く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<春日大社・春日祭> 〝三勅祭〟の1つ 葵祭・石清水祭とともに

2015年03月14日 | 祭り

【勅使迎え国家安泰と国民繁栄を祈願、古式ゆかしく「祓戸の儀」など】

 春日大社の例祭「春日祭」が13日午前、天皇のご名代の勅使を迎えて執り行われた。京都・賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに〝三勅祭〟といわれる。春日祭が始まったのは平安初期の9世紀半ば。今の式日は毎年3月13日だが、明治時代以前は2月と11月の最初の申(さる)の日だった名残から「申祭」とも呼ばれる。

  

 午前10時、黒や紫、緋色などの束帯をまとった勅使一行が斎館(貴賓館)を出発した。一行は森の中を下って掃き清められた参道を進む。向かうのは二の鳥居を過ぎてすぐ左手にある春日大社の末社・祓戸(はらえど)神社。その前で「祓戸の儀」が行われる。行列には美しい白馬2頭もお供していた。

 

 祓戸神社の周辺は関係者以外立ち入り禁止。一般の人は二の鳥居の手前から参道にかけて張られたロープの外側から垣間見るだけ。距離が数十メートルも離れているため「祓戸の儀」の詳しい様子はほとんど拝見できなかった。この後、場所を幣殿や直会殿に移して御幣物奉納、御祭文奏上、神馬牽廻、和舞奉奏などの神事が行われた。

 

 春日大社は今年から来年にかけて20年に1度の「式年造替」を迎える。60回目。今月27日にはいよいよ仮殿遷座祭が執り行われる。二の鳥居の手前には式年造替奉賛者のお名前がずらりと掲げられている。「祓戸の儀」を待つ間、それを眺めていると――。最上段の中ほど「金壱佰萬円以上」の先頭に「さだまさし」の名前。続いて「さだまさし造替勧進コンサート一同殿」とあった。調べてみると、昨年5月に奈良県文化会館でさだまさしのコンサートが開かれていた。

 

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<ユキワリイチゲ(雪割一華)> イチリンソウ属、早春に淡紫色の可憐な花

2015年03月12日 | 花の四季

【日本固有種、学名の中に「ケイスケ」の名前!】

 キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。近畿、中国、四国、九州の林床や渓流沿いなどに自生する。まだ雪の残る寒さの厳しい時期に咲く早春植物で、1本の茎に1輪の花を付けることから「雪割一華(一花とも)」という優美な名をもらった。花は径3cmほど。花弁のように見えるのは萼片で、10~20枚から成る。

 

 ユキワリイチゲは秋に芽を出して葉を広げていく。厳しい中で一冬を乗り越えた根元の根出葉は傷ついてボロボロ。それだけに試練に耐えて春を迎えた花は可憐な中にもどこか誇らしげ。花は日が差すと開き、陰ると閉じる。同じ仲間にシュウメイギク、ニリンソウ、キクザキイチゲ、ハクサンイチゲなど。ユキワリイチゲには淡紫色の花から「ルリ(瑠璃)イチゲ」という別名もある。ただ関東など東日本に分布するキクザキイチゲも「ルリイチゲ」や「ルリイチゲソウ」と呼ばれており少々紛らわしい。

 日本固有種のユキワリイチゲには「Anemone keiskeana(アネモネ・ケイスケアナ)」という学名が付けられている。これは江戸末期から明治時代にかけて植物学の分野でも活躍した理学博士の伊藤圭介(1803~1901)にちなむ。伊藤は25歳の時、シーボルトと出会ったのを機に長崎・出島で勉学、シーボルトから贈られたカール・ツンベルク著『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』を基に『泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)』(1829年)を著した。

 日本で「おしべ」や「めしべ」「花粉」といった言葉が使われたのはこの本が最初といわれる。伊藤は他にも『日本植物図説』などを残した。そうした業績を讃えシーボルトらによって「ケイスケ」と命名された学名の植物はユキワリイチゲのほかにも多い。スズラン、アシタバ、イワナンテン、シモバシラ、マルバスミレ……。伊藤の出身地、名古屋市にある東山動植物園の植物会館内には「伊藤圭介記念室」が設けられている。

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<けいはんな記念公園水景園> 「第6回相楽木綿作品展」 15日まで

2015年03月10日 | メモ

【相楽木綿伝承館を拠点に、手織りの絣木綿を復元!

 けいはんな記念公園(京都府精華町)の「水景園」内にある観月楼「ギャラリー月の庭」で、9日から「第6回相楽木綿(さがなかもめん)作品展」が始まった。同公園と観月楼内にある「相楽木綿伝承館」(代表福岡佐江子さん)との共催事業。伝承館の機織り教室の受講生たちが丹精込めて織り上げた作品40点余が並ぶ。15日まで。

 

 相楽木綿は藍染めの紺地に色糸の縞(しま)と絣(かすり)が織り込まれた織物で、明治初期から昭和10年代にかけて京都府南部の相楽村(現木津川市相楽地区)を中心に生産された。「大和機(やまとばた)」と呼ばれる伝統的な手織機や、その改良機「チョンコ機」で織った相楽木綿は美しいうえ風合いの良さもあって、かつて庶民の布地として関西一円に広く流通した。

 

 相楽木綿が再び脚光を集め始めたのは2004年に京都府立山城郷土資料館で開かれた「相楽木綿展」がきっかけ。その翌年に福岡さんが仲間とともに「相楽木綿の会」を立ち上げ、さらに09年には復元と伝統の継承を目的に伝承館の運営も始めた。伝承館では翌10年に機織り教室初級コースを開講、それ以降順次、中級、上級コース、専科、そして研究科を設けてきた。

 作品展も各コースごとに受講生の作品を展示している。手織り生地だけでなく着物や手提げバッグ、作務衣、ブラウス、チュニック、サルエルパンツなども並ぶ。いずれも深い藍色に微妙な柄や色彩が織り込まれて味わい深く、素朴な中に温かみがあふれていた。伝承館の活動もいよいよ軌道に乗ってきたようだ。長く途切れていただけに、その復元の裏にはいろいろとご苦労があったに違いない。

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<クロッカス> 地中海沿岸~西アジア原産 「花サフラン」とも

2015年03月09日 | 花の四季

【明治時代に渡来、春の到来を告げる「聖バレンタインの花」】

 アヤメ科の球根植物で、原産地は地中海沿岸地方から西アジアにかけて。春咲きが一般的だが、秋咲きのものもある。同属のサフランも秋咲きクロッカスの1つ。サフランは江戸時代に渡来したが、クロッカスが日本に渡ってきたのは明治時代に入ってから。香辛料や生薬などの有用植物のサフランに対し、〝後輩〟のクロッカスは観賞用に栽培されるため「花サフラン」とも呼ばれる。

 

 クロッカスは原産地に約80種分布するが、春咲きクロッカスの多くは「クロッカス・ベルヌス」という種を改良した園芸品種。主にオランダで多く栽培されたことから「ダッチ・クロッカス」と総称される。草丈は5~10cmほどで、2~3月頃、径4~5cmの黄色や紫、白のワイングラス形の花を付ける。日当たりを好み、日が陰ると閉じる。葉は松葉状で中央に白い筋が入る。

 ヨーロッパでは昔から春を告げる花として親しまれてきた。英国ではバレンタインデー(2月14日)の頃によく咲くため「聖バレンタインの花」と呼ばれる。クロッカスの語源はギリシャ語で「糸」を意味する「クロケ」から。クロッカスの中に雌しべの花柱の上部が細い糸のように長く伸びるものがあることによる。

 ただギリシャ神話に登場する青年の名前に由来するとの説もある。美青年クロッカスは羊飼いの娘と相思相愛だったが、神々に結婚を反対されて絶望し自殺する。それを哀れんだ花の神フローラが死んだ青年をクロッカスの花に変えた――。他にも同じ神話に出てくる神々の伝令使ヘルメスの婚約者クローカスに由来するとの説も。「日が射してもうクロッカス咲く時分」(高野素十)。

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<寒川旭氏> 次の南海・東海地震は「2030~60年頃、M8.4~8.7?」

2015年03月08日 | 考古・歴史

【大和高田市で講演「地震考古学から21世紀の大地震を考える」】

 阪神大震災からまる20年、東日本大震災からもまもなく4年を迎える。そんな中、大和高田市のさざんかホールで7日、市主催の文化財講座が開かれ、地震考古学者の寒川旭(さんがわ・あきら)氏が「地震考古学から21世紀の大地震を考える~奈良盆地も激しく揺れるのか」と題して講演した。寒川氏は「次に南海トラフの巨大地震がやって来るのは2030~60年頃か。マグニチュードは8.4~8.7」などと話した。

 

 古代遺跡の地震跡と古文書などの記述から過去の地震の発生時期と間隔を調べ、将来の地震予知にもつなげる。その学問領域を担当するのが地震考古学。今では広く知られているが、実はこの言葉の使用を学会で最初に提唱したのが寒川氏だった。それは30年近く前の1988年のこと。若い頃の夢は漫画家。ということで、この日の講演でも自身の描いたユーモラスなイラストが多く登場した。

 菅原道真らによる平安時代の歴史書『日本三代実録』に869年、東北地方を襲った貞観(じょうかん)地震の詳細な記録が残っている。「海水が怒涛となって多賀城の城下まで押し寄せ…原野も道路も広い海となり…溺死した者が千人ばかり」。2010年の夏、ボーリング調査の結果、津波は石巻平野で少なくとも3キロ、仙台平野で4キロも遡上していたことが確認された。

 東日本大震災が起きたのはその半年後だった。寒川氏は「地震の歴史を知っていれば、対処の仕方も違ってくる。東日本大震災も決して想定外の地震ではなかった」と話す。同時に「(調査結果をもっと生かして)何とかしていれば被害を少なくできたのではないか。それが非常に残念」と振り返る。

  

 貞観地震の前には日本列島各地で数十年にわたって活断層の活動が活発化して地震が多発した。さらに貞観地震の約10年後の887年には東海地震と南海地震が列島を襲った。「その当時とそっくりな時代がまさに現在」と指摘する。「東日本は(東日本大震災の発生で太平洋プレートの)ストレスがほぼ解消されたが、西日本は(フィリピン海プレートの)ストレスが相当たまっている」。

 南海地震は日本書紀にも登場する。天武13年(684年)の条に「白鳳南海地震」の様子が克明に記されている。「以来、短いときで100年ほどの間隔で、長くても200年ほどの間に、東海地震と南海地震がほぼ連動して起きてきた」。前回の東海地震は1944年、南海地震は1946年。「関東の地震は直下型だが、これもフィリピン海プレートが影響しており、東海・南海地震と近い時期に起きることが多い」。1700年代初頭の宝永地震や1800年代半ばの安政地震の際にも相前後して直下地震が関東を襲った。

 講演の初め、寒川氏はこんな質問を会場に投げかけた。「地震のことを最初にナマズといったのはだれ? ①菅原道真②豊臣秀吉③平賀源内」。源内に挙手する人が多かったが正解は秀吉とのこと。1586年、琵琶湖畔の坂本城で天正地震に遭遇した秀吉は伏見城を建てる際、九州・名護屋から「ふしみのふしん なまつ大事」と地震対策に万全を期すよう手紙で命じたという。琵琶湖にはオオナマズが棲む。秀吉は地震が起きるのはそのナマズのせいと思ったのだろうか。だが、その伏見城も完成直後の慶長伏見地震で倒壊してしまった。

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<広陵町竹取公園> 「第1回広陵クラフトマルシェ」商工会青年部主催

2015年03月07日 | メモ

【全国から木工・陶磁・染織など約150店、8日まで】

 奈良県広陵町の竹取公園で、7日「第1回広陵町クラフトマルシェ」が始まった。主催者は広陵町商工会青年部。全国各地からクラフト作家や伝統工芸作家たちが集結し、木工、陶磁器、革もの、染織、金属、ガラス、服飾などの個性的な作品をそろえた約150店が出店している。8日まで。

 

 出店者の中には関西だけでなく、遠く青森や東京、栃木、神奈川、長野、石川、静岡、広島、熊本などからも。独創的な作品が多い中で、「ITO CRAFT」(愛知県)の木工品(上の写真㊧)が多くの来場者の目を引き付けていた。木彫りのフランスパンや食パン、シャツ、洋傘などはどれも本物のような見た目と質感にあふれていた。

 「hito十」(滋賀県)の消防ホースの布地や金具を再利用したバッグや時計(上の写真㊨)、「Beach Lumber」(愛知県)の流木を加工した掛け時計や一輪挿し(下の写真㊧)、「kii工房」(滋賀県)の高島産帆布を使ったバッグ類、「田口屋}(愛知県)のユーモラスな表情のブタの置物(下の写真㊨)なども目を引いた。「アトリエ・タカ」(大阪府)では小さな女の子に缶コーヒーの空き缶を利用した万華鏡作りを指導していた。完成品を覗かせてもらうと驚くほど綺麗なのにびっくり。蓋が開くので中の入れ物を取り替えることもできるという。

 

 会場の一角には「ライブペイントアーティスト」のコーナーも。10人・組のアーティストがキャンパスに向かって作品を描いていた。今川咲恵さん(下の写真㊧)は2006年に絵本「くりすますやさんのおはなし」で学研ラポム大賞優秀賞を受賞するなど絵本や壁画作家として活躍中。なかもとりえこさん(写真㊨)も歌や音楽に合わせた即興のライブペイントが注目を集めている。

 

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<フキノトウ(蕗の薹)> まだ寒さの残る早春に頭をひょっこりもたげ!

2015年03月06日 | 花の四季

【雌雄異株、フキの葉が伸びる前に明るい緑色の苞葉に包まれて】

 フキは日本原産のキク科の多年草。うす緑色の苞葉に包まれたフキノトウがひょっこり顔を出すと、待ちかねた春ももうすぐそこ。そのほろ苦さと独特な香りから、古くから春を代表する山菜として天ぷらや汁の実、煮物、和え物などに広く使われてきた。栄養価も高く、北海道では冬眠から覚めた熊は真っ先にフキノトウを口にするという。

 

 小花が密集した頭花がいくつも集まって球状の1つの花を構成する。雌雄異株で、雄株の花が少し黄色っぽいのに対し雌株の花は白い。花がたくさん詰まってふっくらした雄株のほうが美味といわれる。雌雄異株の野菜には他にホウレンソウやアスパラガスなど。アスパラバスも雄株のほうが太くておいしいそうだ。

 山菜として味わうには花がまだ蕾のままで苞葉が開ききっていない状態のころに摘み取る。フキノトウの「トウ(薹)」は花をつける花茎のこと。アブラナなどの野菜の花茎が伸びると硬くなって食べごろを過ぎてしまう。この状態が「トウが立つ」。フキノトウもトウが立つ前に摘み取ることが大切。

 フキの語源には諸説。古名の「布々岐(ふふき)」に由来する、いや、冬に黄色っぽい花を咲かせるところから「冬黄(ふゆき)」から来ている……。そんな中でおもしろいのが言語学者・金田一春彦氏の「拭き」説。この説は長崎・対馬での体験から生まれた。あるお屋敷の厠内に大きなフキの葉がトイレットペーパー代わりに重ねられ、下を覗くと使用済みの葉っぱが捨てられていた――。「みつけたる夕日の端の蕗の薹」(柴田白葉女)。

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<スキー・ジャンプ女子> 13日にW杯最終戦 通算30勝を目指す高梨

2015年03月04日 | スポーツ

【世界選手権銀メダルの伊藤は今季W杯初の表彰台が目標】

 ノルディックスキーの2014/15ワールドカップ(W杯)女子ジャンプは13日にフィンランドのオスロで最終戦が行われる。12戦までの戦績は1位ダニエラ・イラシュコ(オーストリア)を2位の高梨沙羅が追う展開。ポイントで大差があるため高梨の3連覇は極めて厳しい状況だが、高梨にはこの最終戦にW杯通算優勝30回目がかかる。2月20日の世界選手権個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得した伊藤有希は最終戦でW杯今季初の表彰台を目指す。

☆第12戦までの上位5人の順位と獲得ポイント、1~3位の回数

① ダニエラ・イラシュコ  962点(1位5回、2位4回、3位1回)

② 高梨 沙羅       873点(1位5回、2位1回、3位3回)

③ カリーナ・フォクト   622点(1位2回、2位4回、3位なし)

④ シュペラ・ロゲイユ   549点(1位1回、2位なし、3位3回)

⑤ 伊藤 有希       398点(1位なし、2位なし、3位なし)

 女子ジャンプは初開催の2011/12シーズン、サラ・ヘンドリクソン(米国)が制して初代女王になったが、翌シーズンから日本のエース高梨が2連覇。今季は第12戦(2月15日)でイラシュコと高梨が同点で優勝を分け合った結果、総合優勝は最終戦に持ち込まれた。イラシュコは31歳のベテランでソチ五輪の銀メダリスト。(写真㊧=W杯第12戦で左側のイラシュコと優勝を分け合った高梨沙羅、写真㊨=世界選手権で銀メダルを獲得した伊藤有希。右は優勝したカリーナ・フォクト)

 

 1位と2位のポイント差は89点。高梨が3連覇を果たすには最終戦で優勝して100点を獲得することが最低条件。そしてイラシュコが21位以下に沈んだ場合に高梨のポイントが初めて上回る。ただイラシュコの今季の成績は極めて安定している。12戦中、表彰台を逃したのは僅か2回だけ、しかもその2回も4位と8位。しかし何が起こるか分からないのがスポーツの世界。高梨の3連覇にもまだ一縷の望みが残っている。

 これまで4シーズンの高梨のW杯通算優勝回数は29回。サラ・ヘンドリクソンの13回、イラシュコの10回を大きく上回る。それに次ぐのは今季W杯で総合3位につけているカリーナ・フォクト(ドイツ)の2回。23歳のフォクトはソチ五輪の金メダリストで、今年2月の世界選手権でも金に輝いており、大きな大会でめっぽう強い。その世界選手権で高梨は4位に終わっており、せめてW杯最終戦を優勝で飾って通算30回という大台に乗せてほしいところ。

 伊藤は2013/14のW杯で優勝こそなかったものの2位3回、3位2回で、高梨とフォクトに続いて総合3位に輝いた。ところが今季は12戦して4位が最高。まだ表彰台に届いていない。世界選手権の銀メダリストとして、最終戦では思い残すことのないような大ジャンプを期待したい。最終戦には日本から岩渕香里と勢藤優花も参戦する。今季のW杯獲得ポイントはともに99点で24位と同順位。今季最高順位は岩渕が12位、勢藤が11位となっており、最終戦で1ケタ順位を目指す。  

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<セツブンソウ(節分草)> 早春に可憐な花 日本原産の山野草

2015年03月03日 | 花の四季

【スプリング・エフェメラル(春の妖精)、国の準絶滅危惧種】

 日本特産のキンポウゲ科の山野草。石灰岩地帯を好み、関東地方以西の落葉樹林や谷間の斜面などに自生する。花期は2~3月。節分の頃から咲き始めるので「節分草」の名が付けられた。高さ10cm前後の茎の先に径2cmほどの花を付ける。5枚の花びらのように見えるのは蕚片で、本来の花弁は紫色の雄しべを囲んだ黄色の蜜腺状のもの。

 

 直径1cmほどの小さい球根から寒さにめげず細い茎を伸ばし可憐な花を付けるが、地上に姿を見せるのは僅か3カ月余り。花が終わると葉や茎はまもなく枯れて地下で長い眠りに付く。その儚い命からカタクリやニリンソウなどとともに「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」とも呼ばれる。

 セツブンソウは山野草愛好家の間で人気が高く、自生地などではこっそり採取する被害が絶えない。京都府立植物園内の植物生態園でも盗難に何度も遭っており、その盗掘現場を観察会などで公開し現状を訴えたこともしばしばという。環境省の準絶滅危惧種。都道府県のレッドリストにも岐阜、三重、愛知、大阪、京都など11府県で絶滅危惧のⅠ類またはⅡ類として登録されている。

 国内の群生地では今がちょうど見ごろ。埼玉県小鹿野町両神地区では8日に「せつぶん草まつり」を開催、広島県庄原市総領町は15日に「節分草祭」、滋賀県米原市大久保地区も15日に「セツブンソウふれあい祭り」を開く。岡山県美作市の田殿神社境内や長野県千曲市の戸倉・倉科両地区の群落も有名。「咲くだけの光あつめて節分草」(高橋悦男)。

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<追分梅林> 人気の観梅スポットは今? 4年前から休園中!

2015年03月01日 | アンビリバボー

【農地改良造成工事で古木を移植し若木を植樹中】

 春間近、梅の季節がやって来た。奈良県内の梅の名所といえば、月ケ瀬梅渓に賀名生(あのう)梅林に広橋梅林。この3カ所が県内三大梅林と呼ばれるそうだが、奈良市中心部から程近い追分梅林(奈良市中町)の人気も高い。長らく行っていないし、天気もまずまず。久しぶりに訪ねてみようかと思い立って車で出かけたところ……。

 

 追分梅林は第二阪奈有料道路の南側に接し、なだらかな傾斜地に広がる。広さは約10ヘクタール、本数は白梅・紅梅合わせて約4000本とも。これまで数回訪ねた時の様子を思い浮かべながら車で上っていくと、広大な梅林はなんと地面むき出しの階段状の造成地に変貌していた。狐につままれたとはこのこと。造成地の一角には古木が移植され、新しく植樹されたらしい若木の蕾が膨らんでいた。

 道路を上りきった所にある追分本陣(村井家住宅)の斜め向かいの納屋の中で女性2人が談笑していた。早速伺ってみると、農地改良造成工事のため4年前の2011年3月末から休園中とのこと。造成工事は既にほぼ終了して、今は梅林を管理する追分梅林組合の組合員さんが手分けして植樹しているという。

 

 追分梅林は古木が多いことで知られた。それが観梅の楽しみを増してくれた。移植された古木の中には元気に若い枝を伸ばし、蕾を多く付けたものも(写真㊨)。ただ、ほとんど芽吹いていない古木も多いような印象を受けた。造成地の一角に太い枝が山積みされていた。古木の剪定枝だろうか、それとも根付かず掘り起こされたものだろうか。

 お話を伺った女性によると、毎年この時期になると事情を知らずに観梅のため訪ねてくる人が多いという。先日も大阪側から生駒を越えて遠路やって来た女性グループがあったそうだ。女性たちのがっかりした様子が目に浮かぶ。追分梅林が再開園して往時のにぎわいを取り戻すのは何年先になるのだろうか。

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