廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

短信~3連休の安レコはボチボチ

2018年11月28日 | Jazz雑記


3連休、セールは惨敗でも、安レコ漁りのほうは一定の成果あり。 全て完オリ美盤、これで一万円でおつりがくる。

安いものは、十分安いんだよなあ。

ピート・ジョリーの初版なんて数ヶ月間どこを探しても見つからなかったのに、この時期になるとあっさり出てくる。

大型セール時期の本当の狙い目は、こういうリストには載らない安レコの方なんだ。


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2018年末 セール前半戦は惨敗の巻

2018年11月25日 | Jazz LP

Hank De Mano / Quartet In Concert  ( 米 Freeway Record FLP 555 )


年末セールの時期がやって来たが、ユニオンのセールリストを見るとラインナップが平凡で、今年はどうやらレコードの集まりが悪かったらしい。
ブルーノート・セールをどの店舗も開催できないのがそれを象徴している。 前半戦は普段普通に買えるようなタイトルばかりで、欲求不満のコレクターが
多いのではないかと推測する。 だから後半戦に備えてみんな買い控えるのかなと思っていたが、これがまったくの見当違いだった。

ミドルクラス狙いの私はいつも通りのんびりと家を出て、新宿に着いたのが13:00を過ぎた頃。 予想通り店内は人気が無く、よしよし、これでゆっくりと
探せるぞと思ってエサ箱を見ると、あろうことか、今回はミドルクラスが全然出ていない・・・。 おまけにリスト掲載の高額盤もほぼ消えていて、店内は
まるでいつもの金曜日の夜と変わらない景色だった。 これは完全に読み違えてしまった。 惨敗である。 

まいったなあと落胆しながら店内をぶらつくが、残っているものはどれも異様に高い。 今回は美品ばかりを揃えたようだが、それにしても異様な高さだ。
既に売れたものもこんな感じの値段だったのだろうか。 もしそうだったとしたら、と想像するだけで恐ろしくなる。
これは撤収だな、と帰ろうとした時にこれが目に付いた。 聴いたことがないアルバムだったので、試聴して問題ないことを確認した上で持って帰って来た。


西海岸のローカルミュージシャンで、フリューゲルホーンのワンホーン・カルテットとして1963年11月に El Camino College で行ったライヴの模様を録音したもの。
ピアノは Ron Jefferson のレコードにも参加していたフランク・ストラッツェリが弾いている。 イングルウッドに居を構える Freeway Record Co.という
マイナー・レーベルに数枚の録音を残した後、表舞台からは消えている。

裏ジャケットのライナー・ノーツにはマイルス、チェット、ファーマーの名前が出てくるけれど、ホーンの音色はもっと屈折した内向性を帯びていて、ちょうど
トニー・フラッセラがワンホーンでライヴをやったらこんな感じだったのではないか、という感じだ。 音数は少なく、お世辞にも上手い演奏とは言えないけれど、
その静かな語り口には惹かれるものがある。 スタンダードを静かにゆっくりと演奏する上質なバラード集で、内容は非常にいい。

音質も何もいじくらずにライヴ演奏をそのまま録りっぱなしでカッティングしたような生々しい質感で、ライヴ会場にいるような雰囲気が味わえる。
これは当たりの1枚だった。 当初の思惑としては惨敗だったものの、そのおかげで普段なら素通りしそうな佳作を拾うことができたのはよかった。
但し、これはあくまでオマケ。 セールへのリベンジは後半戦に持ち越しだ。

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サックス奏者としてのテオ・マセロ

2018年11月24日 | Jazz LP (Prestige)

Teo Macero / TEO  ( 米 Prestige PRLP 7104 )


プロデューサーとしてのテオ・マセロについては既に語り尽くされている感があるけど、サックス奏者としての彼の姿はどういう訳かまったく見えてこない。
彼自身は自分のことを音楽プロデューサーではなく作・編曲家だと思っていると語っているが、その基盤になっているのは1人の演奏家としての自分だったはずだ。
ただ、彼は演奏家として成功したいという欲求がさほど強くはなかったようで、ジュリアードに通ったのも徴兵から逃れるためだったし、入学したらしたで
クラシックよりもポピュラー音楽に夢中になったり、と自分の置かれた環境と自身の興味が大抵の場合乖離状態にあった。 こういう生き方をしていては、
その道で成功するのは土台無理な話なのであって、彼のサックス奏者としての姿が蜃気楼のようにぼやけてしか見えないのはこの時期の彼自身の
アンビバレントさが原因だったのではないかという気がする。

ミンガスとの録音では夜の咆哮を想わせる深い音色だったが、このリーダー作では演奏スタイルを180度変えてまるでウォーン・マーシュのようなプレイをしており、
同一人物には思えない。 マル・ウォルドロンの寡黙なピアノ、テディ・チャールズのひんやりと冷たいヴァイブが響く静かな空間の中をのっそりのっそりと
ゆっくりしたテンポで音楽が進む。 この独特の雰囲気は、マイルスの "Blue Moods" そっくりだ。 けたたましく激しいハードバップが全盛の最中で、
この音楽はとにかく異質に聴こえただろう。 

でも私はこのレコードが結構好きで、折に触れてよく聴く。 この音楽には、どこかはわからないながらも惹かれるところがある。 掴みどころがないようでいて
それでも心に残るものを創っているところに、音楽家としての非凡さがよく表れていると思う。 自身での進路選択後の大成は何も不思議なことではないのだ
ということが、これを聴けばよくわかるのだ。

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パシフィック・ジャズ・レーベルの黒いジャズ

2018年11月23日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Ron Jefferson / Love Lifted Me  ( 米 Pacific Jazz PJ-36 )


最近、パシフィック・ジャズを見直している。 但し、それはウェストコースト・ジャズを、ではない。 このレーベルに残された黒いジャズを、である。

寺島本がブームになった頃、その中でウェストコーストジャズがクローズアップされた影響で、ちょっとしたパシフックジャズレーベルのバブルが起きた。
マニアたちはこぞってバド・シャンクやビル・パーキンスのレコードを探し始め、オリジナル盤はちょうど今のブルーノートみたいに値段がグングン上昇した。
レコード会社も慌てて国内盤の復刻をリリースし始めた。 そうやって国内にこれらの音源が溢れて一巡すると、やがて飽きられて、バブルははじけた。
そして後に残ったのは、二束三文と化した中古盤の寒々とした山だった。 何度も繰り返される愚行の極みの一つだ。

そういうブームだった頃、人々から相手にされなかったアルバムが少なからずあった。 それらはいわゆるウェストコースト・ジャズではなく、東海岸や中部で
演奏されていたタイプの音楽だ。 このレーベルには意外とそういう録音が残っていて、表面的なレーベル・イメージのせいで長年避けてきた揺り戻しが
今頃になってやってきた格好になっている。

ロン・ジェファーソンというドラマーは知らなかったし、そもそもリロイ・ヴィネガーとボビー・ハッチャーソン以外の名前はすべて初耳である。 
テナー、トロンボーン、ヴィブラフォンが入る珍しい編成だが、これがしっかりとした素晴らしい演奏で大当たりだった。 

ボビー・ハッチャーソンが入っているのがとにかく珍しいけれど、ここではブルーノートの彼ではなくこのバンドの一員として溶け込んだ演奏に徹している。
清潔で涼し気なサウンドがよく効いていて、バンドのサウンドがありきたりなものになることから上手く救っている。 その中をテナーとトロンボーンの
2管がしっかりと泳いでおり、ずっしりとした聴き応えが残る。 どの演奏もしっとりとした洗練さと落ち着きがあって、大人が聴いて喜ぶジャズになっている。

音質も良く、適度な残響が効いた奥行きの深いサウンドで、深夜のスタジオで静かに録音されたんだなあということがよくわかる。 
夜、部屋の灯りを落として聴くと、その雰囲気の良さに感動することができる。


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「モノラル VS ステレオ」は大人の贅沢な遊び ②

2018年11月18日 | Jazz LP (Impuise!)

Oliver Nelson / The Blues And The Abstract Truth  ( 米 Impulse A-5 )


ポール・チェンバースのウォーキング・ベースとビル・エヴァンスの崩した和音の響きが全体を支配する "Stolen Moments" はマイルスの "So What" そっくりの
雰囲気で、この1曲でこのアルバムは歴史に残る名盤となったけれど、もう一つの類似点は暗い部屋の中を想わせる残響の効いたダークなサウンドだ。
レーベルも違えば録音技師も違うこの2つのアルバムには不思議と似通ったところがある。 内容は素晴らしいし、録音も凄い、ということで昔からいろんな
切り口で褒められる作品だが、確かにこのアルバムはサウンドの快楽にどっぷりと浸れる愉しみを味わうことができる。

このモノラル盤の特徴はたった1つ、それは限りなくステレオ・サウンドに寄せたモノラル・サウンドだということだろう。 この2つの境界線はかなり曖昧だ。
知らない人にブラインドで聴かせたら、その違いに気付かないかもしれない。 もちろん、細かいところを見れば違いはいろいろあるが、そういう部分が
モノラル盤の印象を決定付けることはない。 ステレオに寄せながらもRVGモノラルのざらりとした迫力が際立っていて、モノラルとステレオのいいところが
互いに殺し合うことなく共存できている。 ドルフィーのアルトが1歩前へ飛び出してくる感じが生々しい。

対するステレオ盤は、RVGのステレオ録音の最高峰の1つではないかと思わせる仕上がりだ。 聴いていて、これは本当にきれいな音だと思う。
楽器の音がとにかくきれいだし、分離がいいので重奏部分も音が濁らないし、何かが突出することもなく全体のバランスが究極的に素晴らしい。
ロイ・ヘインズのシンバルの音の金色の粉を吹くような輝きが特に印象的だ。 この美しさをモノラルの中でも生かそうと腐心したのはよくわかる。

このアルバムは、両者引き分け。 どちらにも他方には無い際立った美点があり、甲乙は付けられない。 そして何より重要なのは、この録音は媒体の種類や
版を選ばないというところではないか。 ちょっと興味があったので70~80年代の再発盤やCDも聴いてみたが、どれもとてもいい音だった。
元がどんな形態にも耐えうる録音だった、というところが本当の凄さなのかもしれない。




Oliver Nelson / The Blues And Abstract Truth  ( 米 Impulse AS-5 )

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「モノラル VS ステレオ」は大人の贅沢な遊び ①

2018年11月17日 | Jazz LP (Riverside)

Bobby Timmons / Born To Be Blue !  ( 米 Riverside RM 468 )


音盤マニアにとって、どの版で聴くかというのは非常に重要な問題である。 その最たるものが、「オリジナル VS 2版以降」問題と「モノラル VS ステレオ」問題。
前者の結論は割と簡単で、解決すべき問題は価格だけという話だが、後者は話がもう少し複雑だろう。 優劣の格付けというよりは、どちらを好むかという
嗜好の要素がより強いからだ。 クラシックのレコードはステレオ盤とモノラル盤の音質差があまりに大きく、優劣の順位は誰が聴いても明らかなのだが、
ジャズの場合はそれほど大きく差があるわけではなく、個人の嗜好が入り込む余地が大きい。 だからと言って諦めるわけにもいかず、確認作業が始まる。

ただし、真のコレクターにはとても成り切れない半端者のレコード棚には、モノラル・ステレオの両方が揃っているタイトルは今のところ3作品しかない。
同じ音源に2倍の金を払うわけだから、簡単に揃えるなんてできない。 これは大人にだけ許された、贅沢な遊びなのだ。

3つのうちの1つがこのボビー・ティモンズ。 リヴァーサイドの「モノラル VS ステレオ」問題は過去にもいろんな所で議論になっている由々しき問題だ。 
前提条件として、アンプとスピーカーは1種類、カートリッジは同一メーカーの同一価格帯のものを使う(今回はDENONの102と103)。

モノラル盤はリヴァーサイドのモノラルの平均的なサウンド。 ナロー・レンジ気味で、3つの楽器の音量が均等なので、ベースやドラムの音がよく聴こえる。
ピアノの音の質感は平面的で、繊細な表情の変化は感じられない。 レコードは内周に行くに従って音場感が劣化していくけれど、モノラル盤はそれが
はっきりとわかる。 音圧はステレオ盤より高いので、迫力という意味ではモノラル盤の方が上だが、これはまあ当たり前の印象だろう。

一方、ステレオ盤はベースとドラムの音を少し下げて位置を後ろに下がらせる演出をしているので、3人の位置関係が明確になり、そこに空間が表現されている。
各楽器の音、特にピアノの音に艶が出て輪郭がくっきりとしているので、演奏の繊細な表情の変化がよくわかる。 内周の音場感の劣化もあまり感じられない。
アンプのボリュームを上げても耳障りなうるささがない。 ステレオ盤の方が自然な音場感であるのは明らかだ。


ジャズの場合、音のいい/悪いの議論は音楽の元々の特性の問題や一義的には管楽器の音の評価が前提になっていることが多いので、迫力のある音が
「いい音」だとされる。 つまり音圧が高ければ、ひとまずは「合格」になる。 ただ、録音自体がステレオでモノラルにミックスダウンしたものは、
楽器の音の艶や輝きが劣化してみずみずしさが失われることが多く、それは特にピアノのような楽器の場合は致命傷になる。 

