廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

身を任せるしかない美しさ

2020年04月16日 | jazz LP (Fantasy)

Bill Evans / I Will Say Goodbye  ( 米 Fantasy F-9593 )


昔(30年ほど前)は、マニアの間でビル・エヴァンスの晩年の作品は今ほどは評価されていなかった。エヴァンスと言えばリヴァーサイド時代で、
それ以外は聴く必要がないという雰囲気があった。イージーリスニングに堕した、という認識があったように思う。それを思うと、今は多くの
人が晩年のエヴァンスをしっかりと聴いて評価するようになっていて、とてもいいことだと思う。そういう面ではリスナーは昔より健全になって
いるように感じる。

"You Must Believe In Spring" へと繋がるこのアルバムの素晴らしさは今更議論の余地などあるわけがないけれど、年季の入った硬派な愛好家にとって、
こういうアルバムを素直に受け入れることができるかどうかは意外とハードルが高く、一種の試金石になっているんじゃないだろうか。こんな軟弱な
音楽に果たして肩入れしていいのだろうか、という疑問が湧いてくる人は少なからずいるだろう。

ここで聴けるエヴァンスのピアノについて分析的な聴き方をするのは、さすがにナンセンスだと思う。彼の生涯の詳細な軌跡を知り、作品の多くを
長年聴いてきた我々にとって、この時点でこういう作品が出てきたというのは当然の成り行きだということが既によくわかっている。だから、この
アルバムを前にすると、ある種の無力感に襲われる。この美しさに身を任せる以外、できることは他に何もないと感じるからだ。

如何にもミシェル・ルグランらしい表題曲の美しさに陶酔しながらも、私はジョニー・マンデルの "Seascape" に心奪われる。マンデルにしか書けない
独特の美しい旋律を、エヴァンスは豊かなハーモニーを付けながら情感を込めて弾いていく。そのメロディーは、ただひたすら美しい。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソニー・クラークが西海岸にいた頃

2019年06月19日 | jazz LP (Fantasy)

Cal Tjader / Tjader Plays Tjazz  ( 米 Fantasy 3-211 )


カル・ジェイダーがソニー・クラークとブリュー・ムーアを迎えた1955年の録音に、ジェイダーがドラムで参加したトロンボーンのボブ・コリンズの
カルテットによる別録音音源を追加して12インチとして発売されたもの。 お目当ては前者のセッションだけど、コリンズとのセッションも
味わい深い演奏で、これはこれで悪くない。

まずはソニー・クラークに目が行くけど、西海岸時代のクラークはまだ駆け出しの時代で、録音されたものは出来不出来がはっきりと分かれる。
私の聴いた範囲ではバディ・デフランコとのセッションは優れているが、それ以外の録音はどれもパッとしない。 そんな中でこのジェイダーとの
録音はまずまず。 一聴してクラークとわかるわけではないけど、予備知識抜きでも印象に残るピアノを弾いている。

それに比べて、ブリュー・ムーアはファンタジー・レーベルでの2枚のリーダー作と同様の個性を見せており、こちらはわかりやすい演奏をしている。
レスター、ゲッツ系統だが、まだ覚束ない感じの演奏だ。 西海岸に来たのは競争の激しいニューヨークではやっていけなかったからかもしれない。

ジェイダーのヴィブラフォンは冴えている。 どの曲も演奏時間は短いながらもひんやりと冷たく、音色もきれいだ。 フレーズは淀みなく流れ、
音楽の清潔さを決定的なものにする。 この頃の西海岸のジャズは、何かに追い立てられるような東海岸のそれとは違い、レイドバックしている。
ウエストコースト・ジャズが好きな人は、きっとそういう雰囲気に惹かれるんだろうなと最近になって思うようになった。

ただ、カル・ジェイダー自身の音楽はそういう特定の色はついていない。 ナチュラルなジャズである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お財布に優しいカル・ジェイダー

2019年06月15日 | jazz LP (Fantasy)

Cal Tjader / Cal Tjader Quartet  ( 米 Fantasy 3-227 )


ヴィブラフォンの話になった時に、カル・ジェイダーの名前が出てくることはまず無い。 ルックスがジャズ・ミュージシャンとしての凄みに欠けるせい
かもしれないし、ファンタジー・レーベルが名門レーベルではないからなのかもしれない。 表面的なイメージだけが独り歩きして、アーティストや
作品自体の純粋な評価は置き去りになるのは世の常だとは言え、この有り様は気の毒を通り越してあまりに酷いんじゃないかと思う。

彼が奏でるフレーズは柔和でメロディアスで、趣味のいいセンスの良さを感じる。 シリンダーの響きもよく、ヴィブラフォン本来の愉楽に満ちている。
音数も過不足なく適切で、知情のバランスが取れているおかげで音楽は常に自然な表情をたたえている。 その上質な肌触りは常に心地よい。

