廃盤蒐集をやめるための甘美な方法

一度やめると、その後は楽になります。

フィリー・ジャズの夜明け

2017年07月30日 | Jazz LP (Riverside)

The Metronomes / Something Big !  ( 米 Jazzland JLP 78 )


フィラデルフィア出身の若い4声グループのデビュー盤で、メルバ・リストンが全面アレンジを担当している。 彼女が参加したクインシー・ジョーンズの
ビッグ・バンドがフィラデルフィアのクラブに出演していた際に知り合ったことが縁で、このデビュー作に手を貸すことになったようだ。 ライナー・ノーツには
メルバが語ったアルバム作成時の苦労話が書かれていて、なかなか面白い。

アメリカという大きな国においてはやはり地域性というのは重要なキーになるのは間違いない。 このアルバムにもいわゆるニューヨークで演奏されていた
ジャズとは明らかに違うムードがあって、それは敢えて言えば "フィリー・ジャズ" ということかもしれない。 リヴァーサイドのハウス・ミュージシャンが
バックの演奏を務めているにも関わらず、のちにフィリー・ソウルという名前で発展していくあの独特の雰囲気の種のようなものが明らかに見られる。

取り上げられている曲目がジャズの佳作ばかりだし、アレンジもバックの演奏も純粋なジャズなので、どこから聴いても正統派のジャズ・ハーモニーだけど、
それまでのジャズ・コーラスには無かったような感傷的なヴォーカルが幾重にもクロスするところにブレイクスルーを感じる瞬間がある。 ブレンド感を隠さず
そのまま生かしたところに新しい感覚があるなあと思った。 それがこの4人に依るものなのか、メルバのアレンジに依るものなのかは、この1枚だけでは
何とも言えないけれど。

珍しいのは "I Remenber Clifford" や "Monk's Mood" をやっていることで、前者はマーク・マーフィーが最初かと長年思ってが、こんなところでやっていた
とは知らなかった。 後者もヴォーカリーズとしては初めて聴く。 えっ、こんなことやってるの?、と目から鱗の内容が続く。

こういう作品がリヴァーサイド系から出ているのが面白いなあと思ったけど、よくよく考えればこのレーベルはマーク・マーフィーやエディ・ジェファーソンの
傑作を録ったレーベルだった。 そういうヴォーカルへの見識があるレーベルが作った傑作群に名を連ねてオッケーな内容だと思う。


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今週の安レコ ~ コーラスの愉楽編

2017年07月29日 | Jazz LP (安レコ)



今週の安レコたち。 旧いアメリカ音楽をコーラスで聴く愉楽は他の何にも代え難い。 でも、イマドキは誰も聴かないんだろう、総じて安レコである。
もったいないなあと思いながらも、黙々と拾っておく。 いいのかなあ、こんなに安くて、と思いながら。





やっと見つけた、もう1枚のディック・レーン・カルテット。 凄まじいヴォイス・テクニックを駆使したスピード感のある仕上がりは他の追随を許さない。
これと比べると、マンハッタン・トランスファーも霞んでしまう。 音質も抜群に良くて、重層的なコーラスの姿が生々しく捉えられている。




ビーチ・ボーイズもカヴァーした名曲 "Graduation Day" が聴ける、フォー・フレッシュメンの夢見るようなバラード・アルバム。 他の曲も名曲ばかりだ。
一般的に代表作とされる "5 Trombones" よりも、こちらのほうが好き。 彼らにはたくさんアルバムがあって、当時いかに人気があったかがよくわかる。




ミルス・ブラザーズのきれいな10インチがいとも簡単に転がっているなんて、時代が変わったんだなあと実感させられる。 
こういうのを見つけると、つい、ニコニコしてしまう。




コーラスものからは外れるけど、これも探していた1枚。 まあ、とにかく最高の内容だ。 カウント・ベイシー・オーケストラのこの只ならぬドライヴ感は、
一体何なんだろう。 そして、フル・バンドよりも大きな声量で爆発するトニー・ベネット。 これを聴いて興奮しない人なんて果たしているんだろうか。
アメリカのTVドラマを見ていると、トニー・ベネットの名前がよく出てくる。 きっと今でも広く尊敬されている人なんだろう。
トニー・ベネットを聴くアルバムだけど、カウント・ベイシー・オーケストラを聴くアルバムでもある。


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諦めず続けていれば

2017年07月23日 | Jazz LP (Riverside)

Matthew Gee / Jazz by Gee !  ( 米 Riverside RLP 12-221 )


50年代のアメリカ国内のジャズシーンの実態なんて今の我々にはわかるわけがないので、なぜこのレコードが制作されたのかはよくわからない。 レーベルが
立ち上がってまださほど時間が経っていない1956年という時期の録音で、オリン・キープニュースもセールス度外視でアンダーレイテッドな演奏家を世に出そうと
いう熱い志をまだしっかりと持っていた頃だったからかもしれない。 なにせ、レナード・フェザーが「バップの洗礼を受けたトロンボーン奏者の中でも最も優秀で
且つ最も過小評価されている1人」と言っていたそうだから、この当時ですら知る人ぞ知る存在だったようだ。

マシュー・ジー名義のアルバムはこれ以外にはアトランティックのグリフィンとの共同名義のアルバムしかないはずだけど、基本的にはビッグ・バンドを渡り歩いた人
として実際は他にもいくつかのレコードでその演奏は聴けるようで、例えばカウント・ベイシーのヴァーヴ盤 "Basie In London" のトロンボーン・セクションの中にも
この人は入っている。 そうやって無意識の内に、私たちはこの人の演奏を実はどこかで聴いているのかもしれない。

A面はアーニー・ヘンリーを加えたクインテットの演奏で、アーニー・ヘンリーはこれが初レコーディングになる。 そしてこの翌日に彼のデビュー作を録音することに
なるのだからこれはいい肩慣らしになったはずだけど、それでもその演奏はまるでデビューしたてのコルトレーンのように覚束なく、フレーズもたどたどしい。
一方のマシュー・ジーは何となくソロを取り慣れていない感じで、単発的に大きな音を出すけれど長いフレーズでは音量が小さく弱々しい。 フロントの2管が
そんな感じだからバックの楽器の音がよく聴こえて、ウィルバー・ウェアーのベースやアート・テイラーのドラムが生々しく前へ出てくる。 各楽曲はどれも一応は
ハードバップだけど尺は短めで、レコーディングに慣れていない2人のための習作という雰囲気が漂う。

B面はケニー・ドーハム、フランク・フォスター、セシルペインが加わったセプテットで、こちらは先のクインテットの1か月前の収録。 ビッグ・バンド畑の彼に
合わせるために多管編成にしたようだ。 即席アンサンブルにしては一糸乱れぬ纏まりようで、さすがに上手い。 ここでもアート・テイラーのリズム・キープが
しっかりしていて、それがとてもいい。

第2作が作られなかったのはレーベルの意向というよりは、本人の意思によるものだったんじゃないだろうか。 他のレーベルが手を出さないアーティストだから、
後発のリヴァーサイドとしては自分が育てたという形にすることを望んだはずだけど、このレコードで聴く限りではトロンボーンの演奏に感銘を受けるような
ところは感じられない。 それはマシュー・ジー本人が一番よくわかっていたことだろう。 でも、マイルスもコルトレーンもレコードデビューしたての頃は
似たような感じだったんだから、マシューもここで諦めなくてもよかったのになあと思う。 音楽自体は意外と真っ当なハードバップになっていて、バップファンには
歓迎される内容だし、録音の場数さえ踏んでいればきっといい作品が残っただろう。 そういう可能性みたいなものを感じるところはあると思う。



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ミニマリズムの完成形

2017年07月22日 | Jazz LP (Milestone)

Jim Hall / ...Where Would I Be ?  ( 米 Milestone MSP 9037 )


ジム・ホールは70年代に入ってからは、まるで人が変わったかのようにギターを弾きまくるようになった印象がある。 それまでの演奏は音数少なく、ジワ~と
ぼかしたトーンで空気を淡く染めるような感じだった。 引っ込み思案な性格も手伝って、常に後ろのほうへ隠れるような印象があったが、70年代以降は
ギターアルバムの制作のされ方が変わってきたこともあり、前面に立ってしっかりと弾くようになった。 だから、彼の代表作は70年代に集中している。

