三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

わたしたちの立場

2021年10月29日 | 木本事件
■わたしたちの立場■
                                金靜美
                              
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会は、1988年9月11日、朝鮮人がよびかけ、第1回目の準備会をひらきました。
 翌年の1989年4月23日、三重県津で、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・三重結成集会をおこない、つづいて6月4日に、大阪で、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の結成集会をおこないました。
 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の準備会が1988年11月30日に出した「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑建立を!」には、次のように書かれています(抄録)。

◆ 「事件は終わっていない」
 「いま、李基允、裵相度の死は、かたちを変えて日本でくり返されています。ふたりが日本に働きに来ざるをえなかったのは、日本の植民地支配によって祖国の生活と土地を奪われたからです。現在の日本でも、同じようにしてアジア各地から数多くの外国人労働者が出稼ぎのために来日し、低賃金や劣悪な労働条件の下で、差別・虐待を受け、なかには餓死や自殺に追い込まれた人もいます。敗戦前もいまも、日本はアジアの富を奪い、アジア民衆の犠牲の上に豊かさを享受しているにもかかわらず、日本人の多くはそのことに無自覚なままでいます」、
 「木本事件は、1923年の関東大地震の際の日本人による朝鮮人・中国人の大虐殺や、アジア各地で行われた、天皇ヒロヒトを最高指揮者とする軍隊(「皇軍」)による民衆虐殺に比べたら小さな事件ですが、それらの出来事とけっして無関係な事件ではありません。そして、『奥熊野百年誌』(1968年)、『木本小学校百年誌』(1973年)、『熊野市史』(1983年)などにおける記述が現在もなお、この事件の事実を包み隠し、歪めて伝えていることからも明らかなように、この事件に対する熊野市当局や市民の対応のしかたの中にも、日本人がおのれの歴史に対する責任を回避しようとする態度が表れています」。

◆「歴史から学びつつ」
「李基允。裵相度の死の陰には、無数の朝鮮人労働者の死が隠されています。北海道、紀伊半島(三重県、奈良県、和歌山県)、信濃川流域新潟県、九州の炭鉱など日本全国のいたるところで、数多くの朝鮮人労働者が鉄道工事、道路工事、発電所工事、炭鉱の採掘に際して「事故死」させられ、葬り去られてきました。わたしたちは、李基允、裵相度の無念の声を聞き取り、さらに名を知られることさえなく暗闇の中で殺されていった朝鮮人やその他のアジア人の遺志をたずね、ふたたび同じ悲劇が起こらぬように努力していかねばなりません」。
 
 わたしたちはこの文書を、わたしたちの会の活動の指針とし、次のことを目的として運動をすすめてきました。
 ①李基允氏と裵相度氏を追悼する碑を建立する。
 ②多くの李基允氏たち、裵相度氏たちの無念の声を聞き取り、アジア人の遺志をたずね、同じことをくりかえさせない。
 ③「木本事件」の事実を明らかにし、地域史におけるまちがった記述を訂正させる。

 わたしたちの会の活動は、①の「李基允氏と裵相度氏を追悼する碑を建立する」は実現しましたが、②③は実現していません。

 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会の活動の過程で、1997年2月9日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会の発足集会を開きました。
 第1回目の紀州鉱山「現地調査」は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会が主催しました。李基允氏と裵相度氏を追悼する第2回目の集会の翌日1995年11月19日でした。第2回目の紀州鉱山「現地調査」も、主催は第1回目と同じで、李基允氏と裵相度氏を追悼する第3回目の集会の翌日、1996年11月17日におこないました。

