く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<湯浅誠さん> 非正規雇用の拡大、高い未婚率「若者の問題は社会の仕組みの問題」

2013年02月28日 | メモ

【奈良市人権市民講演会「人間らしく生きることのできる社会の実現のために」】

 奈良市人権市民講演会「日本の未来を考えるつどい―困窮した若者を救う」が27日、中部公民館で行われた。講師は反貧困ネットワーク事務局長でNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」理事の湯浅誠さんで、演題は「人間らしく生きることのできる社会の実現のために」。会場には約300人が詰め掛け、これまでの活動を踏まえた説得力のある講演に聴き入った。

  

 湯浅さんは1969年生まれ。90年代からホームレス支援に携わり、2008~09年の「年越し派遣村」では村長を務めた。09年から通算2年間、内閣府参与。著書に第8回大仏次郎論壇賞を受賞した「反貧困」や「どんとこい!貧困」、最新刊に「ヒーローを待っていても世界は変わらない」がある。

 湯浅さんはまず急カーブを描いて上昇を続ける未婚率を紹介した。30代前半の男性の未婚率は2005年時点で47%(1975年11%)とほぼ2人に1人、女性は32%(同8%)と3人に1人に上る。なぜか。非正規雇用の増加などで、女性が結婚相手に求める経済力と実際の男性の年収に開きが出ていることが大きい。仮に本人同士が納得しても、男性の収入が不安定な場合、女性側の家族の理解を得にくいという事情もある。

 未婚率の上昇に伴って少子化と未婚者の高齢化が進む。50歳の男性未婚者は昭和20年代には100人に1人、同40年代には100人に2人程度だったが、今では5人に1人(女性は10人に1人)に上るという。それに伴って親と同居する40~50代の未婚者は250万人に達し、その7割を男性が占める。「収入がなければ親の年金が頼り。慣れない親の介護でストレスもたまる」。その結果、自殺や介護虐待、年金詐欺なども増える。

 湯浅さんはこれまで家族は「正社員(の夫)」、正社員は「企業」、企業は「国」という3つの傘に守られてきたと指摘する。「母子家庭や日雇い労働者は元々その傘の外に置かれていたが、バブル崩壊以降の失われた20年に、3つの傘がしぼみ雨に濡れる人が増えてきた」。しかも傘の内と外は「断崖絶壁」。一度落ちたら這い上がれないため、傘の中の人もストレスにさらされ無理する。その結果、職場うつなども増える。

 現状を打開するにはどうすればいいか。湯浅さんは「絶壁ではなく階段にすべきだ」と主張する。「老若男女がそれぞれの状態に合わせて活躍できるステージが用意され、活動をきちんと評価してくれる社会。そうなれば世の中も活性化する」。年間3万人の自殺は「1.9兆円の経済的損失」という厚生労働省の試算があるそうだ。「人々の生命と暮らしを支えることは社会的にも大きな利益につながる」。昨年の自殺者は15年ぶりに3万人を下回った。

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<寒アヤメ> 明るい青紫の花 寒さにめげず健気に!

2013年02月27日 | 花の四季

【風情は和風だが、原産地は地中海沿岸】

 「いずれアヤメかカキツバタ」と美人の形容にも使われるアヤメ。花のシーズンは普通初夏だが、寒アヤメはまだ寒さの厳しい2月から3月頃にかけて咲く。このため「寒咲きアヤメ」とも呼ばれ、「ウインターアイリス」の英名も持つ。花の少ない時期だけに、明るいこの花を目にするとうれしさが込み上げてくる。

 初夏に咲くアヤメは日本の本州から北海道、シベリアにかけて分布する。この寒アヤメにも和風の雰囲気が漂うが、原産地はギリシャや小アジア、スペイン、アルジェリア、ナイジェリアなど地中海沿岸地方。学名は「イリス・ウイグイクラリス」。「イリス(アイリス)」はギリシャ語の「虹」に由来すると

 普通のアヤメに比べると、背丈が低く、直立した20~30cmの茎の先に青紫の花をつける。葉は細長い剣状で花より丈が高い。花は背が低い割には大きく、花びらに白とオレンジ色の網目状の模様が入る。寒アヤメの名所としては奈良県葛城市の石光寺や群馬県太田市の常楽寺が有名。奈良市の大和文華館でも見ることができる。

 同じような矮性のアヤメで4~5月頃咲くものに「三寸アヤメ」や「チャボアヤメ」と呼ばれるものがある。紫や白、黄色の花をつけ、鉢花としても人気を集める。超小型のものに「戸畑あやめ」がある。5月頃、根元近くに紫の花をつける。長く幻の花といわれていたが、戦後、北九州市戸畑区大谷で発見され、2009年には新種と判明、「トバタエンシス」の学名がついた。

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<盆梅展> 奈良・菅原天満宮、見事な枝ぶり100品種・200鉢

2013年02月26日 | 花の四季

【馥郁たる香りが充満、屋外の梅の開花は「例年より1週間遅れ」】

 奈良市の菅原天満宮で「盆梅展」が開かれている。盆梅展といえば滋賀・長浜が有名。だが、この天満宮の盆梅展も年輪を重ねた見事な枝ぶりの白梅や紅梅約100品種・200鉢が並び、菅原道真生誕の地といわれる菅原の里に春の訪れを告げる風物詩になっている。ただ例年「おんだ祭り」(2月25日)の頃にはかなり開花しているが、今年は例年より1週間ほど遅れているそうだ。

  

 境内には江戸時代初期の元和年間(1615~24年)に島原藩主がお手植えしたと伝わる「島原古梅」や巨木の「しだれ菅香梅」などが地植えされている。だが、つぼみは大きく膨らんでいるものの、残念ながらまだ開花前だった。屋外に置かれた樹齢150年の白梅の盆梅も開花まであと数日かかりそう。しかし屋内に一歩入ると、盆梅の多くはすでに妍を競うように咲き誇り、花の芳香が室内を満たしていた。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな」。盆梅展は3月10日まで。

 

  

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<奈良・菅原天満宮おんだ祭り>ユーモラスな〝田主〟の所作、牛役に大量のおひねり!

2013年02月25日 | 祭り

【農作業を模倣し、豊作を祈願するお田植え祭り】

 奈良市の菅原天満宮で25日「おんだ祭り」が行われた。この天満宮は学問の神様・菅原道真と相撲の元祖・野見宿祢、五穀豊穣や国土安泰の守護神・天穂日命(あめのほひのみこと)の3神を祭る。おんだ祭りの「おんだ」は「御田」。今年の豊作を祈願するもので、戦中・戦後途絶えていたが1975年に復興した。翁面をつけた〝田主〟(田男)のユーモラスな所作に、観客からは終始笑いが絶えなかった。

 

 祭りは「祈念祭」の神事に続いて、午後2時から拝殿前で行われた。お祓いと祝詞奏上が終わると田主が登場。口上を挟みながら、田起こしや苗代づくり、肥えまき、種籾まきなど一連の農作業の所作を行った。前半のハイライトは牛を操る耕作場面。牛が時計回りでぐるぐる回ると、観客の間から大量のおひねりが投げ込まれた。

 牛の面を被って牛に扮していたのは小学5年生の男子生徒。おひねりは全て牛のものになるらしい。いったん下がると、氏子たちがおひねりを回収して牛の白い袋の中に。「牛さんの胃袋は大きいので、まだまだ余裕がありますよ」。再登場した牛は前よりスピードを上げて暴れる。そのため田主も付いていくのに苦労していた。

 

  

 田主の演技はなかなか芸が細かい。肥え桶を担いで登場すると、足を使って器用にひしゃくで肥やしをすくう。その肥やしを観客に向かってまくふりをすると、どっと大きな歓声と笑い声。バランスを崩して肥え桶をひっくり返すと、また笑いの渦。最後は神主や巫女さんたちも加わって、苗に見立てた松葉の束を観客の中に投げ込んだ。この松葉、厄除けになるとのことで、1つ頂いたものを早速、自宅の玄関に飾った。

 年初に豊作を祈念して行うおんだ祭りは、この菅原天満宮のほかにも奈良県内各地で行われる。1~2月にはすでに平尾水分神社(宇陀市)、飛鳥坐神社(明日香村)、大和神社(桜井市)、六県神社(川西町)などであった。3月以降も主なものだけでも長尾神社(葛城市)、調田坐一事尼古神社(同)、吉野水分神社(吉野町)、往馬神社(生駒市)、恵比須神社(奈良市吐山)、白山神社(宇陀市)などで行われる。

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<和同開珎の発行> 新都平城京の造営・和銅改元と「〝三位一体〟の政策」

2013年02月24日 | 考古・歴史

【帝塚山大学市民大学講座で松村恵司・奈文研所長】

 帝塚山大学(奈良市)の市民大学講座が23日開かれ、奈良文化財研究所の松村恵司所長が「貨幣の発行と都城の建設」と題して講演した。その中で「新城平城京の造営と和同開珎(わどうかいちん)の発行と和銅改元は三位一体の政策として行われた」と指摘、和同開珎に先行する鋳造貨幣、富本銭についても「藤原京で東西2カ所に官営の市が設置され、貨幣経済の導入が富本銭の発行に結びついた」と述べた。

 日本の最古の鋳造貨幣は長く和同開珎といわれてきた。ただ和銅元年(708年)より遡る683年「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」(日本書紀)とあり、この銅銭・銀銭が何を指すかで論争となっていた。しかし近年の発掘調査で銅銭が富本銭、銀銭が無文銀銭であることが分かった。その発見に貢献したのが飛鳥池遺跡(写真㊨、奈良県明日香村)の発掘。この遺跡は富本銭の鋳造場所とみられ、富本銭のほか裁断された無文銀銭が出土した。

    

 無文銀銭はこれまで大和や大津京(667~72年)が置かれた近江を中心に17遺跡から出土している(写真㊧は大津市の崇福寺塔跡と出土した無文銀銭)。直径3cm前後で真ん中に小さな穴を持ち、重量調整のため表面に銀片が貼られているものが多い。「わが国の産銀の始まりは天武3年(674年)の対馬産銀。そのため、それ以前に流通した無文銀銭は新羅の銀銭である可能性が高い。7世紀の新羅の貢調使の来朝記録は34回に上る」。無文銀銭は国境を越えて流通した国際貨幣だったというわけだ。

 国内初の鋳造貨幣、富本銭は「大きさ、重さ、真ん中の四角、縁取りなどから、唐の『開元通寶』を忠実にまねたもの」と指摘する。藤原京に遷都したのは694年。その9カ月前には役人たちを「鋳銭司」に任命している。藤原京は国内初の中国式都城だが、官営の市を開くなど流通経済システムも中国の都を模倣した。それが富本銭という鋳造貨幣の発行にもつながったとみる。だが、藤原京は短命で終わる。凶作や飢饉、疫病の発生、文武天皇の死などで社会不安が高まったことによる。

 そんな中、708年の正月、秩父から和銅(国産銅)が献上されたため、それを記念して元号を和銅に改元する。さらに人心一新のため710年には平城京に遷都する。その建設費用捻出のために発行されたのが和同開珎だ。この銭文は「天下和同して坤珍を開く」を意味し、和同は天地・陰陽の調和のとれた状態を指す。改元の際の天皇の詔(みことのり)の内容と極めて類似するという。改元と遷都、和同開珎が三位一体で進められたとみるのもそのためだ。

 和同開珎の「珎」はかつて「寶」の略字とみなされ、「わどうかいほう」と読まれることが多かった。中高年者が多いこの日の受講者も大半が「わどうかいほう」と習ったに挙手した。だが、考古史料の研究などで和同は元号の和銅とは無関係で、開珎の「珎」も「珍」の異体字であるという説が有力になっている。松村氏も最後に「『わどうかいほう』と読んではいけない」と釘を刺していた。

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<法隆寺再建> 金堂・講堂・東室の礎石は「焼失した若草伽藍から転用」!

2013年02月23日 | 考古・歴史

【「太子の日フォーラム」で清水昭博・帝塚山大学准教授】

 聖徳太子の命日に当たる22日、奈良県斑鳩町で「太子の日フォーラム」が開かれ、帝塚山大学准教授の清水昭博氏が「法隆寺再建―若草伽藍から西院伽藍へ」の演題で講演した。清水氏は礎石などの調査から現・西院伽藍(写真㊨)のうち「五重塔の礎石は新調されたが、金堂・講堂・東室の礎石は焼失した若草伽藍のものを転用したものだろう」と述べた。

 

 607年ごろ創建された法隆寺は670年、落雷で炎上した。日本書紀はその様子を「一屋無余(一屋余すことなく)」と記す。この記事の真偽を巡って、法隆寺再建・非再建論争が繰り広げられたが、1939年、西院伽藍の南東側で若草伽藍の跡が見つかり再建説で決着。さらに2004年にはその一角から大量の焼けた壁画片が発見されたことで、火災に遭ったという書紀の記述も裏付けられた。その後、関心事は今なお謎が多い罹災の状況や再建の実態などに移る。

 西院伽藍の礎石については再建時に大和地方各地から調達したとも考えられる。だが、清水氏は材質や形状などを1つひとつ調査した結果、金堂・講堂・東室の礎石は若草伽藍のものを、それぞれの建物にリサイクルしたとみる。「火災に遭ってもかなりの石は使える状態だったとみられる。しかも近くのものを転用するのが手っ取り早い」。回廊の礎石も「再用品が入っているようだ」。

 一方、五重塔の礎石は「いずれもきれいな柱座(柱を乗せるくぼみ)を持つ」うえ、若草伽藍の塔心礎そのものが別に残っているため、新調されたものに間違いないという。この塔心礎は再建・非再建論争にとっても重要だったが、一時期行方不明になっていた。県の記録で1877年に寺内で確認されていたが、その後持ち出され神戸などの豪邸で庭石になっていた。返却されたのは1939年。聖徳太子奉賛会などの働きかけで寄進され元の場所に戻された。

 五重塔の完成は711年ごろといわれるが、心柱は年輪年代測定で594年と判明。その間100年以上の隔たりがある。寺で備蓄していた巨木という見方もあるが、清水氏は落雷による焼痕があることなどから「ひょっとしたら若草伽藍から移され再利用された可能性もある」と大胆に推測する。そして「太子の御心とともに『一屋無余』すべて若草伽藍から西院伽藍に伝えられたといえるのではないだろうか」と結んだ。

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<信仰と文化講座> 「浄土思想と念仏」奈良博の西山厚学芸部長が講演

2013年02月22日 | 考古・歴史

【阿弥陀信仰はすでに飛鳥時代からあった!】

 極楽浄土への成仏を願って念仏を唱える阿弥陀信仰(浄土信仰)。日本人にとって広く定着した信仰形態の1つだが、いつ頃からどのように広がったのだろうか。奈良市南部公民館で21日開かれた「信仰と文化講座」で、奈良国立博物館学芸部長の西山厚さんが「浄土思想と念仏」をテーマに講演、阿弥陀信仰の歴史や文化について分かりやすく解説してくれた。

  

 阿弥陀信仰はインドで誕生した。阿弥陀仏はインドでアミターユス(無量寿仏)またはアミターバ(無量光仏)と呼ばれる。浄土三部経といわれるのが「無量寿経」「阿弥陀経」「観無量寿経」。このうち「観無量寿経」は日想観など極楽浄土を見る16通りの方法と人間の9つのランク(上品上生~下品下生)に応じた往生の仕方について説く。中将姫伝説もある奈良・当麻寺の国宝「綴織当麻曼荼羅」は「観無量寿経」に基づいて極楽の様子を忠実に描いており〝根本曼荼羅〟とも呼ばれる。京都・浄瑠璃寺の国宝阿弥陀如来坐像(写真)が9体あるのも、どのランクの人間もあまねく救済するためという。

 聖徳太子が中国に派遣した遣隋使の1人、彗隠(えおん)が帰国後の640年、宮中で舒明天皇に「無量寿経」について講じた。天武天皇の皇后(持統天皇)は天皇が没したとき、追善のため新羅製の阿弥陀像を献じ、藤原京の薬師寺には巨大な阿弥陀繍仏を安置した。こうしたことから「奈良時代以前に阿弥陀信仰がすでにあったことは間違いない」。光明皇后の母、橘夫人は念持物を法隆寺に寄進したが、「光明皇后自身も強い阿弥陀信仰を持っていたようだ」。皇后没後1周忌までに法華寺内に阿弥陀浄土院が建立され、諸国の国分尼寺には阿弥陀像を造らせている。

 「奈良時代までの阿弥陀信仰は死者の冥福を祈る追善の信仰だった」。しかし、平安時代に入って阿弥陀像の造立が盛んになると、故人の極楽往生というよりも、現世に生きる一般衆生の極楽往生を願う信仰へ次第に変容していく。それに伴って仏像の手の形も浄土でお話しする説法印から瞑想する定印が増え、指で輪を作る来迎印の仏像も多く造られた。「人の信仰のあり方が仏像の姿に反映された」。平安後期からは立ち姿の阿弥陀像や前傾姿勢を取った脇侍の観音、勢至菩薩も見られるように。

 阿弥陀信仰流行の背景には空也(903~972年)と源信(942~1017年)の2人の存在が大きい。空也は口から6体の仏像(「南無阿弥陀仏」を象徴?)が吐き出される京都・六波羅蜜寺の空也像で有名。源信が著した「往生要集」は「極楽往生の決定版」という。平安中期には「日本往生極楽記」という、極楽に行った45人の伝記本まで出版された。

 なお、奈良国立博物館では今年4月から5月にかけ国宝「当麻曼荼羅」を30年ぶりに展示する。この曼荼羅(4m×4m)は所蔵する当麻寺でも公開されていない。ただ国宝への重量の負担を考慮して、展示は国宝と転写した「文亀本」、京都・永観堂の「禅林寺本」との入れ替え制になる予定だ。

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<く~にゃん物語⑲> ウサギの楽園「大久野島通信」第5弾

2013年02月22日 | ウサギ「く~にゃん物語」

【観光客少なくウサちゃん腹ペコ、キャベツ1玉に14匹が殺到!】

 広島県竹原市沖の瀬戸内海に浮かぶウサギの楽園「大久野島」からの第5弾だよ~。関西在住のお友達ご夫妻が久しぶりに島を訪ね、ウサちゃんたちの写真を撮ってきてくれたよ。島には昔、小学校で飼われていたウサギ8匹が放たれて野生化、それが今では300匹近くにも増えたの。

   

 島にある宿泊施設は「休暇村大久野島」だけ。その休暇村が1月下旬からちょうど改装工事中だって。そのため土曜日にもかかわらず観光客も少なかったとか。お友達ご夫妻もこれまで1泊2日で訪ねることが多かったけど、宿泊施設が〝休暇中〟のためやむなく日帰り。

 今回もウサギのためキャベツとペレットを抱えて島に渡ってくれたそうだけど、大きなキャベツの周りにはご覧の通り、ウサちゃんたちが殺到。そのキャベツ1玉に群がっているウサギが何匹いるか数えてみた。「1匹、2匹、3匹……。な、なんと14匹!」。さらにその周りにもいる。みんな、腹ペコ状態だったのね。観光客が増える春ももうすぐ。それまで頑張ってね。

  

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<長谷寺塔頭・法起院> タラヨウの木、見上げれば葉っぱに願い事の数々!

2013年02月21日 | アンビリバボー

【「はがき」の語源となった木、「よく叶うと古くから言い伝え」】

 神社仏閣で願い事を形にするには絵馬が一般的だが、長谷寺(奈良県桜井市)の塔頭・法起院(西国三十三所番外札所)では立ち木の葉っぱに書き記すこともできる。その木はタラヨウ(多羅葉)。別名「ハガキノキ」とも呼ばれる。見上げると「アンビリバボー」の光景が広がっていた。無数の葉の裏に「家内安全」「健康長寿」「大願成就」など願い事がくっきりと書かれているのだ。

  

 この法起院は西国観音巡礼の元祖で長谷寺を開いた徳道上人が晩年に隠棲したところ。タラヨウは上人御廟(下の写真㊧)の左奥にあった。高さは10mほど、葉っぱは肉厚で長さ15cmほどの楕円形。「葉の裏に願い事を書くと叶うと古くから言い伝えられている」という説明書きに続いて、赤字で「願いを成就させるため葉は取らないで」。爪楊枝で書くと、その部分が黒く浮かび上がってきた。

 

 驚いたことに到底手が届きそうもない3m以上の高さにある葉っぱにも願い事が書かれていた。肩車してもらったのだろうか。「心穏やかに暮らせますように」「娘の良縁を願います」「祈願 家族の健康と私の結婚」……。中には「ロト6大当り」「老後ぼけずに長生きしますように」「良い転職ができますように」といったものもあった。このお寺は絵馬も葉の形。

 

 タラヨウは「はがき」の語源の木ということで郵便局のシンボルツリーになっている。タラヨウの「多羅」はインドで経文を書く紙の原料になった「多羅樹」に由来するという。そんな経緯からお寺や神社にもよく植えられる。例えば、京都では下鴨神社や上賀茂神社、宗像神社など。以前、宗像神社で試してみようと思ったが、残念ながら葉っぱまで手が届かなかった。ちなみにタラヨウの葉の表に宛て先と切手を貼ると郵便局で配達してくれるそうだ。

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<毎日地球未来賞・受賞記念講演会> 「NPOカラ」アフリカ・マリで農村自立を支援

2013年02月20日 | メモ

【イーデス・ハンソンさん「水はどこから来てどこへ?」仕組みを知る大切さ強調】

 食料・水・環境問題に取り組む個人・団体を顕彰する「第2回毎日地球未来賞」 の表彰式・受賞記念講演会が19日、大阪市の毎日新聞大阪本社で開かれた。同賞は毎日新聞創刊140年を記念し設けられたもので、表彰式に続いて未来賞(賞金200万円)1団体とクボタ賞(150万円)2団体の代表者が記念講演。この後、選考委員の1人でタレント・近畿大学客員教授のイーデス・ハンソンさん(写真㊨)が「地球に優しい暮らし方」の演題で特別講演した。

  

 未来賞を受賞したのはアフリカ・マリで農村支援活動を展開するNPO法人カラ(西アフリカ農村自立協力会)。20年以上にわたって井戸掘りや診療所・助産院の建設、識字教育、野菜園や公共市場の設置などを進めてきた。代表理事の村上一枝さんは「最も大切なのは医療と教育。村によって意識も興味も違うので時間をかけてゆっくり取り組んできた。今では識字教室や野菜園などの運営を住民でつくる委員会に任せている」と話す。マリといえばアルジェリア人質事件の発端となった国。貧困や低い識字率に加え政情も不安なだけに、スタッフらのご苦労がしのばれる。

 クボタ賞の西日本科学技術研究所(高知市)代表取締役・福留脩文氏は自然環境に配慮した「近自然工法」を提唱し、〝川の外科医〟として河川復元に取り組んできた。コンクリートで固めた国の河川工事の方針を転換させる原動力になったともいわれる。記念講演では復元写真を示しながら「森・川・湖・草原など異なる生態系が出会う境界線には多くの生き物がすむ。水際の役割は大きい」と指摘。同じクボタ賞のNPO法人「岩手子ども環境研究所」は岩手県葛巻町で廃校を利用したエコスクール「森と風のがっこう」を運営する。取り壊し予定だった教員住宅の廃材で「コミュニティカフェ」も建設した。「楽しみながら足元にある資源と知恵を生かした循環型の生活が体験できる場づくりに取り組んできた」と理事長の吉成信夫氏。

 イーデス・ハンソンさんは約26年前、熊野古道に近い和歌山県の山里に移り住んだ。そのときの体験を基に「人にとって最も大切なのは空気。その次は水」と指摘する。「自分の飲み水がどこから来て、使った水がどこに流れ、どう処理されているかを知ることが大切。大阪なら琵琶湖周辺、和歌山なら(水源の)奈良県の水政策や住民の生活のことも気にしなくてはだめ。日本は食料の多くを輸入に頼り、その生産にも水が使われる。だから外国の水事情についても関心を持たなくては」。さらにエネルギー問題にも触れ「水はエネルギーとも深い関係にある。原発に大量の冷却水が必要なように、水なしではエネルギーも考えられない。そうした仕組みを知り、暮らし方に生かすことが私たち地球住民にとって大切ではないか」と結んだ。

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<大和文華館> 「江戸後期の美術―都市文化の洗練」

2013年02月19日 | スポーツ

【煌びやかな岡田為恭の「春秋鷹狩茸狩図屏風」】

 奈良市の大和文華館で開かれていた特別企画展「江戸後期の美術―都市文化の洗練」が17日閉幕した。昨年12月開催の「江戸前期の美術」の続編。開館50周年の記念に新たに所蔵品に加わった幕末の絵師岡田為恭の「春秋鷹狩茸狩図屏風」をはじめ優美な絵画や工芸品が来場者を魅了した。

  

  

 岡田為恭(1823~64年)は古画の模写に励み、独学で伝統的大和絵の復興を目指した。屏風の右隻は桜が咲く春の野での鷹狩り、左隻(上段の写真)は紅葉の山上でのキノコ狩りの様子を煌びやかに描く。落款には「式部少丞」という官位。公家の岡田家の養子になって以降、この官位を記すことが多かったという。「春秋之図屏風」(下段の写真)にも総金地に王朝貴族の優雅な遊びが描かれている。「伊勢物語八橋図」(下の写真、部分)は在原業平が沢に咲くカキツバタに事寄せて都に残した恋人を偲ぶ歌を詠み、2人の従者が感極まって涙する場面。小さな作品だが顔の表情なども繊細に表現されている。

   

 丸山応挙(1733~95年)の「東山三絶図」は京都・東山から市街を見下ろした構図。応挙と漢詩の僧六如、書家の永田観鵞の3人の合作で、上部左半分に漢詩が認められている。応挙の「鱈図」は横に細長い画面に口をあんぐり開けたタラを墨で描く。応挙の弟子、長沢芦雪にこの作品を縦位置にしたような作品があるそうだ。同じく応挙の弟子だった渡辺南岳(1767~1813年)の「殿様蛙行列図屏風」はユーモラスな作品で「トノサマガエル」にちなんで描いたと思われる。

 呉春(1752~1811年)の「春林書屋図」、呉春の末弟・松村景文(1779~1843年)の「花鳥図」も目を引いた。呉春は与謝蕪村に南画を学び、蕪村が没すると応挙に私淑した。応挙がいかに多くの画家に影響を与えたかが分かる。伊藤若冲(1716~1800年)の水墨画「釣瓶に鶏図」は「鶏の画家」ともいわれた若冲の晩年の傑作。中央に鶏、左下に釣瓶の半分を配置した奇抜な構図だ。

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<高梨沙羅> スキージャンプW杯4連勝で初の総合優勝!

2013年02月18日 | スポーツ

【1年後ソチ五輪での金メダルへの期待高まる】

 スキージャンプの女子ワールドカップ(W杯)はスロベニア・リュブノで17日(現地時間)行われた第14戦で高梨沙羅が今季通算8勝目を上げ、残り2試合を残して初の総合優勝を果たした。女子ジャンプが初の冬季五輪種目となるロシア・ソチ五輪までちょうど1年。五輪でのメダル獲得への期待がますます高まってきた。それまで大きなけがや故障がないことを祈るばかりだ。

 高梨はこの日も圧勝だった。1回目に89.5mの最長距離をマークすると、2回目は唯1人90mを超えHS(95m)に迫る92mの大ジャンプ。2位は2本とも87mだったフランスのコリーヌ・マッテル。昨季の女王で最大のライバル、米国のサラ・ヘンドリクソンは85.5mと88mで3位に終わった。

 この結果、高梨は獲得ポイント100を上乗せし合計ポイントが1137となって2位サラの847に290ポイントの大差をつけた。3位にはコリーヌ・マッテルが合計733で前日の4位から浮上した。4位はザイフリードスベルガー(オーストリア)、5位はアネッテ・サーゲン(ノルウェー)。

 高梨はこの後、イタリアでの世界選手権に臨み、3月中旬にはノルウェーで開かれるW杯の第15戦と最終戦に出場する。

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<齊藤清バイオリンコンサート> フランクの「バイオリンソナタ」など熱演!

2013年02月18日 | 音楽

【「愛の挨拶」「ユーモレスク」などポピュラーな小品も】

 関西フィルハーモニーのバイオリン奏者として活躍中の齊藤清さん(奈良市在住)のバイオリンコンサートが17日、奈良市の学園前ホールで開かれた。奈良市生涯学習財団主催の「プリヴェーラ(イタリア語で「春」)コンサート」。当初「定員150人、入場料500円」の予定だったが、希望者が2倍の約300人に達したため「料金300円」という超お得なコンサートになった。齊藤さんを支援する「友の会」づくりや、小学校・公民館など地域に密着した普段からの演奏活動もあって、会場は立錐の余地のない超満員の聴衆であふれた。

 

 齊藤さんは宮城県多賀城市出身で、山形大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程を卒業後、山形交響楽団に入団。その後、関西フィルに転じた。音楽大学出身者が多くを占める中ではちょっとユニークな経歴といえる。この日のプログラムは1部が古典派からロマン派の代表的なバイオリンの小品、2部がフランクの「バイオリンソナタ全曲」で、1曲ごとにエピソードや時代背景などを分かりやすく説明してくれた。

 第1部の曲目はエルガー「愛の挨拶」、ドヴォルザーク「ユーモレスク」、クライスラー「愛の悲しみ」、ラフマニノフ「ヴォカリーズ」、ベートーヴェン「ロマンス」。「ヴォカリーズ」については演奏前「ソプラノのほかピアノ、バイオリンなど様々な楽器で演奏されるが、やはり人の声が一番素晴らしい。バイオリンの限界を感じる」とも話していた。だが、繊細な高音の響きと後半の朗々とした豊かな響きは「さすが」と思わせた。

 第2部のフランクの「バイオリンソナタ」はマスネの「タイスの瞑想曲」に続いて演奏された。30分近い4楽章構成の大曲でバイオリンソナタの最高傑作の1つといわれる。演奏の難易度も高い。この難曲をピアノの上野薫さんと呼吸をぴったり合わせて弾きこなした。とりわけ熱情的な第2楽章と叙情的な第3楽章の緩急の対比が印象的だった。ただ、ピアノに「譜めくりさん」がついていないのが気の毒なような気がした。この後、バイオリンとピアノの伴奏で唱歌「ふるさと」と「早春賦」を合唱。アンコール曲はモンティの「チャルダッシュ」だった。5月26日には「齊藤清友の会」主催のバイオリンリサイタルが同会場で行われる。

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<音楽療法シンポジウム> 「人生と音楽―音楽がこころの拠り所となる瞬間」

2013年02月17日 | 音楽

【奈良でパネルディスカッションと音楽コンサート開催】

 〝音楽療法先進地〟といわれる奈良市。1990年代に奈良市音楽療法士認定制度がスタート、市社会福祉協議会内には音楽療法推進室が設置された。現在も多くの音楽療法士やミュージックメイト(登録ボランティア)が音楽を通じて高齢者や障害者、介護者の健康増進、生きがいづくりのために活動する。その奈良市で16日「人生と音楽―音楽がこころの拠り所となる瞬間(とき)」と題した音楽療法シンポジウムが開かれた。

   

 会場はならまちセンターで約200人が参加した。第1部はパネルディスカッション。日本音楽療法学会近畿支部長の鈴木暁子氏がファシリテーターを務め、屋敷芳子氏(認知症の人と家族の会奈良県支部代表)、加藤大輔氏(中部学院大学助教)、宝田裕士氏(小学校特別支援学級担当教員)の3人がパネリストとして参加した。

 屋敷氏は「認知症の症状を和らげる方法には2つある。1つは薬物療法、もう1つは音楽など非薬物療法」として、昨秋の認知症フォーラムで愛唱歌「愛の讃歌」を独唱した60代の認知症患者のことを紹介した。発症したのは高校で英語教師をしていた50代の頃。「今は最初ぐらいしか歌えないかも」ということだったが、伴奏に合わせ最後まで見事に歌いきりアンコールにも応えた。屋敷氏は「認知症で次第に何にもできなくなっているのに、まだこういうところもあると感じたとき、本人にも介護する人にも大きな励ましになる」と話す。

 臨床心理士や精神保健福祉士の肩書きを持つ宝田氏は「音楽療法士と福祉関係者が力を合わせると、よりしっかりと人生に寄り添うことができるのではないか」と話し、小学6年のとき統合失調症を発症した男性のことを紹介した。その男性はその後大学を卒業、就職するが、「彼が苦しいとき一番支えてくれたのが音楽。一時はプロになりたいと自前でCDを作ったこともあった」そうだ。宝田氏は8年前、がんでまだ若い最愛の妻を亡くした。つらい経験からフラッシュバックが起きる。半年後、友人に誘われジャズ喫茶に行った。それをきっかけに音楽仲間の輪が広がり、今では趣味のエレクトリックベースの演奏で年間50本近くのライブ活動を行っている。

  

 第2部は音楽療法の現場で出会った人たちの思い出の曲でつづる音楽コンサート。「リンゴの唄」「長崎の鐘」「風になりたい」「翼を下さい」など7曲を会場も一緒になって歌った。いま70代後半の男性は幼少のころ母を病気で、父を戦争で亡くして1人ぼっちになり、寂しいときには「長崎の鐘」をくちずさんだという。「広汎性発達障害」と診断された4歳児の母親はその直後、車の運転中に聞いたTHE BOOMの「風になりたい」に、「よし、この子と一緒に生きていこう」と励まされた。「♪大きな帆を立てて あなたの手を引いて 荒れ狂う波にもまれ 今すぐ風になりたい……」。

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<高梨沙羅> スキージャンプW杯3連勝、きょうにも初の総合優勝!

2013年02月17日 | スポーツ

【通算7勝、昨季の総合3位を上回る2位以上が確定】

 スキージャンプの女子ワールドカップ(W杯)はスロベニア・リュブノで16日(現地時間)第13戦が行われ、総合でトップを走る高梨沙羅が今季通算7勝目を上げた。これで山形・蔵王の第11戦から3連勝。ライバルで2位のサラ・ヘンドリクソン(米国)との獲得ポイントはさらに開き、17日に同じリュブノで開かれる第14戦で高梨の初の総合優勝が決まる確率が極めて高くなった。

   

 第13戦には41人が出場。高梨は1回目に88.5m、2回目も88mの最長不倒距離をマークし、2位以下を寄せつけない圧勝だった。これで高梨は第11戦の1本目から6本続けて最長距離を記録。2位のサラは85mと83.5m、3位コリーヌ・マッテル(フランス)は2本とも84mだった。

 第13戦終了時点でのW杯上位5人と獲得ポイント ①高梨沙羅(1037ポイント)②サラ・ヘンドリクソン(米国、787ポイント)③ザイフリードスベルガー(オーストリア、697ポイント)④コリーヌ・マッテル(フランス、653ポイント)⑤アネッテ・サーゲン(ノルウェー、551ポイント)

 上位5人の順位は第12戦終了時点と変わらない。高梨は今回1位のため100ポイントを獲得し合計ポイントを1000点台に乗せた。2位サラの獲得ポイントは80。これで高梨とサラのポイント差は230から250まで広がった。3位との差は300ポイントを上回った。仮に高梨が残り3試合を欠場し、3位以下の選手が3連勝でも追いつけないポイント差になり、この時点で高梨の総合2位以内(昨季は3位)が確定した。

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