廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ケニー・ドーハム 中期の佳作

2022年06月12日 | Jazz LP (Time)

Kenny Dorham / Jazz Contemporary  ( 米 Time 52004 )


若い頃はまとまりがなく弛緩した駄作だと思っていたが、今は真逆の感想に反転している。一般に若い頃は頭が柔軟で年を取ると頑固になる
と言うが、どうも私の場合は逆のようで、若い頃には受け入れられなかったのに今は好きになっているものが多い。それだけジャズの理解が
深まったということもあるだろうし、物事に総じて寛容になったということもあるのだろう。それがいいか悪いかは別にして。

腰が入っておらず弱々しいドーハムのトランペットにチャールズ・デイヴィスの重量感のあるバリトンは相性がよく、それが全体のバランスに
安定をもたらしている。そして、バディー・エンロウのドラムのザラッとした質感がとてもいい。ザクザクとシンバルを刻んでいて、これが
気持ちいい。そして、スティーヴ・キューンのピアノがこの音楽を従来の定型ハード・バップに堕するところから救い上げている。おそらく
この少し浮遊するような新しい雰囲気が昔は肌に合わなかったのだろうと思う。それはちょうどスタン・ゲッツのバンドにチック・コリアが
入った時に新しい風が吹いたのを感じた、あの感覚と同じである。

参加しているメンバー1人1人の個性が最大限に発揮されて、それが無理なく融合しているなあと思う。そういうところに、ドーハムの
リーダーとしての、或いはプロデュ-サーとしての才能を感じる。この人にはポール・デスモンドなんかと同じような知性を感じるところが
あって、後年はジャズ誌にアルバムレビューを寄稿していたりしていて、ちょっとしたインテリだった。ゴリゴリの筋肉質なミュージシャン
というよりは、少し違った距離感でジャズをやっていたような感じだったのだろう。

このアルバムは1960年2月の録音だが、当時既に始まっていたニュー・ジャズの動きとは距離を取り、無理に時流に沿わせようとするのではなく、
彼らが身に付けた自然な感覚のジャズを演奏していて、そのナチュラルさが聴いている私を非常に心地よくしてくれる。
風通しがよく、適度にスマートで、それでいて演奏はしっかりと堅牢なので、ダレたり飽きが来るようなところもまったくない。
そういうところが今はとても気に入っている。



Kenny Dorham / Jazz Contemporary  ( 米 Time S/2004 )


状態のいいステレオ盤が安価で転がっていたので聴き比べたが、ステレオ盤のほうが圧倒的に楽器の音の輝きがいい。ただ、この時期のステレオ
再生へのノウハウ不足から、楽器がそれぞれ左右に割り振られた音場になっている。まあ、別に悪い感覚はないけれど、モノラル盤のほうは
音像が中央に定まっているので、それと比べるとちょっと、と感じる人もいるかもしれない。ただ、楽器の音の良さは圧倒的にステレオのほうが
いいので、この2つは痛み分けというところだろう。



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マックス・ローチという男(その2)

2019年03月09日 | Jazz LP (Time)

Max Roach / Award-Winning Drummer  ( 米 Time T/70003 )


ピアノを使わず、レイ・ドレイパーを迎えた3管のハーモニーでコード演奏を代行させるというコンンセプトがなかなか上手く効いてる。 この構成の美点の
1つは、管楽器のソロをとる場合に楽器の音がきれいに聴こえることだ。 ピアノの和音の中にソロ楽器の音が混ざらないので、管楽器奏者が上手い場合は
その発する音の美しさや演奏の巧みさがよく判る。 これはブッカー・リトルやジョージ・コールマンのような演奏家にはうってつけの環境だろう。

ブッカー・リトルのラッパが冴えている。 輝かしい音色とグッと締まった制御のバランスに圧倒される。 強い知性で冷静にコントロールされた演奏は、
トランペット演奏の理想像の1つではないかと思う。 数十年後にウィントン・マルサリスらがやろうとした演奏スタイルがすでに1958年のニューヨークで
行われていた。 だから、ウィントンが自分の演奏の新しさを語っていた時に、ブッカー・リトルを知っていた私にはそれがピンとこなかった。 

ジョージ・コールマンもほろ苦い音色で節度のある落ち着いたプレイをしていて、いいテナーだなと素直に感じる演奏だと思う。 誰かと似ていることもなく、
この人だけの世界があるところが素晴らしいのではないか。 控えめな性格だったせいか、50年代に本人名義のアルバムがないのでとにかく一般的な評価が
低いけれど、こうして演奏はしっかりと残っているのだから、もっと聴かれるべきだ。

管楽器群の演奏が知的に洗練されていて、この当時の3大レーベルが量産したハードバップとは少し趣きが違う何かがある。 こういうのをきちんと聴けば、
3大レーベルだけが主流で王道だという認識が必ずしも正しいということでもないのだということに気が付くだろう。

但し、ここでもマックス・ローチの長いソロが出てくる。 特にA-4は初めと終わりに短い3管の重奏があるだけで、あとはすべてローチのソロが延々と
続くという恐ろしい曲。 まあ、一番最後に配置されているのが唯一の救いで、当然、3曲目が終わったら針を上げることになる。

例によってドラム・ソロ付きという問題点はあるけれど、これは内容が非常に優れたアルバムだ。 アート・デイヴィスのベースの音もよく録れているし、
ブッカー・リトルやジョージ・コールマンの演奏に耳を傾ければ、多少の瑕疵には目をつぶろうという気にもなれる。 

コメント (2)
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