック・ドルフィーが嫌いだ。その原因を探るために主要なアルバムはすべて聴いたし、何度も繰り返し聴いているけど、未だに全然ダメ。
ドルフィーを褒める人は多いし、オリジナル盤はどれも漏れなく高額。つまり、人気があるということだ。そんなに人気があるのが信じられない。

今のところ、嫌いな理由として自覚しているのは、まずはアルトの音。あの音は生理的に受け付けられない。ただただ、気持ちが悪い。
もう一つは、彼の演奏には音楽を感じないところだ。どれを聴いても、この人の演奏からは音楽が聴こえてこない。

それじゃいけないような気がするので、いつでも検証できるように安いレコードを買って手許に置いておこうと思うのだけれど、
いざ、エサ箱の前に立つと買う気が失せてしまう。その繰り返しだったが、安いペラジャケがあったのでついでの勢いで拾ってきた。

「怒涛の」「火を噴くような」という形容詞が付けられるけど、ちょっとオーバーだ。"Fire Waltz" という曲名の影響かもしれないけど、
無責任な話である。確かにドルフィーのアルトが全面に出てはいるけれど、案外冷静に吹いていたんじゃないかと思わせるところがある。
ドルフィーのフレーズはキテレツだけど、受け皿となっている音楽自体は当時の主流派のジャズで、そこに噛み合わせの悪さがある。

ドルフィーの音楽は限りなくフリーに近いけれど、伝統的なジャズを踏まえていて、と言われる。そういうフリーっぽいところが魅力なんだろうか。
でも、それではなぜフリー自体はあんなに人気がないのだろう。そもそも、私はドルフィーの音楽にフリーの要素を感じたことがない。
奇想天外なフレージングや楽器演奏の卓越したところに惹かれるのだろうか。でも、私はドルフィーのフレーズにマンネリ感を感じる。
ラインそのものにはきっと意味はない。周到にコードを避けて、上下の振れ幅をできるだけ大きく取り、何度も往復する。
その繰り返し、若しくは単なるバリエーションの連鎖のように思える。
高い音圧、大きな音に圧倒されるのだろうか。確かに大きな音が出せるのは重要なことだけど、この人の場合は抑揚や陰影に乏しく、
常に似たような音量で、且つ表情不足で、そこにもマンネリ感を感じる。

とまあ、いつも考えが堂々巡りして出口がなく、解決しない。このままドルフィーの良さを理解できないまま、私のジャズ観賞人生は終わって
しまうのかもしれない。

このペラジャケは1,500円だったけど、音圧が高くて非常に迫力のあるモノラルサウンドだ。オリジナルは聴いたことがないのでどういう音なのかは
わからないけれど、これはこれでイイ線いってるんじゃないだろか。私のような門外漢にはこれで十分だと思う。

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国内盤の底ヂカラ その4

2019年11月23日 | Jazz LP (国内盤)

Helen Merrill / Helen Merrill  ( 日本 King Record MC 3025 )


美人白人女性ヴォーカルは聴かない。まあ、美人じゃなくても、白人女性ヴォーカルは聴かない。ちっともいいと思わないからだけど、おかげで
どれだけレコード代が節約できていることか。

ヘレン・メリルとて、例外ではない。素晴らしい歌手だと思うし、1曲、2曲聴く分にはいいんだけれど、アルバム1枚はもたない。あろうことか、
この天下の大名盤さえ、例外ではないのである。実を言うと、20数年前にヴィンテージマインでAランク、5万円のオリジナルを買ったけど、
その時もそんなにいいとは思わなかった。当時は名盤のオリジナル盤なら内容は関係なく何でも買っていたような初心者だったからだけど、
よくよく考えればそのころからさほど白人女性ヴォーカルは好きではなかったような気がする。

今でもそうだけど、このアルバムは "You'd Be~" 以外の曲はどれもつまらないという感想しか持てない。そもそも、他にどんな曲が入っているのか
すら、よく思い出せない有り様だ。"Don't Explain" は憶えている、1曲目だから。必ず聴くことになるから。あとは、"Born To Be Blue" は
入ってたっけ?どうだっけ?くらいの感じでしかない。

"You'd Be So Nice To Come Home To" は世紀の名唱である。それは間違いない。クインシー・ジョーンズのアレンジも圧巻だ。ブラウニーの音程の
正確さも完璧だ。でも、残念ながら素晴らしいのはこの曲だけだと思う。それ以外は何度聴いても、まったく記憶に残らない。"Falling In Love With Love"
なんて酷い出来だと思う。こんなの、よくOKテイクになったよな、という感じだ。

そういう訳で、このレコードがうちにやってきたのは20数年ぶり。このペラジャケはちょっと高くて、2,500円。人気作だから、値付けも強気だ。
でも、我々の世代は国内盤で2,500円というのは許容範囲。若い世代の人のために言っておくと、その昔、街中に普通にレコード屋があって、新品の
レコードが売っていた頃は、国内盤の定価は1枚2,500円と相場が決まっていた。

フラットディスクでDG有りで、しっかりとした作りのレコードだ。ジャケットも丁寧な作りだと思う。音質はマイルドな質感で、オリジナルとは
方向性が違う。おそらくオリジナルの音は当時の日本の住宅環境には合わないということで、リマスタリングされたんじゃないだろうか。
決して音が悪いということではない。違う質感だという話である。

ここで取り上げられているようなタイプの曲やそのアレンジは、ヘレン・メリルにはあまり合っていないような気がする。彼女にはもっとゆったりと
歌わせるようにした方がいい。元々声量がないし、技巧的な上手さがあるわけでもなく、それらを補うべく雰囲気作りの上手さで聴かせるタイプだ。
ジャケットの意匠のインパクトやブラウニーとの共演というところで実態以上の評価になっていることは否定できないだろうと思う。

"You'd Be~" は歌うには非常に難しい曲だろうと思う。それをこんなに上手く歌いこなしたんだから、素晴らしい歌い手であることは間違いない。
これに関しては、彼女以上の歌が今後出てくることないかもしれない。この曲に限っては時々聴きたくなる。だから、質のいい国内盤が手許にあれば、
私にはそれで十分なのだ。そういう私のニーズに応えてくれるものが、国内盤にもちゃんとある。

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国内盤の底ヂカラ その3

2019年11月22日 | Jazz LP (国内盤)

Kenny Dorham / Quiet Kenny  ( 日本ビクター SMJ-7380 )


ペラジャケが900円で転がっていたので拾ってみた。ホコリを被ってケニー・ドーハムのコーナーに刺さっていた。今まであまり意識したことはなかった
けれどよく見ると結構転がっていて、他にも何枚か拾っておいた。特に思い入れもなく高額なオリジナルを買う必要のないものは、品質のいい国内盤で
十分である。何の不満もなく、楽しく聴くことができる。

このアルバムは第2版以降はどの国のプレスもすべてステレオ盤としてリリースされている。国内盤も最初のトップランクだけがモノラルで、以降は
すべてステレオプレスだ。私が聴いていたのはVIJ規格の一番ポピュラーな国内盤だったけれど、それを聴いていた時もこのペラジャケを今回聴いた
際にも思ったのは、このアルバムは元々の録音はステレオ録音だったんじゃないか、ということだった。

他にもOJCのCDも聴いたけれど、それらのどの規格で聴いてもステレオ再生の音場感は非常にナチュラルで心地いいサウンドだ。疑似ステレオのような
不自然さはまったくなく、たぶんステレオ録音だったことは間違いないと思う。じゃなきゃ、こんなきれいなステレオ再生になるわけがない。
オリジナルが発売された59年はまだ一般家庭の再生環境はモノラルが普通だったから、モノラルプレスにミックスダウンされたのだろう。だから、
このレコードのオリジナル盤の音は凡庸で冴えないんだろうと思う。アート・テイラーのシンバルの音も、トミフラのピアノの音も、楽器が本来
持っている綺麗な音で鳴っている。

サウンド面はこれらステレオ再生がベストチョイスということでいいとして、問題は内容ということになる。ワンホーンで、トミフラのトリオがいて、
ブルースとスタンダードのバラードがミックスされていて、と名盤の方程式を満たしているせいか昔から名盤としての評価は揺るぎないけれど、本当に
そうなんだろうか。このまったりとしてユルい演奏はそれ自体はこういう演奏もあるということでいいと思うけれど、それ以上の話ではないと思う。

このレコードをいわゆる名盤だと思わされて20万円のオリジナル盤を買ってしまうと、音質への不満が募るし、ハジけない演奏に内心合点がいかない、
ということになってくるのが本音じゃないだろうか。このアルバムは40年近く前から聴いてきたけれど、私の認識ではジャズにはよくある一介の
地味なマイナー盤の1つに過ぎない。ドーハムが一流プレイヤーであるのは間違いなく、彼にはもっといい演奏が他にいくらでもある。

