こんにちは浦田関夫です

市民の暮らしを守るための活動や地域のできごとを発信・交流しましょう。

消防職員が命をかけて非難を呼び掛けた

2011年07月22日 06時14分42秒 | Weblog


7月19日、東日本震災ボランティアの休息日を利用して、被災地視察報告の続編です。

 南三陸町の中心地は、海岸線にあり商店や住宅は見る形もなく「人の気配を感じない」一面のがれきの平野が続いている様に参加者は絶句しました。
 中でも、消防職員は自らの命を顧みず最後まで住民避難を呼び掛けた「防災センター」では、3階建ての鉄骨だけが残るがれきの前に、多くの花束や線香がたむけられていました。
 参加者は、黙って手を合わせることだけしかできませんでした。

20数人が犠牲になった「防災センター」は、3階建ての屋上まで津波が押し寄せ、数人が屋上に立っている無線塔にしがみついて助かったことを聞くと改めて津波の恐ろしさと恐怖を感じます。



 南三陸町立志津川病院は、4階まで津波が押し寄せ入院患者107人中72人の死亡・行方不明者が亡くなりました。
この病院は、海岸から100メーターほどしか離れていません。

 今日がボランティア活動最終日です。
 
 午前中、ミーティングがあって午後から保育園に子供たちが描いた絵や物資を届けます。

 帰りは、飯館村に立ち寄りたいと思っていますが、時間の都合もあるのでどうなるかわかりません。



 流された住宅の隅で咲いている花。
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先人の言い伝えが命を救った

2011年07月21日 05時51分38秒 | Weblog


 日本三景の一つである「松島」(東松島市宮戸島)に言い伝えられている「石碑」を中川邦彦塩釜市議の案内で19日に尋ねました。
中川市議の話では、平安時代の869年(貞観11年)に東北地方太平洋沿岸で起きた「貞観地震」で、両岸から大津波が押し寄せ、島の中央部でぶつかったとされ多くの犠牲者を出したそうです。

 島民は、津波が達したとされる場所に「石碑」を建て、「これより下は危険」と島民の間に言い伝えられてきました。
今回の、東日本大震災では、約1000人の島民は「石碑」より高台にある、市立宮戸小学校などにいっせいに非難しました。
 津波は、松島の集落の大半をのみこみましたが、「石碑」の手前でとまり、島民の犠牲者は2人にとどまったそうです。
 島民のみなさんは、地震が起きると必ず津波がきての高台に逃げるよう言い伝えられ習慣が浸透していたのです。

島民などから「1000年の言い伝えが命を救った」と、この「石碑」を改めて広く知らせ、地震や津波に備える動きも出ているそうです。

 昨日も、歌川町議と被災した民家を訪ねて歩きました。
仮設住宅に住んでいる農家の奥さんは、「家も農機具も流されて何もないが、前向きに生きたい」と知人と野菜や花を栽培して、近所の産直に出されているということでした。
 
 高台に住むにしても、水道や下水道などがどうなるのか「町が方針を出してほしい」と話されました。

 
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休息日を利用して被災地を視察

2011年07月20日 06時05分44秒 | Weblog


 昨日は、休息日ということで佐賀の4人と熊本と鹿児島の4人の8人で被災地を案内してもらいました。



 左に見えるのが、南三陸町の町立病院です。
病院は海のそばにあり、4階まで水が来たといいます。
右の建物が郵便局、ホテル、スーパーです。



 上の建物は、石巻日赤病院です。
海岸線から内陸部に移転したばかりで被災を免れ、被災者の救護のセンターとして多くの命を救ったといわれています。



 ほとんどの児童が犠牲になった大川小学校。
校庭では、がれきの処理作業が行われていました。
入口には、子供たちの冥福を祈ってジュースや花がたむけれれていました。
私の手を合わせ、子供たちのご冥福を祈りました。

 地震直後、停電し情報が何も無いなかでの避難の難しさを感じました。
裏山はあるものの、ヒノキが植林されていますが、急斜面で登るのは大変です。校庭への入口が少し高いぐらいですが、そこも浸水したといいます。



がれきの中でもお店が開店していました。

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七ヶ浜町を訪問

2011年07月19日 05時15分21秒 | Weblog


 塩釜市のとなりにある七ヶ浜町を歌川渡町会議員と訪問活動をしました。
被災状況は下の写真のようにとてもひどいものでした。

 私たちが訪問しているのは、一部損壊などの家に伺い、国の制度の紹介と要望の聞き取りをすることです。
被災支援では、自治体独自の制度(一部損壊には国の支援策がない)を求める署名と「原発からの撤退を求める署名」をお願いすることです。

 訪問すると、冷たい飲みものを出してくれるところもあります。
悩みや要求を聞くと、せきを切ったように話される方もあり、一軒の滞在時間は1時間を超えるところもあります。
自動車を津波になくされた方が1世帯に一人はおられるにはびっくりしました。

 あるところでは、新築して2年で喪失した方にあいました。
その方は、両親と子供6人で空き家を借りたら、「部屋数が多い」と被災者に渡される、「家電製品などの支給はない」と断られたと話されて納得できないといわれました。制度をしゃくし定規に運用する行政に疑問を感じました。

上の写真は、町営住宅です。
雨どいがへこんでいるところまで水が来たことを示しています。



津波にのまれた車のやま



ここに住宅や商店があったそうです。
今は、基礎ブロックだけが残っています。



 田んぼには田植えがされていません。
よく見ると車もそのままです。



漁港も地盤沈下して使える状況ではありません。



 
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震災支援活動初日

2011年07月18日 06時38分44秒 | Weblog


 午前中は、震災された方への聞き取り訪問活動。
震災支援事業が全壊、半壊、一部半壊によって支援金が違うことや民家には支援金があるけど事業者にはないなどの不満が出されました。



 津波の影響で田植えができていない田んぼです。



 運動公園にがれきの山。







 支援物資の「青空市」
避難所に出かけて、物資を渡しました。
私たちが届けた、玉ねぎやお米を渡しました。そのほかにカップヌードルやカレーなど保存のきくものが好まれるそうです。
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今日から活動します

2011年07月17日 05時15分18秒 | Weblog


 今朝から被災者の家庭を訪問し、被災者で困っていることを聞く活動が私の仕事だそうです。
こんな恰好で、地元の方と訪問します。
左4人が佐賀から、右の方が鹿児島のかたです。
 宿舎は、会議室に8人が雑魚寝です。

 この釜石は、被害は比較的少なかったとはいえ、水田には田植えがされておらず、赤茶けた草が見えます。
田んぼのいたるところに、がれ木や車が放置されています。
民家の屋根にはブルーシートがかけられています。

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やっと宮城県塩釜に着きました

2011年07月16日 21時44分50秒 | Weblog


 昨日の10時に出発して今日の午後5時半に宮城県塩釜市に着きました。
ワンボックスカーに玉ねぎ25箱にお米や支援物資を満載して着きました。
かなりの重量で、思うように高速が走れませんでした。





詳しいことは、あす書きます。

とりあえず無事についよかったです。

あすから早速支援活動に入ります。

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例文までつくって「やらせ」

2011年07月15日 06時19分55秒 | Weblog


 九電は「例文まで配布」して、「原発推進」をしていたことが明らかになりました。
 「犠牲になるのは子ども」「産業空洞化に拍車」と国主催の「原発説明番組」で投書された文章です。
用意された文例は6つ、安全性を強調するものから自然エネルギーを批判するものまで周到に用意し、それを参考にメールを送っていました。
その数が、141件で賛成意見の284件の半数を占めていました。
 これから見ても「積極的推進者は少数」で、それを隠すために「賛成意見」を投書し、世論形成を偽ったことになります。
 このような背景から、投書された文章が番組で読まれました。
 
さらに、8日に開かれた「県主催の説明会」にも参加者の2割にあたら、107人が当選し、メール問題が発覚して九電社員は「全員辞退」したものの、関連会社の社員85人が出席したそうです。

 唐津市でも、メール申し込みは88件と最も多く、FAX69件、ハガキ68件、窓口4件の229人でした。
辞退者は4人でした。

 ここにも、地域一社という独占企業のおごりを感じます。



 今日の佐賀新聞の一面と私のコメント

 日本女子サーカーワールドカップ決勝進出。ここまできたのだから優勝を。
 魁皇関の1056勝、単独最多。もっと勝ち星を増やして欲しいものです。
 早稲田佐賀が高校野球佐賀大会で初勝利。甲子園出場常連の佐賀商業を破っての一勝は立派。

 今から佐賀市に向かいます。
 ほかの3人と合流し、宮城県塩釜市へ出発します。
 どんなことをするか、いってみないと分からないそうですが、少しでもお役に立ちたいと思っています。
 パソコンは持って行きますが、途中報告できるかわかりません。

 

 最後に、わが家の「グリーンカーテン」も元気に育っています。
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「原発利益共同体」にメスを

2011年07月14日 09時55分01秒 | Weblog
真部利応九電社長は、6日の記者会見で、「やらせメール」が誰の指示でだったのかと問われて「それが誰かというのは、大きな問題ですか」と逆に聞き返す場面がありました。
会社のトップがそれくらいの認識だから、九電社内に「メール問題を悪質だと認識していないのではないか」と思えてなりません。
 「メール問題より夏場の電力供給の方が問題だ」とか「過半数だったら大問題だけど、2割というのは多いのかなぁ」といい、鹿児島県議会で九電幹部が「ウソの答弁」をしたことを謝罪したあと「部下の課長が安易に呼びかけた」と責任逃れともとれる発言を繰り返しました。

 プルサーマル発電計画の「公開討論会」で大量動員を指摘され「動員は他の電力会社でもやっているでしょう」と、九電だけなぜ「問題視するのか」と開き直っています。

 九電と国民との認識におおきな「ズレ」を感じます。

 「ズレ」といえば、玄海町長や玄海町議会で原発問題を審議する特別委員会の委員長は、玄海町と九電が発注する事業の多く親親族企業が受注しています。
 新聞報道によると、岸本町長は、実弟が経営する「岸本組」が九電から16年間で約54億円を受注し巨額な利益を受けています。
 古川知事に対しては、九電の歴代佐賀支店長ら幹部は「個人献金」を装いながら資金提供していたことも明らかになりました。

 ウソと隠ぺいとカネで動く「原発利益共同体」にいまこそ深くメスを入れなければなりません。
 菅首相は「原発に依存しない社会をめざす」と表明しました。
「ストレステスト」で原発の稼働を止めたのも「脱原発」を表明させたのも、国民の世論の力です。
 しかし、菅首相は「原発の稼働も容認しています。「菅おろし」も激しくなっています。

 脱原発への道のりは平坦ではありません。
 これからも「自然エネルギーへの転換」を求めて世論を広げましょう。
  
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身内

2011年07月13日 05時52分08秒 | Weblog
 政府は、定期点検中の原発再稼働に関する「ストレステスト(耐性試験)」の評価を「事故隠し、情報隠し」「やらせメール問題」を引き起こした電力会社に実施させ、その結果にそって原子力安全・保安院が確認し、原子力安全委員会がお墨付きを与えようとしています。

 そして、玄海原発をまたもや「一番乗り運転再開」をさせようとするものです。
 ここには、福島第1原発事故で、安全委員会や保安院が全く機能を果たしていない反省が全くありません。

 私は、これでは「テストにならない」と考えます。
 九電など電力会社は 「車検を受けた車を運転させないというのは一種の風評被害だ」といってはばからない会社ですから「運転に不利な結果」を出すはずがありません。

 「やらせメール」が佐賀支店も荷担していたことが明らかになりました。その調査を「身内」でやっているのでは「甘い結果」しかでないのと同じです。

 これまで政府が言ってきた『安全宣言』がいかに偽りだったのか、その破たんが明らかになった今、原子力安全・保安院や原子力安全委員会任せにせず、政府が直接責任を持ち、『安全神話』にとらわれない専門家の英知を総結集して行うべきだと考えます。

 政府の言い分は、「本当は安全検査はクリアされているが、国民のなかにいろいろ言う人がいるので念のためにやってやる」と言わんばかりです。

 これでは原発安全は守れません。


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