廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

何かカッコいいジャズを、と問われたら(2)

2022年06月26日 | Jazz LP (Prestige)

Frank Foster / Fearless  (米 Prestige PR7461)


以前、こんなカッコいいジャズはない、ということでエルヴィン・ジョーンズの " Heavy Sounds " のことを書いたが、同じ系統のカッコよさを
誇るのが、このフランク・フォスターのリーダー作。何と言っても、どちらも冒頭が彼の自作である " Raunchy Rita " で幕を開ける時点で
既にもう十分カッコいいのである。この名曲は聴くたびにシビれるわけだが、もちろんカッコよさはこれだけでは終わらない。

収録された曲のほとんどがフォスターの自作だが、どれもイカした楽曲ばかりで、その作曲能力の高さに驚いてしまう。時代の空気を反映して
ファンクの要素をセンスよく取り込んでおり、これが非常にいい塩梅なのである。B面冒頭の " Baby Ann " を聴いていると、リー・モーガンの
" Sidewinder " なんかが如何にダサいかがよくわかる。音楽センスと言う意味ではフォスターの方が何枚も上手である。

64年にカウント・ベイシー楽団を退団して本格的にリーダー作を作るようになったが、それまではベイシー一派という括りでのソロ活動で、
この人本来の持ち味はまったく生かされていなかった。フランク・ウェスとセットで括られることが多く、どちらがどちらなのかがなんだか
よくわからない印象が強い。でもこうやって聴くとフォスターは本質的にはモダン・テナーで、ジミー・ヒースなんかと近い感覚だ。
よく長年ベイシー楽団にいたなあと逆に感心するくらいだ。アドリブラインも流麗で、抜群に上手いテナーだ。

ヴァージル・ジョーンズ、アルバート・デイリー、アラン・ドーソンら一流のメンバーの演奏力もおそろしく高くて、びっくりするような完成度の
演奏に圧倒される。バリバリのハード・バップで、ブルーノートなんて目じゃない、と言わんばかりの凄い演奏である。ちょうどピーク期を
迎えていたヴァン・ゲルダーのサウンドが演奏の凄みを実に生々しく再現していて、音楽が怖さを感じるくらいの迫力で迫ってくる。

ファンクの要素を隠し味にしながらも非常に洗練されていて音楽的なスジの良さを感じる、これは真っ当な名盤。殿堂入り確定である。



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ケニー・ドーハム 中期の佳作(2)

2022年06月18日 | Jazz LP

Kenny Dorham / The Arrival Of Kenny Dorham  ( 米 Jaro JAM-5007 )


タイム・レーベルの "Jazz Contemporary" の1ヵ月前に録音されたのがこのアルバムで、メンバーもピアノ以外は同じ構成で、この2枚は兄弟の
関係にある。こちらはトミー・フラナガンがピアノを担当しているが、これがこれら2枚のアルバムの性格を異にしている。

フラナガンのバッキングやソロは従来のハード・バップ・マナーで、このアルバム全体のトーンを普通のハード・バップに染めている。
そのため耳馴染みが良く、誰からも好かれるであろう非常にわかりやすい音楽になっている。ヴィクター・ヤングの "Delilah" でのソロ・パートの
エレガントさは如何にもこの人らしい。

また、このアルバムで顕著なのはドーハムの饒舌さで、これが珍しい。ヴィヴィッドで鮮やかな音色で鋭く切り込むような演奏をしていて、
彼のアルバム群の中でもトップクラスの力の込められたプレイだ。チャールズ・デイヴィスの重量級バリトンが霞んであまり目立たない。
アルバムによってなぜこうも演奏の仕方にムラがあるのかよくわからないが、彼のトランペッターとしての側面を知るには打ってつけだろう。
彼のトランペット奏者としての位置付けは、ハンク・モブレーのテナー奏者のそれと似ている。トップランナーではないが、リーダー作を
任せるには十分の力量はあり、共演者として重宝されるので残された演奏は多く、愛好家にはお馴染みのプレーヤーになった。

このアルバムは選曲も良く、ハード・バップの雰囲気が上手く出せる楽曲が丁寧に選ばれており、ブッチ・ウォーレンのソロがメインの曲が
あるかと思えば、"Lazy Afternoon" のような幻想的な楽曲もあるなど、1曲ずつしっかりと聴かせて飽きの来ない構成になっているところが
ドーハムの知性だったのだろう。細部にまで神経が行き届いた作りになっていると感じる。

トランペッターとしての姿と成熟したハード・バップの2つの要素がどちらかに偏重することなく、ちょうどいいバランスで配合された
完成度の高いアルバムで、高名だが各アルバムは地味な印象のドーハムの真の実力がよく表れたいいアルバムではないかと思う。

ただ、一旦この路線はこれで十分と考えたのか、翌月の録音ではピアノをスティーヴ・キューンに代えている。
これにより、次作は新しい風が吹く爽やかな内容に仕上がることとなった。これは正しい判断だったのではないだろうか。



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ケニー・ドーハム 中期の佳作

2022年06月12日 | Jazz LP (Time)

Kenny Dorham / Jazz Contemporary  ( 米 Time 52004 )