このレコードは(こういう言い方は嫌いだけれど)いわゆるB級盤だ、という認識に立つと、その割には丁寧な演奏でよく出来ているじゃないか、
という感想に変わってくる。そして、千円前後のステレオ盤で聴けば音質への不満が出てくることもなく、ドーハムの貴重なワンホーンの作品として
そのありのままの音楽を愉しむことができるようになると思う。

オリジナル盤を探して買うのは楽しい趣味だ。ただ、このレコードに関しては、もっと別の選択肢があると思う。
長年ジャズを聴いてきて、たくさんのオリジナル盤にも塗れてきて、ようやくそのことが理解できるようになった。

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いずれはステレオプレスで

2019年11月17日 | Jazz LP (Epic)

Charlie Rouse / Yeah!  ( 米 Epic LA 16012 )


1940年代のビ・バップ時代から活動し、ファッツ・ナバロなんかとも共演していた割にはリーダー作に恵まれず、日陰の存在だったように思う。
テナーのレコードを聴こうと思った時にすぐにこの人を思い出すことはなくて、何かの拍子に「そう言えば、チャーリー・ラウズがいたな」と
気が付く感じだ。いいテナー奏者なのにいつも視界の外にいる感じがもったいない。尤も、そういうところがマニア心をくすぐるのかもしれないけれど。

数少ないリーダー作の中の唯一のワンホーンアルバムとしてマニアから寵愛されるこのアルバムは貴重な存在だが、ラウズの魅力が100%開花しているか
と言えば、そうは思えない。フィル・ウッズの場合もそうだけど、どうもエピックのアルバムの内容はどれも演奏が抑え気味で演奏者の力が余っている
ようなところがあって、聴き終えた後の爽快感が希薄だ。ラウズはもっとエモーショナルに吹いても決して下品になることがないのが美点の人だ。

魅力があるとは思えないアップテンポの曲を間に挟んでいるけど、どうせなら全編スロー・ミディアムのバラードアルバムにすればよかったんじゃないか
という構成上の疑問も残る。手放しで褒めたいのに、そうはさせてくれないところがこのアルバムにはある。

このアルバムの後に、例えばベニー・グリーンの "Back On The Scene" を聴くと、ラウズのプレイは別人のように表情が活き活きとしていて、陰影感の
彫りの深さも遥かに上回っているのがわかる。聴き終えた後の手応えや充実感が全然違う。だから、私がラウズの演奏を聴こうと思って取り出すのは
いつもデューク・ジョーダンの "危険な関係" やベニー・グリーンのこのアルバムだし、思い出すのは "The Feeling Of Love" や "Melba's Mood" だ。

ただ、ラウズのテナーはいい音色をしているし、ペック・モリソンのベースがきれいで生々しい音で録れているなど、エピックらしい高品質なモノづくり
になっているのはとてもいい。できればこのレコードはステレオ盤の方が聴きたいんだけれど、縁が無い。演奏に覇気がないと感じるのはモノラルだから
なのかもしれない、と思うようになった。ステレオ盤で聴くともう少しいい方向に印象が変わるんじゃないか、という予感がある。


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買わない方がいいレコード その2

2019年11月16日 | Jazz LP (Verve)

Stan Getz / Stan Meets Chet  ( 米 Verve MG V-8263 )


余計なお世話だと思うけれど、このレコードは買わないほうがいい。特に、高い値段が付いているものは。

とにかく音が悪い。レコードの、というよりはマスタリングに失敗している感じだ。音がこもっていて、演奏が奥に引っ込んでいる。これでは音楽の
良さなんてまったくわからない。役者が揃い、選曲もよくて名盤の資格十分なのに、そうはならなかったのはひとえにこの音の悪さによる。

音楽の輪郭がよくわからないので内容を評価しようがない、困ったレコードだ。チェットの演奏の印象がまったく残らないし、ゲッツの演奏にも
普段感じる感銘を受けることがない。ピアノはジョディー・クリスチャンという人だが、あんた誰?という感じだ。一体どういうセッションだった
のだろう。好きなアーティストが2人揃っているので何となく処分しきれずに手許に残っているが、どうしようかな、といつも思う。

聴いていて不快さがあるわけではないので、まったく聴かないということではない。さりとて、聴いても感動することはない。そういう中途半端さが
面倒臭い。こういうレコードもちょっと珍しい。他に同じようなパターンはあるかなと考えてみたが、何も思い付かない。

