廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

70年代は死の時代

2021年06月30日 | Jazz LP (70年代)

The Thad Jones / Mel Lewis Quartet  ( 米 Artists House AH-3 )


こんなレコードがあるなんて知らなかったが、1977年9月24日、マイアミのエアライナー・ラウンジでのライヴ演奏。サドメルがカルテットとして
レコードを作るのはこれが初めてだったらしい。ハロルド・ダンコがピアノ、ルーファス・リードがベースを受け持つ。

スダンダードをリラックスした雰囲気で演奏するという気負ったところが何もない内容で、彼らの日常の一コマが切り取られたような
微笑ましいものだ。ただ、サド・ジョーンズは音程も怪しいし、音量も豊かとは言えず、演奏家としての最盛期はとうに過ぎている感じで、
あまり楽しくない。ダンコやリードの演奏はすごく上手いけれど、音楽全体としては弛緩しており、正直言って退屈だ。聴いているうちに
途中で知らないうちに眠ってしまっていた。

こういうのはライヴ会場で一過性のものとして聴くべきアクトである。目の前で彼らの生の演奏を見れば個々の演奏の上手さを堪能できそうだし、
そうすればそれなりに楽しい時間を過ごすことができると思うが、これをレコードとして繰り返して聴くかと言えば、「ノー」だろう。
そういうタイプの音楽って、あるものだ。





Chuck Folds / S/T  ( 英 RCA LFL 5064 )


ネットで調べたが情報はほとんどない。1979年8月11日付けのニューヨーク・タイムズの片隅に載った小さな新聞記事の切れ端や
その他のいくつかの小さな記述などから、バック・クレイトンやワイルド・ビル・デイヴィソンらのグループに時々参加して、
古いスタイルのピアノを弾いていたらしい。晩年はスイート・ベイジルなどにも出ていたようだが、なにせレコードがほとんど
残っていないのだから、どういうミュージシャンだったかは知りようがない。

リチャード・デイヴィスがベースを弾いていることと、このジャケットからプンプン臭うB級の匂いに惹かれて手にしたが、
これと言って何か言及するべきことがある内容とは言えない。悪い演奏ということではないが、これと言って聴き所はない。

1曲だけバド・フリーマンが客演していて、テナーとソプラノを途中で持ち替えながら演奏しているけれど、これも起死回生の1打には
ならず、残念な感じで演奏は終わる。録音はされたが、レコード制作はイギリスでのみ行われ、アメリカでは発売されなかった。
発売したところで、売れる見込みなどなかったのだろう。


これら2枚は共に70年代後半に録音された演奏だが、ここからわかるのは、この時代のアメリカの主流派は死んでいたということだ。
かつての演奏家たちは、ある者は亡くなり、ある者は仕事を求めて欧州へ逃れ、ある者は楽器を捨てて別の職に就いた。
この時代は何と言ってもロックの時代である。人、金、モノのすべてがロックの世界に集中し、ジャズは見捨てられた。
ある意味で、これらのレコードはその裏記録のようなものかもしれない。どんなレコードからも学ぶべきことはあるということだろう。



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久し振りの散財

2021年06月27日 | Jazz雑記



昨年の冬以降、まったく拾うことができなかったが、ようやく拾えた。3枚も買うなんて、いつ振りのことだろう。

新宿に着いたのは16時を過ぎた頃。道すがらブログを眺めて「このキャノンボールのデビュー作は珍しいなあ、聴いたことないし」
と思っていたら、ちゃんと売れ残っていた。日頃哀れな私のために、神様が残しておいてくださったのだろう。

謎のピアノ・トリオとサド・メルのワンホーン・カルテット作、どちらも3桁盤だが、聴いたことがないのでこちらも拾っておく。

リー・モーガンの "Indeed!" は45万だったそう。値段を付けた張本人曰く、「トップ・コンディションという訳ではなかったけど、
十分きれいだったので」とのことだった。抽選券を取りに集まったのは20人だったそうで、「どれも意図的に限界を超えた値段を付けたけど、
30秒ほどで壁から無くなって、凄かった・・」とお疲れのご様子。カウンターで接客している若い女性店員さんもド変態客たちの相手で、
魂が抜けたような感じになっていた。怖れをなして、辞めてしまわなきゃいいんだけど・・・

やはりこういうイベントがあると、レコードが少し動くのかもしれない。私の感覚ではリストの中で一番で珍しい盤が拾えて、
久し振りに散財を満喫できた。



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静謐な高級感

2021年06月22日 | Jazz CD

Till Brenner / Nightfall  ( EU OKeh 88985492112 )


週末にユニオンに行ったら壁一面にプレスティッジやリヴァーサイドのビクター盤がずらりと並んでいて、驚いた。とうとうこんなことをし出した。
昔のビクター盤はいいレコードなので別に問題はないけれど、本来は壁に飾るレコードじゃない。レコード不足は深刻なのだ。
新入荷にはエヴァンスの「エクスプロレーションズ」が3.250円で転がっていて、違和感のある値付けに溜め息しか出ない。
30分近くかけて在庫を全部見たが買えるものは1枚もなく、さすがに徒労感しか残らない。なので、最近はCDの棚の方をよく見る。

ティル・ブレナーは好きなのでデビュー後はしばらくリアルタイムで聴いていたし、その後も間を置きながらもポツポツと聴いてきたが、
知らないタイトルのものが転がっていたので拾ってきた。大体のタイトルは相場が3ケタだが、これは1,600円と桁が1つ違っている。

ベースとのデュオで、静かな演奏に終始する。高い演奏能力と音楽性で音楽自体に高級感があり、途中でダレることなく最後まで聴かせる。
ジャケットの印象と音楽の内容がピタリと一致している。雰囲気があるので、軽く聴き流してもいいし、正対して聴くにも耐え得る、
という感じで満足感の高い内容だった。


コメント (2)
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アート・ペッパーのお手本は誰だったのか

2021年06月19日 | Jazz LP

Marty Paich Quartet featuring Art Pepper  ( 米 Tampa RS 1278 )


後味の悪いパーカーを聴いた後の口直しには大甘のアート・ペッパーがちょうどいいが、これはただの甘口ではない。
このアルバムのペッパーのアルトには、よく聴けば、苦み走ったところがあるのがわかる。一聴するとただの甘口のような印象だが、
よく聴くと甘味なのは4人が演奏している音楽がそうなのであって、ペッパーのアルトの音色自体は峻厳な色味を帯びている。
この唐辛子が混ざったバニラアイスのような、アンビバレンツな微妙さがうっすらと漂うところに本作の価値があるのだろう。

パーカーのことを想いながらこれを聴いていると、アート・パッパーは一体誰をお手本にしてアルトを吹いたのだろうと不思議に思う。
これは、アート・ペッパーを巡る大きな謎の1つである。

これだけパーカーの影響を感じない、パーカーから最も遠いところにあるアルトは、ポール・デスモンドを除くと、この人ただ一人だろう。
レコーディング・デビューだったディスカヴァリー・セッションの時点で、すでにアート・ペッパーは完成していた。ご多聞に漏れず、彼も
レスター・ヤングをコピーして育ったが、出来上がった演奏はレスターとは似ても似つかない姿だった。楽器の吹き方が他のサックス奏者とは
根本的に違っていて、ある意味、奏法としては邪道だったのかもしれないと思わせる。音楽学校では教師からダメ出しされ、コンテストに出れば
技術点で減点されて落選するような。

ジャズ史の中で道の真ん中に突然ポツンと現れた孤児のようなその立ち位置にも意を介さず、代替の効かない演奏を残してくれたおかげで
我々愛好家の気持ちはどれほど潤ったことか。果たしてジャズと呼んでいいのかどうか逡巡するほどポップで甘いこのアルバムも、
忘れた頃にターンテーブルに載せて聴くと、その良さがじわじわと心に染み入ってくるのを感じることができる。


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虚ろな怖さ

2021年06月13日 | Jazz LP (国内盤)

Charlie Parker / Plays Cole Porter  ( 日本コロンビア YL 3002 )


5月に拾えたのは、この国内初版の1,000円のペラジャケ1枚のみ。惨憺たる状況は続く。レコードはまるでエアポケットに吸い込まれたかの如く
店頭から消えてしまい、跡形もない。店頭在庫の質は今や完全に底の状態で、回復の兆しがない。

重たいフラット・ディスクでプレスの質も良く、ヴァーヴのオリジナルよりも質感がずっといい。音質もまったく遜色なく、買うならこちらの方が
満足感は高い。これはこれで珍しいと思うけれど、それにしても1ヵ月探してこれだけというのも寂しい。

パーカー最後のレコーディングだが、もはやここにいるのはパーカーではなく、完全に別人である。どよーんと淀んで濁った締まりのない音色で、
スピード感もキレもなく、まるでテナーのような音だ。フレーズも完全に死んでいて、魂が抜けてしまっている。聴いていてあまりに辛い気持ちに
なってしまい、両面聴き通すのが困難だ。

音楽というのは、演奏者の状態を如実に反映するのだということがよくわかる。抜け殻となった虚ろな人の姿が揺れていて、恐ろしい。
こんな演奏はレコードして残すべきではなかった。にもかかわらず商品として売り出したのだから、残酷極まりない。
聴いていてこんなに怖くなるレコードは他にはないのではないか。ここには冥界の異様な雰囲気が漂っている。


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クラシックにおけるルディ・ヴァン・ゲルダー

2021年06月06日 | Classical

Maria Tipo / W.A. Mozart Piano Concert No.21, K.467, No.25, K.503  ( 米 Vox PL 10.060 )


ルディ・ヴァン・ゲルダーは、クラシックのレコードでもマスタリングの仕事をしている。私の知っている限りではVox社のレコードだけで、
それも数は少なく、ごく一部のタイトルだけで仕事をしたようだ。それらの音源はすべてヨーロッパでの録音で、それをアメリカへ持ち帰って
きて、ヴァン・ゲルダーにマスタリングを依頼したらしい。ただやっかいなのが、RVG刻印があっても全部が全部RVGらしい音かと言えば、
そうではない。まったく冴えないものもあって、玉石混淆なのはジャズと同じだ。

マリア・ティーポのこのレコードは英国盤やフランス盤もあるが、このアメリカ盤だけがRVGで、音が全然違う。
音圧高く、ピアノの音もオケの音も艶やかでクッキリとしていて、聴いていて圧倒される。他の国のプレスは平均的なVoxレーベルの
モノラルサウンドで、その違いは明白だ。録音、製造共にはっきりしないが、50年代後半頃だろうと思う。

興味の焦点になるのはもちろんピアノだが、ジャズの世界でモノラル音源のピアノに彼が施していた音とはまるで別物。
古い録音にもかかわらず、ピアノの音はクリアで明るく、きらきらと輝いている。とてもヴァン・ゲルダーのマスタリングとは思えない。
楽器の音作りの考え方がまったく違う。

それでも、クラシックの世界ではヴァン・ゲルダーなんて誰も有難がらない。理由は簡単で、その音がこのジャンルの音楽には
あまりマッチしないからだ。このレコードも音質としては素晴らしいが、これがモーツァルトの音楽にフィットしているかと言えば、
ちょっと違うよな、ということになる。ピアノ協奏曲の世界でモーツァルトを超える楽曲を書いた作曲家は結局現れなかったが、
この天上の音楽を表現するにあたってヴァン・ゲルダーのサウンドは適切かと言えば、まあ、違うのである。

レコードにしてもCDにしてもストリーミングにしても音がいい方がいいに決まっているが、じゃあ音が良ければ何でもいいのかと言うと
そうではないだろう。結局のところ、その結果として音楽がどう聴こえるかなのであって、それを下支えする要素として音質が最重要事項
ということだ。いくらヴァン・ゲルダーがエンジニアとして最高峰の1つだったとしても、モーツァルトの音楽への理解が足りなければ、
それはミスマッチなレコードになってしまう。ジャケットデザインを手掛けるデザイナーにしてもそうだが、音楽に仕事で携わる以上は
やはりその音楽への理解や愛情は欠かせないのだろうと思う。



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