く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<北九州市立水環境館> 大きな河川観察窓にミニ水族館も

2023年07月29日 | メモ

【爬虫類コーナーで“カラスヘビ”に再会】

 北九州市小倉北区の繁華街の一角に、入場無料で水族館の気分を味わえると人気の施設がある。市立の「水環境館」。中心部を流れる紫川の自然や水環境などを楽しみながら学んでもらおうと2000年にオープンした。先日久しぶりに訪ねると、小学生の団体や親子連れなどが巨大な河川観察窓や水槽を覗き込んで歓声を上げていた。

 目玉施設の観察窓は横幅が7.2m、高さが2.3mもある。透明アクリル製の厚さは25.5cm。河口域に近いため潮の満ち干によって淡水魚から汽水魚、海水魚まで様々な魚類を観察できる。初めて訪れたのは確か9年前の2014年8月。体長30cmほどのセイゴ(スズキ)やチヌ(クロダイ)の姿を目にしたときの感動が蘇ってきた。これらは観察窓の常連とのこと。ただ、この日は残念ながら姿を見せてくれなかった。期待していた、淡水と海水が上下に分かれて流れる“塩水くさび”の現象も現れなかった。

 館内はこの観察室を中心とする「くつろぎエリア」、紫川の歴史を紹介する「つながりエリア」、魚など数十種類の生物を展示した「まなびエリア」からなる。展示のエリアは紫川の上流域、中流域、下流・河口ごとに魚などの種類を紹介したり、爬虫類のコーナーを設けたりするなど、前回訪ねたときから模様替えしていた。

 その中で目を引いたのがタナゴの水槽。タナゴは多くの種が外来生物の食害や卵を産みつける二枚貝の減少などで絶滅の危機に瀕している。そのため同館では10年以上前から二枚貝を使わずに、二枚貝の中と同じような環境下で人工繁殖を繰り返し“累代飼育”に取り組んできた。

 「コマフエダイのゴマちゃん成長日誌」というコーナーもあった。この魚は本来暖かい海に生息しており、福岡県内での確認例はほとんどないという。2年前に門司で採取したときは親指の爪ほどのサイズだったが、今では幅120cmの大きな水槽で悠々と暮らし、10cmほどの魚を丸呑みするまでに育った。スタッフの顔を覚えていて、顔を近づけるとダッシュで寄ってきてくれるそうだ。

 爬虫類コーナーで展示しているのはアオダイショウや黒いシマヘビ、ジムグリなど。十数年前、奈良の自宅近くの草むらでトカゲをくわえた真っ黒いヘビに出くわした。シマヘビは何度も見ていたが、黒ヘビは初めて。調べると、どうもカラスヘビとも呼ばれるシマヘビの黒化型らしい。それから数年後のことだった。この水環境館で展示中のシマヘビの黒化型を目にしたのは。「まなびエリア」にはカエルやカメなどの展示コーナーもある。

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<門司港・松永文庫> 企画展「平和を願う戦争映画資料展」

2023年07月28日 | メモ

【高倉健と小林正樹監督の特別コーナーも】

 歴史的建造物が多く残り観光客の人気を集める門司港レトロ地区(北九州市門司区)。その西側に大型客船をイメージした巨大な建物「関門海峡ミュージアム」が立つ。通りを挟んで向かい側にあるのが「旧大連航路上屋」。約100年前の1929年に「門司税関1号上屋」として建てられた。その1階に入る映画・芸能資料館「松永文庫」でいま夏の企画展「平和を願う戦争映画資料展」(~10月1日)が開かれている。

 このアール・デコ様式の建物を設計したのは国会議事堂などを手掛けた官庁建築家の大熊喜邦(よしくに)。国際旅客ターミナルとしてにぎわい、中でも大連航路の便数が一番多かったことから一般に「大連航路上屋(待合室)」と呼ばれた。松永文庫は門司出身の故松永武氏(1935~2018)が収集した映画のポスターやチラシ、写真、脚本、書籍・雑誌など約6万点を収蔵する。2009年に資料全てが北九州市に寄贈され、以来、不定期に企画展を開いてきた。

 今回は戦争を描いた日本映画に焦点を絞り、映画ポスター約50点をはじめシナリオ、戦時下に発行された映画雑誌などを展示中。その中には『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『日本のいちばん長い日』『私は貝になりたい』『ビルマの竪琴』などの名作も。これらはいずれも1950~60年代に公開され、その後再映画化もされている。『二十四の瞳』の高峰秀子、『私は貝になりたい』のフランキー堺、『ビルマの竪琴』の中井貴一らの名演技が目に浮かぶ。(下の写真は『私は貝になりたい』のヒットを受け当時理髪店に配られたという短冊状のちらし)