リヴァーサイドのステレオ録音は同時期の他レーベルのものと比較すると技術的には未熟さが目立つけれど、それでもこのティモンズの盤に関して言えば、
モノラルで聴くよりはステレオで聴く方が音楽的な満足感はより高いと素直に感じる。 それに、ステレオ盤は材質が硬く重みがあるのに対して、モノラル盤は
少し柔らかく重量も少し軽い。 どう見てもステレオ盤のほうがコストがかかっている。 リヴァーサイドとしてはステレオ盤のほうをより丁寧に作ろうと
したんじゃないかという気がする。

こういうことをやりだしたら、もう泥沼の世界だろうなあと思う。 でも、ロックの世界はプレス工場の違いまで追求するんだから、まあ恐ろしい話だ。
年寄りにはとてもついていけないけれど、そう考えるとこの程度で済んでいるジャズの世界はまだまだ平和なのかもしれない。




Bobby Timmons / Born To Be Blue !  ( 米 Riverside RS 9468 )

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短信 Roulette 1

2018年11月14日 | Jazz LP (Roulette)

Bud Powell / The Return Of Bud Powell  ( 米 Roulette R-52115, SR-52115 )



左がモノラル、右がステレオ。 今までは左のモノラル盤を聴いていたけど、ステレオの安レコが転がってたので、拾って来た。

モノラル盤はパウエルのピアノの音の底が浅くて生気がなく、聴いていてもちっとも楽しくなかった。

ところが、ステレオ盤の方はピアノの音に艶があり、みずみずしく、生気が蘇っている。 自然な音場感だ。

モノラルの方が音圧は高くてドラムなんかはずっと迫力があるけど、最終的な音楽としての感動は乏しい。

これはステレオ盤で聴くべし。 モノラル盤はやめたほうがいいと思う。

レコードというのは、不思議なものだ。

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エリントンへの告白

2018年11月11日 | Jazz LP (Bethlehem)

Charlie Mingus / The Jazz Experiments Of Charlie Mingus  ( 米 Bethlehem BCP 65 )


ミンガスはサヴォイでの録音のすぐ後に、ジョン・ラ・ポータやテオ・マセロらを引き連れてピリオド・レーベルに同じようなコンセプトで10インチ2枚分の録音を行った。
その音源をベツレヘムが買い取り、リマスターして12インチとして切り直したのがこのアルバム。 再発かと侮るなかれ、これは恐ろしく音質がいい。
ピリオドの10インチは品質的に問題があることが多いし、きれいなものはもうあまり残っていないだろうから、これで聴くのが一番いいと思う。

ピリオド盤には "King Oliver" という変名で記載されていたサド・ジョーンズの伸びやかでノスタルジックなトランペットが全編を通じて非常に印象的だ。
更にチェロを1本入れて抒情的に弾かせていて、アルバム全体に郷愁感が色濃く漂う。 このアルバムを聴いてようやくわかったのは、ミンガスは結局のところ、
エリントンの音楽の "Reminiscent" な情感を自分の音楽を通して再現しようとしているのだ、ということだった。 いくらエリントンに心酔しているとは言え、
ここまでやるとこれはもう立派な愛の告白である。

この頃のテオ・マセロはいいサックス奏者だった。 音色は深く、幽玄な雰囲気で、ミンガスの音楽にはうってつけだ。 彼がこの中で果たす役割は大きく、
リードを取ること自体はあまりなくても、その深淵な音色を操ることでミンガスのコンセプトを確実に形にしていった。 この頃から既に誰かのために自身の才能を
使うことに長けていたのかもしれない。

サヴォイとこのピリオドの2つの録音はミンガス自身はどう思っていたのかはわからないけれど、私は圧巻の素晴らしい出来だと思っている。
デューク・エリントン本人には、彼の告白は届いたのだろうか?


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ブラシが冴える女性ピアノ・トリオ

2018年11月10日 | Jazz LP

Muriel Roberts / Flower Drum Songs  ( 米 Dot DLP 3173 )


"Flower Drum Song" は1958年にブロードウェイで初演されたミュージカルで、後に映画化もされている。 その音楽をロジャース&ハマースタインⅡ世の
黄金コンビが担当しており、それがここでピアノ・トリオとして取り上げられている。

ミュリエル・ロバーツは女性ピアニストだが、これ以外に録音が残っているのかどうかはよくわからない。 ただ、ポッと出のピアニストとはとても思えない
闊達な演奏をしていて、最後まで飽きることなく聴くことができる。 アドリブラインもナチュラルで趣味がいい。 打鍵もきれいで、音の粒立ちがいい。

ベースもドラムも無名の人だが、とても上手い演奏である。 特に、ドラムのブラシワークが全編で冴え渡っていて、繊細ながらも上質なスイン感に溢れていて、
これが素晴らしい。 ミュージカル音楽であることをきちんと踏まえた演奏で、明るく楽しい音楽に徹している。 自分達の個性を押し付けるようなことはせず、
あくまで聴く人が無条件に愉しめるような音楽を上手にまとめ上げている。 これはなかなか聴かせる演奏だと思う。

ドット・レーベルの女流ピアノ・トリオということで、第二のロレイン・ゲラーに仕立てようとでも目論んだのか、ユニオンが買取リストに載せたこともあったが、
幸いなことにそうはならずに済んだ。 プレヴィンの "My Fair Lady" なんかは個性が強い分すぐに飽きるが、こちらはもっと気軽に愉しめるレコードとして、
息が長く聴き続けることができるだろうから、いつまでもこのままの路線(ミドルクラス)で行ってもらいたい。



          


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短信 ECM 1

2018年11月07日 | ECM

Keith Jarrett / Facing you  ( 独 ECM 1017 ST )



現在も忘れかけた頃に新譜 (新作、ではない) がリリースされるけれど、どうも手に取る気になれず、どれも聴かず仕舞いのまま。

ガッカリするのが嫌なのかもしれない。 もう終わったんだ、という事実を再確認するのはやっぱり辛いから。

元気のないキースは聴きたくない。 だから、これを聴く。

はっきり言って、出来は良くない。 ECMの完オリにもかかわらず、音も冴えない。 まあ、50年近く前の録音だ、しかたない。

でも、それでも、どうせ聴くんだったらこちらを聴く。 

ここには元気なキースがいるから。 今はそれが他の何にも代え難い。


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ヴィレッジ・ゲートへ行きたくなる

2018年11月04日 | Jazz LP (Riverside)

Milt Jackson / "Live" At The Village Gate  ( 米 Riverside RM 495 )


例えば仕事帰りの帰路の途中にこういう名門ナイトクラブがあって、フラリと立ち寄ったらこんなライヴがやっていた、というのが憧れだったりする。
わざわざ路線を変えて電車を乗り継ぎ、駅からかなり歩いたりするのは嫌だ。 職場から駅までの途中だったり、駅から自宅までの道の1本裏だったり、
せいぜい途中下車した駅の目の前だったり。 もしそうだったらどんなにいいだろう、と思う。 その日は、1番気に入っているスーツを着て行くのだ。

このアルバムはそういうことを夢想させる、雰囲気抜群のライヴが聴ける。 特に目新しいことは何もなく、ただ自分達らしい音楽を演奏しているだけで
寛ぎに満ちたムードがその場に充満する。 それは気怠いような弛緩した空気ではない。 5人は注意深く真剣に演奏していて、聴衆をリラックス
させようというより、きちんと自分達の音楽を聴かせようとしている感じで、それが却っていい結果を産んでいるのだと思う。 音楽は緻密で真面目で、
でもとても親密な空気感なのだ。

ピアノはハンク・ジョーンズで音楽を下支えさせればこの人の右に出る者はいないし、テナーのジミー・ヒースは出しゃばることなくミルト・ジャクソンの
プレイに静かに寄り添う感じで、5人のバランスの良さと調和の高さがこの日のヴィレッジ・ゲートを特別なものにしている。 ミルトの演奏も音数が
上手く制御されていて、上質で洗練されたジャズに仕上がっている。 これは持っていて本当に良かった、と思えるアルバム。


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PHがデフォルトの人

2018年11月03日 | Jazz LP

Jerry De Villiers Et Son Jazz Quartet  ( 加 Trans-Canada TC-A-81 )


1963年制作という割にはモノラルだし溝があったりするし、と古風な作りのレコードだが、出てくる演奏はポスト・ハードバップな次世代主流派のストレートな
ジャズで、そのちぐはぐなギャップに少し驚かされる。 テナー/バリトンを加えたワンホーンだが、全てをメンバーたちのオリジナル曲で固めており、
かなり気合いを入れて作られた様子が伺える。 欧州ジャズほど垢抜けてはいないが、アメリカのジャズとは明らかに違う雰囲気で、欧米のハイブリッドである
カナダらしいと言われればそうなのかもしれない。 