その中でも、この地味なアルバムは1,2を争う内容となった。 一般的にこの時期の名盤と言われるものはライヴ録音が多いが、スタジオでしっかりと作り込まれた
この作品は、当時ブラジル音楽に興味を持っていた彼の嗜好がにじみ出ている。 露骨に南米音楽をやってはいないところが如何にも彼らしいが、それでも
それが趣味のいいアクセントになっている。

バックのピアノトリオもジム・ホールのデリケートなスタイルにきっちりと合わせていて、彼の小さめなギターの音を決して邪魔しない。 彼は大きな音でグループを
制圧するのではなく、小さな音でバンドを統率するのだ。 まるで「北風と太陽」を地で行くかように。

タイトル曲の繊細なバラードや彼の有名な自作 "Careful" など、収録されている楽曲はどれもが魅力的で、それらが精緻な演奏で展開される。 落ち着いた
演奏が多いにも関わらず、聴き終えた後に残る充実感としての手応えは大きい。 60年代のアメリカ芸術界のミニマリズム運動のことを意識していたのかどうかは
定かではないけれど、ジャズ界では早くからこのミニマリズムの先駆者のようなことをやっていたジム・ホールの音楽は、この70年代に完成したのかもしれない。


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濃厚な語り口

2017年07月17日 | Jazz LP (Savoy)

Joe Wilder / Wilder 'N' Wilder  ( 米 Savoy MG 12063 )


照明の灯りが反射してキラキラと輝くトランペットからゆったりとメロディーが流れてくる様子が、何の手も加えられずそのまま録られたような感じだ。
ヴァン・ゲルダーが第五のメンバーとして施したカッティングが冴えに冴えわたっている。 演奏の良さよりも音の良さが先に立って、終始圧倒される。

スタンダードを、趣味のいい演奏をする4人が集まって、ゆったりとした速さでのんびり穏やかに演奏するだけの内容なので、特にそれ以上どうこうという
ことは何もなく、心地いい流れにこちらもただ身を任せていくだけなのだが、そういう中でやはり際立つのがレコードから出てくる音の生々しさだ。

ジョー・ワイルダーの演奏を聴いていると、こういう独特の語り口で吹けるトランペット奏者を最近の録音では聴いた記憶があまりないような気がしてくる。
一聴すればすぐに、ああ、これはジョー・ワイルダーだな、とわかる。 音程の怪しいところは多々あるものの、この「語り口」という言葉でしか表せない
演奏は一度聴くと耳から離れることはない。 

最近のジャズはどれを聴いても同じような演奏に聴こえる、というボヤキが絶えないのは音楽形式の話もあるだろうけど、それ以上に鳴らされる音の非個性化に
依るところも大きいのかもしれない。 演奏者たちは身体と楽器のコントロールに心血を注ぐよりも、録音技術の進化に乗っかった音の響かせ方・拡散のさせ方や
組合わせの妙に没頭しているように見える。 そこには遊戯としての愉しさはあっても、音楽としての在り方には違和感を持つ一定数の人が出てきてもおかしくない。

ジョー・ワイルダーのこのアルバムは特に画期的な内容とは言えないかもしれないけれど、それでも聴いた人の心を捉えて離さないところがあるのは、おそらく
ブラウニーやマイルスと並んでもおかしくない、この人だけの音と演奏が聴けるからではないか。 例えば、私がブロッツマンの演奏を好むのはそれがフリーだから
ではなく、彼にしかできない演奏が聴けるからである。 そういう意味では、ワイルダーのこのアルバムもブロッツマンの諸作も、私から見れば特に違ったところは
何もない。 形式上の違いなんて、些細なことに思えてくる。


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生真面目な正統派

2017年07月16日 | Jazz LP (Prestige)

Walt Dickerson / Relativity  ( 米 New Jazz NJ 8275 )


1961年にデビューして翌62年まで New Jazzレーベルに録音を数枚残したけれど経済的にやっていくことができず、一旦ジャズ界からは離れることになった。
時期的にはちょうどジャズ業界は新しい感覚のジャズがハード・バップを駆逐し始めていた頃で、その真っ只中にデビューしたというのは運が悪いにも程があった。
聴く側も演る側も価値観がグラグラと揺れていたんだから、そこに安定した基盤などは初めからなかったのだ。

そんな状況の中で、ディッカーソンは非常に生真面目に音楽をやっている。 演奏の腕を磨き、新しい語法を持った共演者を注意深く選び、アルバム全体を
仄暗く憂いの表情で統一させている。 音楽には集中力と纏まりがあり、デビュー間もないアーティストの音楽だとはとても思えない。

B面の真ん中に置かれた "Sugar Lump" なんて、まるでマイルスの "Kind Of Blue" にも共通した雰囲気があるし、"Autumn In New York" は落ち着いて
透明度の高い質感に仕上げていて、どれも感心させられる。 ピアノの Austin Crowe という人はディッカーソンのアルバム以外では見た記憶がないけれど、
現代的なセンスを先取りしているような過不足のないとてもいい演奏をしていて、音楽の上質さをこの人が支えている。

ミルト・ジャクソンに飽きた聴き手には歓迎される新しいヴァイブのジャズだし、内容は極めて優秀だし、ということでもっと評価されていいはずだけど、
人目に付くにはいささか生真面目過ぎたのかもしれない。 ニュー・ジャズと言うにはあまりにも正統派過ぎて、そういう面でも損をしている。
でも、そういうところがきちんとわかる人には、この音楽は決して風化することなく、これからも支持されていくだろう。



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安レコに潜む魔物

2017年07月15日 | Jazz LP (安レコ)
ここ数週間の安レコの収穫。 暑い中、よく頑張った。



安レコは回転が速いので、こうやってキャッチできるものは流通しているブツの中のごく一部に過ぎない。 買い切れずに一旦は見逃して、やっぱり買っておこうと
再度訪れてみても、もう無いということも多い。 このあたりの匙加減はなかなか難しい。




キング・プレジャーは好きなヴォーカリスト。 このアルバムは傑作。 United Artists のグレイサックスのステレオプレスだけど、これがとてもいい音場感。
1つ1つの音の艶やかさもモノラル盤を上回る。 コンテンポラリーのレコードと同じパターンだ。 こうなると、アンダーカレントのステレオ盤も聴いてみたいなあ。




East Wind オリジナルのライヴらしい寛いだ雰囲気が好ましい作品。 アート・ファーマーの日本制作にハズレなし。 日本人が愛して大事にしたアーティストの
1人として我々の身近なところに常にいる人で、そういう雰囲気が濃厚に漂っている。 それが嬉しい。




昔は幻のシグネチャー・レーベルという理由でそこそこの値段が付いて買えなかったけど、今や身近な存在となった。 ジャケ写通りのギターとハーモニカを
自在に操る佳作。 ハーモニカが切々と謳う "Misty" が最高の名演。 モノラル期の作品では、これが1番いいと思う。




こんな顔ぶれが揃うのは後にも先にもないだろう。 そういう意味では奇跡の1枚。 ショーターの優し気な振る舞い、ホールの瑞々しいプレイ、それらの
視線の先には常にペトルチアーニがいるような気がする。 ジャケットを見ているだけで、なんだか胸を打たれる。 




ジム・ホールのコンコード時代の傑作。 ピアノレスでガッツリとギターを弾いている。 バラードでの幻想的で深い音色が素晴らしい。 
レコードではあまり流通していないのか、この5枚の中では1番値段が高かった。


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先週のとある昼下がり、閑散としたDUの某店で安レコを漁っていると、ジャズ・レコードのコレクターとしても有名なあのお方が店に入ってきた。 最初は
よく似た人かと思ったけど、髪型でご本人だとわかった。 白いものが混じった無精ひげ、モスグリーンの古着っぽいTシャツ、膝丈に切ったジーンズ、
手にはCDの入ったDUの袋をぐしゃっと持っていた。 年齢を感じさせない贅肉のないがっしりとした体形で、アスリートのような感じだった。

廃盤コーナーには目もくれず、新入荷の安エサ箱に直行し、とても熱心に漁っておられた。 でも、いい物が無かったようで、全部見終わると残念そうにエサ箱を
じっと見つめて、その後は店内をブラブラと歩き、壁棚に置かれたボックスセットを手に取ったり、壁に掛かった高額盤を眺めたり、廃盤コーナーのインパルス欄を
眺めたり、と去り難く名残惜しそうな感じだった。

店員たちも気付いていて何やらヒソヒソと話をしていたけど、声をかけるような無粋なことはせず、もちろん私もそんなことはしなかった。 
レコード屋で見かけてもそっとしておいて欲しい、と常々言っているを知っているから。

新入荷のところだけを探していたということは、よく来ているということなんだろう。 あれだけたくさんのレコードを持っていながら、それでも猟盤を
しているわけだから、この趣味には魔物が潜んでいるんだな。


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新しく掴んだ何か

2017年07月09日 | Jazz LP (Warner Bro.)

Bill Evans / We Will Meet Again  ( 米 Warner Bros. Records HS 3411 )


エヴァンスの晩年、つまり最後の5年くらいの間に残された演奏の中では、これが一番好きだ。 この作品に宿る穏やかな、そして明るい希望のようなものには
心惹かれずにはいられない。 2管クインテットというだけで相手にされないフシもあるのかもしれないけれど、この作品の他にはない魅力は2管入りだったからこそ、
である。 トム・ハレルもラリー・シュナイダーもまるでエヴァンスの分身が管楽器を操っているような、これ以上の出来は考えられない演奏で寄り添っていて、
その献身振りには泣かされる。

エヴァンスはこの時、それまでには無かった新しい何かを間違いなく掴んでいた。 その気配がここにははっきりと残っている。 だから、このジャケット
デザインは象徴的だ。 それは "You Must Believe In Spring" などには見られない何かである。 その何かこそがこの作品を特別なものにしているのだし、
それがいつも私の心を震えさせる。

エヴァンスと一緒に演奏したミュージシャンたちはその後にエヴァンスとの想い出を作品として綴っているけれど、あなたたちがやらなきゃいけないのは
そういうことでないだろう、といつも思う。 エヴァンスが最後に形にしようとして間に合わなかったものを引き継がなきゃいけないんじゃないの?と歯痒い。

後期エヴァンスのレコードを順番に丁寧に聴いていくことで、ようやくビル・エヴァンスという音楽家の本当に姿が少しだけ見えてきた気がする。 去年から
ぼつりぼつりと買い進めてきた中で、そのことが実感としてわかるようになった。 聴き始めて30年以上が経つけれど、ようやくビル・エヴァンスのことが
少しは理解できるようになってきたのかもしれないな、と思う。


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ヴァン・ゲルダーがチェット・ベイカーを録ると

2017年07月08日 | Jazz LP (Prestige)

Chet Baker / Smokin'  ( 米 Prestige PR-7449 )


黒人ジャズのイメージが強いルディ・ヴァン・ゲルダーだが、ちゃんとチェットも録っている。 1965年8月の3日間でアルバム5枚分の録音が行われている。
それらを例の "~ing"シリーズとして、ひどいセンスのジャケット・デザインで5枚もリリースしている。 そのせいで誰も見向きもしないレコードになって
しまったけれど、この時の演奏は極めて良質なミディアムハード・バップで、実はとてもいい演奏なのだ。 この時期トランペットが盗難に遭ったせいでフリューゲル
ホーンを吹いていたから、ブラインドでこれを聴けばきっとアート・ファーマーのクインテット作品だと思うだろう。

そして何より、ジョージ・コールマンのテナーが抜群にいい。 理知的で、上手くて、魅力的な音色だ。 この2人はガツガツとした野心がなく、音楽を自分の
手許に手繰り寄せるようにして演奏をして、形式的にはハード・バップではあるけれど地に足の着いた音楽になっていて、一聴してすぐにこれはいい音楽だと
直感的にわかるようなところがある。 この辺りが一流の証であろうと思う。

ヴァン・ゲルダーの録音もクセのないナチュラルでクリアな音で、とても好ましい。 このグループの音楽にはよく合っている。 ヴァン・ゲルダー・サウンドは
何もブルー・ノートのような大袈裟にデフォルメされた音だけだった訳ではなく、実際はもっと多種多様なのであって、アレはアレ、コレはコレなのだ。