 海軍飛行専修予備学生として出撃した青年たちの遺稿集を原作とする『雲ながるる果てに』をはじめ特攻隊を題材にした映画のポスターなども並ぶ。『月光の夏』『君を忘れない』『ザ・ウィンズ・オブ・ゴッド』『俺は、君のためにこそ死ににいく』『永遠の0(ゼロ)』……。原爆で白血病になった医師永井隆博士が幼いわが子に書き残した手記をもとにした『この子を残して』や『黒い雨』『TOMORROW 明日』『父と暮せば』『夕凪の街 桜の国』など、広島と長崎の原爆を取り上げた映画の資料類も展示されている。

 今回は福岡県出身の名優高倉健(1931~2014)と、会場の建物とゆかりのある映画監督小林正樹(1916~96)の特別コーナーも。健さん関連では出演した戦争映画10作品を取り上げている。最後の主演作となった『あなたへ』(2012)のポスター前に置かれた黒い長椅子はその映画の中で健さんが実際に座ったものとのこと。その椅子に腰を下ろし記念写真を撮る来場者が相次いだ。映画は健さんが門司港の海岸を歩いていくシーンで終わる。その撮影衣装のまま松永文庫を訪ねてきた。自分の新聞記事が収められたスクラップブックにじっと見入っていたそうだ。

 小林正樹監督の主要作品には五味川純平原作の『人間の條件』や『切腹』『東京裁判』などがある。それらの作品はカンヌなどの国際映画祭で高い評価を得た。この建物「旧大連航路上屋」とのつながりは応召した小林が満州(中国東北部)から南方へ移動の途中、門司港に寄航した1944年7月に遡る。小林は満州で軍務の合間を縫って『防人』と題した映画のシナリオを執筆。そのシナリオや日記を風呂敷に入れ、東京の実家の宛名を書いてこの建物内の洗面所に残していった。復員後、東京に戻ると、その風呂敷包みは無事届けられていた。ただ残念ながら『防人』が映画化されることはなかった。

 展示会場内や入り口には古い大型のカーボン式映写機も展示中。映写技師の永吉洋介さんから松永文庫に数年前寄贈された。永吉さんは福岡県大野城市出身で、閉館が相次ぐ各地の映画館から映写機を譲り受けて保存してきた。日本の映画界の歴史を物語る映写機はいずれも圧倒的な存在感を放っていた。(写真㊧岡山県和気町にあった「富士映劇」から、㊨愛知県豊田市にあった「足助劇場」から)

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<戸畑祇園大山笠㊦> 最終日は4地区ごとに巡行

2023年07月26日 | 祭り

【「東・お祭り広場」ちびっ子たちもお囃子を披露】

 国の重要無形民俗文化財でユネスコ無形文化遺産にもなっている「戸畑祇園大山笠」は競演会翌日の7月23日、千秋楽(最終日)を迎えた。大と小若の親子山笠はそれぞれ東・西・中原・天籟寺の4地区ごとに地域内を巡行し、地元の住民や帰省客たちの前で改めて勇姿を披露した。

 「東大山笠」は午後6時すぎからJR戸畑駅に程近い所で「浅生お祭り広場」を開いた。競演会同様4年ぶりの開催。沿道には多くの見物客が詰め掛け幾重もの人垣ができていた。前半の主役は一生懸命お囃子を演奏するちびっ子たち。浅生、牧山、新川など5つの地区の子ども山笠の囃子方が、練習の成果を次々と披露してくれた。囃子方は太鼓と鉦とチャンプク(合わせ鉦)で構成する。とても小学生とは思えない息の合った演奏が続いた。中には小さな園児も加わったグループもあり、演奏が終わるたび観客から大きな拍手が送られた。

 続いて男子中学生が担ぐ小東山笠の囃子方が登場した。演奏したのはちびっ子たちと同じく戸畑祇園を代表する「おおたろう囃子」。太鼓の豪快な響きと切れ味鋭いばちさばきが印象的。大山笠でも通用するのではないかと思わせる力感あふれる演奏だった。ちびっ子や中学生たちには記念品として東大山笠オリジナルノートが贈られた。この後、東大山笠の囃子方による模範演奏が行われた。

 午後7時になると、山笠の運行が始まった。前日の競演会同様、まず幟山の姿で会場を往復。この後、提灯の「5段上げ」から始まって次々に1段ずつ提灯が取り付けられ、高さ10mの提灯山が完成した。山笠が動きだすと、提灯のろうそくの灯も担ぎ手の動きに合わせ幻想的にゆらめく。大山笠と小東山笠が何往復かした後、最後には陸上自衛隊小倉駐屯地の隊員さんも担ぎ手として飛び入り参加していた。

 この東大山笠の千秋楽で思い出すのが30年以上にわたって司会を務めた青木勇二郎さん(下の写真=2013年7月27日)のこと。「粋な法被姿が神さんの“足”になって進みます。ヨイトサ、ヨイトサ」。その名調子が祭の雰囲気を一層盛り上げていた。初めてお会いしたのは13年前の2010年。東大山笠の役員で戸畑郷土史会の事務局長も務めていた青木さんに、戸畑祇園にまつわる秘話などを教えていただいた。

 青木さんは高校の大先輩でもあった。2021年の年賀状には達筆な文字でこう綴られていた。「牛がくる 馬がくる 麒麟がくる 風の如くおたづね下さい お茶とお話を用意しております」。なのに、その年の秋まさか亡くなられるとは。享年84。この日の4年ぶりのお祭り広場のにぎわいを、青木さんも天上から見守っていたことだろう。

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<戸畑祇園大山笠㊤> 4年ぶりに大小8基で競演会

2023年07月25日 | 祭り

【昼の幟山が12段の提灯山に姿を変えて】

 国の重要無形民俗文化財で、博多祇園山笠・小倉祇園太鼓とともに福岡県の3大夏祭りの一つに数えられる「戸畑祇園大山笠」が7月21~23日の3日間、北九州市戸畑区で繰り広げられた。最大の見どころは4年ぶりに開かれた中日22日夜の競演会。昼間の幟山から光のピラミッドに姿を変えた提灯山が「ヨイトサ、ヨイトサ」と担がれて進むと、その勇壮な姿に観客は暑さも忘れて酔いしれた。

 競演会会場は戸畑区役所前とそばの浅生1号公園。夕方、東・西・中原・天籟寺の大山笠4基と中学生が担ぐ小若山笠4基の計8基が勢揃い。午後6時半、今年の当番山、東大山笠総監督による開会宣言に続いて各大山笠の囃子方による演奏が披露された。この後「運行開始!」の合図でまず8基が幟山の姿で公園を1周した。12本の幟や菊の花を模した前花、円形の見送りなどで飾られた山笠は華麗かつ厳かな雰囲気。

 これらの飾り物が全て取り払われると、いよいよ姿変えの開始だ。提灯山は12段309個の提灯で飾られる。高さは10m、重さは2.5トンもある。提灯を取り付ける4本の支柱が立つと「5段上げ開始!」。各山笠はまず最上部の5段分を一気に組み立てる。次いで6段目、7段目……と進み、最後は一番下の12段目。いかに早く組み立てるか、早さと美しさを競う。ろうそくの灯が消えた提灯には担当者が上ってまた灯をともす。1番近い大山笠がまだ8~9段目のとき、遠くから太鼓が聞こえてきた。提灯山の完成を知らせる合図だ。

 全8基の提灯山がそろうと、再び「運行開始!」。各山笠は約80人で担がれ、豪快な「おおたろう囃子」に乗って進む。ムカデ競走のように歩調を合わせ並足以上のスピードで。「ヨイトサ、ヨイトサ」。公園を何周か回った後、各山笠はそれぞれの定位置へ。この後、競演会一番の見どころを迎える。抜きつ抜かれつの「自由競演」の始まりだ。等間隔だった山笠の距離がみるみる狭まってくる。中には早くも小休止する山笠も。観客からは手拍子に加え「がんばれー」と声援が飛んでいた。午後9時「運行停止!」。だがヒートアップした山笠は動きを続けた。全基が停止したのはその合図から15分ほどたってからだった。

 競演会に先立って、そばの飛旗八幡宮では昼間「神移し」の神事が行われた。例年、その場には東・西の大山笠と小若山笠の4基に、“客分”の天籟寺の大山笠と小若山笠の2基を加え、6基が勢揃いしていた。ところが今年は異変が! 天籟寺の2基が姿を見せなかったのだ。

 戸畑大山笠は過去数年、役員による暴力団がらみの背任事件や幕類復元費用の水増し請求などの不祥事に揺れた。そのしこりや軋轢がなお尾を引いているのだろうか? 内情に詳しい祭関係者によると、不祥事に関わった人物は一掃されるどころか、また復活しているとか。

 神社の境内には例年通り、武者人形などで飾られた子ども山笠も集結していた。数えると9基。神事の後、4基の大山笠と小若山笠は急な参道を「大下り」し、目抜き通りを巡行した。

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<平城宮いざない館> 写真展「平城宮跡・鳥の組曲」

2023年07月16日 | メモ

【藪重幸さん撮影の野鳥約100種150点余】

 国営平城宮跡歴史公園(奈良市)の「平城宮いざない館」企画展示室で7月15日、特別写真展「平城宮跡・鳥の組曲~平城宮跡とその周辺に生きる鳥たちの物語」が始まった。写真家の藪重幸さんが20年ほど前から平城宮跡に通い続け撮りためてきた写真の中から、約100種類の鳥たち150点余を展示中。繁殖や越冬、渡りの中継地として訪れてくる様々な鳥たちの生き生きとした姿を、春から冬まで四季を追って紹介している。9月18日まで。

 平城宮跡は1952年に国の特別史跡に指定され、世界遺産「古都奈良の文化財」の一つにもなっている。公園は東西約1.3キロ、南北約1キロで、総面積は約132ヘクタール。その3分の2を草原やヨシなどの群生地が占める。公園北側には市内最大の水鳥越冬地水上池をはじめ大小の池沼が点在し、樹木が茂る佐紀古墳群もある。さらにその北側には平城山(ならやま)丘陵が広がる。

 藪さんは大阪生まれで、野鳥観察を趣味とし「人の暮らしのそばで生きる鳥たち」をテーマに撮影を続けてきた。その作品は高く評価されており、日本野鳥の会が創立80周年事業として公募した「未来に残したい鳥風景」(2014年)では優秀作に選ばれている。さらに同会発行の2023年版「ワイルドバード・カレンダー」も藪さん撮影のソリハシセイタカシギが11月の写真を飾っている。

 日本で確認されている鳥は500種(絶滅種も含む)以上に上る。奈良県内ではこれまでに278種(日本野鳥の会奈良支部調べ)が確認され、平城宮跡周辺だけでも毎年100種前後が確認されているそうだ。宮跡とその周辺で繁殖する鳥は約30種。産毛で覆われたケリの雛の愛らしい写真が目を引く。ヨシ原は国内有数のツバメの集団ねぐらとして知られる。ピーク時の8月中旬の夕暮れには数万羽のツバメが終結する。赤く染まった空を舞うツバメたちを撮った藪さんの写真に見入ってしまった。

 宮跡で生態系の頂点を占めるのがオオタカ。周辺で1年を過ごし、春になると古墳の森で雛を育てる。ツバメのねぐら周辺ではそのオオタカやハヤブサの仲間チョウゲンボウが目を光らせているという。「ツバメを食べるオオタカ」の写真は少々衝撃的だった。秋になりツバメが南下を始めると、代わってアリスイ、ホオアカなどの冬鳥やノビタキ、コヨシキリなどの旅鳥が姿を見せ始める。同時に水上池にはオシドリなどカモ類を中心に20種近い水鳥が飛来する。

 会場ではパネルでも野鳥の生態や生息環境を紹介中。「鳥たちの食べ物」の中にはウシガエルやタウナギを食べるアオサギ、大きなブラックバスを飲み込もうとするカワウ、タモロコをくわえたカワセミなどの写真12点も。こんな一瞬をどうしたら撮れるのか。藪さんに問うと「これらはよく食べる鳥たちなので、根気さえあれば」と話されていた。

 カラスはゴミ箱を荒らす嫌われ者だが、鳥たちにとっても卵や雛を襲う厄介者。しかしパネルでは「宮跡の見張り番」としてこう紹介している。「オオタカなどの鳥を襲う猛禽が現れたときには大きな声で周囲に危険を知らせたうえ、猛禽につきまとい追い払ってくれます」。上空を飛ぶオオタカ、巣に近づくキツネなどを追い払うカラスの写真も添えられていた。

 会場出口そばに展示されているのが鳥たち55種の顔を真正面から撮った「宮跡の主人公たち」と題した大きな写真パネル。「この中で何種類の鳥の名前を知っているか挑戦してみて <答えは前のスタンドに>」。この企画、夏休みの子どもたちの人気を集めるかもしれない。最下段の左隅に写っているのはコブハクチョウ。約20年前から水上池に住みつき、みんなから「コーちゃん」と親しまれていたが、この5月に天寿を全うしたという。

 会場には写真展に合わせ、嶋田春幸さんが制作したバードカービングの作品10点余りも展示中。入り口正面で出迎えてくれたのも嶋田さんが彫った大きなカワウだった。

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<祇園祭・曳き初め> 17日の本番を前に試し曳き

2023年07月13日 | 祭り

【児童や一般客も参加、長刀鉾は雷雨の中で!】

 京都の夏を彩る祇園祭は大阪の天神祭、東京の神田祭とともにわが国三大祭の一つといわれる。7月17日には前祭(さきまつり)の山鉾巡行が都大路で繰り広げられる。これを前に12日、四条通周辺で山鉾の曳き初めが行われた。昨年はまだ新型コロナの影響もあって一般客は展示中の鉾に乗ったり曳き初めに参加したりできなかった。だが今年は4年ぶりに本来の通常開催に。この日の曳き初めにも地元の小学生や一般客が大勢参加して綱を曳いていた。

 山鉾巡行には17日の前祭に23基、1週間後24日の後祭に11基が登場する。前祭で曳かれる長刀鉾や函谷鉾、月鉾、鶏鉾、菊水鉾などは10日の鉾建てで立ち上がったばかり。鉾は釘やネジを使わない“縄がらみ”という伝統技法で組み立てられている。重量5~12トン、鉾頭までの高さが約25m。曳き初めはその巨大な鉾がスムーズに動くかどうかを試すために行われる。

 12日午後1時半ごろ、地下鉄四条駅を上がると函谷鉾が立つ四条通の歩道には長蛇の列ができていた。曳き初めの参加希望者たちだ。山鉾の綱を曳くと厄除けになるという。しかも4年ぶりの解禁とあって、一般客が続々と詰め掛けては列の最後尾に並んでいた。

 函谷鉾の曳き初めは午後2時から。その10分ほど前から「コンチキチン」のお囃子が鳴り始めた。鉾の屋上には2人の屋根方。扇子を持った2人の音頭取の合図で、鉾は車輪を軋ませながら東へ動き始めた。全て本番さながら。四条烏丸の交差点に達すると、今後は西側に方向転換。四条通のその先には月鉾が立つ。約30分かけて元の町会所まで戻ってきた。

 それと前後して四条通と交差する室町通の南側から鶏鉾のお囃子が聞こえてきた。ここでは京都市立洛央小学校の児童や近くの池坊短大の学生たちが綱を持って参加していた。

 進行を指示する音頭取2人の表情も真剣そのもの。沿道も一足早く祇園祭の気分を味わおうと観客で溢れかえっていた。この鶏鉾の曳き初めも約30分にわたって繰り広げられた。

 続いて向かったのは3時半開始予定の長刀鉾。この鉾は“くじ取らず”で毎年前祭の先頭を進む。かつては大半の鉾で神の使いとして稚児が乗っていたが今では稚児人形に替わり、生稚児が乗るのはこの長刀鉾だけ。稚児は四条通に張られた注連縄を切って結界を解き、巡行の始まりを告げるという大役を担う。

 今年の稚児役は同志社小学校6年の瀧光翔(ひかる)君。その両側には禿(かむろ)と呼ばれる補佐役の2人。曳き初めは予定時刻通りに始まった。ここでも多くの小学生たちが参加していた。

 ところがまもなく夕方のように暗くなり土砂降りに。しかも東山に数回稲光もあって沿道からどよめきが起きていた。鉾頭の長刀に落雷でもしたら……。一瞬そんなことも頭をよぎった。

 そんなハプニングにもかかわらず、鉾はお囃子を奏でながら四条河原町の交差点方面へ。そして、また百貨店の大丸前を通り戻ってきた。そのころには雨もすっかり上がっていた。町会所前に到着すると、児童たちが綱を一斉に高く差し上げた。観客からは雨の中で頑張った子どもたちに温かい拍手が送られていた。ただ気になったのが長刀鉾の動き。何度も「ガクン」「ガッタン」と大きな音を出しては前後に揺れていた。「大丈夫?」と声を上げる女性もいた。

 背の高い鉾は重心を下げるため前後輪の内側を貫く“石持”を取り付け、鉾全体のバランスを取る。『祇園祭 都市人類学ことはじめ』(米山俊直著)によると、70年ほど前の1951年、月鉾が鉾建てのとき横倒しになった。石持の縄掛けが不十分だったのが原因らしい。一方で、月鉾がその前年、伝統だった女人禁制を解いたためバチが当たったという話が町中に流れたそうだ。

 祇園祭はその後も長く女人禁制が続き、女性が鉾に上がることも綱を触ることも禁じてきた。しかし今では曳き初めに男女を問わず参加できるように。さらに函谷鉾や後祭に登場する南観音山は他の山鉾に先駆けて女性の囃子方を乗せて巡行してきた。この日の曳き初めでも函谷鉾で前面中央に座って囃子方の中心にいた女性の姿が印象的だった。

 京都には「平成女鉾清音会(さやねかい)」という女性だけでつくる祇園囃子の組織がある。30年近く前から函谷鉾などのベテラン囃子方の指導のもと練習に励んできた。今年も祇園祭後半の7月29日、八坂神社舞殿でお囃子を奉納する予定だ。

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<奈良県立美術館> 「富本憲吉展のこれまでとこれから」

2023年07月09日 | 美術

【開館50周年記念企画展が開幕 総展示数180点!】

 奈良県立美術館(奈良市登大路町)で7月8日、開館50周年を記念した企画展「富本憲吉展のこれまでとこれから」が始まった。富本憲吉(1886~1963)は奈良県が生んだ近代陶芸の巨匠。同美術館は1973年の開館以来「富本憲吉展」を延べ14回開催してきた。15回目となる今展では館蔵品100点余に個人蔵や文化庁、国立工芸館、京都国立近代美術館、石川県立美術館、兵庫陶芸美術館などからの借用分も加え、磁器を中心に180点の作品を展示している。

 展示構成は「富本憲吉の生涯と作品」「図案家・富本憲吉」「生活へのまなざし」の3つの章立てで、1~2階の6つの展示室を全て使用している。第1展示室に入ると、まず50年前の開館記念展での展示作品「白磁大壷」(1940年)などが並ぶ。美術館には当時富本作品がなく、この1点だけが奈良県の所蔵。他の展示作品約400点は全て外部から借用したそうだ。その後、企画展を重ねるうちに次第に館蔵品も増え今では約170点に上る。

 富本は奈良県安堵町出身で、東京美術学校(現東京芸大)図案科を卒業後、英国に留学。帰国後、陶芸家バーナード・リーチとの交流を機に自宅裏に窯を造って陶芸の道に進む。富本の生涯は制作拠点となった場所から大和(安堵)時代(1913~26)、東京時代(26~46)、京都時代(46~63)と呼ばれる。大和時代は独学で楽焼から土焼、白磁、染付と作域を広げていった。初期の展示作品に『楽焼葡萄模様鉢』(1913年)、『楽焼草花模様蓋付壺』(14年)などがある。大和時代の作品には素朴な文様のものが多い。

 東京時代には一時九谷焼の窯元で色絵磁器の研究・制作に没頭した。以降、華やかな色絵の作品を次々に生み出す。『色絵木蓮模様大皿』(1936年)の底面には「於九谷 試作」の文字。富本の作陶人生で大きな転換点となった作品の一つといわれる。東京時代には蔓草のテイカカズラの花から四弁花の連続模様も創作した。代表作に『色絵四弁花更紗模様六角飾筥(かざりばこ)』(1945年)や『色絵金銀彩四弁花文飾壷』(1960年)などがある。

上段㊧白磁八角蓋付壷、㊨色絵椿模様飾箱、下段㊧色絵金銀彩四弁花文飾壷、㊨色絵金銀彩羊歯文八角飾箱

 富本は終戦後、疎開先の高山から一旦東京に戻り、さらに安堵に引き揚げる。だが自分の窯がないため奈良から京都に通い、結局京都に転居する。京都時代には不可能とされてきた金と銀を同時に焼き付ける「金銀彩」の技法を確立した。同じころ羊歯(シダ)の連続模様を考案して、金銀彩と併用することで格調の高い華麗な文様を編み出した。代表作に『赤絵金銀彩羊歯模様蓋付飾壷』(1953年)、『色絵金銀彩羊歯文八角飾箱』(1959年)など。展示物の中に制作途中の未完の作品があった。『赤絵金銀彩羊歯文様壷』(1963年)。羊歯の連続模様を描くための割付線が残っており、没後に京都の工房で見つかった。

 第2章では図案家としての富本に焦点を当てる。富本は「模様から模様を造るべからず」を信条とし、身近な風景や草花を題材に独自の造形と模様の探求に余念がなかった。ここでは四弁花や羊歯のほか、8幅の軸装『常用模様八種』(1949年)をもとに作品を紹介している。好んでよく描いた8種のモチーフとは薊(あざみ)・芍薬・梅・松・竹・野葡萄・大和川急雨・「寿」字。漢字は京都時代に「花」や「風花雪月」などもよく使用した。

 富本は芸術的な磁器作品の制作の傍ら、服飾品(帯留め、ネクタイピン)や生活雑貨(灰皿、箸置き)などの制作にも励んだ。第3章ではこうした実用的な作品とともに量産化への取り組みを紹介する。東京時代には信楽、波佐見(長崎)、瀬戸、京都、加賀など地方の窯業地に滞在しては既製の素地に富本が絵付けする方法で日用陶磁器の量産の可能性を探る。さらに京都時代には富本が作った見本をもとに職人に成形・絵付け・焼成を任せる方法を考案し、「平安窯」「富泉(とみせん)」の銘で売り出す。50年にわたる富本の陶業は近代陶芸の先駆者としての挑戦の連続だった。企画展の会期は9月3日まで。

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<ハイタムラソウ(這田村草)> 福井県の固有種・絶滅危惧種

2023年07月07日 | 花の四季

【日本海側に分布するタジマタムラソウの変種】

 シソ科アキギリ属(サルビア属)の多年草。自生地は福井県南部の今庄町や敦賀市、美浜町、三方町、小浜市など狭い地域に限られる。京都府北部や兵庫県北部など日本海側の山地に分布する「タジマ(但馬)タムラソウ」の変種。福井県は絶滅の危険が増大しているとして、レッドデータブックで絶滅危惧Ⅱ類に指定している。

 草丈は20~30㎝ほど。花茎の先に赤紫色の唇形花を多く付ける。葉は地に這うように横に伸びる根茎に沿って広がる。学名は「Salvia omerocalyx(サルビア・オメロカリス)var.prostrata(プロストラータ)」。属名サルビアの語源は「安全」や「無傷」を意味するラテン語。種小名の後の「var.」はバラエティーの略で「変種」を表す。変種名のプロストラータは「平臥」や「横に這う」を意味する。

 サルビア属は中南米や地中海沿岸地方を中心に世界に900種以上あり、日本では観賞用を「○○サルビア」、ハーブ用を「○○セージ」と呼んで使い分けている。日本原産のサルビア属はアキノタムラソウ、ハルノタムラソウ、ナツノタムラソウ、シマジタムラソウ、キバナアサギリなど10種ほど。このうちハルノタムラソウの学名は「S.ranzaniana(ランザニアーナ)」。植物学者牧野富太郎が敬愛する江戸時代の本草学者小野蘭山の名前を織り込んで命名した。

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<奈良市写真美術館> 「新鋭展」山田省吾・正岡絵里子

2023年07月05日 | 美術

【入江泰吉「大和の路」展も同時開催中】

 入江泰吉記念奈良市写真美術館で「新鋭展」が始まった。若手写真家の作品を紹介する場として継続的に開催しており、今回は山田省吾さん(1977年兵庫県伊丹市生まれ)が「影の栞」、正岡絵里子さん(1983年愛媛県松山市生まれ)が「目の前の川で漕ぐ」というタイトルで2人の作品を取り上げている。入江泰吉の「大和の路」展も同時開催している。会期はいずれも9月10日まで。

 山田さんは1997年、ビジュアルアーツ専門学校・大阪を卒業し、2004年には大阪市北区に同校卒業生を中心とする自主運営ギャラリーを立ち上げた。タイトルの「影の栞」について山田さんはこう記す。「路上を歩いている時ふと視界の届かない向こう側では写真を撮る上で刺激的な場所が待っているかもしれないと思う事がある┄┄シャッターを切る一瞬の間だけは、目の前がそんな街である事に賭けている」。

 主な展示作品は2020~22年発表の写真集『何処彼処(どこかしこ)列記』やそれ以前の『黒い壺』『十方街(じっぽうがい)』などで発表されたもの。『何処彼処列記』はこれまでに3冊が出版され、それぞれパリ、大阪、レー・ラダック地方(インド北端)の街や人物の表情などが切り取られている。会場の導入部ではカラー写真が両壁を埋めるが、そのほかはモノクロの暗い色調の写真が大半。路地裏の闇のうごめきを感じさせるような作品もあった。バーの開店祝いだろうか、贈り主の名前を記した無数の花束がまるでごみの山かと思わせるように積まれた光景にしばし釘付けになった(写真㊤=部分)。

 正岡さんは山田さんと同じビジュアルアーツ大阪を2005年に卒業し、16年には東川町国際写真フェスティバル(北海道)の「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」でグランプリを受賞。2017年にフランス人の夫の仕事の都合でドイツ・ミュンヘンに渡り、今は南フランスの小さな村で暮らしているという。「目の前の川で漕ぐ」というタイトルの今回の写真展は「日本を離れてから異国の地で子育てに追われる日々の中で撮った作品」。

 それに続く一文に一瞬絶句した。そこには「この春に夫との離婚を決めた」とあった。さらに「夫と離婚を決意しても尚、フランスで暮らしていくことを決めた私は、この展示のタイトルの通り毎日転覆してしまわないように、目の前の川を必死で漕ぎ続けています」。正岡さんには7歳の男児とドイツで生まれた3歳の女児がいる。会場にはこの7年間にスマホで撮り続けた家族写真などが壁4面に所狭しと展示されていた。その中には枝で作った小屋の中で寝転ぶ夫と娘の姿も。その説明文は「夫の趣味は森の枯れ木を集めて家を作ること。みんなで一緒に」。僅か1年少し前の2022年3月に撮った写真だった(写真㊦=部分)。

 「大和の路」展では入江泰吉が撮影したモノクロとカラーの写真41点を展示中。入江は生前「大和の路はすべて古社寺につながっている。すばらしい古美術にふれる感動への、いわば前奏曲のような、情緒にみちた路すがらである」と語っていたという。その大和路の中でも特にお気に入りが西の京だった。また山の辺の道については「大和路の古寺風物詩的な情趣とは隔絶した、人間的な心情の触れあいを感じさせるものがある」と書き残している。下の写真㊤「斑鳩西里柿の秋」(1968年頃)、㊦「二上山落陽」(1970年頃)=いずれも部分

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<日本音楽コンクール> 大和郡山で「受賞者発表演奏会」

2023年07月03日 | 音楽

【バイオリンの渡邊紗蘭ら優勝者4人が熱演】

 第91回日本音楽コンクールの「受賞者発表演奏会」が7月2日、奈良県大和郡山市のやまと郡山城ホールで開かれた。若手音楽家の登竜門といわれる同コンクールは昨年、ピアノ・バイオリン・声楽・オーボエ・フルート・作曲の6部門で競われ、7人が優勝を飾った(ピアノ部門で1位が2人)。この演奏会は各部門の優勝者のいわばお披露目公演。今年3月の東京を皮切りに愛知、鹿児島で開かれ、今回の大和郡山公演が4カ所目だった。

 舞台に登場したのは(写真左から)オーボエの榎かぐやさん(東京音楽大学卒業)、バイオリンの渡邊紗蘭(さら)さん(東京音楽大学1年)、声楽(ソプラノ)の松原みなみさん(東京芸術大学声楽科教育研究助手)、ピアノの小嶋早恵さん(東京芸術大学大学院修士課程在籍中)の4人。コンクールで115人が出場したバイオリン部門で優勝した渡邊さん(当時高校3年生)は、全部門を通して最も印象的な演奏に贈られる増沢賞も獲得した。

 最初の演奏者は3年に1度開かれるオーボエ部門(出場者57人)の優勝者、榎かぐやさん(千葉県出身)。本選ではサン=サーンスの「オーボエソナタニ長調作品166」などを演奏、聴衆賞に当たる岩谷賞も受賞した。この日はこの曲を含む2曲を披露。オーボエはギネスによると木管楽器の中で「最も難しい楽器」とか。榎さんはそんなことは微塵も感じさせずに、自在に操ってふくよかな音色を奏でていた。とりわけソナタ終盤の目にも止まらない運指の技は圧巻だった。(下の写真は演奏会の会場やまと郡山城ホール)

 2番目の奏者はバイオリンの渡邊紗蘭さん。コンクール本選で演奏したのはバルトークの協奏曲第2番だったが、この日はパガニーニの無伴奏独奏曲「24のカプリス(奇想曲)より第1番、第24番」、ピアノ伴奏でF.ワックスマン作曲「カルメン幻想曲」などを披露した。第24番は奇才パガニーニの作品の中でも難曲として有名。渡邊さんは左手ピッチカートなどの超絶技巧の個所も余裕をもってこなし、むしろ楽しみながら弾いている様子だった。渡邊さんは甲子園球場のお膝元、兵庫県西宮市の出身。ツイッターなどに「阪神ファン」「目標はベルリンフィル・コンサートマスターの樫本大進さん」とあったことを思い浮かべながら演奏に聴き入った。

 休憩を挟んで後半に登場した2人はいずれも大阪府出身。ソプラノの松原みなみさんはまず「夏の思い出」「霧と話した」など中田喜直の日本歌曲5曲を披露した。1曲目の「むこうむこう」の数小節を聴いただけで、まろやかな声質と響き、豊かな表情にすっかり魅了された。続いて演奏したのはマーラーの「ハンスとグレーテ」、ドニゼッティの「あたりは沈黙に閉ざされ」など3曲。プロフィルの中に「ウィーン国立音楽大学オペラ科を審査員満場一致の首席(最優秀)で修了」とあった。そして昨秋の日本音楽コンクール声楽部門(出場者84人)での優勝。この日歌い終えるや、会場からは「ブラボー」の掛け声が飛んでいた。

 最後の演奏者はピアノの小嶋早恵さん。コンクールのピアノ部門は6部門で最も多い199人が出場した。3次にわたる予選を勝ち抜いた小嶋さんは本選でショパンの協奏曲第2番を演奏、坂口由侑さん(桐朋音楽大学在学中)と同点1位で優勝を分け合った。この日の演奏曲はラヴェルの「夜のガスパール」だった。キラキラと光るスパンコールをちりばめた黄金色のドレスを身にまとった小嶋さんは、印象主義音楽といわれるラヴェルの難曲をそのドレスのように表情豊かに演奏した。演奏時間は22分あまりだった。

 この後、演奏者4人がそろって舞台に登場、会場からは盛大な拍手が送られていた。4人にはそれぞれに華があり、舞台上で演奏する姿はまるで天上から舞い降りてきたミューズのようだった。音楽の素晴らしさを再認識させてもらえた至福の2時間だった。

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<パッシフローラ・ミニアタ> 真っ赤な大輪トケイソウ

2023年07月01日 | 花の四季

【花弁5枚と萼片5枚が同じ色と形!】

 南米のボリビア原産のトケイソウ科トケイソウ属の常緑蔓性植物。トケイソウ属には中南米の熱帯・亜熱帯地域を中心に世界で500種以上もある。これらを掛け合わせた栽培品種も数多い。属名「Passiflora(パッシフローラ)」は「キリストの受難の花」を意味する。独特な花の構造を十字架や磔に使われた釘、10人の使徒などに見立てた。

 種小名の「miniata(ミニアタ)」は「朱色の」「赤くなる」を意味する。その学名が示すように、鮮やかな赤い大輪の花を付けるのが特徴。10枚の花弁でできているように見えるが、うち5枚は萼が変化したもので、萼片も花弁とほぼ同じ色と形になっている。同じ種小名を持つ植物にクンシラン(クリヴィア・ミニアタ)やサルビア・ミニアタ(別名ベリーズセージ)などがある。

 和名のトケイソウはトケイソウ属の植物の総称だが、狭義では白い花弁・萼片と放射状に広がる青い糸状の副花冠が美しい「P.caerulea(カエルレア)」を指す。3つに分かれた雌しべの柱頭を時計の長針・短針・秒針に、副花冠を文字盤に見立ててトケイソウと名付けられた。ミニアタ種はそのカエルレア種ほど特徴が鮮明ではないが、その分、花弁・萼片の燃えるような赤色が際立つ。赤色系にはほかにコッキネア種(ベニバナトケイソウ)やラセモサ種(ホザキトケイソウ)などがある。

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