く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<フタリシズカ(二人静)> 静御前と菜摘女の舞い姿になぞらえて

2019年05月31日 | 花の四季

【ヒトリシズカの仲間、万葉集に登場する「つぎね」?】

 沖縄を除く全国の山地や林野の半日陰地などに自生する多年草。ヒトリシズカと同じセンリョウ科の野草で、草丈は30~60cm。4~6月頃、直立した茎の上部に対生する大きな葉の間から2本の穂状花穂を立て、米粒状の小さい花をたくさん付ける。ヒトリシズカ同様、花弁や萼(がく)はなく、白い小花は3個の雄しべの花糸が基部で合着し内側にくるりと丸まったもの。

 花穂はふつう2本だが、3~5本と多いものもあり、たまに1本しかないものもある。学名は「Chloranthus serratus(クロランツス・セラツス)」。属名の語源はギリシャ語の「黄緑」と「花」の合弁語から。種小名は「鋸歯のある」を意味する。葉はその種小名通り、細かい鋸歯で縁取られる。野趣に富む花姿から、茶花に用いられることもあるそうだ。

 フタリシズカの名は謡曲『二人静』に由来する。2本の花穂が並んで風に揺れる様を、悲劇の武将源義経が寵愛した静御前の霊とその霊に取りつかれた菜摘女の舞う姿になぞらえた。万葉集に「山背(やましろ)」の枕詞として登場する「つぎねふ」のつぎねを、このフタリシズカまたはヒトリシズカとする説もある。「二人静しづかにかげをまとひけり」(角川春樹)

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<エキウム・カンディカンス> 原産地は〝大西洋の真珠〞マデイラ諸島

2019年05月23日 | 花の四季

【「マデイラの誇り」とも、青い小花をびっしり】

 ムラサキ科エキウム属(シャゼンムラサキ属)の多年草。エキウム属の植物は大西洋上の離島やヨーロッパ、アフリカ北部、アジア西部などに約60種分布する。その一つ、カンディカンスの原産地はアフリカ北西部のモロッコ沖に浮かぶポルトガル領のマデイラ諸島。気候が温暖で年中カラフルな花が咲き乱れるこの島々は〝大西洋の真珠〞とも形容されている。

 草丈は1.5~3mで、長い円錐状の花穂に無数の径1~2cmほどの青い小花を付ける。属名エキウムの語源は一説にギリシャ語の「毒蛇」でその薬草とされたことから。和名の属名シャゼンムラサキは「車前紫」で、草姿が「車前草」という異名もあるオオバコに似て花が紫色であることによる。

 カンディカンスの葉にはシルバーリーフのように白い毛が密生する。種小名のカンディカンス(candicans)自体も「白毛状の」「白い光沢のある」を意味する。マデイラ諸島を代表する植物で花が美しいカンディカンスは「Pride of Madeira(マデイラの誇り)」とも呼ばれる。日本国内では養蜂での最大の蜜源植物ニセアカシアに代わる可能性があるとして注目を集め研究が進められている。

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<シコタンソウ> 花弁の斑点がチャームポイント

2019年05月21日 | 花の四季

【色丹島で発見、学名(変種名)には「礼文島の」】

 ユキノシタ科ユキノシタ属の高山植物で、日本のほかサハリン、カムチャツカ半島、中国東北部、シベリアなどにも分布する。国内で自生するのは本州の中部以北と北海道の高山帯から亜高山帯にかけて。北海道最果ての離島で〝花の浮島〞といわれる礼文島でも群落が見られる。

  草丈は5~15cm。茎頂に匙形の5弁花を数個ずつ付ける。白地の花弁には基部から中央にかけて淡黄色の斑点、上部には赤い斑点がグラデーション状に入る。その花姿にそっくりなのが夕張岳固有種のエゾノクモマグサ(蝦夷の雲間草)。葉先がシコタンソウは分裂しないのに対し、こちらは3裂するという違いがある。

 シコタンソウの名前は色丹島で最初に発見されたことから。だが、礼文島とのつながりも深い。というのもシコタンソウの〝基準標本〞となっているのが礼文島産なのだ。このため学名も属名⋅種小名の後に、「礼文島の」を表す「rebunshirensis(レブンシレンシス)」という変種名が続く。シコタンソウには「レブンクモマグサ」という別名もある。  

