廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ジーン・クイルを見直す

2020年02月29日 | Jazz LP

Joe Newman and the Biily Byers Sextet / Byers' Guide  ( 米 Concert Hall Society CHJ-1217 )


ユニオンの凄いところは、こういう趣味の良い安レコが何気なく転がっているところなんだと思う。仕事帰りにフラッと立ち寄って、千円か二千円で
小一時間ほど心地よく遊ばせてくれる、大人のワンダーランドである。大人のためのワンダーランドは他にもいろいろあるだろうが、その場限りの
刹那的消費ではなく、手に入れたブツはしばらく繰り返し楽しめて、十分堪能して処分すれば使った金の半分は戻ってくる。こんなに割のいい快楽が
他にあるだろうか。健全だよな、と思う。

これは当たりのレコードである。ジョー・ニューマン、ビリー・バイヤーズ、ジーン・クイルの3管フロントが奏でるシルクのような柔らかい肌触りの
トップラインとルー・スタイン、ミルト・ヒントン、オジー・ジョンソンの適切なリズムセクションが絡む、極上のジャズ。これ以上、一体何を望む
のか、という感じだ。クレジットにはないけれど、おそらくビリー・バイヤーズが音楽監督をしているのだろう、非常に上質な内容である。

そして、この中でひときわ輝いているのが、ジーン・クイルのアルトサックス。フィル・ウッズとの双頭バンドでは互いの個性が共食いになっていて、
この人の真価はまったくわからない。ところがこういうセッションになると、ウッズを彷彿とさせる都会的で知的なアルトが輝かしく鳴り始める。
アドリブラインも非常になめらかで上手く、耳が釘付けになる。ワンホーンのリーダー作がないのがつくづく悔やまれる。6人の演奏は皆素晴らしい
けれど、これはジーン・クイルを聴くレコードだ。

コンサート・ホール・ソサイエティーはその名の通り、メインはクラシックの録音を通販で提供していたレーベルで、ジャズのカタログはあまり多く
なく、あってもライセンス販売がほとんどだが、これはおそらくこのレーベルのオリジナル録音だろう。いいレコードを残してくれた。


コメント (4)
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ロニー・ボールを見直す

2020年02月24日 | Jazz LP

Peter Ind / Looking Out  ( 米 Wave LP-1 )


ジャケットはUS製、盤はUKプレス、というハイブリッドで廃盤としての価値はゼロ、ということで安レコとして転がっていたので拾ってきた。
紆余曲折の末、US盤がオリジナルということで今は落ち着いているが、かつての真贋論争の影響か、こういう訳の分からない組み合わせの中古品が
出来上がったようだ。以前の持ち主の混乱ぶりが手に取るようにわかる。UKプレスは品質が良いので、安レコであるのは私にはありがたい。

ジャズ界一のドストエフスキー顔、ピーター・インドが自主制作した一連のWaveレーベルの音源は大衆性の希薄な内容でまったく売れることなく、
それがマニア心の琴線に触れて珍重されるが、実際に聴いてみると恐ろしく地味なものの、不思議と音楽的な魅力に満ちていて、マニアだけのものに
しておくのは勿体ない内容だ。ピーター・インドはアメリカ滞在時期にまず自身のレコーディング・スタジオを設立しており、そこで同じ嗜好性を持つ
仲間を集めて録音しているため、録音自体は悪くない。このアルバムもステレオ針だとやせ細ったサウンドでダメだが、モノラル針で再生すると
クリアでヴィヴィッドなサウンドで鳴る。

ピーター本人の名義なのでベース・ソロのパートが圧倒的に長く、それを面白いと思うかどうかで評価は分かれるだろうが、私が耳を惹かれたのは
A面のロニー・ボールの弾くブルースだった。

ここに集まっているメンバーはトリスターノ一派で、ロニー・ボールは管楽器奏者のバッキングで活躍し、自己名義のピアノトリオのアルバムを
作ることなく1984年に亡くなってしまった不遇のピアニスト。レコードとしてはコニッツやテッド・ブラウンなどのバックで聴けて、その典型的な
トリスターノ・マナーでそれなりに評価は高いだろうと思うが、ここで聴けるブルース・プレイには彼の素の姿が垣間見れる気がする。