◆紀州鉱山の真実を明らかにする会 会則◆
1、名称
 本会の名称を、紀州鉱山の真実を明らかにする会とする。
2、目的
 三重県紀和町の紀州鉱山(石原産業経営)における朝鮮人強制連行・強制労働の調査を包括的におこない、さらに、紀伊半島における朝鮮人・中国人強制連行・強制労働の調査を包括的におこなうことによって、紀伊半島の歴史を、19世紀末以降における日本の東アジア太平洋侵略の歴史のなかに、位置づけることを目的とする。
3、会員
 本会の会員は、本会の目的に賛同する個人によって、構成される。
4、運営
 ①本会は、事務局をもって運営される。事務局には、本会員であれば、自由に参加することができる。
 ②事務局会議は、随時におこなわれる。
 ③本会の経費は、基本的に、会員の会費によってまかなわれるものとする。
5、会費
  会費は、年会費3000円とする。

 この会則は、会の発足日である1997年2月9日から実施する。 
                                         


■「改組三会」の『会報』1号における虚偽記述について■                                                                                                                                                                                                        
                                   金靜美

 今年5月1日付で『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)を追悼する会 紀州鉱山の真実を明らかにする会 海南島近現代史研究会 総称改組三会 会報第1号』が「改組三会」から発行されました。
 この『会報』1号には、昨年11月7日夜、「改組三会」という「会」がつくられたと書かれています。昨年11月7日昼には、斎藤日出治さんや竹本昇さんが中心になって、偽りの「追悼集会」を開いていました。
 斎藤日出治さんと竹本昇さんは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会を2020年にやめていました。会をやめたふたりが中心になって、それまで会の活動にまったく、あるいはほとんどかかわっていなかった人たちが加わり、まぎらわしい名称を付けた「改組三会」という「会」を作ったといっています。
 会をやめたと広言した人たちが、会の名称を変え、あるいは、そのまま使い、それぞれ、歴史、経緯、活動の内容がちがう三つの会を、「総称 改組三会」としたことに、ひじょうに憤りを感じます。
 「改組三会」が発行した「会報第1号」には、この会の実体が象徴的に示されています。でたらめ、虚偽、歴史偽造です。
(一)この「冊子」の最終頁に木本町の地図と「木本事件とは」と題する700字ほどの「解説」が掲載されています(15頁)。筆者は明らかにされていませんが、この地図と短い「解説」には、何か所も、事実とことなる虚偽の歴史が書かれています。 
①この地図の有本湯の斜め前に「裵相度さん虐殺の現場」と書き込まれていますが、その場所は裵相度さんが虐殺された場所ではありません。当時の地域新聞の記事などによると、虐殺された李基允さんの遺体は有本湯の前まで虐殺者らによって引きずられて放置され、その後同じ場所に裵相度さんの遺体が虐殺者らによって引きずられて放置されました。
②裵相度さんが包囲された現場は、笛吹橋の近くであった。 「木本事件とは」には、「裵相度さんは……有本湯付近で自警団に包囲され、鳶口で 殺された」という虚偽が書かれている。 
③「木本事件とは」には、「李基允さんたちは、笛吹き橋付近でダイナマイトで抵抗した後、山やトンネルに逃げた」と書かれている。だが、朝鮮労働者と日本人労働者がダイナマイトで反撃したのは李基允さんが虐殺された後であった。 

(二)『総称改組三会 会報第1号』と題する「冊子」には、「姫リンゴの花」のカラー写真が掲載されている。その説明文の全文はつぎのとおりだ(13頁)。 
 「木本の追悼碑前には姫リンゴの花が咲き、やがて可愛いリンゴがたくさん実る。 
杉浦新吉さん(飯場襲撃に対して、朝鮮人と共に闘った三人の日本人労働者の一人)の孫娘さんに贈られた苗木が気丈に育っている」。 
  • 「木本の追悼碑前には姫リンゴの花が咲き……」と書かれているが、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑の前には「姫リンゴ」の樹は植えられていない。 この「冊子」に掲載されている「孫娘さんに贈られた苗木」の写真は、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑とは、まったく無関係のものである。
  • 杉浦新吉さんには「孫娘さん」はいない。
  • 「朝鮮人と共に闘った三人の日本人労働者」と書かれているが、朝鮮人といっしょにたたかった日本人は、3人だけではない。
(三)「はじめて会の運営規約を採択」(4頁)。
  三つの会には、会則、規約などがある。
(四)「数年以上にわたって事務局会議を開催することなくメールの交信のみで活動してきた旧三会」(14頁)。
  わたしたちは、最近の数年間に限っても、事務局会議を開き、追悼集会、総会、定例研究会を開き、「アジアから見た日本の戦争」という名の展示会批判をおこない、「関西地域 民族教育関係者 研修会」に参加し、日本政府に「日韓合意」の撤回を求め、海南島・韓国で「現地調査」をおこなっている。



