廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

ツイン・ピークスの世界観へと繋がる扉

2018年07月29日 | Jazz LP (Savoy)

Jimmy Scott / Very Truly Yours  ( 米 Savoy MG 12027 )


あと2週間ほど我慢すれば、待望の夏休みがやって来る。 この酷暑の中、会社になんてもう行きたくないから、待ち遠しくて仕方ない。 
今年の夏休みの私的メインイベントは、「ツイン・ピークス」の最新シリーズを観ることである。 発売と同時に既に入手済みだが、私は連続ドラマを
ちまちまとこま切れで観るのが嫌いなので、まとめてノンストップで観られるよう夏休みのお愉しみに観ずにとってあるのだ。

「ツイン・ピークス」はリアルタイムでドハマりした。 以来、一端のデヴィッド・リンチ狂として観れる映像はすべて観てきたし、個展が開かれれば必ず
足を運んだ。 まさかここに来て続編が観れるとは思ってもみなかったので、静かに狂喜している。 生きていればいいことがあるなあ。

TVシリーズの最終話でジミー・スコットが出てきた時には驚いた。 その少し前に彼のレコードを買って聴いていたところだったのだ。 デヴィッド・リンチの
音楽センスは元々人並み外れていたけど、この異色のジャズシンガーを持ってくるなんて普通の人にできることではない。 あの "シカモア・ツリー" は
一度聴くともう永遠に忘れることはできない。 狂気の映像と共に、その音楽も人間の記憶の奥深くにしっかりと刻まれてしまう。

カールマン・シンドロームという先天性のホルモン欠乏症で声変わりせず、身長も150cm程度で虚弱だった彼の歌がたっぷりと聴けるのがこのアルバム。
SP期から吹き込みはあるが、アルバムとしてはこれが第1作目となる。 デリケートでナイーブな歌声を邪魔しない簡素な伴奏をバックに、とても男性の
歌声とは思えない声でノン・ビブラートで歌われる曲たちを聴いていると、どこか知らない所へ連れて行かれるような錯覚を覚える。 それはまるでそのまま
ツイン・ピークスの世界観と重なる。 ただのジャズのレコードでは済まない何かがここにはあるのだ。








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バッハへの想い

2018年07月28日 | ECM

Keith Jarrett / Paris Concert  ( 独 ECM Records 1401 )


結局のところ、私が一番好きなキースのソロ・ピアノはこれのようだ。 代名詞であるケルンはやっぱり全然聴かなくなっている。 あれはもういい。

収録時間の半分以上を占める冒頭の "October 17, 1988" はその場の即興というよりは、事前に準備されたモチーフだったのではないだろうか。
これはどこからどう聴いても、バッハの架空のクラヴィーアのための近代的変奏曲だ。 この後、バッハの平均律やゴールドベルグ、フランス組曲などを
録音しているので、当時は四六時中バッハのことを考えていたのだろう。 肝心のバッハの録音の方はつまらない演奏だったが、このアルバムの
疑似バッハは筆舌に尽くし難い圧巻の出来だ。 演奏が終わった後の観客の熱狂の様子はヤバい感じで、誰か失神者が出ていてもおかしくない。
人間、よほどのことがない限り、こんなに激しく拍手することはないだろうから。 祈りのような音楽に人々が感動している様子が生々しい。

一筆書きのような "The Wind" も素晴らしい名曲で、タイトルが示す通りのアメリカの広大な自然の匂いが立ち昇る様子に、パリの聴衆は我を忘れて
聴き入り、演奏後は絶叫するかのような感激ぶりだ。 その気持ちはよくわかる。

そして、それらの熱狂を冷ますかのように最後に置かれた短い即興のブルースで締め括られる。 これで聴衆たちは酔いから覚めて、無事帰宅できただろう。
構成もよく出来ている。

若い頃の力で聴く者をねじ伏せるようなところは後退し、純粋に音楽を聴かせようというこの顕著な変化はスタンダーズの経験から来るものだろう。
そういう意味ではキースと観客の関係はケルンやブレーメンの頃とは大きく異なっている。 そして、そういう変化が音楽そのものをも変えていったように思う。
今となっては、心身ともに元気で、尚且つ音楽的に成熟した80年代がこの人のピーク期だったんだなあと切ない気持ちで振り返るしかないのは残念だ。


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実は内緒にしておきたい傑作

2018年07月22日 | Jazz LP

The Pete Jolly Trio / Little Bird  ( 米 Ava Records A-22 )