一口にオリジナル盤と言っても、いろんなレコードがあるよなあ、という話である。由緒あるヴァーヴのしっかりとした初版で有難いはずなのに。
さっさと売ればいいだけなんだけど、売っても大した金にはならないし、と思うと踏ん切りもつかない。こうして、「箪笥レコード」が生まれる。
マニアのレコード棚にはこういうレコードがきっとたくさん眠っている。


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サヴォイのカーティス・フラー最後の1枚

2019年11月10日 | Jazz LP (Savoy)

Curtis Fuller / Images Of Curtis Fuller  ( 米 Savoy MG 12164 )


昨日、新宿に出る用事があったのでそのついでに暗くなりかたけた夕刻に新宿ジャズ館に寄ったら、これが転がっていた。私の理解ではこのレコードは
弾数が少なくて珍しいはずだが、1,980円というギリ安レコだった。長らく探していたがまったく見つからず、これも諦めていた1枚だったが、こうして
忘れた頃にあっけなくぶつかる。まあ何にせよ、サヴォイのカーティス・フラー最後の1枚がようやく我が家にやって来てくれて懸案の1つが片付いた。

1960年6月の録音で、ユーゼフ・ラティーフ、リー・モーガンの組み合わせとラティーフ、ウィルバー・ハーデンとの組み合わせの2つのセッションが
入っている。ピアノがマッコイ・タイナーだったり、と新しい世代のメンバーがいるため、音楽は従来のハードバップからは脱却した雰囲気があり、
サヴォイのレコードっぽくない。そういう所がモダンジャズ愛好家たちからは敬遠されるのかもしれない。

こういうニュー・ジャズでは、リー・モーガンやカーティス・フラーは分が悪い。モーガンは新しい波にちゃんと乗ることができた人だけど、この時点では
まだその準備ができておらず、かなり苦戦している。この2人に比べて、ラティーフやマッコイの活躍は目覚ましい。まさに時代が変わる節目の作られた
このレコードには、新旧世代交代の様子がありありと刻まれている。サヴォイでのフラーの役割はここで終わった。唯一、ウィルバー・ハーデンが少ない
出番ながら気を張ったプレイをしている。これならモーガンではなく、ハーデンだけで録音すればよかったんじゃないかと思う。

このレコードはサヴォイ後期の制作のためか、RVGの刻印がない。にもかかわらず、驚くような高音質で鳴る。普通のボリュームだとうるさ過ぎて
とても聴けない音だ。これを聴いていると、RVGの世界もそろそろ通用しなくなってきた時代が来ていたんだなあとなんだか切ない気持ちになる。
いろんな意味で、時代が一回りして次の新しい時代に移ろうとしていた様子がしっかりと刻まれている。


年末の大型セール直前のこの時期、ユニオンは商品の動きが悪く、客足もまばらでいささか不気味な雰囲気になる。ある信頼できる情報筋によると、
今回の年末セールは海外の買い付け価格の高騰で店頭価格はえらいことになるらしい。具体的には書けないけれど、一部のレコードは日本人が
買えるような値段にはならないんじゃないか、ということである。ちょっと大袈裟な気もするけれど、もし本当だとしたら、大型セールに照準を
合わせている人には何とも気の毒な話である。こんなことで身を持ち崩したりしないよう、ほどほどに頑張っていただきたいと思う。


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代理体験としての中古漁り

2019年11月09日 | Jazz LP (Columbia)

Art Farmer / Plays The Great Jazz Hits  ( 米 Clumbia CL 2746 )


中古レコード漁りをしていて一番嬉しいのは、こういうレコードを拾えた時。人気がない安レコで内容がいい、そういうレコードを見つけた時だ。
これに勝る快楽はない。

例えば、今年に入ってからバド・パウエルの "The Scene Changes" を一体何枚見ただろう。20枚くらい?いや、もっと見ているような気がする。
人気があって高い値段で売れるレコードは頻繁に流通する。だからあとは自分のタイミングで買えばいいだけで、こういうのはさっぱり面白くない。
売り手にしてみればこんなに扱いやすいレコードはないだろうけど、探す行為が好きな私からすれば一番うんざりする代表格。