黒人奏者のようなブルース感は皆無だけれど、そのポロンポロンとつま弾くピアノの音には独特のペーソスが感じられて、不思議と惹かれる。
B面のサル・モスカのセッションとは明らかに雰囲気が違う。管楽器のいない親密なムードが漂う演奏で、どれも心に残る音楽になっている。
トリスターノの楽理を通過した後に各人の中に残った音楽がこういう内容だったというのは興味深い。

廃盤界のオリジナル談義も面白いが、このアルバムはそれだけで終わらせるには惜しい内容で、流れてくる音楽を愉しむべき良いレコードだ。
シーラ・ジョーダンが1曲だけ参加する "Yesterdays" もいいアクセントになっている。マニアにしか楽しめないレコードでは決してない。

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ジャック・ティーガーデンを見直す

2020年02月22日 | Jazz LP (Verve)

Jack Teagarden / Mis'ry And The Blues  ( 米 Verve V-8416 )


これぞジャズ!という傑作である。どうして誰も褒めない? こういう古風な音楽はもう誰も聴かないのだろうか。

この「見直す」シリーズは、言うまでもなくすべて安レコ。順番に800円、1,600円、1,550円、このティーガーデンは850円。レコードなんて1円でも
安いほうがいいに決まっている。ジャケットにドリルホールがあったって、安くて盤がきれいならオールオッケー。

安レコは宝の山である。ここには未知なる名盤がたくさん眠っている。そして、この積み上げられた安レコの山を掘るというのは、同時に自分の中の
どこかで眠っている未知なる感性を掘り起こす行為でもある。掘り続けた末に手にすることができたお気に入りのレコードとは、それらはつまり
自分の心の一部なのだ。

このレコードはトロンボーンやスイングのコーナーではなく、Male Vocal のコーナーに入れるべきレコード。ティーガーデンが全面で歌っている。
トロンボーンはオブリガートがメインだ。ティーガーデンの歌は、ネイティブアメリカンと白人のハーフである彼の外見の印象そのままである。
この顔からしか出てこない歌声だよなあと思う。あまり歌い過ぎないところがいい。ひとくさりサラっと歌って、あとは上質な演奏に任せる。
哀感漂う、イマドキの言葉で言うところの"エモい"音楽。陽が傾き、黄金色に染まった風景の中を家路に着くような雰囲気が濃厚だ。

ニューオーリンズ、デキシーランド、スイング、このあたりの正確な境目は私にはイマイチ判然としないけれど、このアルバムは1961年のシカゴで
録音されていて、さすがに垢抜けて洗練されている。夕暮れの風景を想起させる音楽だけど、それは田舎の風景ではなく、街中の風景だ。
そして、それはヨーロッパの街並みや日本の街並みにはまったくそぐわない。アメリカの風景のなかでしか存在しえない音楽だと思う。
そういうアメリカの良心のような音楽が全編に渡ってバッチリと刻まれている。レコードの音質も極めてよく、音楽を生々しく再現してくれる。

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ジミー・ジュフリーを見直す

2020年02月22日 | Jazz LP (Verve)

Jimmy Giuffre 4 / Ad Lib  ( 米 Verve MG V-8361 )


人知れず佇む傑作である。どうして誰も褒めない? まあ、こんなのは誰も見向きもしないのかもしれない。

ジミー・ジュフリーと言えば、"真夏の夜のジャズ" での "The Train And The River" ということでAtlantic盤を手に取って大体が終わりだろう。
カントリー&チェンバーなジャズという1つのスタイルを確立したAtlantic諸作は見事だけれど、ワンパターンなので飽きがくるのも早い。
そこで他の作品も、と手を出すとこの人はその後フリーに接近するので、ほとんどの人がそこでついて行けなくて諦めることになる。
だから、このアルバムも当然見落とされる。