このアルバムはヴィブラフォンとピアノトリオによるカルテットの演奏で、この人の実像が一番よくわかる内容だ。 スタンダードなどの穏やかな曲を
ヴィブラフォンの演奏で聴きたい時にはこれに勝るものはない、うってつけのアルバムだと思う。 バックのジェラルド・ウィギンス、ユージーン・ライト、
ビル・ダグラスのトリオも優雅で芳醇な演奏で、特にユージーンのベースは音が大きく録られていて聴感上も聴き応えがある。

60年代に入るとラテン音楽に傾倒するようになり、聴く人を選ぶようになっていくけれど、50年代はストレートなジャズをやっていて間口の広い音楽が
聴ける。 いい意味で軽快なサウンドだけど、決してサロン風に堕することはなく、しっかりと正統派のモダン・ジャズで実力は確かなものだった。
おまけにお財布にも優しいとくれば、これはもう聴くしかない。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短信 ~ 安レコで聴くマリアーノ

2019年01月30日 | jazz LP (Fantasy)



よく転がってる安レコ、よく見たらチャーリー・マリアーノが入ってることに気が付いた。

初出の10インチにはどうも縁がないので、これを拾って来た。 この12インチはプレスが良くて、音もいい。 

マリアーノのアルトが朗々と歌う素晴らしい演奏に聴き惚れる。 

ナット・ピアースの方は凡庸なウエストコースト・ジャズで、聴いているといつの間にかウトウト・・・・



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西海岸時代の記録

2018年08月15日 | jazz LP (Fantasy)

Brew Moore / Brew Moore  ( 米 Fantasy 3264 )


サン・フランシスコに移住後、地元のローカル・ミュージシャン達を集めて録音された演奏で、トップが2テナー。 ブリュー・ムーアはレスター派、もう1人は
少しアーシーなタイプなので、聴き分けは容易にできる。 典型的な地方都市のローカル・ジャズ・セッションで、舗装されていない田舎道を年代物の中古車で
ガタガタと揺れながらのんびりと走っていくような、平易で邪気のない音楽が聴ける。 どこの街でも日々普通に演奏されていたであろう、人々の生活の中に
溶け込んだ飾り気のないジャズ。 こういうのは安レコで拾ってこそ、という気がする。 悪い意味ではなく、そうじゃなきゃダメだよなと思う。

50年代のファンタジーの典型的なモノラル録音で、ナロー・レンジでデッドな音でオーディオ的快楽度はゼロ。 傷一つないコンディションなのに、これだもの。
演奏の微妙なニュアンスや表情も、あまり聴き取れない。 

ニューヨークから西海岸に移ったのが1954年、その後60年代に入ると欧州へと移住する。 主流派としての仕事のありそうな所へと自然と流れて行くような
移動の軌跡だ。 そういう流れに身を任せるような生活の中で、地道に演奏活動をしていたことが偲ばれるようにポツリポツリとレコードが残っている。
この人のテナーを味わうなら欧州で作られたものを聴くほうがきっといいのだろうけど、これはこれで悪くない。 ブリュー・ムーアという人の音楽への
スタンスがよくわかるレコードだと思う。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一つのミッドナイト・ブルー

2017年12月03日 | jazz LP (Fantasy)

Kenny Burrell / 'Round Midnight  ( 米 Fantasy 9417 )


ケニー・バレルはアルバムを作ることに熱心で、自分でプロデュースしたりもしている。 だから作品がたくさんあって、我々には恵み多きアーティストだ。
どのレコードも弾数は多く、幻の稀少盤なんてものもない。 ボチボチと拾っていけばかなりの数を聴くことができる。

便宜的に時代を3分割した場合、中期の大傑作がこれになる。 1972年にファンタジー社のスタジオで録音されていて、RVGがカッティングしている。
特にRVGの優位性は感じられないけれど、それでもレコードをかけると部屋が彼らしい深夜のスタジオの雰囲気に満ちた深みのある残響感に染まっていく。

リチャード・ワイアンズやジョー・サンプルがエレピを弾いていて、これがとてもいいムードを演出している。 アルバム全編がスロー・バラードで統一されていて、
この静謐な浮遊感は筆舌に尽くしがたい。 ジャズ・ギタリストは大勢いるけど、こういういわゆるジャージーな雰囲気のアルバムを作れた人はあまりいない。
"ミッドナイト・ブルー" という言葉は、まさにケニー・バレルのためにある言葉だ。 "欲望という名の電車" で始まるというのも渋過ぎる。