ところがこのファーマーのレコードときたら、この数年で店頭で見かけたのはこの1枚だけ。人気がなく、売っても金にならないからだ。
でも、私はこのレコードをずっと探していた。コロンビア時代のファーマーは誰からも相手にされないけど、私は好きだから秘かに探していた。
でも全然ぶつかることなく時間は流れ、すっかり忘れかけた頃になって急に遭遇することになる。この瞬間がたまらない。この快楽のためだけに
レコード屋に通っていると言っても過言ではない。手に入れるまでのプロセスが大事で、一瞬の快楽が強烈で、手に入れた後は興味が失せる。
言うまでもなくそれはセックスの快楽そのもので、男が中古漁りにハマるのはそこに代理体験を見ているからなのかもしれない。


ファーマーがジミー・ヒースと組んで、シダー・ウォルトンのトリオをバックに当時のヒット曲を演奏するという、何とも安易な企画内容だ。
演奏時間も短く、芸術性とは無縁と言ってもいいかもしれない。でも、私はこのクインテットが醸し出す雰囲気がどうしようもなく好きなのだ。
ファーマーの淡くくすんだ音色とジミー・ヒースの硬くダークな色彩の対比が素晴らしい。バンドとしての纏まりは完璧だと思う。

ブルーノート4000番台の世界観を損なうことなく、もっとポピュラリティー高くまとめた演奏でいかにもコロンビアのアルバムらしい。
でも、このアルバムはそこがいい。このバンドの演奏なら何をやっても好きになってしまう。


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ヴォーカリーズを愉しむ その3

2019年11月04日 | Jazz LP (Vocal)

King Pleasure / King Pleasure Sings  ( 米 Prestige LP 208 )


"キング・プレジャー"とは何とも人を喰った芸名だけど、本名はクラレンス・ビークスだ。テネシーからニューヨークに出てきてバーテンダーを
していた時にエディー・ジェファソンがクラブで歌っていた "Moody's Mood For Love" を聴いて真似し出したのがキャリアの始まりだったらしい。
51年のアポロ劇場のアマチュアコンテストでそれを歌って優勝してプレスティッジの眼に留まったということらしいが、詳しくはよくわからない。
私が知っている限りではレコードは3種類しかなく、それだけでは当時どういう活動をしていたのかを伺い知ることはできない。

美声とはとても言えるタイプではないけれど、エディー・ジェファーソンやジョン・ヘンドリックスよりもよく通る大きな声質だったことが功を奏して、
その歌は強く印象に残り、レコードは何度もシングル・カットされてヒットした。そのおかげでヴォーカリーズの第一人者と認識されたようだ。
歌い方もブルースのフレーズをいささか投げやりな雰囲気で歌うところがうまくツボにはまっており、1度聴くと耳に残る。

キング・プレジャーと言えば、ここに収められた "Perker's Mood" が最も有名ではないかと思う。パーカーの吹いたフレーズに歌詞を付けて、パーカー
さながらに気怠く、それでいて強く張りのある声で歌ったこの歌唱の印象は強烈だ。その他、ベティー・カーターを迎えた "Red Top" やスタン・ゲッツ
の演奏で有名な "Jumpin' With Symphony Sid" なども収録されている。この後が続かなかったのが不思議だ。

ヴォーカリーズはやはり技術的には難しいジャンルだったのだろうと思う。さほどたくさんの歌い手は輩出されなかったし、エンターテイメント性が
高くてライヴではウケたかもしれないが、レコードを制作するところまでは至らなかったのかもしれない。何となく、元の演奏をおもしろおかしく
諧謔的にパロディー化しているような印象もなくはないし、そういう誤解を与えかねないところはあるけれど、実はそんなことはなくて、オリジナルの
演奏への深い敬意と愛着に満ちた世界なのだ。

このスタイルは廃れることはなく、85年にマンハッタン・トランスファーが満を持して "Vocalese" を発表する。これはジャンルを超えた大傑作で、
私の30年以上の大愛聴盤だ。エディー・ジェファーソンからマントラまで丹念に聴いていくと、ヴォーカリーズはジャズのフィーリングに溢れた
素晴らしいスタイルだということがよくわかる。この先も稀有な才能が登場することを心底願って止まない。


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ヴォーカリーズを愉しむ その2

2019年11月03日 | Jazz LP (Vocal)

Eddie Jefferson / Letter From Home  ( 米 Riverside RLP 411 )


3大レーベルはヴォーカル作品をほとんど作らなかったが、数少ないタイトルにはデッカやキャピトルのようなメジャーレーベルが手掛けなかった
独自のセンスが光るものが多く、ジャズ専門レーベルの矜持が見られる。ブルーノートのシーラ・ジョーダンなんかは素晴らしい内容だし、
プレスティッジは録音の機会が与えられてこなかったアール・コールマンを取り上げ、リヴァーサイドはマーク・マーフィーの傑作を作っている。
どれもジャズの本流の中に歌手を引っぱり込んで歌わせるという作り方をしていて、そこが他のレーベルとは決定的に違う。各レーベルが一流の
ミュージシャンたちを契約で抱えていたという強みがそれを可能にした。