これがジミー・ロウルズ、レッド・ミッチェル、ローレンス・マラブルをバックにしたテナーのワンホーンでスタンダードをゆったりと演奏した、
管楽器奏者としては王道の、でもジュフリーのカタログとしては異色のアルバムだということはおそらくほとんど認識されていない。
そして、ここではテナーがまるでロリンズのような音色で朗々と鳴らされていることも知られていない。映画を観た人は、この人はゲッツのような
テナーを吹く人なんだという認識で止まっているだろうが、それはある一面でしかない。テナーをクラリネットに持ち替えて演奏される曲もあるが、
音楽的なスタイルは何も変わらない。

ブラインドで聴けば、ほとんどの人がロリンズのアルバム?と思うであろうこの演奏、ジュフリーはわざと物真似をしてみせて、こういう風にも
吹けるのだ、と言いたかったのかもしれない。楽曲のテンポの取り方もロリンズが好むタイプのもので、徹底的にコピーしているように思える。
音色だけではなくフレーズもそっくりで、"Ad Lib" というタイトルはロリンズの代名詞としての暗喩なのではないだろうか。

そう考えると、ジュフリーという人の一筋縄ではいかない音楽の痕跡がここでもしっかりと残っているのがわかる。自分の素の姿をさらさず、
常に何かの仮面を被っている。聴き手が近づいてくるのを拒むかのような距離感の取り方がいかにもこの人らしいと思うのだ。

そういう思念が一通り巡り終わると、このアルバムを純粋に楽しむことに没頭すればいい。極上のワンホーン・ジャズだ。バックのトリオの演奏も
上質で繊細で懐が深く、最高である。愛着の持てないジャケットだけど、これは傑作。間違いない。

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ジャック・ウィルソンを見直す

2020年02月16日 | jazz LP (Atlantic)

Jack Wilson / The Two Sides Of Jack Wilson  ( 米 Atlantic 1427 )  


傑作である。どうして誰も褒めない? 安レコだから、なのかもしれない、やっぱり。

ジャック・ウィルソンと言えばブルーノートのアルバムへの言及ばかりだが、やはりまずはピアノトリオを聴くべきだろう。尤も、録音の機会には
まったく恵まれず、レコード期のまともなピアノトリオはこれくらいしか残っていないのではないか。リロイ・ヴィネガー、フィリー・ジョーが
バックに付いているんだから、悪いはずがない。そう考えて手に取るとこのアルバムが圧巻の仕上がりであることが判り、これ、最高だよ、と
一人で小躍りすることになる。

まず、このレコードはフィリー・ジョーのドラムの風圧の凄さ、ヴィネガーのベースの轟音に殺られてしまう。この2人の音が生々しくクリアに
録られていて、ピアノトリオとしての快楽度MAXなサウンドを体感できる。特に、ヴィネガーのベースの正確無比で強い音圧は最高だ。
ベース好きなら耳が釘付けになり、身悶えするレコードになっている。

ファースト・サイド、スロー・サイド、と分けられた編集で、A面のアップテンポの楽曲でベースとドラムの快楽を味わえるが、B面のバラード集では
ウィルソンの美音に酔わされる。コードの鳴り方が美しく、レガートなフレーズも優雅で、楽曲のしなやかさが見事だ。

とにかく上手いピアノを弾く人で、その演奏力の高さには圧倒されるけれど、そこには嫌味な印象はなく、楽曲を音楽的に聴かせるのが上手い。
豊かなピアノトリオの音楽を聴いたなあ、という深い充足感が残る。もっとたくさんのアルバムを残して欲しかった。

1964年のモノラルプレスだが、このレーベルのイメージとは裏腹に音質はとてもいい。楽器の音色に艶があり、音場感も自然だ。時期的にステレオ
プレスが当然あるので、そちらも気長に探そう。レコード屋に通う楽しみは尽きない。


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マリアン・マクパートランドを見直す

2020年02月15日 | Jazz LP (Capitol)

The Marian McPartland Trio  ( 米 Capitol T-785 )


傑作である。本当に素晴らしいピアノ・トリオだ。どうして誰も褒めない? 安レコだから、かなあ。

マリアン・マクパートランドは英国人で、第二次大戦後に渡米した。当時のアメリカで女性のジャズ・ピアニストとして活躍していたのはメアリー・
ルー・ウィリアムスくらいしかいなかった。1949年に52番街のヒッコリー・ハウスのハウス・ピアニストになることができて、ようやく演奏の基盤が
確立した。ビル・クロウとジョー・モレロが彼女を支えた。