ジュリ・ド・ヴィリエはカナダのピアニストだが、どうもジャズのアルバムは少なく、この後は商業音楽の方へ軸足を移したようで、その手の作品が残っている。
ジャズで一本立ちしたかったけど喰っていけず、というお決まりのコースだったのかもしれない。 カナダのジャズ・シーンのことはよくわからず、例えば
Nick Ayoub の "The Montreal Scene" なんかを聴くと、やはりこのアルバムと同様アメリカ側ではなく欧州側に寄った雰囲気で戸惑ってしまうが、
カナダ文化が持つ雰囲気が元々こういう感じなんだとしたら、アメリカに行っても上手くやっていくのはなかなか難しいだろうなと思う。 

全体的には落ち着いた雰囲気で統一されていて、大人っぽい雰囲気がある。 最近のソウルやヒップホップに寄ったジャズが前面に登場するようになる少し前の
現代主流派ジャズの源流のような感じがあるけど、それを60年代前半に演っていたというのは偶然なのか、突然変異だったのか、その辺りの関連もよくわからない。
ただ、アメリカ盤ばかり聴いている中でこれがかかると、「おっ!?」という感じになるのは間違いない。

いささかロー・ファイな録音だけど音圧は高く迫力のあるサウンドで、中でもベースの音が非常に目立つミキシングになっていて、非常に大きな音で鳴る。
だから、ベース好きには喜ばれる内容だろう。 演奏も上手くて、ベース奏者のリーダー作と言っても通じるかもしれない。

過去5~6枚見たこのレコードのすべてのジャケットにパンチホールが空いていた。 ここまでPH率の高いレコードは他には思い当たらず、元々穴空きが
オリジナルなんじゃないのか?と思うくらいで、当時から余程売れなかったようだ。 マイルスのレコードでPHがあるジャケットなんて見たことがない。
音楽家として売れる/売れないというのはこういう所にも違いが現れるのだ。

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抑制と情感のブレンド

2018年11月02日 | Jazz LP (RCA)

Gary Burton / The Time Machine  ( 米 RCA Victor LPM-3642 )


ゲイリー・バートンを聴くようになったのは比較的最近のことで、それまではどちらかと言えば苦手に思っていた。 若い頃に聴いたECMのチックとの共演盤が
面白くなくて、その刷り込みのせいだと思う。 少し前にECMに凝った時期があって、その時にも他のECM盤を聴いたけど、やはりピンとくるものはなかった。
ミルト・ジャクソンからの影響を受けず、独自のスタイルで音楽をやろうとしているのはよくわかるのだが、どうもその成果には共感できなかった。 
時代的な背景もあったのだろうけど、レガシーなものから過剰なまでに距離を置こうとするあまり、肝心の音楽が置き去りになってしまったように思えた。

ところがRCA時代のアルバムを聴くようになって、その認識は変わっていった。 RCAにはたくさんアルバムが残っているけど、一作ごとに作風が異なっていて、
どれも明確な制作上の意図が込められていて非常によく考えられているのがわかる。 聴き進めていくにつれて、なるほどなあ、と感心するようになった。

このアルバムはゲイリー・バートンがヴァイブ、ピアノ、マリンバを操り、ベースとドラムを従えたトリオだが、ヴァイブとピアノ、ヴァイブとマリンバが
オーヴァーダブされたカルテット形式になっている。 オブリガート役のピアノやマリンバが趣味のいい演奏で、音楽的な豊かさに大きく貢献している。

ベースはスティーヴ・スワロー、ドラムはラリー・バンカーで、2人の才人の演奏も骨太なのにデリケート極まりなく、音楽上の纏まり方は完璧だ。 構成上の弱点から
こじんまりと室内楽的になりそうなものだが、幸いなことにまったくそうはならず、大きく拡がりのある音楽が自由に展開していく様が素晴らしい。
このアルバムは思索的でありながらも上質で風通しの良さが心地いい傑作だと思う。 

適度に知的好奇心を満たしてくれて、適度にポップで、すべてにおいてとてもいい塩梅である。 スワローの名曲 "Falling Grace" の美メロには身悶えする。
キースが "Standards Vol.3" を作ったら、というのは昔よくやった遊びだが、私ならこの曲を1曲目にしたい。 また、ラストの "My Funny Valentine" の幻想的な
ムードは、マイルスの名演と唯一互角に張り合えるのではないかとさえ思う。 敢えて繰り返すが、これは抑制と情感が見事に混ざり合った驚くべき傑作である。

 
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