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<メディニラ‘火の鳥’> フィリピン原産の2種の交配種

2019年05月20日 | 花の四季

【ノボタン科、真っ赤な円錐花序が房状に】

 メディニラはボタン科の熱帯花木で、東南アジアや太平洋諸島、熱帯アフリカなどに約400種が分布する。とりわけ多く自生するのがフィリピン諸島。メディニラの名前も19世紀初めにマリアナ諸島(現在米領)の知事を務めたスペイン人のホセ⋅デ⋅メディニーリャに因むという。

 「メディニラ‘火の鳥’」は燃えるような真っ赤な花色と、ブドウのような房状の花を包む大きな苞片(ほうへん)が特徴。その姿はまるで羽根を広げた鳥のようにも見える。学名は「Medinilla hybrid ‘Hinotori’」で、ハイブリッドは交配によって生まれた雑種の園芸品種であることを示す。

 作出者は熱帯植物研究家で「有限会社エキゾティックプランツ」(千葉県館山市)の設立者、尾崎章氏といわれる。掛け合わせたのはメディニラの中でも人気の高い「M.magnifica」と「M.miniata」。いずれもフィリピン原産で、マグニフィカは豪華な花姿から〝シャンデリア⋅ツリー〞とも呼ばれる。ミニアータは花や苞が鮮やかな赤色。

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<チシマキンバイ(千島金梅)> 北海道の海岸の岩場に自生

2019年05月19日 | 花の四季

【バラ科の多年草、別名「オオバナキンバイ」】

 バラ科キジムシロ属の多年草。北海道の知床半島や根室半島、襟裳岬など、海岸近くの岩場や礫地に自生する。名前は最初千島列島で発見され、花が黄金色で形が梅に似ていることから。カムチャッカ半島などにも分布する。

  草丈は10~30cm。茎の先に径3~4cmほどの5弁花を数個ずつ付ける。別名の「オオバナキンバイ」は花がキンバイの仲間の中では大きいことによる。葉は3枚の小葉からなる3出複葉で、葉は厚く縁にはギザギザの鋸歯。茎や葉の裏側には絹毛が密生しており白っぽく見える。

 学名は「Potentilla megalantha(ポテンティラ⋅メガランサ)Takeda」。種小名メガランサは「大きな花の」を意味する。命名者は日本自然保護協会会長を務め〝尾瀬の父〞と呼ばれた植物学者の武田久吉博士(1883−1972)。武田はチシマウスユキソウ、シコタントリカブトなどの学名の名付け親でもある。

 また武田が発見した新種の植物イワシャジン、ガッサンチドリ、テシオコザクラなどには、牧野富太郎博士らによる献名で学名に「takedana」などと名前が刻まれている。チシマキンバイによく似た名前の「チシマノキンバイソウ(千島の金梅草)」は北海道の大雪山系や知床山系などに分布するキンポウゲ科の高山植物。 

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<ルイヨウボタン(類葉牡丹)> 葉の形がボタンに似ることから

2019年05月17日 | 花の四季

【メギ科の多年草、黄緑色の小花をまばらに】

 山地の林の中や谷沿いの斜面などに生えるメギ科ルイヨウボタン属の多年草。中国、南千島、サハリンなどにも分布する。草丈30~70cm。花期は4~6月頃で、集散花序に径1cmほどの小さな黄緑色の花を付ける。花弁のように見えるのは萼片(がくへん)で、その内側中央にある本来の花弁は小さくて目立たない。花後、1つの花に丸い果実が2つずつ藍色に熟す。

 学名は「Caulophyllum robustum(カウロフィルム⋅ロブスツム)」。属名はギリシャ語の「茎」と「葉」の合成語、種小名は「大型の」や「頑丈な」を意味する。命名者は〝東亜植物の父〞といわれたロシアの植物学者カール⋅ヨハン⋅マキシモヴィッチ(1827~91)。和名の類葉牡丹は葉の形がボタンに似ることからの命名。葉は2~3回3出複葉と呼ばれる構成で、それぞれの小葉に深い切れ込みが入る。