ピート・ジョリーをナメていたことを後悔することになる、才気が爆発したアルバム。 最初の1曲目あたりでは趣味のいいラテンの隠し味が効いた雰囲気が
夏の暑い日々によく似合うな、という嬉しい誤算に歓びながら聴いていくのだが、途中からこのアルバムのただ事ではない様相に気付かされる。

ピアノの際立ったタッチからくる音の粒立ちの良さが凄い。 技術力を超えた天性のものを感じる。 アップテンポの曲がスローに聴こえるくらい、ピアノの
一音一音がくっきりとしている。 本当に上手いピアノだと思う。 アート・テイタムが褒められて、この人が褒められないのはなぜなんだろう。
ベースとドラムもやたらと上手くて、このトリオは一糸乱れることがない。

ピート・ジョリーの音楽には南国の空気感がほのかに混ざっていて、普通のアメリカのジャズにはない解放感がある。 それがリゾート地で聴くラウンジ音楽を
イメージさせるのかもしれないが、これはそんなヤワな音楽ではない。 高度な演奏力でしか産み出せない稀有な音楽で、そこに何かプラスαされることで
凡庸なジャズ以上のものになっている。 これには驚かされた。 ミシェル・サルダビーを「発見」した時と似たような軽い興奮があるように思う。

これを聴くとアメリカのジャズの裾野の広さというか、層の厚さを痛感する。 名盤と言われて人々から褒められる作品群の圏外に、こういう驚かされるような
傑作がゴロゴロ転がっているのだ。 そして、それらはいつも身近な処にあるにも関わらず、名盤を探し求める人々の眼には映らない。 このレコードも
その存在に気が付くことができたごく少数の人たちにだけ、これからも密かに愛聴されていくんだろうなと思う。


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覆面ハード・バップの佳作

2018年07月21日 | Jazz LP (Riverside)

Kenny Drew / This Is New  ( 米 Riverside RLP 12-236 )


ドナルド・バードとハンク・モブレーの2管クインテット、若しくはドナルド・バードのワン・ホーン・カルテットと言えば、反射的にRVGサウンドが頭をよぎるのが
普通だけれど、このアルバムのようにRVGが絡まないサウンドで聴くのも全然悪くない。 リヴァーサイドでは珍しくクリアでシャープな音像でガンガン鳴る。

ケニー・ドリュー名義になっているけれど、これはケニー・ドリューを聴くアルバムではない。 契約関係で看板には使えない2人の管楽器奏者を録りたかった
キープニューズがケニー・ドリューの名義を使ってこっそりと録ったハードバップ・コンボを聴くアルバムだ。 パッケージ上はバードとモブレーの姿を丁寧に
隠している。 そのせいでハードバップの名盤群にはいつも入れてもらえない気の毒極まりないアルバムだけど、ブルーノートやプレスティッジばかりが
持ち上げられて、これが語られないのはどう考えてもおかしい。

演奏の核になっている3人は皆調子が良く、リラックスしてのびのびと自分の得意な演奏をしている。 明快でわかりやすい。 わかりやす過ぎるくらいだ。
これが好きになれないジャズ愛好家がいるとは思えない。

ケニー・ドリューを上手く売り出したのはリヴァーサイドだ。 ブルーノートは失敗している。 同時期に輩出した多くのピアニストの中で最も個性の弱かった
この人の弱点をきちんと把握していて、ミュージカル物やこういうハードバップバンドという企画でうまくリカヴァーしてアルバムを作ってくれた。
一方、ブルーノートはアーティストの素の姿をクローズアップさせるのが大方針で、ケニー・ドリューには本質的に向かないレーベルだった。

そういう制作上の配慮が上手く効いているし、ケニー・ドリュー自身もそれに上手く適応していて、とてもいいアルバムに仕上がっている。


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ほどほどの毒気

2018年07月16日 | Jazz LP (Europe)

Steve Kuhn Trio / Watch What Happens !  ( 独 MPS 15 193 ST )


2000年以降、日本のVenusレコードと契約して俗っぽいスタンダード集を粗製濫造するようになったスティ-ヴ・キューンの姿に驚かされたのは、きっと
私だけではないだろうと思う。 60年代の硬派な作品群と、そこから感じられた尖った感性を持った若者という従来のイメージからはあまりにかけ離れた
それらのアルバムには、正直言って、失望と怒りしか感じなかった。 日本のレーベルはなぜいつもこうなんだろう、と諦めだけは済まない感情が沸いたものだ。

尤も、それらと並行して別レーベルではもっと違う音楽をやっていたから、こちらは金のためだけと割り切っていたのかもしれないし、それで少しでも彼の生活の
足しになっていたのであれば、それはそれでよかったのかもしれない。 リスナーも興味のない物に対しては文句など言わずに黙ってやり過ごしておけば
それでいいだけなのかもしれない。 ただ、かつてのスティーヴ・キューンが好きだった愛好家にとって、新作が出るたびにガッカリし続けなければいけない
というのは結構キツイものがあった。

そんな訳で、今でも彼の若い頃のレコードをしつこく聴いている。 アメリカの当時のお寒い状況に見切りをつけて欧州で活動していた頃のこのアルバムは
抒情的なスタンダードとほどほどの毒気が入り混ざる、長く聴くに耐える傑作。 バカラックとカーラ・ブレイが同居する独特のセンスが光る。

ピアノのタッチも既に誰の影響も感じさせない独自の硬質さで貫かれていて、ピアノ音楽を聴く快楽度が非常に高い。 バックを務める現地ミュージシャンとの
相性も良くて、この人のこの時期のアルバムでしか聴けない美意識に失望という言葉は無縁だ。 


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優しい歌声

2018年07月15日 | Jazz LP (Vocal)

Nat King Cole / Where Did Everyone Go ?  ( 米 Capitol W-1859 )


ボーカルのアルバムの出来を左右するのは、歌手の歌唱よりもバックの伴奏だ。 それはただの添え物ではない。 その歌手が好きでそのアルバムを手に
取るのだから、歌手への評価はその時点でクリアしている。 その歌唱を生かすのも殺すのも、それはバックの演奏の出来いかんによる。
そういう意味では、キャピトル・レーベルのレコードの場合、バックがゴードン・ジェンキンズのオーケストラであればまず間違いない。

恋を失った男の孤独を歌った曲を集めて、インディゴ・ブルーのジャケットでパッケージしたこのアルバムは、ナット・キング・コールの数多いアルバムの中では
あまりに地味過ぎて埋もれてしまっている。 ネルソン・リドルのような派手で目立つ伴奏ではないことも影響しているかもしれない。 でも、晩秋を想わせる
デリケートでスマートなこのオーケストラの伴奏じゃなければ、ここに集められた哀しい歌は歌えないだろう。

ナット・キング・コールの声質は基本的には明るいトーンで、本来的にはメジャーキーの曲に向いている。 彼が歌えばどの曲もマイルドなテイストになる。
そしてマイナーキーの曲を歌えば、深刻に成り過ぎることなく、ほんのりと優しい色調へと落ち着く。 このアルバムもシナトラが歌っていればかなり沈鬱な
内容になっていただろうと思うけど、ナット・コールの優しい表情のおかげで音楽が沈み込むことなく、しみじみと聴かせるバラードアルバムになっている。


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別の不思議さでアプローチされたエリントン

2018年07月14日 | Jazz LP (Pacific Jazz / World Pacific)

Chico Hailton Quintet / Ellington Suite  ( 米 World Pacific WP-1258 )


西海岸の優れたドラマーと言えば、シェリー・マンとチコ・ハミルトン。 シェリー・マンは人が喋ったり歌ったりしているようなトーキング・ドラム、
チコ・ハミルトンは音楽をグイッと前へドライヴさせるスイング・ドラム。 タイプは違えど、どちらも重要な足跡を残している。

ジェリー・マリガンのピアノレス・カルテットであれだけ卓越したリズムを作っていたチコ・ハミルトンが自己のバンドを作った際に室内楽を志向したというのは
不思議だ。 チェロやフルート、ギターという音の弱い楽器をバンド構成の中核にわざわざ置いたのは、自身のドラムがよく聴こえるようにしたかったという
思惑があったのか、と勘繰りたくなるくらいバンドとしてのサウンドは弱々しい。 管楽器が2本いるのに、重奏させてサウンドに厚みをもたせようとはせず、
それぞれが縦糸としてラインが交差する。 音程が悪くお世辞にも上手いとは言えないチェロの不安定な絡み方といい、とにかく不思議なサウンドカラーを
発している。

そんなバンドがジャズの殿堂であるエリントン集を作っている。 個性的な音色の楽器が幾重にも重ねられてできる独特なハーモニーが特徴のあの音楽を、
このバンドがどう演奏するのかが興味の焦点になる。 

聴いてみてよくわかるのが、チコのドラムの繊細な力強さ。 "A列車" も "スイングしなけりゃ" も、カーソン・スミスの重いウォーキングベースとチコの
ドラムが曲を強烈にドライヴする。 楽曲の背景としての色付けはジム・ホールが一手に担っている。 その中を2本の管とチェロが自由に泳いでいる。
"Azure" では幽玄なフレーズを丁寧に再現していて、エリントンの音楽への敬意をきちんと感じることができる。 