彼女は意外にレコードがたくさん残っている。つまりアメリカではきちんとジャズ・ピアニストとして評価されていたということだ。このアルバムを
聴けばピアニストとしての力量、ジャズ・ミュージシャンとしてフィーリング、ピアノ・トリオとしての纏まりの良さ、それらが手に取るようにわかる。
こんなにしっかりとした演奏、なかなかお目にかかれない。

"Bohemia After Dark" のカッコよさ、ベースのウィリアム・ブリットのオリジナル "The Baron" の優雅さなど、音楽的な聴き所は無数にある。
ジョー・モレロのドラムはこの頃から独自のキレの良さを発揮していて、後のブルーベック・カルテットでの演奏を予感させるに十分だ。
加えて、このレコードは音質がとてもいい。クリアなモノラルサウンドがとても心地よい。キャピトル盤もなかなかのものだ。

B面のラストに置かれたマリアンのオリジナル "There'll Be Other Times" の物憂げなメロディーでこのアルバムは幕を閉じる。
女性らしい繊細な気遣いに満ちたアルバムだと思う。新しくピアノ・トリオの名盤100選が編まれる時は、こういうのも忘れずに入れて欲しい。

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ウィルバー・ハーデンのことを語ろう(3)

2020年02月11日 | Jazz LP (Savoy)

Wilbur Harden / Jazz Way Out  ( 米 Savoy MG-12131 )


1958年6月のセッションがまとめられたコルトレーンとのザヴォイ・セッション最後のアルバム。アルバムが違っても "Tangakyika Strut" と収録日は
同じなので、演奏の質感は何も変わらない。良質この上ないハードバップが聴ける。

おそらくこの一連のセッションはコルトレーンを録りたかったサヴォイがプレスティッジとの契約が邪魔をしてコルトレーン名義に出来なかったために
リーダーレスとして発売したのだろうと思うけれど、その際にコルトレーンがウィルバー・ハーデンをパートナーに指名したというのは興味深い。
コルトレーンはこの時期にプレスティッジに残した録音でもハーデンを指名していて、よほど気に入っていたことがわかる。彼はマイルスと同様、
共演者や取り上げる楽曲に対して慧眼を発揮した。ハーデンが病気で体調を崩さなかったら、コルトレーンが高名になっていくのと歩調を合わせて、
あのコルトレーンが共演に選んだということで注目されていったことだろう。そう思うと何とも残念だ。

この6月のセッションではハーデンの出番はいささか控え目になっている。こういうタイプの演奏では、やはり我が強い奏者が表立って目立つ。
カーティス・フラーの野暮ったいソロを聴くよりはハーデンの美しい音色を聴くほうがずっといいに決まっているけれど、ハーデンは終始控え目だ。
競争の激しいこの世界で、これではやっていくのは難しかったかもしれない。

それでも、サヴォイは最後に彼のためにソロ録音を用意してくれた。9月の終わりに、ハーデンはワン・ホーンで "The King And I" を吹き込む。
これは彼の代表作であると同時に、トランペットによるワン・ホーン・アルバムの最高傑作の1つとなった。見る人はちゃんと見ているということだ。
このアルバムは、廃盤界の並みいるラッパの超高額盤たちが束になっても敵わない、他を寄せ付けぬ孤高の存在として私の中では君臨し続ける。

ワン・ホーンで彼の美音を浴びる快楽に勝るものはないけれど、こういう多管編成の中でも彼の美音は相対化されて際立ち、彼の存在がより鮮明に
浮き上がってくる。一連のサヴォイ録音を聴いていると、本当に得難いミュージシャンだったんだなということが身に染みて感じられるのだ。

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ウィルバー・ハーデンのことを語ろう(2)

2020年02月09日 | Jazz LP (Savoy)

Wilbur Harden / Tanganyika Strut  ( 米 Savoy MG-12136 )