 同様に3出複葉でよく似たボタンの葉に因んで名付けられた植物にキツネノボタン、ボタンクサギ、クサボタンなどがある。ルイヨウボタンは根茎が漢方で「紅毛七(こうもうしち)」と呼ばれ、消炎⋅鎮痛作用があり扁桃腺炎などに用いられる。ルイヨウボタンの葉は食植性のてんとう虫「ルイヨウマダラテントウ」や「エゾアザミテントウ」の食草にもなっている。

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<トーチジンジャー> 聖火のトーチのような花姿から

2019年05月16日 | 花の四季

【東南アジア原産、「タイマツショウガ」とも】

 マレーシアやインドネシアなどの熱帯アジア原産のショウガ科エトリンゲラ属の多年草。葉はショウガに似た大きな長楕円形で光沢がある。花は径15cmほどの球状で、直立した高さ1~1.5mの太い花茎の先に付く。花の色は南国の花らしい情熱的な鮮紅色。ただ幾重にも重なりあって花びらのように見えるのは葉が変化した苞(ほう)で、実際の花は小さくてあまり目立たない。

 トーチジンジャーの名前は英名の「Torch ginger」から。蕾からの咲き始め、真っ赤な苞葉は松明(たいまつ)の炎のように立ち上がり、その後、球状の花序が次第に膨らむ。その花姿を聖火のトーチにたとえた。別名に「タイマツショウガ」も。園芸品種には花色がピンクや純白のものもある。

 学名は「Etlingera elatior(エトリンゲラ⋅エラティオール)」。草丈が3~4mで、大きなものは6mにもなる。種小名も「より高い」を意味する。トーチジンジャーはマレー語で「カンタン」と呼ばれ、切り花のほか食用にもされてきた。蕾や若い花序が香味野菜に、果実は生食に、種子は香辛料に。タイでは仏教寺院での供花としても人気が高いそうだ。   

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<チョウノスケソウ(長之助草)> 氷期遺存種として知られる高山植物

2019年05月15日 | 花の四季

 【和名は立山で発見した須川長之助に因んで】

 北半球の高山や寒い高緯度地方に分布するバラ科の矮性低木。国内では中部山岳地域の悪沢岳、八ケ岳、木曽駒ケ岳、白馬岳や北海道の大雪山などの岩場や砂礫地に自生する。ライチョウなどとともに、北半球が広く氷河に覆われていた氷期の生き残り生物〝氷期遺存種〞の一つとして知られる。チョウノスケソウはアイスランドの国花にもなっている。

 茎の先に径2~3cmほどの白い可憐な花を一つずつ付ける。パラ科の仲間には5弁花が多いが、このチョウノスケソウの花弁は通常8枚。学名「Dryas octopetala(ドリアス⋅オクトペタラ)」の種小名も「8枚の花弁」を意味する。花の真ん中には黄色い雄しべが密集。同じ高山植物のチングルマの花に少し似ることからミヤマチングルマやミヤマグルマと呼ばれることも。

 チョウノスケソウの名は植物採集家須川長之助(1842~1925)に因む。学名の命名者は植物分類学の父といわれるカール⋅フォン⋅リンネだが、和名は牧野富太郎博士が名付けた。長之助は開国間もない江戸時代末期、函館にやって来たロシアの植物学者カール⋅ヨハン⋅マキシモヴィッチ(1827~1891)の助手を務めた。3年余にわたり同行して各地で植物を採集、師が母国に帰国後も植物標本を送り続けた。その標本の中に1889年に富山の立山で発見したこの植物も含まれていた。

 長之助の採集標本は今もロシアや英国の植物研究所で保存されているという。長之助の功績を称えマキシモヴィッチらからの献名で学名に「チョウノスキー」という言葉が含まれる植物も少なくない。コメツツジ、ミネカエデ、イヌシデ、ウサギギク、ミヤマエンレイソウ┄┄。生まれ故郷の岩手県紫波町には日本とロシアの文化交流に尽くした長之助の名を、長く後世に伝えようと顕彰碑や記念碑が立つ。彼は童謡『たきび』の作者巽聖歌、『銭形平次捕物控』の作者野村胡堂らとともに紫波町の名誉町民にもなっている。