■「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて■                                                                                                       
                                  キム チョンミ

 「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルは、1999年7月6日~8月29日まで、大阪人権博物館(リバティ大阪 現在は閉館)で開かれた、企画展「“木本事件”ー熊野から朝鮮人虐殺を問うー」のために、大阪人権博物館が作成した写真パネルと解説パネルが主なものです。
 企画展で使用した写真パネルと解説パネルは、大阪人権博物館の担当学芸員が、企画の趣旨に沿って独自に選定・作成したパネルも数点ありますが、基本的には、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会のキム チョンミが写真を選定し、解説を作成しました。
 企画展では、「木本事件」だけではなく、紀州鉱山への朝鮮人強制連行、紀州鉱山を経営していた石原産業が海南島で現地人や朝鮮人を強制連行して働かせていた田独鉱山のパネルも展示しました。
 企画展の終了後、これらのパネルは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会が、大阪人権博物館から譲り受け、キム チョンミが管理してきました。
 「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行のパネルは、企画展の終了後、1999年11月の追悼集会のさい、極楽寺で展示しました。
 2000年11月の追悼集会のさいには、熊野市立図書館ではじめて展示し、その後、毎年、追悼集会のさい、熊野市立図書館(のち、熊野市民文化センター)で展示をしてきました。
 その後、上記の二つの会では、佐藤正人さん、小谷英治さん、キム チョンミが中心になって、「大逆事件」など、随時あたらしくパネルを制作し、いまの枚数になっています。
 これらのパネルは、すべて、キム チョンミが保管し、追悼集会のさいに熊野に運びましたが、2015年、慶尚北道議員団が追悼集会に参加したさい、キム チョンミが議員団とともに紀和町から和歌山方面に向かわなければならなかったため、パネルの撤収作業に参加できず、竹本昇さんに一時的に保管をお願いしました。そのご、竹本昇さんが「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんするパネルを一時的に保管してきました。

 竹本昇さんが昨年、上記二つの会をやめたため、今年4月30日、パネルの返却を要請したところ、同日、返さないといってきました。
 その「理由は、金静美さんの独裁による会の運営を認められないからです」、ということです。
 竹本昇さんがわたしが会で「独裁」をしていたと考えることについて、わたしは竹本昇さんと議論するつもりはありませんが、パネルは、会のものです。
 竹本昇さんは、会の活動と会員の個人にたいし、誹謗中傷し、虚偽をまき散らして会をやめた人たち、会の活動にほとんどかかわっていなかった人たちとともに、昨年、「改組 三会」というものをつくりました。
 わたしは、この「改組 三会」というものは、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会、海南島近現代史研究会の活動を妨害していると判断します。
 その竹本昇さんは、アジア民衆歴史センターの主催者である久保井規夫さん(「改組三会」の運営委員でもあります)の借用依頼にかんし、個人的に了解の返事をしたと、久保井規夫さんからのメールで知りました。
 これらのパネルは、会をやめた竹本昇さんには、いっさい関係がありません。また、いかなる人間でも、個人的に貸与したりできるものではありません。
 会をやめた人間が、担当していた事務の引き継ぎの提案に「排除」だといって応じない、預かっていた会のものの返却要請に応じず個人的に貸与しようとする、すでにある会則を無視して「改組 三会」というものの会則をつくる。
 「改組 三会」というものの不正義、モラルのなさは、見苦しいほどです。
 人のものを奪って恥じないという考え方に、侵略者の論理が重なります。
 竹本昇さんが、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会の写真と解説パネルを返却するように、ご協力をよろしくお願いします。
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