前作 "Mainstream 1958" セッションに引き続き、5月、6月にもヴァン・ゲルダー・スタジオでコルトレーンと録音に入る。カーティス・フラーを呼び、
リズム隊は入れ替えてのセッションだ。タイトル曲は6月のセッションからだが、残りの3曲は5月の収録になる。

冒頭の正に闊歩するような軽快なテーマ部を経て、ハーデンのフリューゲルホーンのソロが始まるとこのアルバムの素晴らしさは約束されたも同然、
という気分になる。この後にコルトレーン、フラーへとソロのバトンは渡されるが、やはりハーデンの歌うようななめらかなソロは群を抜いている。
単純な構成の楽曲と演奏だけどマイナー調の哀感のあるとてもいい曲で、映画やCFのワン・シーンで使われてもよさそうな楽曲だ。

そして、ラストの "Once In A While" でハーデンの抒情的な歌心が炸裂する。コルトレーンもフラーも、先導するハーデンの演奏をお手本にしながら
ゆったりと吹くが、クオリティーでは大きく引けを取る。サヴォイのセッションはリーダー名を特定していないけれど、演奏の内容を聴くと明らかに
ハーデンが全体を主導していることがわかる。まるでこの曲はこういう風に演奏しろよ、と全体に指示を出しているかのようだ。他のメンバーたちは
忠実にそれに従うことで演奏が纏まり、1本のスジが通るようになる。

3管になるとハーデンのソロのスペースも減るが、この人の音色とフレーズの印象は演奏時間の長い短いに関係なく、しっかりと心に残る。
そこが素晴らしいと思う。

ヴァン・ゲルダー独特の残響が効いた翳りのあるサウンド、3管の力量や演奏配分のバランスが取れた構成、わかりやすい曲想など、内容的はまるで
ブルーノートの1500番台後半の雰囲気そのままなのに全く評価されていないのは解せないが、個人的にはブルーノートやプレスティッジばかりを
有難がる世間の風潮は却って都合がいい。こういう優れた内容のレコードが安く買えるからだ。そういう風潮が続く限り、レコード屋へ行って
パタパタとめくっていく楽しみは無くならないだろう。そういう中でウィルバー・ハーデンのレコードに出会えれば最高じゃないかと思う。

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ウィルバー・ハーデンのことを語ろう(1)

2020年02月08日 | Jazz LP (Savoy)

Wilbur Harden / Mainstream 1958  ( 米 Savoy MG-12127 ) 


私が一番好きなトランペッター、ウィルバー・ハーデンのことを語ろう。

1969年に45歳という若さで亡くなってしまったせいもあって、リーダー作は1枚しか残っていないし、その他のレコーディングもコルトレーンの陰に
隠れてしまって表立って見えることもない。遅咲きで活動時期も短かかったこともあり、まったく陽の当たらなかったトランペッターだった。
それでも、私はコルトレーンの横で吹く彼の音を初めて聴いた時から、問答無用で惹かれてしまった。

ハーデンの美質は何と言ってもその伸びやかで美しい音色だ。こんなに美感際立つ音色を出す人は他にはいない。音程も正確で高い技術力もあった。
この人がコンボの中にいるだけで、そのサウンドは清流化されていく。

1958年3月18日にハッケンサックのヴァン・ゲルダー・スタジオで録音されたこのアルバムで、既に彼のフリューゲルホーンは美音をまき散らしている。
コルトレーンの硬く濁りのある音との対比でそれがいっそう引き立っている。ソロのスペースはコルトレーンの方が長いけれど、ハーデンのソロの方が
断然印象に残る。この時のコルトレーンは上手くはなっているけれど、まだ独りよがりなところが目立つ。

ダグ・ワトキンスのウォーキング・ベースが圧巻で、この時の演奏の要となっている。ヴァン・ゲルダーはワトキンスの音を照準にして録音していた
ような感じがする。まあ、この人の前乗りのリズム感は凄い。

スタンダードが含まれておらず、地味な楽曲が並んでいることもあって人目を惹かないアルバムだが、タイトル通り58年当時の主流派ハードバップが
凝縮された演奏で、内容は1級品だ。長年ジャズを聴いてきた人には愛される内容である。