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<イチハツ(一初)> アヤメ類の中でいち早く開花

2019年05月12日 | 花の四季

【中国原産、茅葺き屋根の棟に植える風習も】

 中国原産のアヤメ科アヤメ属の宿根草。4月後半から5月中頃にかけて青紫色の花をつける。草丈は30~50cmほど。「一初」の名前はアヤメやハナショウブ、カキツタなどアヤメ類の中でいち早く開花するからといわれる。「一八」や「逸初」とも書き、「鳶尾(えんび)」「子安草(こやすぐさ)」とも呼ばれる。

          

 イチハツの花は付け根から中ほどにかけて鶏のとさかのような白い毛の突起があるのが特徴。葉も他のアヤメの仲間に比べるとやや短く幅が広い。渡来時期ははっきりしないが、『本草和名』(918年)の記述から平安時代には既に日本に入ってきていたようだ。そこには「鳶尾、一名烏国子┄┄一名古也須久佐」などとある。イチハツの呼び名は御所の女官が書き記した『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』(1563年)の中の「飛鳥井より一八参る」が初出ではないかといわれる。

 乾燥や暑さ寒さに強いイチハツはかつて茅葺き屋根の天辺の棟押さえとして植樹された。「民家の茅屋の棟にイチハツを植えて大風の防ぎとす。風、甍(いらか)を破らず」。貝原益軒は『大和本草』(1709年)にこう記した。イギリスの植物学者ロバート⋅フォーチュンも『幕末日本探訪記ー江戸と北京』(1863年)の「神奈川の宿場風景」の中で「茅葺き屋根の背にほとんど例外なくイチハツが生えていた」などと描写している。

 イチハツの学名は「Iris  tectorum(イリス⋅テクトルム)」。種小名は「屋根の」を意味する。命名者は19世紀のロシアの植物学者カール⋅ヨハン⋅マキシモヴィッチ。彼は極東アジアの植物を幅広く現地調査、1860年代前半には来日もしている。自ら命名した植物はイチハツの他にも数多い。メギ、キツネノカミソリ、イタヤカエデ、サワシロギク┄┄。イチハツの花には紫以外にシロバナイチハツと呼ばれる白花品種もある。「一八の白きを活けて達磨の画」(正岡子規)

            

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<キツネノボタン(狐の牡丹)> 艶やかな黄花、葉はボタン似?

2019年05月10日 | 花の四季

【キンポウゲ科の有毒植物、別名「コンペイトウグサ」】

 キンポウゲ科キンポウゲ属で、道端や畦道、水辺などの湿気のある場所でごく普通に見かける越年草。日本のほか東アジアに広く分布する。草丈は15~80cmと生育環境によって幅がある。花期は4~8月と長い。枝分かれした中空の茎の先に艶のある小さな5弁の黄花を付ける。花後、中央の多数の雌しべが膨らんで金平糖のような形状の集合果を結ぶ。そこから「コンペイトウグサ」の異名を持つ。

 「狐の牡丹」の語源には諸説あるが、「牡丹」については葉の形状がボタンによく似ていることに由来する点で異論はなさそうだ。葉は小葉3枚からなる3出複葉で、それぞれの小葉にも深い切れ込みが入る。一見セリ(芹)の葉にも似る。問題は「狐の」。主な説の一つにキツネがいるような野原でごく普通に見られることから。植物学者牧野富太郎博士もその野原説をとる。一方で、この「狐の」は気味の悪い・毒がある・食べられないといった意味合いから冠されたとする説もある。

 キツネノボタンは有毒植物の一つで、葉や茎を傷つけると「プロドアネモニン」という有毒成分が生成され、汁液が皮膚に付くと水泡など皮膚炎を引き起こす。この有毒成分は同じキンポウゲ科のアネモネやニリンソウ、クリスマスローズ、シュウメイギクなども含む。キツネノボタンの変種には茎に毛が密生する「ケキツネノボタン」、茎が花後に地を這って長く伸びる「ツルキツネノボタン」、小型の「コキツネボタン」「ヒメキツネボタン」などがある。「狐にも狐の牡丹咲きにけり」(相生垣瓜人)

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<アマミアセビ(奄美馬酔木)> 大きな花と幅広の葉が特徴

2019年05月08日 | 花の四季

【9年前に奄美の固有種と判明、自生株は絶滅寸前】

 ツツジ科アセビ属の常緑低木で、アセビの中では花が大きく、葉も肉厚で幅広いのが特徴。この植物は1963年、奄美大島の最高峰湯湾岳のそばにある慈和岳(標高682m)の山頂付近で、当時の鹿児島大学生によって発見された。しかし沖縄に自生する「リュウキュウアセビ」と同じ種類として長く扱われてきた。それが奄美大島の固有種と認められ「アマミアセビ」と命名されたのは半世紀以上後の2010年、わずか9年前のことだった。

 新種と判明したのは京都大学大学院の瀬戸口浩彰教授らによる地道な比較研究やDNA解析などによる。花や葉の形状のほか生育場所も異なる。リュウキュウアセビが渓流沿いに生えるのに対し、アマミアセビは山の岩場など。花冠が大きくて美しい純白のアマミアセビは園芸目的による盗掘などによって自生地ではほぼ消滅状況という。鹿児島県はごく近い将来に絶滅の危険性が極めて高いとして絶滅危惧Ⅰ類に指定している(環境省はリュウキュウアセビを絶滅危惧ⅠA類に分類しているものの、アマミアセビについてはまだ無指定)。

 アマミアセビの学名は「Pieris amamioshimensis Setoguchi et Y.Maeda」。種小名は「奄美大島産の」を意味する。命名者として瀬戸口教授と名を連ねている「Y.Maeda」は奄美大島の植物研究家で環境省希少野生動植物種保存推進員も務めていた前田芳之さん(大阪出身)だろう。前田さんは瀬戸口教授らと共に自生地の調査をしたり、京都府立植物園が挿し木によって増殖した苗木を地元に植え戻す活動に取り組んだりしていた。ネットで検索中「前田芳之君を偲ぶ」という投稿(2017年9月1日付)に遭遇した。享年71という。その末文「芳之君の残した功績は本当に大きい。奄美の動植物を守り、そして育て、自然と人間はどう共存するべきかを提議してきたね」。同年10月には奄美で「偲ぶ会」も開かれたようだ。

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<セイヨウリンゴ‘ケントの花’> 別名「ニュートンのリンゴ」

2019年05月07日 | 花の四季

 【落果するリンゴが「万有引力の法則」発見の契機に!】

 リンゴの原産地はヨーロッパ南西部のコーカサス地方~西アジアの天山山脈といわれ、栽培の歴史は4000年以上前に遡る。品種数は世界で約1万5000種とも。その一品種がこの「セイヨウリンゴ‘Flower of Kent’(ケントの花)」だ。5月頃開花し、8月から9月にかけて成熟する。果実の重量は120~250g。ただ熟すと全て自然落下するうえ、最近の甘いリンゴと違って渋いため生食には向かないそうだ。

 経済的な価値はほとんどないものの、このリンゴは別の側面から注目を集めてきた。それは物理学者アイザック・ニュートン(1643~1727)の「万有引力の法則」の発見の逸話から。生まれ故郷の英国中東部ウールズソープ村で、樹上からこのリンゴの果実が1個落ちてきたのを見たことが法則発見につながったという。このため‘ケントの花’は「ニュートンのリンゴ」の名前で広く知られるようになった。逸話に出てくるリンゴの木はその後伐採されて今はないが、伐採前に接木が残されていた。その子孫のリンゴの木が今も英国をはじめ各地で栽培されている。

 日本に渡ってきたのは今から半世紀ほど前の1964年。日本学士院院長だった科学者柴田雄次博士(1882~1980)宛てに、知人の英国物理学研究所所長のゴードン・サザーランド卿から接木苗1本が贈られてきた。だが防疫検査の結果、高接病(たかつぎびょう)というリンゴ特有のウイルスに感染していることが判明。学術上貴重なものとして焼却処分を免れた苗木は小石川植物園(東京都文京区)に隔離された。その後、長年の無毒化の研究の末、ついにウイルス汚染のない接ぎ穂5本の作出に成功、1980年にようやく国内への輸入が正式に認められた。小石川植物園で初公開されたのはその翌年81年のことだった。

 小石川植物園の「ニュートンのリンゴ」はその後、穂木が国内各地の教育機関や植物園、博物園などに分譲されてきた。科学の振興や啓発の役目を担って――。弘前市りんご公園、長野県果樹試験場、大町エネルギー博物館(長野県大町市)、名古屋市科学館、名古屋市東谷山フルーツパーク、京都府立植物園、姫路市立手柄山温室植物園、広島大学、熊本県農業公園カントリーパーク……。

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<伊庭の坂下し祭> 神輿3基、急な岩場や絶壁を麓まで!

2019年05月06日 | 祭り

【勇壮な湖国近江の奇祭、800年続く繖峰三神社の祭礼】

 うわさ通りの荒々しく勇壮な奇祭だった。滋賀県東近江市能登川町で5月4日に行われた「伊庭の坂下し(いばのさかくだし)祭」。五穀豊穣を祈願する繖峰三(さんぽうさん)神社の春季祭礼で、繖山(きぬがさやま、標高約433m)の中腹にある本殿・拝殿から3基の神輿を麓の大鳥居まで引きずり下ろす。距離は500mほどだが、その間の参道は切り立った絶壁や大きな岩、急斜面など難所続き。まさに手に汗を握る場面の連続で、難所を乗り越えるたびに見物客から拍手と歓声が湧き起こった。

 この坂下し祭は800年以上続くといわれ、滋賀県の無形民俗文化財にも指定されている。正式名称は「伊庭祭降神祭山道渡御」。岩場続きの参道を登ること約30分、拝殿には3基の神輿が整列し、若衆たちが本殿に無事を祈ったり神輿の周りで腰を下ろしたりしていた。神輿の重さは400~500kg。それぞれの神輿は太い綱で網目状に覆われ補強されていた。正午すぎ神事が始まり神職によるお祓いや神移しなどが行われた。そして粽(ちまき)蒔きで神事が終わると、いよいよ宮出し。先陣の神輿は「三ノ宮」で、これに「八王子」、そして最後に屋根が赤い「二ノ宮」が続いた。

 

 「伊庭の祭りを一度は見やれ 男肝つく坂下し」――。若衆の祭り装束の背中にこんな文字が刺繍されていた。麓に至るにはいくつもの難所が待ち構える。それらの難所一つひとつに名前が付けられていた。「僧衣の岩」「吹上岩」「屏風岩」「本堂抜け」「台懸け岩」「二本松」……。垂直の岩場をどう下るか、難所は若衆にとっては腕の見せ所でもある。神輿を先導し号令を出すのは前方で長柄(担ぎ棒)を持って後ろ向きに進むリーダー。神輿の後ろには2本の綱が結ばれ〝サル〟と呼ばれる若衆たちが引っ張って神輿の勢いを加減する。「谷(側)へ」「もう少し山へ」。神輿を下から見上げる経験豊かな氏子からも方向を指示する掛け声がしきりに飛んでいた。

 

 難所の岩場は経験の少ない若手にとっても晴れ舞台になっているようだ。垂直に切り立つ岩場から神輿が引きずり下ろされる直前、リーダーたちの指名で中学生ぐらいの2人が神輿の前部に乗り込んだ。が、狭くて長い手足がなかなかうまく収まらない。しかも、この後待ち構えているのはまるで恐怖の肝試し。2人の不安に満ちたような表情が印象的だった。その直後、神輿は前後左右の若衆たちのチームワークで、この岩場も無事に下ることができた。ただ神輿はあちこち傷だらけ。長柄棒の先端を金槌で打って修理する姿がしばしば見られた。最後尾の神輿「二ノ宮」が麓の大鳥居に着いた時は既に午後5時を過ぎていた。

 

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<ウシノシタ(牛の舌)> 一生を1枚の葉で過ごす〝一葉植物〟

2019年05月04日 | 花の四季

【南アフリカ原産のイワタバコ科の多年草】

 イワタバコ科ストレプトカーパス属(ウシノシタ属)の非耐寒性多年草、原産地は南アフリカ東南部のナタール地方。属名から一般名称は「ストレプトカーパス」だが、和名では葉の形状や質感から「ウシノシタ」と呼ばれている。葉は幅の広い卵状楕円形で、成長すると最大で長さ1m、幅60cmにもなるという。葉の表面は緑色、裏面は赤紫色。5月頃、葉の基部から花茎を伸ばし、先端が5裂した筒状の花を付ける。

 属名ストレプトカーパス(Streptocarpus)はギリシャ語で「捩れた果実」を意味する。これは花後にできる果実が螺旋状に捩れることから。種小名はヴェンドランディー(wendlandii)で、19世紀のドイツの植物学者へルマン・ヴェンドランド(1825~1903)への献名。ヴェンドランドはドイツ・ハノーバーの「ヘレンハウゼン王宮庭園」で植物園の園長を務めた。その当時、ドイツ領東アフリカの地方長官だったヴァルター・フォン・セントポール男爵(1860~1940)がタンザニアで発見した植物を新属新種として「セントポーリア」と命名したことで知られる。

 ウシノシタは一生をたった1枚の葉だけで終える珍しい〝一葉植物〟。発芽すると一般の植物同様2枚の子葉が出てくるが、そのうち1枚の葉だけが肥大化する。一葉植物が見られるのはウシノシタのストレプトカーパス属のほかには、同じイワタバコ科のモノフィレア(Monophyllaea)属の植物ぐらい。その属名はずばり「1枚の葉」を意味する。なぜ一葉植物になるのかはまだ解明途上にあり、植物学者の間ではその形態進化や分子構造などが研究テーマの一つになっている。

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<東大寺> 遺徳を偲び「聖武祭」、舞楽・能の奉納も

2019年05月03日 | 祭り

【3日は聖武天皇陵で「山陵祭」】

 5月2日は東大寺の大仏(廬舎那仏)建立や仏教の普及に尽くした聖武天皇の命日。この日、東大寺では天皇の遺徳を偲ぶ「聖武天皇祭」が執り行われた。午前中は天皇をまつる天皇殿で法要「御忌最勝十講」、午後にも練り行列に続いて大仏殿で「慶讃法要」が営まれ、大仏殿前の鏡池の特設舞台では舞楽や能が奉納された。

 東大寺ではこの日が大切な法要の日であることを表すように、大仏殿前や参道に「幡(ばん)」と呼ばれるのぼりが何本も飾られ、春風に靡いていた。練り行列の参加者は稚児や本山末寺の僧侶ら約300人。奈良公園内の奈良春日野国際フォーラムを出発し、南大門を経て大仏殿前まで進んだ。参道の両側は観光客や参拝客であふれかえり、盛んにカメラのシャッターを押していた。

 

 鏡池の特設舞台では背中に鳥の羽根のような華やかな飾り物などを付けた子どもたちが舞を披露していた。たぶん「番舞(つがいまい)」としてセットで行われることが多い童舞の『迦陵頻(かりょうびん)』と『胡蝶楽(こちょうらく)』だろう。舞楽に続いて『老松』など能が奉納された。『老松』は菅原道真公の「飛び梅」「追い松(老松)」伝説に因むもので、〝半能〟として後半部分が観世流によって演じられた。

 

 その幕間に狭川普文(ふもん)別当(華厳宗管長)が挨拶のため舞台に登場した。狭川氏は上皇・上皇后が60年前奈良に行幸されたときの思い出話から話し始めた。当時小学生だった狭川氏は県庁前で小旗を持って待ち構えていた。ところが「美智子さまのあまりの美しさに旗を振る手が止まってしまった。外見だけでなく御心の美しさが輝いていた」。続いて新しく即位された天皇・皇后が一昨年奈良に来られたときのこと。「お二人は障害者と向き合うときも必ず腰を屈めて話され、目の奥に優しさをたたえられていた。(上皇・上皇后の)御心が素晴らしい形で継承されているように感じた」。狭川氏は聖武天皇陵(佐保山南陵)で3日行われる「山陵祭」で、新天皇・皇后の即位についても報告したいと話していた。

 

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