あまりにもパシフィック・ジャズの音楽のイメージが強い人だけど、本人はもっと本流のモダン・ジャズをやることを元々望んでいた。 だから、この録音は
本人にとっては嬉しかったのではないだろうか。 聴く側も表面ヅラだけに囚われず、もっとこのセッションのことを見直すべきではないだろうか。


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渡辺香津美とドストエフスキー

2017年07月02日 | Jazz LP (70年代)
先週拾ったアルバムたち。 ギターものが相変わらず多いなあ。



Martin Taylor / Taylor Made  ( 英 Wave Records WAVE LP17 )


どう見ても渡辺香津美とドストエフスキーがセッションしている絵にしか見えないんだけれど、これはマーティン・テイラーのデビューアルバム。

マーティン・テイラーは若くしてスーパー・ギタリストの仲間入りを果たしたテクニシャンでその上手さは折り紙付きだが、すでにデビューの時点で
完成されていたんだということがわかる。 なめらか過ぎる運指、正確でまったく崩れないリズム感、濁りのないきれいな音、どれをとっても
完璧すぎる。過去のジャズ・ギター・マスターたちの流れには乗っておらず、むしろアル・ディ・メオラとかジョン・マクラフリンなんかの系統のほうが
近いと言っていい。当時の英国でピーター・インドやアイク・アイザックらが強力に後押しして驚異をもって迎えられた興奮が伝わって来る。

何となく自主レーベルのような雰囲気を醸し出すジャケットだが、これが驚きの高音質。 音圧高く、楽器の音もヴィヴィッドでクリアー。 
ピアノレスのスタジオ録音でスタンダード集という普通の入れ物に見えるが、中身は新しい時代のギター・ジャズになっていて、そのギャップが
面白い。ピーター・インドのベースもとても良くて、こんなにいいベースを弾く人だとは知らなかった。 




Jimmy Raney / Wistaria  ( 蘭 Criss Cross Jazz Criss 1019 )


トミー・フラナガン、ジョージ・ムラーツをバックにしたギター・トリオで、平均年齢が高いにもかかわらず驚くほどみずみずしい演奏だ。
マーティン・テイラーの後に聴くと、よりそれが実感される。 上手ければそれでいい、ということではないのだ。 

ドラムスがいないにもかかわらず3人のリズムは乱れることはなく、一体感を保ちながら音楽が最後まで進んでいくところがすごい。 
そういう至芸の極みがクリス・クロスの高品質な音で再生される。 このあたりのレコードは今は安レコとして流通しているけれど、いずれは再評価
されてその価値が見直されるような気がしてならない。 買うなら今のうちだろうな。


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廃盤専門店の想い出 ~ レコード・ギャラリー編

2017年07月01日 | 廃盤レコード店
我々音盤マニアにとって、中古CD・レコード店はブツを入手するための云わば聖域である。 だから日々足繁く通ったり閲覧しているわけで、そこには一言では
言えないくらいの様々な想いが詰まっている。 このブログではディスク・ユニオンの話は毎回のように出てくるけれど、それ以外のショップの名前は出てこない。
その理由は簡単で、それ以外のお店はどれも個人経営の小さなショップであり、悪い話を書いてしまうとそれはそのまま営業妨害になってしまうからだ。

私が贔屓にしているお店はDU以外にも当然あるけれど、いつも必ず100%の満足感を覚えているというわけではない。 時にはがっかりしたりカチンとくることは
あるのであって、そういう話を書いてしまうと、いくら閲覧数の少ない弱小ブログとは言え、まわりまわって何らかの形でそのお店に迷惑がかかるかもしれない。
読んで頂いた方に悪い印象が残るような話を感情に任せて書くようなことはしたくない。 それはマニアとしての最低限の礼節だと思うからだ。

だから、現存するショップの実名やそこであった話はできるだけ出さないようにしている。 じゃあ、なぜDUの話は書くかというと、ここは巨大ショップで、
私なんぞが何か言ったところでビクともしないであろうから。 それに、もう何年も不愉快な想いはしたことがないから、まあ大丈夫だろうと思っている。

でも、レコード屋は我々のミュージック・ライフには切っても切れない存在なので、時にはそういう話もしてみたいと思うのが人情であろう。 ならば、今はもう
存在しない昔話であればあまり差し支えないのではないか、とあるレコードを聴きながら、ふと思った。 1枚のレコードとそれを買ったお店のことは
意外とよく憶えているものだ。


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昔々、高田馬場に「レコード・ギャラリー」という廃盤専門店があった。 当時早稲田の学生だった私は、講義を受けた帰り道にたまにここに立ち寄っていた。

小田急線の経堂に住んでいた私にとって、早稲田大学に通うルートは4種類あった。 新宿駅西口からバスに乗って教育学部校舎の裏手にある小さな門の
傍にあるバス停で降りるルート、東西線の早稲田駅で降りて正門まで歩くルート、高田馬場駅前と大学を往復するバスに乗るルート、そして高田馬場駅から
歩くルートである。 最初のルートが一番楽だったけれど、その頃よく読んでいた五木寛之の本の中に出てくる彼の学生時代の話で、早稲田まで通う際には
歩いて行くと将来出世するという噂がかつてあった、というのを読んだのが何となく頭に残っていて、私も歩いて通うことにしていた。 でも結局のところ、
その噂話はただの噂であって、出世なんかしなかったのだけど。

「レコード・ギャラリー」は高田馬場駅-早稲田大学を結ぶ大通りから横道に入った神田川沿いにあった。 歩いて駅まで向かう終盤になって、フラフラと脇道に
それて古びたビルの階段を2Fに上がると、小さくて物凄く狭い店があった。 店主の紺野さんは客が来ると立ち上がって何やらゴソゴソと落ち着きがなくなるような
感じのシャイな人だった。 在庫の数はあまり多くなく、レコードの回転も遅くて、大体いつ行っても同じレコードが残っていたように思う。 でも、当時はどこも
大体そんな感じだったし、そのことについて誰も文句なんか言ったりはしなかった。 

ここではスタン・ゲッツやズート・シムズのレコードなんかをよく買ったけど、1番よく覚えているのが初めて見た "Dexter Blows Hot And Cool" だ。
値段は18,000円で、買おうかどうかすごく迷ったのだ。 盤を見せてもらうと細かい傷が全体的にあって、聴かせてもらうとノイズもそれなりにあったので
結局は買わなかったけど、分厚いレッドワックスの本当の初版だった。

金のない貧しい学生だった私に、紺野さんはやさしく接してくれたと思う。 安いレコードしか買わないのにイヤな顔一つせず、気さくに接してくれた。
そんな中で買った1枚がこれだった。



Sarah Vaughan / At Mister Kelly's  ( 米 Mercury MG 20326 )


夜の暗闇の中に光る粋な電飾の看板、雨に濡れたアスファルトの歩道、そういう風景が素敵なジャケットだと思った。 当時からサラ・ヴォーンが好きで
よく聴いていた。 ジミー・ジョーンズ、リチャード・デイヴィス、ロイ・ヘインズという一流のメンバーを常設バンドに従えて行ったリラックスしたライヴで、
"Willow Weep For Me" でのアドリブを入れた観客とのやり取りが楽しい。 ディーヴァとしてのサラ・ヴォーンではなく、彼女の素の部分が見られる
貴重な記録だと思う。

大学を卒業してしまうと自然と高田馬場からは足が遠のいてしまい、気が付くとお店は閉店してしまっていた。 値付けはリーズナブルで高いなあと思ったことは
なかったけれど、少なくとも私が店にいた時にお客が頻繁に出入りしていたという記憶はないし、開店時間になっても店が閉まったままの時も多かったし、
と経営はさほど順調ではなかったのだろう。 当時は他にも廃盤専門の実店舗は多くて買う側の選択肢も広かった中で、立地の悪いあの場所で上手くやっていくのは
元々難しかったんだろうなあと思う。 

今でもこのレコードを聴くと、あの頃の高田馬場駅周辺の風景がこんな感じで蘇ってくる。


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