く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈松伯美術館〉 開館30周年「勤勉努力―素描 下絵そして本画」展

2024年04月17日 | 美術

【上村松園『唐美人』⋅松篁『緋桃』⋅淳之『鳬』┄】

 開館30周年を迎えた松伯美術館(奈良市登美ケ丘2)で「勤勉努力―素描 下絵そして本画」と題した展覧会が開かれている。美人画の上村松園とその子松篁、孫淳之の作品群で知られるこの美術館は、三代の膨大な素描や下絵なども保有する。それらを通して本画が生まれるまでの過程を作者のコメントとともに紹介している。5月6日まて。

 同館では2年前の2022年秋にも「本画と下絵から知る上村松園⋅松篁⋅淳之」展を開催。そのとき松園の作品では『鼓の音』『楊貴妃』『花がたみ』などを下絵と並べて展示していた。今回は『唐美人』『美人納涼』『雪』などを本画と下絵で、そのほか『月蝕の宵』『新蛍』など十数点の下絵も展示している。

 松園は1948年、女性として初めて文化勲章を受章した。生前、作品制作への心構えについてこう語っていたという。「人事をつくして天命を待つ、と昔の人が申したように、何事もやれるところまで努めつくしてみた上で、さてそれ以上は大いなる神や仏のお力に待つよりほかはありません。芸術上のことでもそうであります」

 松篁は母松園の姿勢を見習いながら花鳥画の制作に没頭した。松園から絵について注意などを受けたことはないという。ただ「勤勉、努力していく母の後ろ姿をずっと見続けていた。それが母のいちばん大きな遺産だったと思う」。母に次いで松篁も1984年文化勲章を受章した。今展では『緋桃』『燦雨』『白木蓮』『月明』など松篁の大作が原寸大の下絵とともに展示されている。

 現館長淳之も松篁の後を継いで60種700羽の鳥を飼育する奈良市の「唳禽荘(れいきんそう)」にアトリエを構える。淳之は祖母松園について「大変な量の素描などを整理しながら、努力とはこれなのだと思い知らされた」と述懐している。今展では『鳬(けり)』『水辺』『小千鳥』などを展示中。淳之も2022年に文化勲章を受章し、三代続けての受章となった。

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〈奈良県立図書情報館〉 「キネティックアートな3人」展

2024年04月03日 | 美術

【井村隆⋅遠藤賢治⋅千光士義和】

 奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で「キネティックアートな3人」展が開かれている。キネティックアートは静的な彫刻に対し、動きを取り入れたオブジェなどの総称。金属や段ボールを使って独創的な作品を制作してきた井村隆、遠藤賢治、千光士(せんこうじ)義和の作品が並び、子ども連れの家族の人気も集めている。4月21日まで。

 井村隆の作品群は「カラクリン」と呼ばれ、キネティックアートの第一人者として高い評価を得ている。1945年堺市生まれ。デイスプレー制作会社を退職後独立し、全国各地で個展を開き様々なモニュメントの制作にも取り組んできた。

 それらのモニュメントの中には堺市緑化センターの花時計「フラワーフェアリー」や新潟県立自然館の「シンボルタワー生命球」、横浜子ども科学館の「銀河への旅」、東京⋅三鷹の森ジブリ美術館の「スペースフィッシュ」なども。

 一連の作品群「カラクリン」に使われる素材は主に銅や真鍮、アルミなど。「ボンフリー」と名付けられた魚の頭を持つひとがたの生き物が乗り物を操縦する。展示中の作品は『シーラカンス』『ノア』『飛び魚』『ボンフリーファクトリー』『魚の舟』など。最大の『シーラカンス』は横幅が1.3mもあった。

 遠藤賢治は1953年広島市生まれで、奈良にアトリエを構えて「プチプルプレーン」と名付けた空き缶アートを制作。大阪芸術大学キャラクター造形学科の教授を務めていたが、2020年に亡くなった。

 今回は空き缶を活用したミニチュアの飛行機などの遺作のほか、『太陽の詰め合わせ(太陽がいっぱい)』と名付けられた作品なども展示中。表情が微妙に異なる缶の蓋の詰め合わせに遊び心が詰まっていた。

 千光士義和は1958年高知市生まれ。85年に母校の先輩遠藤賢治の居る奈良市に移住し、動く段ボールアート作家として活躍中。大阪芸術大学芸術計画学科客員教授も務める。

 著書に『かんたん手づくり動くダンボールおもちゃ』など。今回は『マリンバード』や『天空のスイッチバック』など新旧の作品群を出品している。千光士氏は4月14日に開かれる「キネティックアーティスト井村隆の仕事」と題したトークショーにも登壇する予定。

  

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〈奈良市写真美術館〉 「入江泰吉記念写真賞」受賞作品展

2024年03月11日 | 美術

【ならPHOTO   CONTEST 作品展も】

 奈良市写真美術館(高畑町)で「第5回入江泰吉記念写真賞」(日本経済新聞社協力)の受賞作品展が開かれている。若手写真家の発掘を目的に2014年にスタートし2年ごとに作品を公募してきたが、第5回は新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催となった。今回は全国から61点の応募があり、その中から東京在住の眞岡綺音(あやね)さんの作品『陸の珊瑚』が大賞に当たる記念写真賞に選ばれた。

 眞岡さんは大阪府出身の23歳。日本写真映像専門学校を卒業し、これまでに読売写真大賞中高生部門大賞、御苗場2018年間最優秀賞なども受賞している。今回の受賞作品(48枚組み)では祖父母が経営する牧場を舞台に、4~5年間にわたって家族や環境の変化を追い続けた。作品の中には病床にあった祖父の最期の姿やお墓の周りで明るくはしゃぐ男女児の写真などもある。

 審査員の写真家百々俊二氏は「家族の日常を丹念に生き生きと記録し、そこに生と死が織り成す。祖父の死を経て家族関係の再生、乳牛を育てる労働を明るく柔軟な眼差しで表現している」と評価。菅谷富夫氏(大阪中之島美術館館長)は「写真から伝わってくるのは、時にはグロテスクなまでの生々しい生命感である」と評している。一連の作品は写真集として出版された。

 「第5回ならPHOTO  CONTEST 」の受賞作品展も同時に開催中。「ならを視る」をテーマに掲げたこのコンテストには全国から548点の応募があった。その中から「なら賞」には二川和歩さん(愛媛県在住)の『佇む』が選ばれた。東大寺南大門で巨大な金剛力士像に対面する二人の女性の姿をモノクロでとらえた。「日本経済新聞社賞」の受賞作は若井芳昭さん(三重県在住)の『ならが視る』。奈良公園名物のシカが大きな切り株の向こう側から耳をそばだてじっとこちら側を凝視する。

   

 入江泰吉の作品展も開かれている。今回は春を告げる花として「梅⋅桃⋅桜」にスポットを当て、大和路や吉野など花のある風景写真30点余を紹介している。会期はいずれも3月17日まで。

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<中野美術館> 所蔵名作展「近代日本の洋画・日本画」

2023年12月03日 | 美術

【長谷川潔・駒井哲郎・村上華岳の作品など約40点】

 中野美術館(奈良市あやめ池南)で所蔵名作展「近代日本の洋画・日本画」が開かれている。美術館の創設者は林業で財を成した中野皖司氏。四半世紀にわたって収集してきた明治・大正・昭和の絵画や版画、彫刻などのコレクションを一般公開しようと約40年前の1984年に開館した。

 多く所蔵するのが洋画の須田国太郎や版画の長谷川潔、日本画の村上華岳、入江波光などの作品。入ってすぐ左手の洋画展示室には24点を展示中。今回は特に版画家の長谷川潔(1891~1980)と駒井哲郎(1920~76)に焦点を当て、それぞれの作品を5点ずつ紹介している。

 長谷川は1918年フランスに渡り、マニエール・ノワール(メゾチント)という古典的銅版画技法を復活したことで知られる。展示作品のうち特に印象に残ったのが『再生した林檎樹』。樹の上部は枯れているが、幹の下からはひこばえが元気に伸びる。力強い生命の連続性を感じさせる作品だ。満開の花を中心に蕾としおれた花を描いた『コップに挿したアンコリの花(過去・現在・未来)』も味わい深い。

 駒井は1951年、銅版画『束の間の幻影』が第1回サンパウロ・ビエンナーレでコロニー賞を受賞し一躍注目を集めた。54~55年にはパリに留学し、この間フランス在住の長谷川を訪ねている。展示作品は『消えかかる夢』『人形と小動物』『手』など。ほかに舟越保武のリトグラフ(雁皮刷り)『聖クララ』『若い女』や須田国太郎の『牛の居る風景』、鳥海青児の『大理石を運ぶ男』、三岸節子の『花』、林武の『金精山(奥日光)』、藤田嗣治の『婦人』なども展示中。

 日本画展示室には村上華岳の『梅の図』『幽山雲烟』『踊れる少女』、入江波光の『追羽子』『墨梅図』、冨田渓仙の『広沢渓鳥図』などとともに、富岡鉄斎の『江村雨図』と『茂樹清泉図』が墨書の『題詠』とともに展示されている。展示室内の和室を飾るのは小林古径の作品『富士』。

 館内には彫刻家佐藤忠良(1912~2011)のブロンズ像2点も展示中。入り口そばに『帽子』、洋画展示室中央に『若い女・夏』。たまたま日経新聞が11月26日付日曜版で「生への賛歌 佐藤忠良(上)」と題する2ページ特集を組んでいた。それによると、佐藤はロダンとその弟子デスピオの作品から多くを学んだという。

 佐藤の代表作に女性の全身像『帽子・夏』。この作品を機に1970年代以降、帽子シリーズを相次いで発表した。館蔵の頭部像『帽子』もその一つだろう。鍔広の帽子を被って顔はうつむき気味。そのため表情はうかがえない。12月3日付「生への賛歌 佐藤忠良(下)」では絵本画家としても活躍した佐藤の素顔を、代表作「おおきなかぶ」の原画などとともに紹介。俳優佐藤オリエが忠良の愛娘だったことも初めて知った。

 中野美術館は日本最古の溜め池といわれる「蛙股池」のほとりに立つ。池を挟んで対岸の高台にあるのは東洋美術のコレクションで知られる大和文華館。林の奥にその建物の一部がちらりと見えた。名作展は1月28日まで(ただし12/4~1/9は休館)。

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<東大阪市民美術センター> 企画展「宮本順三展~祭りと踊りに見る世界のデザインと色彩」

2023年11月30日 | 美術

【おもちゃ「グリコのおまけ」約3000種類のデザイナー】

 東大阪市民美術センターで11月29日、企画展「宮本順三展」が始まった。副題に「祭りと踊りに見る世界のデザインと色彩」。大阪市出身の宮本順三さん(1915~2004)はかつて子どもたちの人気を集めたおもちゃ「グリコのおまけ」のデザイナーとして知られる。同時に世界の祭りと踊りを画題とし多くの油彩画を描いた。企画展ではそれらの中から代表作を選んで展示している。12月17日まで。

 宮本さんは画家になるのを夢見て、彦根高等商業学校(現滋賀大学)時代には自ら美術部を創設した。卒業後に就職したのがグリコ。入社時の面接では「もっと子どもが喜ぶおもちゃを作りたい」と訴えた。当時グリコはおまけに絵カードなどを入れていた。願いがかなって配属されたのが広告課景品考案係(おまけ係)だった。(下は『浪花郷土玩具集』)

 1945年には退職する。だが、その後も家業だったセルロイド工場を再建し、協力業者としておまけの製造に励んだ。参考にしたのが日本の郷土玩具や世界各地の伝統的なおもちゃなど。生涯にデザインしたおもちゃはなんと約3000種類に上る。宮本さんは生前「子どものおもちゃを大切にする国は文化的に豊かでもある」と話していたそうだ。

 宮本さんは国内だけでなく世界各地を訪ねては祭りや踊り、人々の表情、風景、伝統玩具、考古遺産などをスケッチし、帰国後それらを基に多くの油絵を描いた。作品数は51カ国230点(うち日本117点=いずれも画集掲載分)に及ぶ。(下は『東栄花祭り』)

 企画展は「大阪の祭りと伝統」「日本の四季と祭り」「日本・世界の民族文化」「世界の祭りと踊り」「世界の人々」で構成。絵画の展示数は50点余で、ほかに絵日記や内外の仮面、グリコ時代に手掛けた「世界一周スタンプ集」なども展示している。


 国内の祭りを描いた展示作には『青森ねぶた祭り』や『花笠祭り』(山形県)、『東栄の花祭り』(愛知県)、『美里の祭り』(京都府)、『飛騨高山のどぶろく祭り』(岐阜県)、『長崎のランタン祭り』などがある。『沖縄の文化祭』(上)と北海道網走市の『オロチョンの火祭り』(下)はいずれも100号の大作だ。

 「世界の祭りと踊り」のコーナーにはもっと大きな150号の作品も並ぶ。『シーサンパンナーの水かけ祭』(中国)、『マラケシュのバザール』(モロッコ、下の写真右側)、『ランテの水牛供犠』(インドネシア)、『パロゾンの大祭』(ブータン)……。

 展示絵画の多くは東大阪市にある「宮本順三記念館・豆玩舎ZUNZO(おまけやズンゾ)」所蔵だが、国立民族学博物館(大阪府吹田市)や大阪社会福祉指導センター(大阪市)、大阪セルロイド会館(同)の所蔵作品も含まれる。(下は『ランテの水牛供犠』)

 独特なタッチで描かれた作品はいずれも鮮やかな色彩に溢れ、画面から人々の喜びとエネルギーが伝わってくる。歓声や鳴り響く太鼓などの音まで聞こえてくるようだ。(下は『パロゾンの大祭』)

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<キトラ古墳「四神の館」> 切り絵作家・望月めぐみさんの作品展「飛鳥コスモロジー」

2023年11月25日 | 美術

【極彩色壁画発見40年記念企画展、11/30まで】

 奈良県明日香村のキトラ古墳壁画体験館「四神の館」で、壁画発見から40年になるのを記念した企画展「飛鳥コスモロジー~切り絵作家・望月めぐみの宝石箱より」が開かれている。

 会場を飾るのは石室に描かれていた獣頭人身の「十二支」や星座の「二十八宿」を題材に制作した大きな切り絵作品。純白の切り絵の数々が天井中央に描かれた天文図を囲んで一体化し、荘厳かつ華やかな世界を作り出している。

 望月さんは1978年横浜生まれ。現在は京都市に在住し、京都伝統工芸大学校和紙工芸専攻非常勤講師を務める。切り絵作家として内外で高い評価を得ており、寺院などでの大型インスタレーション作品を多く手掛けてきた。著書に『平安絵巻の素敵な切り絵』(PHP研究所)。

 企画展のタイトル「コスモロジー」は直訳すると「宇宙論」。望月さんは「古代飛鳥にも大きな影響を与えた東アジア独自の世界観・コスモロジーを構成する物事に惹かれ、画題として取り組み続けている」という。

 会場中央には巨大なスクリーンが4面あり、石室の壁面に描かれた四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)の精細画像がクローズアップしながら映し出される。その真ん中、天井の天文図の真下に、ひときわ存在感を放つ小さな箱が展示されている。スポットライトを浴びた姿はまさに黄金色に輝く宝石箱。

 『小宇宙(星降るキトラ)』という望月さんの立体切り絵作品だ。「古墳の壁画や出土品をモチーフに石室内部に表された宇宙観を再現した」という。約11㎝四方の立方体。これを33.6㎝四方の1枚の紙から作ったというから驚く。まさに匠の技! 上には円形の天文図が乗る。

 スクリーン裏の壁面にも望月さんの作品が並ぶ。「斉明天皇のまなざし」シリーズは『雨乞い』(下の写真)、『禊ぎ』など4点。飛鳥時代に「海を越えた広い視野を持ち行動した」女帝斉明天皇に思いを馳せて制作した。霊獣の『麒麟』など中国の神話から発想した作品も展示されている。

 他には壁画発見40周年を記念した『明日香村切り絵御朱印』も。初公開の作品群で、発売は来年1月20日とのこと。企画展の会期は11月30日まで。(写真はキトラ古墳の天文図を基にした切り絵御朱印の原画)

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<大和文華館> 特別企画展「朝鮮螺鈿の美」

2023年11月20日 | 美術

【修理を終えた『螺鈿葡萄文衣裳箱』など公開】

 奈良市学園南の美術館「大和文華館」で、特別企画展「朝鮮螺鈿の美」が始まった。同館所蔵の朝鮮螺鈿の優品に『螺鈿葡萄文衣裳箱』がある。ただ貝殻片の剥落や木地接合部分の亀裂などが見られたため2年がかりで修理中だった。その修理が終わったのを機に貝の輝きが美しい螺鈿作品の数々を見てもらおうと、東京国立博物館から拝借した特別出陳作なども加えて一堂に展示している。12月24日まで。

 

 展示は「螺鈿葡萄文衣裳箱とその系譜」「唐草文・葡萄唐草文の展開」「朝鮮螺鈿の文様と東アジアの美術」の3章で構成する。総展示数は螺鈿作品に同館所蔵の東アジアの陶磁器や絵画なども含め67点。螺鈿作品25点には東京国立博物館蔵6点(うち3点は重要文化財)と個人蔵1点も含まれる。

 修理後初公開の『螺鈿葡萄文衣裳箱』は朝鮮王朝時代の16~17世紀の作品で、大きさが72㎝×43㎝×高さ13㎝の被せ蓋造り。官吏の服を入れる箱として用いられた。蓋の上面ではたわわに実るブドウの枝と飛び交う蝶や蜂を螺鈿で繊細に表現され、側面には宝相華唐草文が巡る。螺鈿に使われているのはアワビ貝。X線撮影で蓋の縁に竹とみられる材を巡らせ釘で固定していることが確認された。

 

 この企画展では東京国立博物館蔵のほぼ同サイズの重文『螺鈿牡丹唐草文衣裳箱』(16世紀、ちらし写真の上半分)や『螺鈿葡萄文衣裳箱』(18~19世紀)も展示中。前者は同時に展示中の重文『螺鈿花鳥文硯箱・螺鈿花鳥文文台』の外箱と伝わっているが、螺鈿技法や文様から制作地は異なる可能性が大きい。この硯箱と文台はもともと戦国大名大内義隆が所有し、後に謀反を起こした家臣の陶氏(すえし)を経て毛利氏に渡ったといわれる。

 朝鮮螺鈿の特徴は“貝割”という技法を多用していること。夜光貝やアワビなどの貝殻から花弁や葉などの文様を切り出したうえ、それぞれをわざわざ数片に割って用いた。これは細かく割ることで貝の光彩が一層きらめく効果を得るため。展示中の螺鈿作品も多くが淡いピンクや緑色の輝きを放ち、その美しさにしばし目を奪われた。

 文様にも変遷がみられる。高麗時代(918~1392)の螺鈿作品には菊唐草文様が施された経箱が多いのに対し、朝鮮時代(1392~1910)に入ると器種が増え、文様も牡丹唐草文が目立つように。さらに朝鮮時代後期には山水文様が多く現れた。展示中の個人蔵『螺鈿山水文箱』には蓋と側面に山や岩、松や桃の木々、舟を漕ぐ人物などが螺鈿で山水画のように表現されている。

 ほかの主な展示作品に東京国立博物館蔵の『螺鈿牡丹唐草文箱』や『螺鈿葡萄栗鼠(りす)文箱』、館蔵品の『螺鈿花鳥文筆筒』、『螺鈿魚文盆』、中国・明時代の『螺鈿山水人物文座屏』『螺鈿花鳥蝶文器局』など。日本の作品では伝本阿弥光悦(1558~1637)作『沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒』(重文)、尾形光琳・乾山の合作品を蒔絵師原羊遊斎(1769~1845)が模造した『螺鈿蒔絵梅文合子』なども並ぶ。

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<堂本印象美術館> 「大好き!印象の動物 鳥 昆虫」展

2023年09月29日 | 美術

【絵画・屏風・巻物・焼き物など約60点】

 京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で「大好き!印象の動物 鳥 昆虫」展が開かれている。堂本印象(1891~1975)は大正から昭和にかけて日本画のみならず陶芸、金工、木工、染織など多彩な分野で画才を発揮した。1966年に開館した独創的な同美術館の建物も自らデザインを手掛けた。今展には工芸品も含め動物・鳥・虫などの生き物が描かれた作品約60点が展示されている。11月23日まで。

 印象は若い頃、帝展など美術展に積極的に出展した。『柘榴(ざくろ)』は京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)の3年在学中に第2回帝展に出品した作品。太い幹にちょこんと腰掛けた1匹のリスが実に可愛らしい。『乳の願い』『春』『實(みのり)』『蒐猟(しゅうりょう)』などの帝展出品作も並ぶ。『乳の願い』に描かれているのは白いコブ牛を前に祈りを捧げるインドの女性。『春』では麦畑で姉に髪を梳くってもらう妹の膝で子猫がすやすやと眠る。『蒐猟』には2人の人物が白馬と黒馬にまたがって駆ける光景が明るい色調で描かれている。

 

 『兎春野に遊ぶ』は47歳のときの作品で、パトロンの一人だった三菱財閥の岩崎小彌太(1879~1945)の還暦祝いとして描かれた。岩崎は印象の一回り年上の卯年生まれ。画面の5羽のウサギは5×12(干支一回り)で60歳という年齢を表しているとのこと。岩崎家による皇室への献上画として印象が『松鶴佳色』という墨画を描いたのが縁となり交流が始まったという。

 

 展示作品には屏風も2点。『雲収日昇』(六曲一双)は朝日が出て山々に垂れ込めた雲が晴れていく情景を描いた墨画淡彩で、左隻には点景として数羽のカモが描かれている。『寿梅図』(六曲一隻)は太宰府天満宮の梅がモデルといわれる。老木の白梅の枝にはスズメが3羽。巻子(巻物)も2点展示中。『西遊記』と『伊曽保数語(いそほすがたり)』で、いずれも長さが5m近くある。

 この他の作品で印象に残ったのが戦中の1942年、51歳のときに描いた『霧』。霧の中、岩陰で一人の兵士と軍用犬のシェパードが左側の一点を凝視する構図。その方向に敵が潜んでいるのだろう、画面から緊張感が伝わってくる。印象は国民の士気高揚のため開かれた展覧会の審査員だったとき、この作品を描いて出品したという。

 絵画以外では陶板『白い手袋と猫』や木彫人形『とのゐの犬』、漆器『印象案双鶴吸物椀』、陶器の『蜻蛉絵手鉢』、皿『海底の記號』、『鷺図染付花瓶』なども並ぶ。このうち『白い手袋と猫』は人面を表した白い手袋の後ろに黒猫を配した直径90㎝の前衛的な作品。1952年の渡欧でピカソの陶器などに触発された印象は帰国後、絵画の立体化を模索し粘土を使って焼き上げる“陶彫”の制作に挑戦した。その代表作がこの作品。

 京都画壇の写生の伝統を受け継いだ印象の作品には様々な生き物をリアルに表現したものが多い。写生について印象はこう書き残している。「写生はまづ感激から出発しなければならない。写生は完成された絵画ではなく、あくまでも素材であります。写生は字の如く生を写す、あるいは神を写す―ということが本当の意味であります」(「写生1」=画室随想1971年)

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<奈良市写真美術館> 百々俊二回顧展「よい旅を 1968―2023」

2023年09月23日 | 美術

【佐世保・ロンドン・バンコク・大阪新世界・紀伊半島…】

 「入江泰吉記念奈良市写真美術館」で、前館長百々(どど)俊二氏の55年に及ぶ写真家人生を振り返る回顧展が始まった。題して「よい旅を 1968―2023」。内外を旅し「街とそこに暮らす人々の日常」をテーマに撮り続けてきた作品の中から約300点を一堂に展示している。「入江泰吉 文楽と大和の風景」展も同時開催。11月26日まで。

 百々氏は1947年大阪府生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科を卒業し、1998年から大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校・大阪)の学校長を務めた。2015~22年、奈良市写真美術館館長。主な写真集に「楽土紀伊半島」「新世界むかしも今も」「日本海」などがある。今春「次世代の若き写真家に真摯に向き合い、常に切磋琢磨を共にしてきた」功績で日本写真協会功労賞を受賞。長男新氏、次男武氏も写真家として活躍している。

 会場入り口正面に展示されているのは1970年にロンドンの街角で撮影した写真3点。中央の写真には「THE BEATLES LET IT BE」という大きな広告も写っていた。右側と向かい側の壁面を飾るのは1968年撮影の「佐世保 原子力空母エンタープライズ寄航阻止闘争」と69年の「福岡 九州大学教養部バリケード機動隊突入」。佐世保を撮影した19歳の冬「本気で写真家になると決めた」。

 その後、沖縄や岩国を訪ね、1980年代には大阪の下町「新世界」を頻繁に訪れては路地裏や人々の素顔を撮り続けた。作家の田辺聖子が「人生の細部の輝かしさ」と題し百々氏の写真をこう評している。「町の匂いまで嗅ぎとられそうな気がする」「人間の体温にむれた下町への愛着がほんものだからだろう」。百々氏は2007~10年にも「大阪」を改めて写真に収めている。撮影スポットはここでも京橋、鶴橋、千林など庶民の街が中心。

 同時に1995年以降、度々「紀伊半島」を様々なルートで訪れて「紀伊の風土にしっかりと根を下ろして生きる人々」に焦点を当ててきた。百々氏はそれを「巡礼の旅」と呼ぶ。展示作品の多くはモノクロだが、その中にドキリとするカラー写真もあった。血を流して横たわるイノシシの死骸(和歌山県本宮町)。仕留められた直後だろうか、それとも解体が始まったところだろうか。そのすぐ下に展示されているのはスイカやキュウリを冷やした涼しげな水汲み場(奈良県十津川村)。凄惨と清涼。上下の写真の対照的な光景が強く印象に残った。

【奈良舞台の文楽演目の地を入江作品で紹介】

 入江泰吉は終戦前まで大阪で写真店を営み、近くにあった「人形浄瑠璃文学座」に足繁く通った。そこで撮った「文楽シリーズ」が入江の出世作となった。文楽の演目の中には大和路に伝わる神話や伝承を題材にしたものも少なくない。同時開催中の「入江泰吉 文楽と大和の風景」展では奈良が舞台になっている文楽の演目の地を入江の作品で紹介している。

  

 「壷坂霊験記」はお里が盲目の夫・沢市の目が見えるように、と壷阪寺に日参し願掛けするというお話。『壷阪寺山内秋色』は真っ赤に染まる紅葉が背後の堂塔に映え美しい。文楽「義経千本桜」では『吉野山義経隠塔付近の山路』、「妹背山婦女庭訓」では『吉野妹背山』などの風景写真を、文楽シリーズの作品とともに展示している。

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<大和文華館> 淇園の“指頭画”と再対面

2023年09月16日 | 美術

【無料招待デー、また特別企画展に】

 奈良市学園南にある私設美術館「大和文華館」が開館したのは1960年10月のこと。近畿日本鉄道の創立50周年記念行事の一つだった。文華館は年数回、無料招待デーを設けている。9月15日も近鉄創業記念日に伴う招待デーだった。開催中の特別企画展「文人サークルへようこそ」は開幕直後に訪れているが、“指頭画”をもう一度見ようと再び出かけた。

  

 指頭画は筆の代わりに指先や伸ばした爪で絵を描く画法。指墨や指画ともいわれる。中国・清時代前期の文人画家、高其佩(1672~1734)が技法を確立し、日本にも伝わって南画家たちに影響を与えた。その手法を逸早く取り入れたのが大和国郡山藩の上級藩士だった柳沢淇園(1703~58)。今展では『指墨竹図』(個人蔵)が初公開されている。墨をつけた指の腹で竹の葉を伸びやかに描いており、節の細い線は爪で描いたとみられる。

 高其佩の指頭画も1点展示中。山水画の掛軸『閑屋秋思図』。縦175㎝横50.6㎝もある大作だ(一番右側の作品)。深い山中の雄大な風景と庵で読書に耽る人物が描かれている。山肌や樹木に指紋の跡が残っているとのこと。しかし前回同様、残念ながら確認できなかった。

 指頭画で使う指はどの指? これまで主に利き腕の人差し指とばかり思っていた。ところがどうも違うようだ。高其佩の従孫(兄弟の孫)に当たる高秉(こうへい)の著作『指頭画説』(1771年刊)によると、高其佩は通常、親指と薬指と小指を使って描き、雲や水の流れを表す際にはこの3つの指を同時に使っていたという。

 日本の指頭画で有名な作品に、池大雅(1723~76)が京都・宇治の黄檗宗寺院、萬福寺の襖に描いた『五百羅漢図』がある。池大雅は若いころ柳沢淇園より薫陶を受けたという。今展ではその池大雅の『七老戯楽図』(右から2番目)のほか伊藤若冲の『釣瓶に鶏図』(3番目)、呉春の『春林書屋図』(4番目)なども展示中。大和文華館は四季折々の花も見どころの一つ。白やピンクの大きなフヨウが開花中だった。

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<大和文華館> 特別企画展「文人サークルへようこそ」

2023年08月26日 | 美術

【副題に「淇園・鶴亭・蕪村たちがお出迎え」】

 東洋の古美術を収蔵する大和文華館(奈良市学園南)で、特別企画展「文人サークルへようこそ―淇園・鶴亭・蕪村たちがお出迎え」が始まった。中国の明・清時代に流行した文人画は江戸中期以降、画譜の伝来や黄檗僧の来日などによって伝わり、日本でも多くの文人画家が生まれた。その変遷と交流の輪の広がりを中国・日本の作品45点を通して辿る。9月24日まで。

 展示は3章立て。まず「中国 文人画の展開」で惲向(1586~1644)筆『冬景山水図』や高其佩(1672~1734)筆『閑屋秋思図』など8点を紹介する。高其佩は指や爪で描く指頭図(指墨とも)の名手。筆を使わず指で描くことは心の動きを直接的に表現できる手段として文人たちに好まれた。

 「中国から日本へ 文人文化の伝播」の章では、中国山水版画の名品といわれる『太平山水図集』(1648年刊)や多色刷りの『芥子園(かいしえん)図伝』など画譜7点が並ぶ。『太平山水図集』は太平府(安徽省)の景勝を描いた43図からなる。文人画家の蕭雲従が描いた原画を、彫刻を担当する刻工らが忠実に再現した。(下の作品は柳沢淇園筆『指墨竹図』)

   

 中国の文人文化は詩書画に優れた高級官僚が主体で、自由な境地を示す山水や“四君子”と呼ばれる蘭・竹・菊・梅などが主な画題となった。これに対し、日本では武士や町人、農民など身分を越えて文人たちの交流の輪が広がったのが特徴。「日本 文人サークルの豊かな交流」の章では<淇園・鶴亭><蕪村・呉春><半江・竹田>の3つのグループに分けて作品を紹介する。

 柳沢淇園(1703~58)は日本の文人画の先駆者の一人で、中国で流行った指墨をいち早く取り入れた。展示作品『指墨竹図』(個人蔵)も指の腹や爪を使って竹の葉を伸びやかに描いている。鶴亭(1722~85)は長崎出身の黄檗僧で、淇園と親交があった。鶴亭の『墨竹・墨蘭図』『芋茎(ずいき)図』『雁来紅に小禽図』(いずれも個人蔵)は今回が初公開。鶴亭筆・淇園賛の『墨竹図』(個人蔵)も展示されている。池大雅(1723~76)の『七老戯楽図』も展示中。大雅は若いころ淇園より薫陶を受けた。

 池大雅とともに文人画の大成者といわれるのが俳人の与謝蕪村(1716~83)。蕪村の展示作品は四曲一隻の『蘭石図屏風』。呉春(1752~1811)はその蕪村に俳画や文人画を学んだ。呉春の展示作品は『春林書屋図』。呉春に学んだ上田公長(1788~1850)の『三俳人図』など2点も並ぶ。

 19世紀前期には岡田半江(1782~1846)や田能村竹田(1777~1835)らが京都・大坂を中心に盛んに交流を行った。展示作品は半江筆が『山水図巻』(関西大学図書館蔵)など2点、竹田筆が『翰墨随身帖』(上の作品)。この竹田の作品は九州から上京の途中、下関で描いて地元の篆刻家に贈ったもの。江戸中期から明治時代にかけ文人たちがいかに重層的な交流を通じ切磋琢磨していたのか。特別展でその一端を垣間見ることができた。

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<春日大社国宝殿> 特別展「文様となった招福の動物や植物たち」

2023年08月10日 | 美術

【平安~江戸時代の武具・工芸品・舞楽装束など50点余】

 春日大社に伝わる宝物類を収蔵する国宝殿(奈良市春日野町)で、夏・秋季特別展「文様となった招福の動物や植物たち」が開かれている(12月13日まで)。展示物は平安、鎌倉、江戸時代を中心とする武具や工芸品、能楽装束など50点余り(前後期で一部展示替え)。招福や厄除けなどさまざまな思いや願いが込められた動植物の文様に焦点を当てて紹介する。

 展示は「宝物の中の文様を探る1 招福の取り合わせ」「同2 藤原摂関家の吉祥文」「王朝の美 装束と文様」「舞楽装束の中の動植物文様」「暮らしの中の招福文」の5章で構成。前期展示には平安時代の「金地螺鈿毛抜形太刀」、矢を収納する「平胡籙(ひらやなぐい)」、「蒔絵弓(牡丹蒔絵)」、鎌倉時代の「鼉太鼓(だだいこ)」、「赤糸威(おどし)大鎧(竹虎雀)」の国宝5点が含まれる。

 「金地螺鈿毛抜形太刀」の鞘には漆地に金粉を蒔き詰め、夜光貝を埋め込む“沃懸地(いかけじ)螺鈿”の技法で、竹林の中で雀を追う猫の様々な動きが描かれたもの。螺鈿部分の繊細な毛彫りにより艶やかな猫の毛並みまで表現されており、螺鈿工芸の最高傑作といわれる。「平胡籙」は銘文によると藤原頼長が1131年(大治6年)に使用し、5年後に奉納したもの。背板の表面には銀板に磯千鳥文、裏面には紫檀地に螺鈿で尾長鳥と宝相華が装飾されている。

 「鼉太鼓」は屋外での舞楽演奏に用いられる。左方・右方の2基一対で、火焔宝珠をかたどった装飾部には左方に龍、右方には鳳凰が彫刻されている。源頼朝寄進との伝承がある。1975年まで「春日若宮おん祭」で使用されていたが、傷みが激しいため複製が作られた。国宝の鼉太鼓は修復のうえ2019年から2階の大展示室で一般公開しており、複製は1階で常設展示している(写真)。

 「暮らしの中の動植物文様」では、江戸時代の「梅鶯蒔絵硯箱」「色絵牡丹文油壷」などのほか、携帯用筆記具の「矢立(やたて)」類、近代のおしゃれな菓子器「ボンボニエール」なども展示中。矢立は墨入れと筆入れが一体となったもので、鎌倉時代以降に使われ江戸時代になると凝った文様の装飾性の高いものが作られた。ボンボニエールは皇室の慶賀の饗宴などで出席者に下賜・配布されるもの。「銀製印籠形墨地流水杜若(かきつばた)刻文矢立」「黄銅製平円形竹雁萩蟹毛彫矢立」など4点が展示されている。

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<奈良県立図書情報館> 「千光士義和 ダンボールアートの世界」展

2023年08月02日 | 美術

【立体イラスト・工作作品の展示も】

 奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で8月1日「千光士(せんこうじ)義和 ダンボールアートの世界」展が始まった。千光士さんは1958年高知市生まれで、現在は奈良市在住。フリーのアニメーション作家・からくりダンボール作家として活動し、国内はもとより韓国や台湾など海外でも作品展や工作教室を開いてきた。2021年には奈良市美術館で「動くダンボールアート創作活動35周年展」を開催。現在、母校大阪芸術大学の客員教授、嵯峨美術短期大学講師などを務める。

 会場の図書情報館2階エントランスホールで、まず目を引くのが遊園地の遊具のような「回転!空中ひこう機」。かわいいロボットが乗った飛行機4機がぐるぐる回っていた。その足元近くには長さが2m以上ありそうな「黄金のSL」。金色に輝く蒸気機関車はどう見ても金属製のようで、とてもダンボール製とは思えない質感だった。

 千光士さんの著書に『かんたん手づくり動くダンボールおもちゃ』『ワクワクドキドキ紙おもちゃ』『紙バネ・紙ゼンマイでびっくりおもちゃ』(いずれもPHP研究所刊)などがある。このうち人気の『紙バネ・紙ゼンマイで…』は発行部数がこれまでに13万部に上っているそうだ。会場の一角に、これらの工作本に写真を掲載した実物の作品を一堂に集めた場所があった。

 「うごくダンボール絵本シリーズ」というコーナーも。そこには「おむすびころりん」や「おかえり桃太郎」などの日本民話に加え、グリム童話の「オオカミと7匹の子ヤギ」「ブレーメンの音楽隊」などをもとにした作品が並ぶ。立体的なうえ画面上で動く作品がちびっ子たちの人気を集めそうだ。

 千光士さんが毎年表紙を担当してきた「フレッシュセミナー」(新学社刊)などの「教科書テキスト表紙作品」も展示中。ほかに「サークルアート・コレクション」「ダンボールランマ作品」「コリドー(回廊)シリーズ」などの作品も並んでいる。

 展示会は8月20日まで。会期終盤の19日には千光士さんが「発想は無限(私の発想法!原点はアニメ・まんが)」と題して語るトークイベントがある。19~20日には「『うごくハコロボとミニロボ』を作ろう!」というワークショップも(いずれも要申し込み・先着順)。千光士さんの「動くダンボール絵本」は奈良県コンベンションセンター(奈良市三条大路1)で8月11~12日開催の「第23回えほん展なら」でも特別展示される。

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<奈良県立美術館> 「富本憲吉展のこれまでとこれから」

2023年07月09日 | 美術

【開館50周年記念企画展が開幕 総展示数180点!】

 奈良県立美術館(奈良市登大路町)で7月8日、開館50周年を記念した企画展「富本憲吉展のこれまでとこれから」が始まった。富本憲吉(1886~1963)は奈良県が生んだ近代陶芸の巨匠。同美術館は1973年の開館以来「富本憲吉展」を延べ14回開催してきた。15回目となる今展では館蔵品100点余に個人蔵や文化庁、国立工芸館、京都国立近代美術館、石川県立美術館、兵庫陶芸美術館などからの借用分も加え、磁器を中心に180点の作品を展示している。

 展示構成は「富本憲吉の生涯と作品」「図案家・富本憲吉」「生活へのまなざし」の3つの章立てで、1~2階の6つの展示室を全て使用している。第1展示室に入ると、まず50年前の開館記念展での展示作品「白磁大壷」(1940年)などが並ぶ。美術館には当時富本作品がなく、この1点だけが奈良県の所蔵。他の展示作品約400点は全て外部から借用したそうだ。その後、企画展を重ねるうちに次第に館蔵品も増え今では約170点に上る。

 富本は奈良県安堵町出身で、東京美術学校(現東京芸大)図案科を卒業後、英国に留学。帰国後、陶芸家バーナード・リーチとの交流を機に自宅裏に窯を造って陶芸の道に進む。富本の生涯は制作拠点となった場所から大和(安堵)時代(1913~26)、東京時代(26~46)、京都時代(46~63)と呼ばれる。大和時代は独学で楽焼から土焼、白磁、染付と作域を広げていった。初期の展示作品に『楽焼葡萄模様鉢』(1913年)、『楽焼草花模様蓋付壺』(14年)などがある。大和時代の作品には素朴な文様のものが多い。

 東京時代には一時九谷焼の窯元で色絵磁器の研究・制作に没頭した。以降、華やかな色絵の作品を次々に生み出す。『色絵木蓮模様大皿』(1936年)の底面には「於九谷 試作」の文字。富本の作陶人生で大きな転換点となった作品の一つといわれる。東京時代には蔓草のテイカカズラの花から四弁花の連続模様も創作した。代表作に『色絵四弁花更紗模様六角飾筥(かざりばこ)』(1945年)や『色絵金銀彩四弁花文飾壷』(1960年)などがある。

上段㊧白磁八角蓋付壷、㊨色絵椿模様飾箱、下段㊧色絵金銀彩四弁花文飾壷、㊨色絵金銀彩羊歯文八角飾箱

 富本は終戦後、疎開先の高山から一旦東京に戻り、さらに安堵に引き揚げる。だが自分の窯がないため奈良から京都に通い、結局京都に転居する。京都時代には不可能とされてきた金と銀を同時に焼き付ける「金銀彩」の技法を確立した。同じころ羊歯(シダ)の連続模様を考案して、金銀彩と併用することで格調の高い華麗な文様を編み出した。代表作に『赤絵金銀彩羊歯模様蓋付飾壷』(1953年)、『色絵金銀彩羊歯文八角飾箱』(1959年)など。展示物の中に制作途中の未完の作品があった。『赤絵金銀彩羊歯文様壷』(1963年)。羊歯の連続模様を描くための割付線が残っており、没後に京都の工房で見つかった。

 第2章では図案家としての富本に焦点を当てる。富本は「模様から模様を造るべからず」を信条とし、身近な風景や草花を題材に独自の造形と模様の探求に余念がなかった。ここでは四弁花や羊歯のほか、8幅の軸装『常用模様八種』(1949年)をもとに作品を紹介している。好んでよく描いた8種のモチーフとは薊(あざみ)・芍薬・梅・松・竹・野葡萄・大和川急雨・「寿」字。漢字は京都時代に「花」や「風花雪月」などもよく使用した。

 富本は芸術的な磁器作品の制作の傍ら、服飾品(帯留め、ネクタイピン)や生活雑貨(灰皿、箸置き)などの制作にも励んだ。第3章ではこうした実用的な作品とともに量産化への取り組みを紹介する。東京時代には信楽、波佐見(長崎)、瀬戸、京都、加賀など地方の窯業地に滞在しては既製の素地に富本が絵付けする方法で日用陶磁器の量産の可能性を探る。さらに京都時代には富本が作った見本をもとに職人に成形・絵付け・焼成を任せる方法を考案し、「平安窯」「富泉(とみせん)」の銘で売り出す。50年にわたる富本の陶業は近代陶芸の先駆者としての挑戦の連続だった。企画展の会期は9月3日まで。

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<奈良市写真美術館> 「新鋭展」山田省吾・正岡絵里子

2023年07月05日 | 美術

【入江泰吉「大和の路」展も同時開催中】

 入江泰吉記念奈良市写真美術館で「新鋭展」が始まった。若手写真家の作品を紹介する場として継続的に開催しており、今回は山田省吾さん(1977年兵庫県伊丹市生まれ)が「影の栞」、正岡絵里子さん(1983年愛媛県松山市生まれ)が「目の前の川で漕ぐ」というタイトルで2人の作品を取り上げている。入江泰吉の「大和の路」展も同時開催している。会期はいずれも9月10日まで。

 山田さんは1997年、ビジュアルアーツ専門学校・大阪を卒業し、2004年には大阪市北区に同校卒業生を中心とする自主運営ギャラリーを立ち上げた。タイトルの「影の栞」について山田さんはこう記す。「路上を歩いている時ふと視界の届かない向こう側では写真を撮る上で刺激的な場所が待っているかもしれないと思う事がある┄┄シャッターを切る一瞬の間だけは、目の前がそんな街である事に賭けている」。

 主な展示作品は2020~22年発表の写真集『何処彼処(どこかしこ)列記』やそれ以前の『黒い壺』『十方街(じっぽうがい)』などで発表されたもの。『何処彼処列記』はこれまでに3冊が出版され、それぞれパリ、大阪、レー・ラダック地方(インド北端)の街や人物の表情などが切り取られている。会場の導入部ではカラー写真が両壁を埋めるが、そのほかはモノクロの暗い色調の写真が大半。路地裏の闇のうごめきを感じさせるような作品もあった。バーの開店祝いだろうか、贈り主の名前を記した無数の花束がまるでごみの山かと思わせるように積まれた光景にしばし釘付けになった(写真㊤=部分)。

 正岡さんは山田さんと同じビジュアルアーツ大阪を2005年に卒業し、16年には東川町国際写真フェスティバル(北海道)の「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」でグランプリを受賞。2017年にフランス人の夫の仕事の都合でドイツ・ミュンヘンに渡り、今は南フランスの小さな村で暮らしているという。「目の前の川で漕ぐ」というタイトルの今回の写真展は「日本を離れてから異国の地で子育てに追われる日々の中で撮った作品」。

 それに続く一文に一瞬絶句した。そこには「この春に夫との離婚を決めた」とあった。さらに「夫と離婚を決意しても尚、フランスで暮らしていくことを決めた私は、この展示のタイトルの通り毎日転覆してしまわないように、目の前の川を必死で漕ぎ続けています」。正岡さんには7歳の男児とドイツで生まれた3歳の女児がいる。会場にはこの7年間にスマホで撮り続けた家族写真などが壁4面に所狭しと展示されていた。その中には枝で作った小屋の中で寝転ぶ夫と娘の姿も。その説明文は「夫の趣味は森の枯れ木を集めて家を作ること。みんなで一緒に」。僅か1年少し前の2022年3月に撮った写真だった(写真㊦=部分)。

 「大和の路」展では入江泰吉が撮影したモノクロとカラーの写真41点を展示中。入江は生前「大和の路はすべて古社寺につながっている。すばらしい古美術にふれる感動への、いわば前奏曲のような、情緒にみちた路すがらである」と語っていたという。その大和路の中でも特にお気に入りが西の京だった。また山の辺の道については「大和路の古寺風物詩的な情趣とは隔絶した、人間的な心情の触れあいを感じさせるものがある」と書き残している。下の写真㊤「斑鳩西里柿の秋」(1968年頃)、㊦「二上山落陽」(1970年頃)=いずれも部分

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