若い頃はまとまりがなく弛緩した駄作だと思っていたが、今は真逆の感想に反転している。一般に若い頃は頭が柔軟で年を取ると頑固になる
と言うが、どうも私の場合は逆のようで、若い頃には受け入れられなかったのに今は好きになっているものが多い。それだけジャズの理解が
深まったということもあるだろうし、物事に総じて寛容になったということもあるのだろう。それがいいか悪いかは別にして。

腰が入っておらず弱々しいドーハムのトランペットにチャールズ・デイヴィスの重量感のあるバリトンは相性がよく、それが全体のバランスに
安定をもたらしている。そして、バディー・エンロウのドラムのザラッとした質感がとてもいい。ザクザクとシンバルを刻んでいて、これが
気持ちいい。そして、スティーヴ・キューンのピアノがこの音楽を従来の定型ハード・バップに堕するところから救い上げている。おそらく
この少し浮遊するような新しい雰囲気が昔は肌に合わなかったのだろうと思う。それはちょうどスタン・ゲッツのバンドにチック・コリアが
入った時に新しい風が吹いたのを感じた、あの感覚と同じである。

参加しているメンバー1人1人の個性が最大限に発揮されて、それが無理なく融合しているなあと思う。そういうところに、ドーハムの
リーダーとしての、或いはプロデュ-サーとしての才能を感じる。この人にはポール・デスモンドなんかと同じような知性を感じるところが
あって、後年はジャズ誌にアルバムレビューを寄稿していたりしていて、ちょっとしたインテリだった。ゴリゴリの筋肉質なミュージシャン
というよりは、少し違った距離感でジャズをやっていたような感じだったのだろう。

このアルバムは1960年2月の録音だが、当時既に始まっていたニュー・ジャズの動きとは距離を取り、無理に時流に沿わせようとするのではなく、
彼らが身に付けた自然な感覚のジャズを演奏していて、そのナチュラルさが聴いている私を非常に心地よくしてくれる。
風通しがよく、適度にスマートで、それでいて演奏はしっかりと堅牢なので、ダレたり飽きが来るようなところもまったくない。
そういうところが今はとても気に入っている。



Kenny Dorham / Jazz Contemporary  ( 米 Time S/2004 )


状態のいいステレオ盤が安価で転がっていたので聴き比べたが、ステレオ盤のほうが圧倒的に楽器の音の輝きがいい。ただ、この時期のステレオ
再生へのノウハウ不足から、楽器がそれぞれ左右に割り振られた音場になっている。まあ、別に悪い感覚はないけれど、モノラル盤のほうは
音像が中央に定まっているので、それと比べるとちょっと、と感じる人もいるかもしれない。ただ、楽器の音の良さは圧倒的にステレオのほうが
いいので、この2つは痛み分けというところだろう。



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ブルーベック・カルテット最後のアルバム

2022年06月05日 | Jazz LP (Columbia)

The Dave Brubeck Quartet / The Last Time We Saw Paris  ( 米 Columbia CS 9672 )


洗練の極み、とはこのアルバムのためにある言葉。白人ミュージシャンには黒人ミュージシャンがやるようなジャズは結局できず仕舞いだったが、
逆にこの洗練の高みを極めたような演奏は黒人ミュージシャンにはできなかった。

このアルバムはデイヴ・ブルーベック・カルテットの最後の公式アルバムで、この後バンドは解散した。
最も成功した白人ジャズグループとして、彼らの生活は多忙を極めていた。長期間行われる世界各地でのツアー生活、その合間を縫って行われる
レコーディング。そういう生活が長く続いたせいで、バンドのメンバーたちは疲弊し、精神的にも不安定になり、関係もギクシャクし始めた。
互いに会話することもなくなり、返答もいつも決まった言葉を返すだけになった。そして、もうこれ以上は限界だと悟ったブルーベックは67年
いっぱいでバンドを解散することを決意する。そんな中で行われた最後の欧州ツアーの様子がここには収められている。

晩秋のパリで行われた演奏はどこまでも優雅にスイングして、まるでカシミヤのような質感。バンドの内情がそういう状態だったということが
とても信じられない。ブルーペックのピアノはいつになく穏やかで、聴き入ってしまう。自作の "Forty Days" での彼のピアノは、まるで後年の
キース・ジャレットのような思索的な演奏で、これには驚かされる。10年も前にブルーベックが先取りしていたということだ。

行儀のよい欧州の観客が静かに見守る中、ライヴ会場独特の広い空間を感じる独特の雰囲気に包まれながらポール・デスモンドの冷たく澄んだ
アルトが優雅に舞う。この静かなアルトを聴いて鳥肌が立たない人がいるだろうか。

このアルバムには "One Moment Worth Years" や "La Paloma Azul" などの美しい名曲が選ばれているところも魅力の1つで、アルバムの
素晴らしさを後押ししている。加えて録音が非常によく、見事な音質でこの優美な音楽が聴ける。

デイヴの妻であるイオラ・ブルーベックがライナーノーツを書いているが、当時は67年末で解散することは公表されおらず、この欧州ツアーも
"フェアウェル・ツアー" であることは告知されていなかったが、英国やその他の現地では既にその噂が拡がっていたらしかった。このパリ公演も
デスモンドのアルトの演奏が終わるたびに大きな拍手が沸き起こり、最後の "Three To Get Ready" が終わると、まるで会場が割れるような
大きな歓声と拍手が沸き起こる。その反応が大きければ大きいほど、聴いているこちらの寂しさも大きくなる。



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