エレピがいるので、バレルは自由にシングルノートで飛翔する。 ワイアンズのエレピもほどほどの音数でツボを押さえたプレイに終始する。 それらが絡み合って
1日の終わりの深い時間の静かな空気をじわじわと拡げていく。 理想的なジャズ・ギターのブルーな世界。 ジャズ・ギターはいつもこうであって欲しい。


コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Happy Birthday, Mr. Desmond

2017年11月25日 | jazz LP (Fantasy)

The Dave Brubeck Quartet ( 米 Fantasy 3-7 )


今日はポール・デスモンドの誕生日だそうだ。 ということで、書きかけの記事を一旦止めて、デスモンドの聴けるレコードへ変更だ。

デスモンドがブルーベックと組んで活動を始めたのは1951年頃で、この頃にレコーディングした音源は最初は78rpmで発売されている。 それらは後にLP期に
入って10インチや12インチで編集されて発売し直された。 だから、ファンタジー盤は曲の重複が多くて訳が分からない。

そういう古い録音を聴いても、デスモンドは既にデスモンド・トーンでアルトを吹いているから驚いてしまう。 何と言っても、まだパーカーが生きていた時代だ。
デスモンドも当然パーカーの演奏を生で見ただろうし、一体そのショックからどうやって距離を置いたのだろう。 その冷徹さには想像を超えるものがある。

この頃はまだユージーンやモレロは参加していなくて、ベースやドラムはメンバーが入れ替わり立ち替わりで、リズムは単調な演奏が多い。 でもブルーベックは
既にブルーベックのピアノだし、デスモンドもまろやかなトーンで、スタイルは既に出来上がっている。 コロンビア時代と少し違うのは、デスモンドが演奏を
リードしていて、アルトが鳴っている時間が長いことだ。 コロンビア時代はちょっと大家風を吹かしているような感じで、一くさりさらっと語って、その後は
3人の演奏を見守っているようなところがあったけど、この頃はリード楽器らしく演奏を主導していた。 まあ、若かったんだね。

このアルバムには "Alice In Wonderland" や "My Romance" 、"Look For The Silver Lining" が含まれていて、エヴァンスやチェットがレパートリーを組む際に
これをお手本にしたことがよくわかる。 アリスの冒頭のピアノはエヴァンスのピアノとよく似ているし、チェットの歌声とデスモンドのアルトはそのトーンに
冷たい雨で湿った空気のような同じ匂いがする。 日本ではあまり人気がないこのグループは、実はその後の白人ジャズの基盤になっているのだ。

今日は家で静かにデスモンドのアルトが鳴っているレコードを聴いて過ごそう。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポール・デスモンドの考えるジャズ

2016年12月17日 | jazz LP (Fantasy)

The Paul Desmond Quartet featuring Don Elliott  ( 米 Fantasy 3235 )


貴重なポール・デスモンドのリーダー作だが、このジャケット・デザインはある意味この人の音楽的特徴を上手く暗示している。 サン・フランススコ在住の
女性画家が描いた絵画を採用している。 大人が描く子供が描いたような絵を観る時に感じるある種の奇妙な感じ、それはデスモンドの一見無拓で
清らかなアルトが、実はそういううわべだけの印象ではその本質を語ることはできないとすぐに悟る時に感じる居心地の悪さと共通している。

サックスとトランペットの2管でピアノレスという形はマリガン・カルテットを意識したものだろうけど、デスモンドの麗しい音を堪能するにはバックで
鳴る和音楽器がないほうが好ましい。 ベースとドラムスは当時のブルーベック・カルテットの2人で、終始控えめにリズム・キープするだけのスタイルで
あることも幸いしている。 デスモンドは自分が演奏している最中に背後でうるさくやられることをとても嫌ったから、これは理想的な演奏だったのだろう。
ドン・エリオットもトランペットとメロフォンを交互に持ち替えて、そのとぼけた音が全体のサウンドを穏やかでまろやかにしている。

どの曲も落ち着いたミドル・テンポ設定で、非常に穏やかで上品なテイストに満ち溢れている。 でも、マリガンやゲッツらのような乾いたサウンドとは違い、
適度の湿度と潤いを湛えたみずみずしさ(なんだか女性のお肌の話みたいだけど)があり、ほんのりと芳香漂うような色香がある。 そういう印象とは裏腹に、
デスモンドのアルトは弱々しいどころか、力強く生々しいサウンドで鳴っていて素晴らしい。

西海岸の白人ジャズではあるけれど、ポール・デスモンドはアンサンブル形式を嫌い、あくまでも東海岸のアドリブ主体のジャズにこだわり続けたので、
音楽的には王道のジャズになっているのが非常に好ましい。 ブルーベックが苦手な人でも、これならきっと愉しめるだろう。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Black Hawk のブルーベック、デスモンド