コルトレーンとの最初の録音だったこともあり、ハーデンは少し遠慮気味な立ち位置にいるけれど、この後の数か月の共演の中で徐々にその存在感は
増していくことになる。そういう軌跡を感じ取ることができるのが面白い。この2人は相性も良かったと思う。コルトレーンはこの後の数か月で
別人のように急激な成長を見せる訳だけど、ハーデンはその様子を目の前で見ていた唯一の人だったのかもしれない。

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夜ジャズの決定版

2020年02月02日 | Jazz LP (Savoy)

Sahib Shihab / Jazz - Sahib  ( 米 Savoy MG-12124 )


サヴォイのカタログ番号の若いものはビ・バップの残り香を帯びた古いスタイルのジャズが多いが、50年代後半になると硬派なハードバップがたくさん
出てくる。その中でも屈指の内容を誇るのがこのアルバム。サヒブ、ウッズ、ゴルソンの3管が織りなす暗く重い雰囲気が最高の仕上がりだ。

よく考えると非常に珍しいメンツの組み合わせで、他では聴くことのできない色合いのハーモニーが1度聴くと忘れることができない強烈な印象を残る。
このアルバムのいいところはサヒブの無国籍感が抑えられて、ベニー・ゴルソンの都会的な夜の静寂を想わせる深い抒情感が全面に出ているところだ。
サヒブの個性はやり過ぎると鼻につくが、ここではそれが抑制されて演奏の上手さが音楽を補強している。ゴルソンが音楽全体を統率していて、それが
上手くいっている。

フィル・ウッズのアルトは都会の摩天楼のような輝きを放ち、その周りをゴルソンの深くくすんだテナーが夜の闇のように大きく覆う。ビル・エヴァンスも
素晴らしいソロを残していて、この組み合わせは成功している。全体的にゆったりとしたテンポの曲が多く、それが殊の外いい雰囲気を出している。
そういうムードを重視した音楽だけど、軟弱な音楽にはならず、骨太でずっしりとした重さが残るところはこの顔ぶれだからこそだろう。

RVGの完成したモノラルサウンドが見事で音響的にも素晴らしい。唯一の欠点は内容を反映しようとしないジャケットデザインのいい加減さで、これが
このレーベルの評価の足を引っ張っているのは相変わらずの残念さだ。このアルバムもジャケットが違っていれば、最高の評価を得られただろう。

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メアリー・ルー・ウィリアムスの優しいピアノ

2020年02月01日 | jazz LP (Atlantic)

Mary Lou Williams / Piano Panorama  ( 米 Atlantic LP 114 )


黒人としてのアイデンティティーを包み隠さず生きた彼女のようなタイプは日本では受けない。彼女のことをまともに聴いていて語れるコレクター
なんていないだろう。ピアニストとして影響力を持っていたわけでもないし、名盤100選に残るような作品があるわけでもないとなると、どこを聴いて
何を語ればいいのか、ということになる。

40年代にピアニストとしての形を作り上げた彼女は、地に足の着いた音楽活動を地道に続けた人だ。単なる演奏家としてだけではなく、当時の黒人ジャズ
演奏家を巡る環境の悪さを共済するために活動したりと幅広い動きをみせた。フランスに渡ってアメリカから逃避していた現地ミュージシャンと共演も
したし、大きなジャズ・フェスにも招かれて演奏した。その活動は現代の我々には何一つ評価されていないように思える。

古い10インチから流れてくる音楽の柔らかな質感は彼女の心をそのまま映し出しているように思える。フレーズは無理なく構成されていて、奇をてらった
ところもなく、打鍵のタッチもちょうどいい。疲れた仕事帰りに立ち寄ったバーでこれが流れていたら、心は癒され、思わず聴き入ってしまうだろう。
現代ジャズが失ったジャズらしいフィーリングに溢れた愛すべき小品だと思う。

女性ピアニストを語る際は、彼女のことも忘れず語ってあげて欲しい。60年代以降の彼女のアルバムに目を付けてスポットライトを当てたのがクラブ
ジャズのDJたちだった、なんて恥ずかしい話ではないか。


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