重厚なハーモニーは最初から放棄し、それ以外のところでエリントンの音楽をこのバンドの特徴を生かして演奏している。 元々が不思議な感触のエリントンの
音楽を別の不思議なサウンドに置き換えることで、エリントンの音楽の個性がより浮き彫りになっているんだなと思う。 若い頃にこのアルバムを聴いた時は
何が何だかさっぱりわからなかったが、今聴くとチコ・ハミルトンがやろうとしたことがよくわかる。 歳を取るといいこともあるのだ。


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インパルス時代のコルトレーン

2018年07月08日 | Jazz LP (Impuise!)

John Coltrane / Expression  ( 米 Impulse! A-9120 )


コルトレーンの完全未発表作品がリリースされたということで、ネットの世界は色々盛り上がっている。 概ね好評のようだけど、中にはひねくれた意見や
想定の範囲内という声もあるようだ。 私はというと、日頃の安レコ買いが祟って、2LPsで5,000円という価格に腰が引けてしまってまだ買えていない。
こういう時に安レコに慣れてしまっていると何かと具合いが悪い。 

インパルス時代のコルトレーンは好きなので、割とよく聴くほうだと思う。 どのアルバムも聴き所があるので特にこれが、というのはないけれど、それでも
この "Expression" はB面トップの "Offering" が好きなので聴く回数が多いかもしれない。 テナーの音色がとてもいいのだ。

このアルバムは "To Be" の瞑想的な雰囲気に対して「死期を目前にして、悟りを得たかのような」というのがお決まりの解説だけど、なんだかなあ、と思う。
ジャズ界きっての大意識家だったとはいえ、たかだか40歳の男にそう簡単に悟りがやって来たりするのだろうか。 単に病気が悪化して体調が悪かったんじゃ
ないのかなあといつも思う。 それまでのパワー全開の演奏をするには体力も気力もついていけなかったんじゃないだろうか。

その代わりに、"Ogunde" のソプラノや "Offering" "Expression" でのテナーの音色の深みが前面に出てきて、そこに耳を奪われることになる。
マイルスのマラソン・セッションをやってた頃の彼のテナーと較べると同一人物だとは思えないわけだけど、ただそこに精神性の話を持ち込んでくると
話が途端に胡散臭くなる。 そんなこと以前に、とにかく格段に楽器の演奏が上手くなったということだ。 私がインパルス時代のコルトレーンが好きなのは、
彼のサックスのプレイが好きなのであって、彼がやった音楽の精神性や宗教性が好きなのではない。

それまでの天才たちはみんな20代前半で楽器演奏のピークを迎えたから、そこに精神性みたいなものが混入することはなかったけれど、この人の場合は
10年遅れてようやく追いついたから、そこにはそれまでの天才たちには見られなかった大人の感情がセットになっていたということなんじゃないかと思う。

いずれにせよ、卓越したサックス奏者のまだ聴いていないピーク期の演奏が出てきたわけだから、聴く価値は十分にあるだろう。 
あとはお財布と相談するのみ、である。


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治癒される響き

2018年07月07日 | Jazz LP

Kenny Barron / At The Piano  ( 米 Xanadu 188 )


ケニー・バロンのような音の美しいピアニストの演奏は音のいい媒体で聴いて初めてその真価がわかる。 そういう意味では、このレコードは彼のピアノの
素晴らしさを味わうにはうってつけだ。 ザナドゥという廉価レーベルは基本的に高音質とは無縁のレーベルで、カタログのラインナップは地味ながらも
愛好家が密かに愛するタイトルがたくさんある優良レーベルながら、サウンドの心地よさを求める向きには評判が芳しくない。 よく知っている愛好家なら
このレーベルのレコードには初めからそういう面での期待は放棄してかかるのが普通だろうと思うけど、このレコードは珍しい例外作品になっている。

レコードから流れてくる音の質感はクラシックのピアノのレコードのようだ。 ホールに響く心地好い残響の中でアコースティック・グランド・ピアノが
深みのある音で鳴っている。 静かに聴き入りたい音。

ただ、そう感じるのは音質のせいだけではない。 この人のピアノは基本的に非常にクラシック的だ。 ジャズっぽくなく、クラシックのマナーが前面に出る。
それがこの録音の特質とマッチして、アコースティック・ピアノの快楽を味合わせくれる。 

ソロ・ピアノでジャズの巨匠たちに想いを馳せた作品だが、白眉はストレイホーンの "The Star-Crossed Loves" と自作の "Enchanted Flower"。
前者は物思いに沈んだような思索的な表情が素晴らしく、これはこの曲の筆頭の演奏だろう。 後者はキースが弾いた "My Back Pages" のような
フォーク調のメロディーを持った愛らしい曲で、これも忘れ難い余韻を残す。 

これを聴いていると、自分の中で知らず知らずのうちに歪んでしまった何かがゆっくりと矯正されていくような気がしてくる。 
このアルバムは、いずれは自分にとって特別な1枚となっていくのだろうと思う。


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若者らしいデビュー作の疾走

2018年07月04日 | Jazz LP (Columbia)

Jeremy Steig / First Album  ( 日 CBS/Sony SONP 50217 )


いいジャケットだ。 オリジナルのコロンビア盤(Flute Fever)では買う気になれなくて、国内盤のこちらで聴いている。 国内盤も捨てたもんじゃない。

ジェレミー・スタイグを知るきっかけになったのは、ご多分に漏れずエヴァンスとの共演盤だった。 エヴァンスのアルバムらしくない荒々しい仕上がりに
驚いたものだが、その中の "So What" のカッコよさにはシビれた。 あれはマイルス以外のこの曲の演奏に興味を持つようになったきっかけにもなった。

このアルバムはエヴァンス盤にも負けないいい出来で、それはひとえにバックのザイトリンのトリオの演奏に依るところが大きい。 ベン・タッカーのベースは
相変わらず大きく太い音で唸っているし、何よりザイトリンのピアノが新鮮だ。 このピアノ・トリオが何か新しいことを予感させるような雰囲気を持っていて、
そこいらのありふれたジャズとはどこか違う、というちょっとドキドキさせる感じがある。

スタイグが現れるまで、こういう情に委ねるようなフルート演奏をした人は果たしていたのだろうか。 ボビー・ジャスパーにしても、ハービー・マンにしても、
こういう演奏をしていたのを聴いた記憶がない。 ドルフィーの演奏ですら、知の塊のように思える。 

でも、それはただ感情的なだけではない。 バンド全体の演奏をドライヴし、音楽をグイグイと前へと推し進めていく機能を果たしている。 やみくもに感情に
溺れているわけではなく、しっかりと音楽へ没頭しているだけなのだ。 だから、意外なほどバンドとしての纏まりはいい。

このアルバムに収録された "So What" もカッコいい。 全員が一丸となって疾走していく。 最後のザイトリンのソロもハービー・ハンコックばりの斬新さ。
収穫の多いデビュー作だったと思う。


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トロンボーンの隠れた傑作

2018年07月01日 | Jazz LP (ABC-Paramount)

Urbie Green / Blues And Other Shades Of Green  ( 米 ABC-Paramount ABC-101 )


トロンボーンという楽器は実際に実物を目の前で見ると、その大きさに驚かされる。 こんなに大きいんなら、さぞかし大きな音が鳴るんだろうなと思うけれど、
そういう印象がそのままこのアルバムを聴いた時の印象と重なる。 とにかくトロンボーンがとても大きな音で朗々と鳴っている演奏だ。

デイヴ・マッケンナやジミー・レイニーを配したアメリカの田舎を連想させる古き良きジャズを大柄なトロンボーンのワンホーンでゆったりと歌う演奏だけど、
アービ-・グリーンの垢抜けたセンスが音楽を野暮ったい雰囲気から救っていて、スマートで都会的なところもある絶妙にバランスのいい内容になっている。

選ばれたスタンダードは古い歌物、自作はブルース、ということで小さなバーのテーブル席で酒を飲みながら聴くともなしに聴いているのが似合う感じだが、
そういう雰囲気だけでは終わらない。 速く吹くことだけが凄いわけじゃない、と言わんばかりに終始ゆったりと伸びやかに吹く。 J.J.ジョンソンなんかとは
ある意味対極的な演奏で、これがものすごく説得力がある。 他の楽器では決してこういう良さは出せない。

マッケンナもアービー・グリーンの雰囲気に合わせたのか、いつもよりもぐっと抑制した趣味のいいピアノを地道に演奏している。 この人は弾き過ぎると
ちょっと1本調子で飽きがくるのが早いけれど、ここでは陰影感も漂う魅力的なピアノを弾いている。 

わかりやすい音楽に徹しているけれど、同時に質の高さも維持していて、知と情のバランスがとれた「隠れた傑作」という言葉がよく似合う。


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