エディー・ジェファーソンの初リーダー作は1962年になってやっとリヴァーサイドからリリースされた。アーニー・ウィルキンスやジョニー・グリフィン
など当時のレーベルお抱えのミュージシャンらがバックを支える豪華な作りで、演奏はとてもいい。オリン・キープニューズがタイトル曲の歌詞を
書いたりしていて、アルバム制作への気合いの入り方が違う。有能な才能たちが集まって総がかりでこのアルバムに取り組んだ雰囲気が伝わってくる。

エディーの声はスモーキーで、歌い方も柔らかい。それがバックの演奏とうまく調和していて、全体がいい雰囲気でまとまっている。ヴォーカリーズの
技を聴かせるというよりは、音楽全体で聴かせる仕上がりになっているのが心地よい。歌が浮いておらず、音楽の中にうまくブレンドされている。

アルバム最後に置かれた "Bless My Soul" は "Perker's Mood" の変名で、歌詞もエディー自身が書いたものに変更されて、キング・プレジャーとの
差別化が図られている。元々ヴォーカリーズとしてはエディーが先駆者なのに、後発のキング・プレジャーのレコードのほうが売れたりして、認知度は
どうやら逆転していたらしい。音楽家にとってレコードを作るというのは大事なことだったのだ。

リヴァーサイドはいいアルバムを作る。こういうのはブルーノートではあり得ない。3大レーベルはそれぞれの路線を明確にしながら、意識的だったのか
無意識のうちにだったのかはよくわからないけれど、お互いにうまくホワイトスペースを補完し合っていたと思う。そのおかげで、我々はジャズとは
一体どういう音楽だったのか、を知ることができるのだ。


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ヴォーカリーズを愉しむ

2019年11月02日 | Jazz LP (Vocal)

Eddie Jefferson / Body And Soul  ( 米 Prestige PRST 7619 )


ヴォーカリーズの創始者はこのエディー・ジェファーソンだと言われている。ジューク・ボックスから流れるコールマン・ホーキンスの "Body And Soul" を
聴いて、そのサックスのパートすべてに歌詞をつけてライヴで歌うようになったのが本格的なヴォーカリーズの起源だったらしい。1939年後頃のことだ。
ホークの "Body And Soul" は当時ヒットして有名だったから、たぶん本当の話だろう。

その後、キング・プレジャーやランバート・ヘンドリックス&ロス、マーク・マーフィーらが続き、レコードもリリースするようになるが、肝心のエディー
のレコードは60年代に入るまでリリースされることはなかった。理由はよくわからないけれど、長年冷や飯を食わされていたのは気の毒な話だ。ただ、
ヴォーカリーズ自体マイナーな分野だから、レコードの需要はさほどなかっただろう。どの歌手もさほどレコードがたくさん残っているわけではない。
唯一、マーク・マーフィーは長くコンスタントにアルバムをリリースしているけれど、彼の場合はヴォーカリーズは隠し味程度に使っていたから、
普通のヴォーカリストとして認知されていたということだと思う。

美しい声で上手く歌うということよりも有名楽器奏者が残した名アドリブをそのまま歌詞をつけて人の声で再現するということが目的だから、歌唱として
の魅力はここにはあまりない。でも、まるで声による曲芸とも思えるような歌いっぷりはどれを聴いても感心するし、純粋に楽しい。音楽の広い裾野を
実感することができる。

最初に歌ってから20年以上経ているけれど、代名詞の "Body And Soul" を筆頭にマイルスの "So What" やホレス・シルヴァーの "Psychedelic Sally”
などの極め付きのヴァージョンが聴ける楽しいアルバムになっている。ジェイムス・ムーディー、デイヴ・バーンズやバリー・ハリスらがバックを固めて、
彼らの演奏を聴くだけでも楽しいものがある。

ジャズの世界ではこういうのは際物扱いされているせいもあって、当然安レコ扱い。ただ聴く人も少ないし、売っても金にならないこともあってだろう、
レコード自体があまり流通しないのが難点。逆の意味で入手が面倒臭いタイプのレコードかもしれない。ジャケットにはドリルホールがあるけれど、
まあどうでもいい感じだ。
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