2016年07月09日 | jazz LP (Fantasy)

Dave Brubeck Quartet / Jazz at the Black Hawk  ( 米Fantasy 3-210 )


サン・フランシスコの有名なナイトクラブ "ブラック・ホーク" でのライブ演奏を収めたものだが、これがなかなかいい。 

この頃のカルテットはまだベースとドラムスが地元のローカル・ミュージシャンで、録音によってメンバーが入れ替わったりしていたこともあり、実質的には
ブルーベックとデスモンドの2人のバンドという感じだった。 ブルーベックはこの頃から既にスイングしない縦乗りの奏法をしていて、デスモンドも
そのスタイルや音色がこの時点で完成しており、どこから聴いてもブルーベック・カルテットになっている。

コロンビアに移籍した途端に上品で取り澄ましたような演奏が目立つようになるけれど、このファンタジー時代はもっと音楽が生き生きとしていて、
親密で、時に粗削りで、とてもいいと思う。 西海岸のバンドなのにつまらない編曲などには目もくれず、きちんとアドリブ主体のジャズを志向した
おかげで、白人らしいあっさり感とジャズ本来の楽しさや躍動感がうまくブレンドした独自性を獲得している。 

ファンタジーのカッテイングも音圧が高く、音楽がダイナミックに伝わってきて、レコードで聴く至福を味わえる。 やさぐれた感じのジャケットデザインも
内容とマッチしていて、いい感じだ。

ブラックホークは何と言ってもマイルスの録音で有名なクラブで、一体どんなに立派な所なのかと思いきや、実際は驚くほどこじんまりとした建屋だ。
収容キャパも100~200人くらいだそうで、満員の時は小さなステージと客席の境はないに等しい感じになる。 それは遠く離れた小島に住む私達には
信じ難い距離感で、そういう情報を見る度にジャズという音楽へのどうしようもない距離の遠さを思い知らされる。 我々は所詮は部外者なのだ。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何か意味のあるピアノ

2016年03月13日 | jazz LP (Fantasy)

Duke Ellington / The Pianist  ( 米 Fantasy F-9462 )


1966年と1970年に録音したピアノトリオの演奏を1974年にオリン・キープニューズらがファンタジー社のスタジオでミキシングし直して発売されたレコードで、
エリントンがスモールグループで録音した演奏としてはおそらくは最後に近いものではないだろうか。 とにかくエリントンの音源はあまりに多過ぎて、
正規のもの、ブートレグ、編集物らが入り乱れていて、私なんかにはとても何がなんやらさっぱりわからない。 でも、そんな中でエリントンのピアノが
純粋に愉しめるスモールコンボのレコードは数えるほどしかない。

エリントンのピアノのルーツはラグタイムやストライド・ピアノだから、左手が常にリズムを刻んでいくことで、ピアノ単独でリズム・和音・メロディーが
完結するスタイルだ。 だから、ここにベースやドラムが加わる場合、それらは通常の意味でのリズムセクションとは少し異なる演奏をすることを迫られる。
特にベースはリズムキープだけではなく、少しリード楽器的なアプローチをすることが許されることになるので、レイ・ブラウンやミンガスなんかは相性が
よかった。 そういうメンバーとの演奏の際は、エリントン自身は間を多めにとったピアノをわざと弾いていて、共演者のプレイを楽しんでいるような
ところがあった。

でも、ここではそういう風に対等に渡り合えるようなタイプの共演メンバーではなかったので、エリントンはパブロ盤の時よりも遥かに両手をたくさん
動かして目一杯ピアノを弾いている。 そのお蔭で、他のアルバムよりもエリントンのピアノがたっぷり聴くことができる。

エリントンのピアノを聴いていつも思うのは、それが「何か意味があるピアノ」だということだ。 我々の眼には見えない、どこか知らない場所に存在する
何かとても重要なもの、それを常に暗示しているような気がしてならない。 オカルト趣味は特に持っていないけれど、音楽としてピアノが鳴っている
というのではなく、何かの啓示を聴いているような、その意味を探り当てないと帰ってこれないような、何か意味のあるピアノ。 うまく表現しきれない。

収録された曲はすべてエリントン作曲のもので、あちらこちらにエリントンのストックフレーズが出てくる、どちらかと言えば彼自身の鼻歌のような簡素な
曲ばかりだ。 自宅で指慣らしのために思いつくまま弾いたものを採譜したような、普段着の演奏が聴ける。 にも関わらず、エリントンのピアノの音は
強烈で、何も言葉が出て来ない。 黙ってそこに埋め込まれた意味を探り続けることになる。 いつか、その意味がわかる日は来るだろうか。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする