く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<カナメモチ(要黐)> 紅色の葉の美しさから生け垣に

2018年04月29日 | 花の四季

【人気集める交配品種の「レッドロビン」】

 カナメモチはバラ科カナメモチ属の常緑樹で、温暖な関東以西の山地や丘陵地に自生する。樹高は3~5m。若葉の紅色が美しいことから、生け垣や庭木としてよく使われる。5月頃、枝先の直径10cmほどの半円形の花序に白い5弁の小花を無数に付け、秋には赤い小さな球形の実を結ぶ。葉は冬になると緑色になる。刈り込み剪定には強いものの、新しい葉が出る頃に刈り込みすぎると開花は期待できなくなる。

 別名アカメモチ(赤芽黐)。古名は「ソバノキ」で密に付く白花がソバの花に似ることから。清少納言の『枕草子』にも「そばの木」として登場する。カナメモチの名はこの堅い木で扇の要を作ったことによるとの説があるが、若芽の赤い色を表すアカメモチから転訛してカナメモチになったとの説が有力。モチと付くが常緑高木のモチノキ属の仲間ではない。新芽の紅色はアントシアニンという色素によるもので、まだ葉緑素を十分形成できない若葉を紫外線から守っているそうだ。(下の写真はオオカナメモチ)

 カナメモチのうち若葉の紅色が特に濃いものをベニカナメモチと呼ぶことがある。有名な「レッドロビン」という品種はカナメモチとオオカナメモチの交配種で、アメリカで作出された。日本原産のカナメモチに対し「セイヨウベニカナメモチ」とも呼ばれる。カナメモチより紅色が一層鮮やかなほか、葉が大きくて軟らかいのが特徴。オオカナメモチは中国、台湾原産で、日本でもまれに暖地の山地に自生する。樹高は10~12mほどになり、葉も花序もカナメモチより一回り大きい。「清明やことに垣根の紅要黐」(木村茂登子)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ホウチャクソウ(宝鐸草)> 花を堂塔の軒を飾る宝鐸にたとえ

2018年04月28日 | 花の四季

【チゴユリの仲間、「狐の提灯」の別名も】

 イヌサフラン科(旧ユリ科)チゴユリ属の多年草。山野の林内のやや湿った陰地に自生し、しばしば群落をつくる。日本のほか朝鮮半島や中国、サハリンなどにも分布する。花期は4~5月。チゴユリの名は花がユリに似て稚児のようにかわいいことに由来するが、このホウチャクソウも茎の先に長さ2~3cmの可憐な筒状の花が1~3個ずつ垂れ下がって咲く。花色はふつう白く花冠の先端が緑色を帯びる。

 学名は「ディスポルム・セシーリ(セッシレ)」。和名は寺院のお堂の軒を飾る大型の風鈴のような「宝鐸(ほうちゃく)=風鐸」に因む。「キツネノチョウチン(狐の提灯)」という別名もある。ただ「狐の提灯」はキノコの一種キツネノエフデ(狐の絵筆)の別称にもなっているようだ。ホウチャクソウには「キバナホウチャクソウ」と呼ばれる黄花もある。主に中国から朝鮮半島にかけて分布し、対馬にだけ自生する日本では環境省のレッドリストで絶滅危惧ⅠA類に指定されている。

 中国~インド原産の「チャバナ(茶花)ホウチャクソウ」は花の色が茶褐色で「トウチクラン(唐竹蘭)」とも呼ばれる。「ホウチャクチゴユリ」はホウチャクソウとチゴユリの交雑種。葉や茎がホウチャクソウ、花がチゴユリに似ており、東京都の高尾山で発見された。このほか葉の幅が狭い「ホソバホウチャクソウ」などの変種がある。斑入りホウチャクソウは葉に白い縞模様が入る園芸品種。「群れて低き宝鐸草の花覗く」(山田みづえ)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<オオアマナ(大甘菜)> 英名は「ベツレヘムの星」

2018年04月26日 | 花の四季

【ヨーロッパ原産、日本には明治末期に渡来】

 キジカクシ科オオアマナ属の球根植物。原産地はヨーロッパ南部で、日本には明治時代末期に観賞用として渡来した。草丈は20cm前後で、4~5月頃、径3cmほどの純白の6弁花を上向きに付ける。花は日が差すと開き、陰ると閉じる。葉は光沢のある線形で、花後には枯れて休眠に入り秋に再び葉を出す。繁殖力が旺盛で寒さにも比較的強いことから一部で野生化している。

 学名は「オーニソガラム・ウンベラツム」。属名から「オーニソガラム」の名前で呼ばれることもある。和名は日本在来種のアマナ(甘菜)に似て大きいことから。ただアマナはユリ科アマナ属で全く別物。アマナは鱗茎がクワイに似て食用とされ煮たり焼いたりして食べるほか、若葉も山菜として食用となる。一方、オオアマナは有毒植物で、球根に毒性があるため注意を要する。

 欧米ではオオアマナを「スター・オブ・ベツレヘム(ベツレヘムの星)」と呼ぶ。純白の星形の花を、キリスト生誕を東方の三賢者に知らせたというベツレヘムの星にたとえた。その清楚な花姿から「純粋」「潔白」「無垢」などが花言葉になっている。オオアマナの花によく似るのが南米原産のハナニラ(花韮)。名前は葉にニラのような匂いがあり花が美しいことに由来するが、こちらも「ベツレヘムの星」と呼ばれることがある。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<草津宿> 本陣は往時の面影を色濃く残す国の史跡

2018年04月25日 | 旅・想い出写真館

【29日開催の「宿場まつり」は今年50回目の節目】

 草津宿(滋賀県草津市)は東海道五十三次の江戸から数えて52番目の宿場町。しかも中山道の合流地点とあって、江戸時代には本陣・脇本陣各2軒をはじめ多くの旅籠が軒を連ねてにぎわった。草津宿本陣は往時の面影を残す東海道筋で唯一の本陣といわれ、国の史跡に指定されている。4月29日には「第50回草津宿場まつり」が開かれ、街道筋を中心に時代行列など多彩なイベントが繰り広げられる。

 JR草津駅側から草津川跡地公園の下のトンネルをくぐると、すぐ左手に燈籠を載せた追分道標が立つ。東海道と中山道の分岐点を示すもので、約200年前の1816年(文化13年)に建立された。街道筋を直進した所に鎮座する立木神社の境内には、その前身とみられる石造道標がある。こちらの建立時期は1680年(延宝8年)で、県内に現存する道標としても最も古いとのこと。2つとも市文化財に指定されている。

 

 本陣の利用は大名や旗本、勅使、公家などに限られ、参勤交代などでの宿泊は1年近く前から準備が進められたという。ただ草津宿にあった本陣は2軒とも同じ田中姓だったため、本陣間違いなどのトラブルが結構あったそうだ。現存する本陣は田中七左衛門家のもので、追分道標から程近い所にある。主人は裃を着用して玄関口で主客を出迎えた。その玄関広間の正面には宿泊する大名などの名前を大書して掲げた当時の宿札(関札)がずらりと並ぶ。本陣内で最も格式が高く主客が使った部屋は「上段の間」と呼ばれ、長い畳廊下の一番奥に位置する。

 

 本陣には元禄年間から約180年分の大福帳(宿帳)が残されている。その中には1699年(元禄12年)7月に浅野内匠頭と吉良上野介が9日違いで宿泊したことを示すものもあった。江戸城内での刃傷事件の2年前に当たる。宿泊者の中には後に15代将軍になる徳川慶喜や新撰組副長の土方歳三なども。竈(かまど)が並ぶ台所では皇女和宮が1861年(文久元年)に本陣で取った昼食の献立が再現されていた。

 

 街道筋の建物では重厚な造りの太田酒造道潅蔵なども目を引いた。太田家は江戸城を築城した太田道潅を祖とするという。その近くには街道や宿場町の歴史を紹介する草津宿街道交流館もある。ただ街道筋では高層のマンションが目立ち、今も新しく14階建てマンションの建設が進む。このまま進むと、かつて栄えた宿場町という面影はいずれ本陣や道標、そして宿場まつりなどだけになるかもしれない。その様子は同じ宿場町でも妻籠宿(長野県)などのように「(家や土地を)売らない・貸さない・壊さない」を3原則に江戸時代の町並み保存に取り組む宿場町とはまさに好対照だ。

 それはそれぞれの立地によるのかもしれない。草津は大津や京都に近く交通の便がいいこともあって住宅需要が旺盛。一方、妻籠宿や奈良井宿、海野宿、関宿などは観光資源として町並み保存の方向を選択した。これらの宿場町は国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている。長い歴史を誇る同じ宿場町だが、それぞれの往き方をどう評価すべきかという判断は実に難しい。草津宿では今年、宿場まつり50回目を記念し、時代行列で宝塚歌劇団のOG8人が篤姫や和宮など主要な役柄を務めるそうだ。前夜祭では宿場まつりサミット、草津能の夕べなども予定されている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<唐古・鍵遺跡公園> 弥生時代の風景を再現!

2018年04月24日 | 考古・歴史

【大型建物跡・環濠などを復元、シンボルの楼閣も修復】

 奈良県田原本町が整備を進めていた「唐古・鍵遺跡史跡公園」が完成、このほど開園した。唐古・鍵遺跡(国史跡)は弥生時代を代表する国内有数の大規模な環濠集落。公園は広さが約10万㎡で、遺構展示情報館を新設したほか、大型建物跡や環濠、井戸跡などを復元した。弥生の森エリアや弥生時代の生活体験広場などもある。遺跡のシンボルになっている楼閣(高さ約13m)も開園を機に修復した。

 遺跡は奈良盆地のほぼ中央部に位置し、大型建物や青銅器鋳造炉、環濠、井戸の跡、木棺墓・人骨などが発掘されている。多くの木製農耕具や全国各地からの搬入土器なども出土しており、人物や動物、建物が描かれた絵画土器が多く見つかっているのも唐古・鍵遺跡の特徴。楼閣も高床建物が描かれた紀元前1世紀頃の壷の破片を基に1994年唐古池の一角に再現された。

 

 遺構展示情報館には大型建物跡の発掘現場から型取りし剥ぎ取った柱跡の模型などを展示。楼閣のそばにはもう一つの大型建物跡を高さ2mの立柱で表現し、その近くには直径5mほどの井戸跡も復元した。これまでの発掘調査で、集落は幾重もの環濠が巡らされ、内側の最も大きい大環濠は幅7~8m、深さ1.5~2mで南北530m、東西400mの範囲を巡っていたことが分かっている。情報館のそばにはその大環濠の一部が復元され、唐古池東側には多重環濠エリアも設けられている。

 

 公園ではゴールデンウイーク中に勾玉づくりや火起こし体験などのイベントを開く予定。国道24号を挟んで公園の西側には道の駅「レスティ唐古・鍵」もオープンした。〝公園と一体になった新しい交流施設〟として地域の活性化が期待されている。25日訪ねたところ平日にもかかわらず多くの来店客でにぎわい、駐車場に入る車が行列を作って片側1車線の国道が渋滞していた。24号は南北を貫く幹線道路。渋滞がオープン間もないことによる一時的な現象ならいいのだけど……。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<水口曳山祭> 豪華な曳山と軽快な〝水口ばやし〟

2018年04月21日 | 祭り

【今年は16基のうち5基が巡行】

 滋賀県甲賀市水口町の水口神社で20日、にぎやかに「水口曳山祭」が繰り広げられた。神社の祭礼に曳山が登場したのは今から約280年前の江戸中期・享保20年(1735年)といわれる。最盛期には30基ほどあったそうだが、今も17町内に16基(1基は2町内で共有)がある。曳山祭には毎年このうち数基が参加しており、今年は米屋町、天王町、松原町、旅籠町、柳町から5基が曳き出され、軽快な水口ばやしに乗って次々と宮入した。

 水口は水口藩(加藤氏2万5千石)の城下町で、東海道五十三次の50番目の宿場町として栄えた。豪華な曳山が往時の町衆の経済力と心意気を示す。今年の曳山5基はいずれも江戸時代後期に造られたもので、構造は高さ5~6mの2層露天式。下に囃子方が乗り、天井の上には趣向を凝らしたダシが飾られる。今年は桃太郎や福の神、恐竜などだった。ただ柳町は江戸時代からの伝統で、毎回神功皇后が鮎釣りをして占いを行ったという故事に因む人形を飾っているそうだ。曳山の後方には鳳凰や鯉の滝登りなどおめでたい題材を刺繍した見送り幕が飾られていた。

  

 曳山が勢揃いする中、境内で祭り情緒を一層高めていたのが水口ばやしと呼ばれる太鼓、鉦、篠笛によるお囃子。各曳山の前で若衆や子どもたちが息を合わせて軽快なお囃子を披露すると、多くの観客が半円形に取り囲んで聴き入り、中にはお囃子に合わせリズミカルに体を動かす人もいた。小太鼓を打つ子どもたちの真剣なまなざしが印象的だった。午後2時すぎにはお渡りの神輿が境内を出発したが、お囃子はその後も延々と続いた。

 

 水口ばやしは江戸の祭囃子の流れを汲むという。ただ一口に水口ばやしといっても、同じお囃子でも地区ごとに曲名が異なる。宮入や上り坂などで奏される軽快なお囃子は東地区(12基)で『八妙(やたえ)』、西地区(4基)で『屋台』と呼ばれる。また平坦な道を進むときのゆったりしたお囃子も東では『馬鹿』、西では『四丁目(しちょうめ)』。さらに同じお囃子でも曲調が町内ごとに微妙に違うそうだ。曳山の豪華な屋台とともにお囃子にもそれぞれの町の伝統と誇りが詰まっているのだろう。お囃子を聴くことができただけでも祭り見物に出かけた甲斐があった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ジャノメ(蛇の目)エリカ> 小花の真ん中に黒い葯

2018年04月18日 | 花の四季

【南アフリカ原産、大正時代渡来のエリカの代表格】

 エリカはツツジ科エリカ属の常緑低木で、世界に700種以上あるという。その大半は南アフリカのケープ地方原産だが、ヨーロッパなどそれ以外のものも。エリカの英名はヒース。ただ英国などでヒースといえば潅木が茂る荒涼とした丘陵地ヒースランドを指すことが多いそうだ。そのエリカの代表格がジャノメエリカで、日本にはエリカの中で最も早く大正時代の1920年頃に渡来した。

 学名は「エリカ・カナリクラータ」。エリカの仲間では大型で樹高は2mほどになり、よく分枝する枝に小さな桃紅色の壷形の花を無数に付ける。花の真ん中にある雄しべの葯が黒紫色でよく目立つ。名前はその様子が蛇の目模様に見えることに由来する。花期はふつう3~4月頃だが、温暖な地域では冬の12月頃から長く咲き続ける。日本に導入されて以来、伊豆半島南部や房総半島などで花壇や切り花用として栽培されてきた。

 エリカといえば若者にとって〝エリカ様〟こと沢尻エリカ(女優・歌手)かもしれない。その名前もエリカの花に因んで命名されたそうだ。熟年者にとっては西田佐知子が歌った『エリカの花散るとき』(1963年)だろうか。「♪青い海を見つめて伊豆の山かげにエリカの花は咲くという……」。エリカの花も品種改良が進んで様々な形や色のものが出回っている。ただ西田佐知子の歌には「うすい紅色のエリカの花」とあり、ヒットした時期からみてもジャノメエリカを歌ったものだろう。「エリカ咲きひかり幾重の真珠棚」(岡本まち子)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<セイシカ(聖紫花)> 気品漂うツツジ科の〝幻の花〟

2018年04月16日 | 花の四季

【変種アマミセイシカは奄美大島の固有種】

 セイシカは八重山諸島の石垣島や西表島に分布するツツジ科ツツジ属の常緑小高木。山奥の渓流沿いの岩場や森の中など自生地が限られることから〝幻の花〟といわれる。3~4月頃、枝先に花冠が5つに深く裂けた淡い紅紫色の花を付ける。その変種に奄美大島だけに自生するアマミセイシカ(写真)。こちらはごく近い将来の絶滅が懸念されており、環境省のレッドリストで絶滅危惧ⅠA類に分類されている。

 セイシカを国内で初めて発見したのは明治中期~大正時代に南西諸島の動植物を幅広く調査した田代安定(1857~1928)。1880年代に西表島の深山で見つけた。40年ほど前NHKが石垣島のセイシカを全国ネットで紹介して以来、その存在が広く知られるようになったという。「♪於茂登の山に人知れず 咲いているというまぼろしの花……」。これは安里隆作曲・湖城義信作詞の『セイシカの花』という曲で、歌い出だし部分の山は石垣島にある沖縄県最高峰の於茂登岳(標高525m)のこと。石垣島中部にある県立のバンナ公園には「聖紫花の橋」と名付けられた吊り橋もある。

 アマミセイシカはタシロランなど多くの新種を発見したことで知られる植物学者田代善太郎(1872~1947)が1937年に奄美大島の烏帽子岳で見つけた。セイシカに比べ花がやや小さく花色の白みが強い。花冠の上側内面には黄緑色の目立つ斑点模様が入る。アマミセイシカは奄美固有種だが、セイシカは中国南部や台湾にも分布する。中国名は「西施花」。西施は春秋時代の女性で、楊貴妃などとともに中国四大美女の一人に挙げられる。セイシカの気品のある花の佇まいを絶世の美女にたとえて名付けられたそうだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<アーモンド> 和名「扁桃」、モモに似た5弁花

2018年04月15日 | 花の四季

【バラ科サクラ属の落葉樹、原産地は西アジア】

 ナッツやお菓子の材料などになるアーモンドが、抗酸化作用があるビタミンEを多く含む健康食品としても人気を集めている。旧約聖書に出てくることからが大昔から貴重な食物だったことを示す。原産地は西アジアといわれ、古く地中海沿岸地方に伝わり、さらにスペインの宣教師によって18世紀アメリカに伝わった。カリフォルニアは今や世界最大の生産地。日本に輸入されるアーモンドの大半もカリフォルニア育ちという。

 高さが5mほどにもなるバラ科サクラ属の落葉高木。3~4月頃、葉が展開する前にサクラやモモに似た径3cmほどの白やピンクがかった5弁の花を付ける。サクラが長い花柄を持つのに対し、アーモンドは花柄が短く枝から直接咲いているように見えるのが特徴。和名の「扁桃」は果実や種子の形が細長く扁平なことから。のどの病気、扁桃炎の扁桃もアーモンドに由来する。漢名は巴旦杏(はたんきょう)。果肉は薄くて食用にならず、種子の中の仁が食用として利用される。

 神戸ではアーモンドの花見が春の風物詩になっている。その一つが東洋ナッツ食品(東灘区深江浜)の「アーモンドフェスティバル」。6種約60本のアーモンドが植えられ、1986年から毎年3月に庭園を開放している。神戸市東水環境センター東灘下水処理場の運河沿いにも阪神大震災復興のシンボルとして約100本が植樹され、毎春「アーモンド並木と春の音楽会」が開かれてきた。ただ昨秋の台風21号で20本近くが倒木したほか塩害もあって、今春は残念ながら中止に追い込まれた。関西以外では静岡県浜松市の「はままつフルーツパーク」や福岡市の「花畑園芸公園」なども有名。

 画家ゴッホの油絵に『花咲くアーモンドの枝』(1890年)という作品がある。南フランスの病院で療養中だったゴッホが、弟から長男が生まれ名前をゴッホと同じフィンセントにしようと思うという手紙をもらって誕生祝いに描いた。南仏で早春咲き始めるアーモンドを新しい生命の象徴として題材に選んだという。俳人夏石番矢は訪問先のチュニジアで、てっきりサクラとばかり思って近づいた木の花がタクシー運転手の指摘で初めてアーモンドと知った。その時の一句。「サボテンへしなだれかかりアーモンド咲く」

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<日吉大社> 湖国近江の春を彩る山王祭

2018年04月14日 | 祭り

【華やかな花渡り式と勇壮な宵宮落し】

 比叡山麓にある日吉大社(大津市坂本)で、例祭の「山王祭」がにぎやかに繰り広げられている。13日には昼すぎから表参道の日吉馬場で稚児のお練り「花渡り式」があり、日が暮れると宵宮場の大政所で神輿4基による勇壮な「宵宮落し神事」が行われた。14日には神輿7基が参道を琵琶湖岸まで下り、船に乗って唐崎沖まで渡る「船渡御」と「粟津の御供献納祭」が古式ゆかしく繰り広げられる。

 日吉大社は「山王さん」として親しまれており、全国の日吉神社・日枝神社・山王神社などの総本宮。山王祭は毎年4月12~14日に行われており、そのうち12日と13日は東本宮の祭神大山昨神(おおやまくいのかみ)を中心とした神事、14日は西本宮の祭神大己貴神(おおなむちのかみ)を中心とした神事が行われる。大己貴神(大国主神)を奈良の三輪山(現在の大神神社)から勧請したのは668年で、今年は西本宮御鎮座1350年の節目に当たる。

 

 花渡り式は13日午後1時すぎから始まった。主役はかわいい甲冑姿のお稚児さんで、前後を羽織姿の露払いや化粧回しを着けた警護役の金棒曳き、華やかな造花、稚児の親族たちが続く。かつて多い年には20組ほどの花が出たそうだが、今年はちょうど10組だった。稚児は原則として4歳ぐらいまでの男児が務め、お供も男性に限られてきたという。ただ今年は稚児の中に女児の姿も散見された。参道で見守っていた関係者に伺ったところ「女子の参加は数十年ぶり」とのことだった。

  

 行列は二の鳥居からゆっくりと参道を上って右折し、夜に宵宮落しの舞台となる大政所に向かった。稚児たちが歩く距離は300mほどだが、重くて慣れない甲冑姿とあって、ちょっぴりすねたり途中で父親に抱かれたりする稚児も。右折する直前、稚児が東西の本宮が鎮座するお山に向かって深々とお辞儀すると、参道を埋めた観客から大きな拍手が起こり「ご苦労さま」といった掛け声も投げ掛けられた。宵宮場の大政所では各組が到着するたびに神楽が奉納された。

 大政所には金色に輝く神輿4基がずらりと並び、向かって右側に設置された大型スクリーンでは別会場で進行中の「読み上げ式」などの模様がライブ中継された。読み上げ式は「駕輿丁(かよちょう)」と呼ばれる4つの神輿の担ぎ手を一人一人点呼するもの。その後、竹松明を先頭に担ぎ手たちが次々に宵宮場に駆け込んできては神輿をドスン、ドスンと前後に激しくゆすり始めた。神輿の前面には「上半身裸の屈強な男性が5人ずつにらみを利かせていた。「前張り役」と呼ばれる。

 

 神輿振りが1時間ほど続いた後、甲冑姿の男性たちが現れ我先に2人ずつ神輿に飛び乗った。この後、各神輿の前で獅子舞などが演じられ、続いて山王祭実行委員長の祭文読み上げ。それが終わるやいなや、各神輿は壇上から地上に落とされ先陣を競うように担がれて宵宮場を後にした。この神輿振りから神輿落しまでの一連の所作は、御子神が誕生するお産の陣痛と出産の場面を表すといわれる。神輿振りの最中横一列になって腕を組む男性陣も実は陣痛の様子を隠すのが役目という説もあるそうだ。また柱で5つに分けられた大政所の部屋のうち、神輿が入っていない向かって右端の部屋は「稚児の間」と呼ばれているという。誕生する御子神のために空けているというわけだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<フタバアオイ(双葉葵)> 紅紫のかわいい小花を下向きに

2018年04月11日 | 花の四季

【ハート形の葉は京都・葵祭の必需品、徳川家の紋所にも】

 ウマノスズクサ科カンアオイ属の多年草。日本固有種で、本州・四国・九州の山地の樹下に自生する。春、円心形の葉を2枚ずつ対に付けることから双葉葵(二葉葵)の名がある。花は淡紅紫色で径1cmほどのお椀形。ただ大きな葉の下に隠れるようにして下向きに咲くため目立たず見過ごしやすい。花びらのように見えるのは萼(がく)で花弁はない。

 フタバアオイの葉には光沢があり葉脈の模様も美しい。その葉を図案化したものが京都・賀茂神社(上賀茂神社/下鴨神社)の神紋になっており、フタバアオイは例祭の葵祭(5月15日)に欠かせない。その日は社殿から行列の牛車、冠や装束、桟敷に至るまであらゆる所にフタバアオイが飾られる。フタバアオイに「カモアオイ(賀茂葵)」の別名があるのもそのため。「カザシグサ(挿頭草)」や「ヒカゲグサ(日陰草)」「フタバグサ(双葉草)」といった別称もある。

 かつて上賀茂神社周辺や賀茂川上流一帯に多く自生していたが、今では激減してしまったという。そこで一般社団法人「葵プロジェクト」が中心になって上賀茂神社の「葵の森」再生プロジェクトを推進中。地元小学校をはじめとしてフタバアオイの栽培・保護活動に取り組むところも増えており、3年前からは「葵里帰り」と銘打って「葵の森」でフタバアオイの奉納式も開いている。

 フタバアオイは徳川将軍家・徳川御三家の「葵の御紋」としても知られる。この紋所「丸に三つ葉葵」はフタバアオイの葉を3つ組み合わせて図案化したもので、ミツバアオイという植物があるわけではない。「地に落ちし葵踏みゆく祭かな」(正岡子規)、「弟が枯葉を分けて見よというフタバアオイは鈴形の花」(鳥海昭子)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<岩倉桜まつり> 3台の山車が巡行、からくりを実演

2018年04月10日 | 祭り

【千本桜は〝さくら名所百選〟ただ今年は早や葉桜に】

 愛知県岩倉市で3月30日~4月8日「岩倉桜まつり」が開かれ、4月7日には3台の山車(だし)が巡行して華を添えた。市内中心部を流れる五条川両岸に植えられたソメイヨシノ約1400本は「千本桜」として市民に親しまれており「日本のさくら名所100選」にも選ばれている。ただ今年は開花が早く、訪ねた7日には花もほとんど散って新緑の若葉が芽吹き始めていた。

 岩倉の山車は江戸前期の寛永年間(1624~43)に創建されたといわれる。大上市場、中本町、下本町の3地区にそれぞれ1台ずつあり、明治時代まではそろって祇園祭で曳き回されていたが、昭和30年代中頃から途絶えていた。復活したのは市制施行20周年の1991年で、今では春の桜まつりと夏の山車まつり(祇園祭)で3台のそろい曳きが行われている。

 

 山車の構造は3層唐破風造りで、外観は一見〝犬山型〟に似る。ただ車幅は犬山の車山(やま)よりやや広い。また曳き手が巻き込まれないよう外輪を「輪懸(わがけ)」と呼ぶ木枠で覆うなど〝名古屋型〟の特徴も併せ持つ。山車3台にはそれぞれ4~5体のからくり人形があり、いずれも2層正面で「ざいふり」と呼ばれる前人形が采を振って山車の進行を鼓舞する。7日には地域交流センター「くすのきの家」の駐車場に山車3台が集合した後、五条川河畔まで別々に移動してからくり、伊勢音頭などを披露した。桜まつりメーン会場の「お祭り広場」では様々なステージイベントも開かれて終日多くの人出でにぎわっていた。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<犬山祭> 豪華絢爛! 高さ8mの車山13両が巡行

2018年04月09日 | 祭り

【からくり人形を奉納、夜は提灯にロウソクを灯し】

 国指定の重要無形民俗文化財、愛知県犬山市の「犬山祭」が4月7~8日行われ、見上げるばかりのきらびやかな車山(やま)13両が笛・太鼓のお囃子に乗って古い町並みを巡行した。国宝犬山城の麓に鎮座する針綱(はりつな)神社の春季祭礼として1635年に始まり、今年で384回目。2016年には「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されている。

 犬山祭は毎年4月の第1土曜・日曜に行われており、初日が「試楽祭(しんがくさい)」、2日目が「本楽祭(ほんがくさい)」と呼ばれる。本楽祭では午前8時頃から各町内を出発した車山が次々と犬山城前広場に集まり、全13両が勢ぞろいしたところで10時前から一両ずつ神社の鳥居前まで進んで「からくり」を奉納した。その妙技とともに見どころなのが奉納後の「どんでん」。車山の重さは3トンとも5トンともいわれる。その巨大な車山の車輪の片方を持ち上げ一気に向きを変えるもので、車輪がゆがんできしむ音が鳴り響く。その豪快なこと。どんでんが決まるたびに観客から大きな歓声と拍手が沸き起こった。どんでんという呼び名は「どんでん返し」に由来するそうだ。

 

 車山のうち12両は高さ8mの3層構造で、残りの1両は船形。車山は「てこ」と呼ばれる男衆15~20人ほどで曳き回される。3層構造の車山はからくり人形がある上山、操り手が乗る中山、お囃子方が乗る下山から成る。お囃子の太鼓は金襦袢を身に着けた子どもたちの担当で、車山に向かったり降りたりするときには両手を広げ男衆に担がれて運ばれていた。同様の風習は各地の祭りでも見られるが、ここでも子どもは「神の使い」として地面に足を付けさせない伝統があるのだろう。

 日が落ちると車山は装いを一変し365個の提灯で覆われる。「夜車山(よやま)」と呼ばれており、提灯の数は1年間の日数を表すという。灯は電飾ではなくて本物のロウソク。車山の動きに合わせてロウソクの灯もゆらゆらと揺れる。それが祭りの情緒と味わいを一層高めてくれる。幻想的な祭りを堪能していたその時、目の前に差し掛かった夜車山の提灯が1つ燃え始めるというハプニングに遭遇。「落とせ、落とせ」。その叫び声の直後、1つだけ叩き落されて延焼を免れたのは不幸中の幸いだった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<葛井寺> 藤棚のヤマフジは一足早く見頃に!

2018年04月07日 | 花の四季

【桜と同様、例年より1週間~10日ほど早く】

 大阪府藤井寺市にある西国三十三所第5番札所、紫雲山葛井寺(ふじいでら)。国宝の千手観音菩薩坐像や重要文化財の四脚門(西門)などで有名だが、ここは藤の花の名所としても知られる。山号の紫雲山も紫色の藤の花に因むという。例年4月下旬~5月上旬に藤まつりを開いてきたが、今年は暖かい日が続いて桜と同様に開花が早まる異変状況に。ヤマフジ(山藤)は早や見頃を迎え、ノダフジ(野田藤)も総状花序(花房)が一気に伸び始め基部から咲き始めている。

 ヤマフジは西日本の山野に多く自生しており、ノフジとも呼ばれる。花序の長さがノダフジに比べ短いのが特徴。ノダフジの蔓が右巻きなのに対し、ヤマフジは左巻きという違いもある。4月6日、境内のそこかしこに藤棚が設けられている葛井寺を訪ねた。すると阿弥陀二十五菩薩堂前のヤマフジは既に満開間近で、藤棚を薄紫色に染め甘い香りを放っていた。四脚門近くの藤棚でもシロバナヤマフジの純白の花が早くも見頃を迎えていた。

 

 一方、花序が長く優雅なため人気のあるノダフジも、花序の多くが伸び始めて20~40cmほどになり基部の方から紫色の花が咲き始めていた。最盛期になると長い花序は70~100cmまで伸びる。今年の藤まつりは当初4月20日頃から5月3日頃までと設定し、4月21日~5月6日には西国三十三所草創1300年記念特別拝観として阿弥陀堂の公開も予定していた。その前の4月18日には春季大法要(本尊ご開帳・お餅まき)も控えている。だが今の藤の開花状況から見頃が大幅に早まるのは必死の状況。そのためお寺の方も「急遽、藤まつりの期間の前倒しを検討しているところです」と頭を抱えていた。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<御嶽山大和本宮> 奈良・学園前の花見の〝穴場〟

2018年04月01日 | 花の四季

【朱塗りの太鼓橋に映える満開のソメイヨシノ】

 住宅街が広がる奈良市北西部の学園前の近くにソメイヨシノ約300本が咲き誇る花見の穴場がある。奈良県立大渕池公園(西地区)に隣接する「御嶽山大和本宮」。長野・岐阜県境にそびえる霊峰御嶽山を信仰の根本道場とする山岳宗教「御嶽教」の里の本部で、教団本部の大本庁もここに置く。本殿に通じる朱塗りの太鼓橋(長さ40m)と薄ピンク色の桜のコントラストが実に美しい。

 大和本宮は1965年(昭和40年)に造営された。太鼓橋のたもとには御嶽教中興の祖、渡邊照吉九代管長が記した「遷座記念碑」が立つ。それによると「当地は皇祖神武天皇日本建国の御創業に際し、霊鳥金鵄(きんし)が発生して奇瑞を表した神秘の霊地」であり、「本宮への参拝は木曽御嶽登拝と同一の功徳」があるそうだ。境内には総間口70m・高さ23mの本殿をはじめ、巨大な神武天皇像や資料館、御嶽山頂上にあるものと同型の「まごころの塔」、御嶽山7合目から運んだお百度祈願の神石などもある。

 

 長野県木曽町福島には御嶽山登拝の安全を祈願する木曽本宮がある。その御嶽山が4年前の2014年9月大噴火し、犠牲者が50人を超える戦後最悪の火山災害を起こした。その直後、大和本宮では毎朝、犠牲者の冥福や火山活動の鎮静化を祈り、同時に全国の教会・布教所にも祈祷を依頼した。大和本宮では今月7~8日「桜まつり」を開く。今回で25回目。境内では演芸大会などを行うが、同時に今年も御嶽山など災害被災地への復興支援のための募金活動もするという。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする